東陽一

人の思うことを次々に言いあて、思うことがなくなると、とって喰う。その妖怪「サトリ」が孤独な水族館受付嬢の前に現れる…。

民間伝承に材をとり現代を描写した東陽一監督の意欲作。緑魔子がしなやかな感性で特異なヒロインを好演している。また、管理社会からはみだして生きる“ものぐさ太郎”には河原崎次郎、そして太古の昔より甦える妖怪“サトリ”には、特異なマスクと不思議な存在感を有する山谷初男が紛している。

4 thoughts on “東陽一

  1. shinichi Post author

    『日本妖怪伝サトリ』
    1973年・青林舎作品
    カラー、スタンダードサイズ、102分
    監督:東陽一
    製作:高木隆太郎、重松良周
    脚本:東陽一、前田勝弘
    撮影:田村正毅
    美術:下河原香雄、手塚研一
    編集:東陽一、市原啓子
    助監督:青池憲司、栗原剛志
    主題歌:丸山圭子
    出演:緑魔子、河原崎次郎、山谷初男、佐藤慶、吉行和子
       渡辺文雄、織本順吉、伊藤惣一、金井大、坂本長利
       下川辰平、石橋蓮司、蟹江敬三、外波山文明
       内田栄一、岡村春彦、小川紳介

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  2. shinichi Post author

    東陽一
    https://ja.wikipedia.org/wiki/東陽一

    早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。 長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。

    1963年 A FACE (英語版・ジェトロ・24分)
    1964年 東村山市 (新芸映画・30分)
    1969年 沖縄列島 (東プロ・105分)
    1971年 やさしいにっぽん人 (東プロ・118分)
    1973年 日本妖怪伝・サトリ (青林舎・100分)
    1978年 サード (幻燈社+ATG・102分)
    1979年 もう頰づえはつかない (あんぐる+ATG・113分)
    1980年 四季・奈津子 (幻燈社+東映・120分)
    1981年 ラブレター (幻燈社+にっかつ・80分)
    1981年 マノン (幻燈社・108分)
    1982年 ザ・レイプ (幻燈社+東映・100分)
    1982年 ジェラシー・ゲーム (幻燈社+にっかつ・84分)
    1983年 セカンド・ラブ (幻燈社+東映・103分)
    1985年 湾岸道路 (幻燈社+東北新社・104分)
    1986年 化身 (東映・105分)
    1988年 うれしはずかし物語 (にっかつ・90分)
    1992年 橋のない川 (ガレリア+西友・139分)
    1996年 絵の中のぼくの村 Village of Dreams (シグロ・112分)
    2000年 ボクの、おじさん THE CROSSING (シグロ・116分)
    2003年 わたしのグランパ (製作委員会・113分)
    2004年 風音 (シグロ・106分)
    2010年 酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (シグロ+バップ+ビターズエンド・118分)
    2016年 だれかの木琴 (製作委員会・112分)

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  3. shinichi Post author

    高木隆太郎
    映画プロデューサー
    死亡: 2017年6月21日

    1969年 沖縄列島
    1971年 やさしいにっぽん人
    1971年 水俣 患者さんとその世界
    1973年 水俣一揆 一生を問う人々
    1973年 日本妖怪伝・サトリ
    1975年 不知火海
    1975年 医学としての水俣病
    1980年 薬に病む クロロキン網膜症
    1981年 水俣の図・物語
    1987年 水俣病・その30年

    **

    [ 2017/6/22 ] 訃報 (株)青林舎前代表取締役社長 高木隆太郎さん逝去
    http://www.s1000313.hosting-srv.net/news/1498119136470.html

    東プロダクションの創設者で、映画製作者の(株)青林舎前代表取締役社長、高木隆太郎さんが、昨夜(6月21日)逝去されました。85歳です。

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