4 thoughts on “稲盛和夫

  1. shinichi Post author

    最初の挫折体験は中学受験の失敗でした。ついで、その直後に結核に侵されました。当時、結核は不治の病であり、さらに私の家系は叔父2人、叔母1人をともに結核で亡くすという“結核家族”でした。

    「オレも血を吐いて、もうじき死ぬのか」――まだ幼い私は打ちのめされ、微熱の続くだるい体を持て余し、はかない気持ちにさいなまれながらも、病の床に伏せる他に方途はありませんでした。

    そのときに、隣の家のおばさんが不憫に思ったのでしょう。これでも読んでみなさいと、「生長の家」の創始者である谷口雅春さんの「生命の実相」という本を貸してくれました。中学に入ろうとする子どもにとっては、ややむずかしすぎる内容でしたが、私は何かにすがりたい一心で、わからないなりに読みふけり、やがてそこに、

    「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」

    というくだりを見いだして、その言葉にくぎづけになりました。谷口さんは「心の様相」という言葉を使って、人生で出会う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。病気もその例外ではない。すべては心の様相が現実にそのまま投影するのだということを説いておられました。

    病も心の投影であるとは、少し酷すぎる言い方ですが、そのときの私にはおおいに心当たりのあることでした。というのも叔父が結核にかかり、自宅の離れで療養しているとき、私は感染を恐れるあまり、いつも叔父が寝ている部屋の前を鼻をつまんで走り抜けていたからです。一方、父は付き添って看病を怠らず、私の兄もそんなに簡単にうつるものかと平然としていました。つまり、私だけが親族の病を忌み嫌うように、ことさら避けていたのです。

    その天罰が下ったかのように、父も兄も何ともないのに、私だけがうつってしまった。ああ、そういうことかと私は思いました。避けよう、逃げようとする心、病気をことさら嫌う私の弱い心が災いを呼び込んだのだ。恐れていたからこそ、そのとおりのことがわが身に起こった。否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされたのです。

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  2. shinichi Post author

    生長の家

    https://ja.wikipedia.org/wiki/生長の家

    生長の家は、1930年(昭和5年)に谷口雅春により創設された新宗教団体。 その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。

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  3. shinichi Post author

    (sk)

    「稲盛和夫」も「生長の家」も、どちらも限りなくドメスティックだ。

    価値観もモラルも「戦前の日本」そのもの。それ以前の日本も今の日本も、見えてこない。

    世界も見えてこない。

    「戦前の日本」は、なかなか消えない。

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