ドリアン助川

たとえ、障害があっても、たとえ短い命でも、たとえ隔離されていた人生だったとしても、どんな人にだって生まれてきた意味があるんです。社会で何をやったとか、いくら稼いだとか、そんなことはとても小さな物事の捉え方でしかない。でも現代社会は、雑誌でもテレビでも、「どう儲けるか」とか「時間はこう使おう」とか、能動的であることを推奨しています。でも、人生に意味を見出すときに、必ずしも能動的である必要はないと思うんです。「自分がアンテナになって、この世をまず受け止めてみる」、そんな受け身になることで人生の意味をかえって見いだすことができます。この世の聞こえない言葉を「聞く」ことこそ、本当に豊かな生き方ではないでしょうか。

1 thought on “ドリアン助川

  1. shinichi Post author

    人はなぜ生まれ、どう生きるべきなのか
    ─小説『あん』がハンセン病を通じて問いかけるもの

    TOKYO 人権

    https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/document/tokyojinken66.pdf

    徳江の「聞く」という行為は、僕のそんな考えに基づいているのかもしれません。ただ、療養所に隔離されていた徳江の場合は、聞こえない言葉を聞くこと、つまり思いを馳せることが唯一の、囲いの向こうまで行く方法だったわけです。逆に言えば、それをしないことには隔離された環境に耐えられなかったのだともいえます。

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