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  1. shinichi Post author

    ペスト

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    https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト#ペストの歴史

    14世紀には世界規模でペストが大流行し、およそ8000万人から1億人ほどが死亡したと推計されている。

    (472年以降、ペストは西ヨーロッパから姿を消していたが)アジアで発生し、シルクロードを経由してヨーロッパに伝播し、世界規模のパンデミックとなった。全世界でおよそ8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2000万から3000万人が死亡したと推定されている。 伝播したヨーロッパでは1348年から1420年に大流行した。ヨーロッパの全人口の30%から60%が死亡した。 イギリスやイタリアのいくつかの街(都市)や村においては、1348年から1400年の間に、人口の70%から80%が死亡した。

    14世紀の大流行は中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るった。当時ユーラシアの一大勢力を築いていたモンゴル帝国ではチンギス・ハーン末裔の諸家どうしの権力抗争が続いていたところへ流行が襲い、諸家の断絶を招いて帝国を衰亡させる要因となった。ペストは1347年10月に(1346年とも)、中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。流行の中心地だったイタリア北部では住民がほとんど全滅した。疫病の原因が「神の怒り」と信じたキリスト教会では、ユダヤ人が雑居しているからとして1万人以上のユダヤ人を虐殺した。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。

    1377年にヴェネツィアで海上検疫が始まった。当初30日間だったが、後に40日に変更された。イタリア語の「40」を表す語「quaranta」から、「quarantine(検疫)」という言葉ができた。

    イギリスでは労働者の不足に対処するため、エドワード3世がペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めた(1349年)ほか、リチャード2世の頃までに、労働集約的な穀物の栽培から人手の要らないヒツジの放牧への転換が進むことになった。イングランドの総人口400万人の3分の1が死んだと言われ、当時イングランドで通用していたフランス語や聖職者が使用していたラテン語の話者の人口が減り、英語が生き延びた。

    また、ユダヤ教徒の犠牲者が少なかったことから、「ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ」等のデマが広まり、迫害や虐殺が行われた(ペストと反ユダヤ主義)。ユダヤ教徒に被害が少なかったのは、「ミツワー(戒律)に則った生活のためにキリスト教徒より衛生的であった」という考えがある一方「実際にはキリスト教徒と隔離されたゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかった」との見解がある。

    ポーランドではアルコール(蒸留酒)で食器や家具を消毒したり腋や足などを消臭する習慣が国民に広く定着していたほか、原生林が残り、ネズミを食べるオオカミや猛禽類などが多くいたためペストの発生が抑えられていた。

    地中海の商業網に沿って、ペストはヨーロッパへ上陸する前後にイスラム世界にも広がった。当時のエジプトを支配し、紅海と地中海を結ぶ交易をおさえて繁栄していたマムルーク朝では、このペストの大流行が衰退へと向かう一因となった。

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    その後も、ペストは17世紀頃から18世紀頃まで何度か流行した。

    1629年10月にはミラノで検疫の重要性が明らかになった。すなわち、1630年3月のカーニバルのためにミラノでの検疫条件を緩めたところ、ペストが再発したのである(en)。ピーク時の死亡者数は1日当たり約3500人であった。

    1665年にはロンドンで流行し(en:Great Plague of London)、およそ7万人が亡くなった。1666年に大火(ロンドン大火)が起こり全市が焦土と化したことでノミやネズミがいなくなり流行は終息した。(後にダニエル・デフォーは『疫病の年』(A Journal of the Plague Year、1722年刊)という小説で当時の状況を克明に描いた)。ロンドンでは人が多く集まる大学が閉鎖され学生はペスト禍を避けるために疎開させられた。(なお、当時ケンブリッジ大学で学位を得たばかりのアイザック・ニュートンも故郷に疎開することになり、それまで大学で小間使い的な仕事をして生活費を稼いでいた彼は、疎開により雑事から完全に解放されて、思索に充てる時間を得たことで、微積分法の証明や、プリズムでの分光の実験(『光学』)、万有引力の着想(距離の逆2乗の法則の導出)などを行うことができたわけで、「ニュートンの三大業績」とされるものはいずれもこのペスト回避の疎開の時に生まれたものであり、イギリスにとって歴史的な災厄が続いた月日に イギリスの誇る宝が誕生することになったわけである。)

    フランスでは1720年にマルセイユで大流行 (Great Plague of Marseille) した。しかし、集権化にともなう防疫体制の整備 と衛生状態の改善から、これ以降の大流行はみられなかった。こうして先進諸国では19世紀までにほとんど根絶されたが、発展途上国ではなお大小の流行があり、インドでは1994年に発生、パニックが起きた。

    19世紀の中国とインドで1200万人が死んだ世界的流行 (en:Third plague pandemic) は、中世のペストが、香港から世界中に広がったとされる。

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  2. shinichi Post author

    世界人口

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    https://ja.wikipedia.org/wiki/世界人口

    Biraben: Jean-Noël Biraben, 1979, “Essai sur l’évolution du nombre des hommes”, Population, Vol. 34 (no. 1), pp. 13–25.

    McEvedy &: Colin McEvedy and Richard Jones, 1978, “Atlas of World Population History,” Facts on File, New York, ISBN 0-7139-1031-3.

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