川瀬敏郎

昔は大根、水菜、蕪など、菜っぱの花はすべて「菜の花」でした。みなありふれた野菜の花ですから、書院をかざるたてはなにそれらをもちいた例はまずありません。モンペ姿で床の間にすわったら笑われる。ところが、その野暮をあえてやった連中がいます。侘茶湯の茶人たちです。
堺の茶人、津田宗久の茶会記には二度、菜種の花をいけた記録があります。利休もある茶会で、「あいにくよい花がなくて」とわびる亭主をさえぎり、庭に咲く瓜の花をみずから切っていけたといいます。あまりに身近で、だれも眼をとめなかった野菜の花を茶室の床の間にいける。桜、梅、椿といった名花とおなじ位置に、なんでもない、名もない花をひろいあげて据えた。それは花の歴史だけでなく、日本人の美意識そのものをかえた事件でした。

3 thoughts on “川瀬敏郎

  1. shinichi Post author

    川瀬敏郎
    今様花伝書

    菜の花、椿、朝顔、水仙ーー

    ひと月ひと花の「なげいれ指南」

    白洲正子が唯一認めた天才花人が四季折々の「花の心」といけかたを、花鋏の使い方、器選びからやさしく教える花伝書24カ月

    『芸術思潮』連載の単行本化

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  2. shinichi Post author

    花を生けるということは、自然の営みを読み取ることから始まり、『心の言葉』となった自然の、声なき声を訊こうとすることが大切です。

    『生ける』ことは、無言の花と対話し、その花の心をいかすこと。
    つまり花を器に入れていかすことで、自然の『静』と人間の『動』が呼吸し合い、命の交歓が行われること。

    直物を素材とした造形ではなく、花は日本人にとって静と動が一体となった『いのちのかたち』=『美』なのです。

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