永井荷風

 その夜竜子はいつものように、生れてから十七年、同じように枕を並べて寝た母の寐顔を、次の間からさす電燈の火影にしみじみと打眺めた。
 日が暮れてもなお吹き荒れていた風はいつの間にかぱったり止んで雨だれの音がしている。江戸川端を通る遠い電車の響も聞えないので時計を見ずとも夜は早や一時を過ぎたと察せられる。母はいつもと同じように右の肩を下に、自分の方を向いて、少し仰向加減に軽く口を結んでいかにも寝相よくすやすやと眠っている。竜子は母が病気の折にも、翌朝学校へ行くのが遅れるといけないからと言われて極った時間に寝かされてしまう所から、十七になる今日が日まで、夜半にしみじみ母の寐顔を見詰めるような折は一度もなかった。
 束髪に結った髪は起きている時のように少しも乱れていない。瞼が静に閉されているので濃い眉毛は更に鮮かに、細い鼻と優しい頬の輪郭とは斜にさす朧気な火影に一層際立ってうつくしく見えた。雨は急に降りまさって来たと見えて軒を打つ音と点滴の響とが一度に高くなったが、母は身動きもせずすやすやと眠っている。しかしそれは疲れ果てて昏睡した傷しい寝姿ではない。動物のように前後も知らず眠を貪った寝姿でもない。竜子は綺麗な鳥が綺麗な翼に嘴を埋めて、静に夜の明けるのを待っている形を思い浮べた。

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