高橋たか子

「なぜ死ぬかって? 私を死なせる張本人のあなたが、なぜ死ぬかって訊ねるの?」

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「二十、二十一」
 と、声が言った時、鳥居哲代は、何でも出来る――と自分に言い、織田薫を押した。
 その時、鳥居哲代の内部で盛りあがり押さえられ盛りあがりしていたあの不快な力が、思いもかけない量をなして噴きでてきて、一瞬、それは快と感じられた。押した相手は織田薫でもあり自分自身でもあり誰か他の人でもあった気がした。鳥居哲代は自分を見つめてばかりいたので、織田薫がどういう格好をしたかを見なかった。
 望んでいない。
 と、鳥居哲代は言った。
 望んでいる。
 と、言いかえてみた。
 望んでいないものを望んでいる、ということはあるのか。
 と、さらに言った。
 鳥居哲代はただ一人で戻りはじめた。歩行はのろく重たい。昏れてしまったとも昏れていないとも決めようのない曇天のなかを行く。
「火口の中はぱあっと明るい」
 と、さっき無理に言わされたことを、今度は自分から言ってみた。

5 thoughts on “高橋たか子

  1. shinichi Post author

    誘惑者

    高橋たか子

    噴煙吹き上げる春まだ浅い三原山に、女子大生がふたり登っていった。だが、その後、夜更けに下山してきたのは、なぜかひとりだけ―。遡ること一ヶ月前、同様の光景があり、ひとり下山した女子大生は同一人物だった。自殺願望の若い女性ふたりに、三原山まで同行して、底知れぬ火口に向かって投身させた自殺幇助者の京大生・鳥居哲代。生きていることに倦んだ高学歴の女学生たちの心理を精緻に描き、自殺者と自殺幇助者になっていく軌跡をミステリー風に仕立てた悽絶な魂のドラマ。高橋たか子の初期長編代表作で第4回泉鏡花賞を受賞。


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  2. shinichi Post author

    女子大生である自殺志願者2名と自殺幇助者1名の、自殺完遂までの記録。死の構造を知りたい主人公が、自殺志願者と共に三原山に行き、火口に身投げするのを見届ける。

    三原山の火口へ自殺願望の友を手引きする哲代は、自分の中の黒い波濤に怯えている。自分の知らない自分。意味を求めて近づくと吐き気を催す。生きる事に意味は無い。でも吐き続けて内なる影と向き合えば、いずれ己の命と和解できるかもしれない。炎で浄化された先の新しい命など幻想だ、この人生の中で答えに至れと個人的解釈。悪魔が先にありきでそこから生じる渇きが神を生んだ。。。

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  3. shinichi Post author

    高橋たか子

    https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋たか子

    高橋たか子(1932年 – 2013年)は、日本の小説家。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。夫は作家の高橋和巳。

    京都府京都市下京区醒ヶ井通仏光寺下ル荒神町で、父・岡本正次郎、母・達子の長女として生まれる。父親は旧制名古屋高等工業学校建築科を卒業し、京都府警察部建築課に勤めていた。尋常小学校時代に等持院北町に転居し、京都府立嵯峨野高等女学校から府立山城高校を経て、1954年(昭和29年)、京都大学フランス文学科卒。在学中に高橋和巳と知り合い、卒業の半年後に結婚する。大学院に進み、1958年に修士を取得。その一方で作家志望の和巳が働かなかったため、たか子が家庭教師や翻訳、外国人観光客のガイドなどをして家計を支え、加えて夫の原稿の清書なども精力的に手伝った。夫とともに、布施市吉松蔦崎町(現・東大阪市)、等持院北町のたか子の実家、吹田市大字垂水と転居し、1965年に鎌倉市二階堂理智光寺に住む。1967年、和巳は京都大学助教授に就任して京都へ転居するが、たか子は故郷である京都の土地柄に女性蔑視的風潮があるとして同行せず、夫婦は別居生活をおくることになった。1967年、渡仏する。

    しかし1969年に夫である和巳が病に倒れ、たか子は献身的に介護するも1971年(昭和46年)、和巳と死別する。たか子もその後、自ら小説を書き始めた。1975年に遠藤周作のすすめでカトリックの洗礼を受けた。『高橋和巳の思い出』で、和巳は家では「自閉症の狂人」だったと書いた(この「自閉症」の用法は、今日では誤りである)。京都市の女子カルメル会に入会し、修道生活を送った時期もある。1980年にパリのサン=ジェルヴェ・サン=プロテ教会を母体とするエルサレム修道会の創立者のPère Pierre-Marie Delfieuから修道生活の誘いを受け、1981年からパリに安アパートを借りて住み隠修者となる[7]。1985年に正式にエルサレム会に入会。たか子はこの間にフランス各地の修道院を訪ね、1988年にはエルサレムを訪れている。

    『空の果てまで』で田村俊子賞、『ロンリー・ウーマン』で女流文学賞、『怒りの子』で読売文学賞、『きれいな人』で毎日芸術賞を受賞した。他に代表作は、三原山での女子大学生の投身自殺を描いた『誘惑者』(泉鏡花文学賞受賞)がある。

    2013年(平成25年)7月12日、茅ヶ崎市の老人ホームで心不全のため死去した。喪主を務めた鈴木喜久男(翻訳家の鈴木晶)はたか子の40年来の弟子で、たか子の生前から高橋家の鎌倉の自邸に妻子と暮らし、和巳・たか子両名の著作権代理人を務めていた。高橋夫妻の著作権はたか子の没後、日本近代文学館に遺贈された。

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  4. shinichi Post author

    『誘惑者』に出てくる悪魔学の権威・松澤龍介は澁澤がモデル。

    高橋和巳(1931-1971)
    高橋たか子(1932-2013)

    澁澤龍彥(1928-1987)
    矢川澄子(1930-2002)
    澁澤龍子(1940-)

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  5. shinichi Post author

    三島由紀夫『暁の寺』の、「性の千年王国」を夢見るドイツ文学者今西康も、澁澤がモデル。

    物語のラストで、同衾していた戦争遺族の椿原夫人ともに、戦後の「バッド・ソウル」を象徴する人物として、(神話的発動により)焼灼され亡くなる。

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