広岡延隆

目覚ましい経済発展を遂げたとはいえ、なお沿岸部と内陸部の「東西格差」が残る中国。その中でも貧しい地域の1つとして知られるのが中国南西部にある貴州省だ。ファーウェイの創業者、任正非CEOはこの地から一代で米国が危険視する巨大企業を作り上げた。
貴州省の省都である貴陽市からアジア最大の滝とされる「黄果樹瀑布」を目指す観光客達とともに一時間強ほど電車に揺られると、少数民族の苗族や布衣族の自治区があることで知られる安順市に着く。任氏の生まれ故郷である。
任氏の両親は安月給の教師だった。7人の子供全員を学校に通わせていたこともあり、生活は困窮を極めた。任氏は高校卒業までシャツを着たことがなく、学校では夏でもずっと厚手のジャケットを着ていたという。
食料は厳格に管理されていた。育ち盛りの任氏は常に空腹を感じていたが、家の食べ物を任氏が余分に取れば、幼い弟や妹が命を落とす可能性がある。任氏は、こうした貧困に耐えた経験を通じて経営に必要な我慢強さが培われたのかもしれない、と振り返っている。
高校卒業後、任氏は重慶建築工程学院に進む。その在学期間中、任氏のみならずその後の中国人全体の思考に強烈な影響を及ぼす出来事が起きた。
文化大革命。毛沢東が主導したこの運動で、やり玉に挙がったのはエリートである知識層だった。多くの知識人が顔を黒く塗られ、後ろ手に縛られて見せ物にされ、首に看板をかけられ、自分の人生を糾弾される。そのような強烈な「思想改造」を迫られた人々の中に教師だった任氏の両親もいた。
重慶にいた任氏が直接、攻撃の対象となることはなかったが、家族を襲った不条理が任氏の人生観を大きく揺さぶったことは間違いない。

3 thoughts on “広岡延隆

  1. shinichi Post author

    ファーウェイ創業者の任正非氏、貧困から「中国代表」へ 

    逆境が培ったしたたかさ

    by 広岡延隆

    (2019年9月6日)

    https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00209/

    日本企業を超え、欧米の大企業と比べても、高い技術力や製品力を持つファーウェイ。その力を米国政府は恐れ、中国を代表する企業として禁輸措置などを打ち出している。だが、貧困からはい上がった創業者は米国との争いさえも糧に変えようとしている。

    任正非氏の歩みとファーウェイの売上高


    任正非氏は深圳市内の共同住宅の一室でファーウェイを立ち上げた


     目覚ましい経済発展を遂げたとはいえ、なお沿岸部と内陸部の「東西格差」が残る中国。その中でも貧しい地域の1つとして知られるのが中国南西部にある貴州省だ。ファーウェイの創業者、任正非CEO(最高経営責任者)はこの地から一代で米国が危険視する巨大企業を作り上げた。

     貴州省の省都である貴陽市からアジア最大の滝とされる「黄果樹瀑布」を目指す観光客達とともに一時間強ほど電車に揺られると、少数民族の苗(ミャオ)族や布衣(プイ)族の自治区があることで知られる安順市に着く。任氏の生まれ故郷である。

     安順市も現在の中国の地方都市の例に漏れず、市中心部の大通り沿いは再開発が進み新しいマンションやビルが建ち並び始めている。だが一本路地裏に入れば、今も一昔前の中国と同様の光景が広がる。


    任正非氏が生まれた貴州省安順市には開発から取り残された地域も残る。


     任氏が住んでいたと思われる地域には、壁がボロボロで窓もない家屋が残るスラム街が広がっていた。日用品店で店番をしていた初老の女性に任氏について聞くと、「ファーウェイの任さん?老板(社長)なの?住んでいたのはいつのこと?」と困惑した表情を見せた。その日を生き抜くのに必死な住民には、中国を代表する大企業のトップも米中貿易摩擦も遠い世界の話だ。

     地方政府の支所の男性職員も「ずっと前のことで、(任氏が)どこに住んでいたかはもう分からない」との答え。「でもファーウェイはデータセンターも作ってくれて、貴州にとてもよくしてくれている。貴州の誇りですよ」と笑顔を見せた。

     任氏が貴州で暮らしていた当時を振り返った「私の父と母」というエッセーがある。

     任氏の両親は安月給の教師だった。7人の子供全員を学校に通わせていたこともあり、生活は困窮を極めた。任氏は高校卒業までシャツを着たことがなく、学校では夏でもずっと厚手のジャケットを着ていたという。

     食料は厳格に管理されていた。育ち盛りの任氏は常に空腹を感じていたが、家の食べ物を任氏が余分に取れば、幼い弟や妹が命を落とす可能性がある。任氏は、こうした貧困に耐えた経験を通じて経営に必要な我慢強さが培われたのかもしれない、と振り返っている。

     高校卒業後、任氏は重慶建築工程学院(現・重慶大学)に進む。その在学期間中、任氏のみならずその後の中国人全体の思考に強烈な影響を及ぼす出来事が起きた。

    文革が寛容さの原点

     文化大革命。毛沢東が主導したこの運動で、やり玉に挙がったのはエリートである知識層だった。多くの知識人が顔を黒く塗られ、後ろ手に縛られて見せ物にされ、首に看板をかけられ、自分の人生を糾弾される。そのような強烈な「思想改造」を迫られた人々の中に教師だった任氏の両親もいた。

     重慶にいた任氏が直接、攻撃の対象となることはなかったが、家族を襲った不条理が任氏の人生観を大きく揺さぶったことは間違いない。

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  2. shinichi Post author

    任正非

    https://ja.wikipedia.org/wiki/任正非

    任正非(1944年-)は、中華人民共和国・人民解放軍出身の企業家。中国通信設備最大手である華為技術有限公司(Huawei Technologies Co., Ltd. 、ファーウェイ)の最高経営責任者(CEO)を務める。重慶建築工程学院(現:重慶大学)で卒業した。

    2018年現在、フォーブズ誌が発表した“中国富豪リスト”の83位に名を連ねており、資産は推定31億ドルあると言われている。

    なお、娘の孟晩舟も副会長で最高財務責任者を務めている。

    生い立ち

    貴州省鎮寧県(現・安順市鎮寧プイ族ミャオ族自治県)の生まれ。両親は教員であったが、父は文革で迫害を受ける。重慶建築工程学院(現:重慶大学)を苦学して卒業。1978年まで人民解放軍に所属。

    その後、1983年に深圳南海石油グループに勤務したがグループの赤字企業に転属され、両親や弟妹と一緒に過ごそうと考えていた任にとって条件が良くないと感じた。その為、起業を決意。

    華為技術有限公司

    1988年に人民解放軍の元仲間6人と20万元を持ち寄って華為を創業する。当初は、小型の電話交換機や火災報知器などの製造の他、香港企業が生産した内線電話や加入者電話網の公衆回線への接続を行う構内交換機の販売代理業を手がけた。

    1993年には大型のデジタル交換機を開発し、その後は有線通信の交換機から無線通信機に切り替えていった。

    備考

    任正非は聯想集団(レノボグループ)の柳伝志﹑海爾集団(ハイアールグループ)の張瑞敏、華潤集団の寧高寧、万科企業の王石、華遠の任志強、広廈集団の孫広信、科竜の潘寧、杉々集団の鄭永剛、宅急送の陳平らと並んで、皆人民解放軍出身の転業創業者である。しかし、これまでの経歴については詳しく語られていない。また中国で一般的な処世術に違わず近年の資産を誇示されることもない為、中国国内でもその経歴は詳らかではない。

    2014年6月、任社長は中国で初めて記者会見を開いた。その中でアメリカが何度も安全を口実に華為のアメリカ市場への参入を妨げていたことに対し、任社長は「中国が強大になるに従い、アメリカの攻撃性も強くなる。実際にアメリカの攻撃標的は華為ではなく、中国だ。これから、どんな困難に直面するかは分からないが、どうにかして克服する」と強調した。

    なお、任社長は現時点(2014年)では「引退を考えていない」とされている。

    パーソナリティ

    任は出張の際は誰も同行させず、1人でスーツケースを引いてタクシーを呼ぶ。持っていく資料を自分でタクシーのトランクに入れ、空港に向かう。

    また歌手の千昌夫のファンであり、「北国の春」(1977年発売の千昌夫のヒット・ソング名)という著書を2001年に上梓している。 この中で、日本の厳しい経済環境を教訓に、自社の停滞期を分析し、歌になぞらえて「冬の時代を耐え抜けば、春がやってくるでしょう。」と述べている。

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  3. shinichi Post author

    孟晩舟

    https://ja.wikipedia.org/wiki/孟晩舟

    孟晩舟(1972年2月13日-)は、中国の実業家。父親の任正非が設立した華為技術有限公司(Huawei Technologies Co., Ltd. 、ファーウェイ)の副会長で最高財務責任者を務める。

    2018年12月1日、アメリカの要請により、対イラン経済制裁に違反して金融機関を不正操作した容疑でカナダで逮捕された。

    生い立ち

    1972年 四川省・成都の出身。母は任正非の最初の妻孟軍で、16歳のときに母の姓を名乗る。

    1992年に大学を卒業して中国建設銀行に1年間勤めた後、父が設立したスタートアップ企業ファーウェイに秘書として入社した。その後、会計を学ぶため1997年に入学した華中科技大学で修士号を取得した。カナダ・バンクーバーに移り、2001年に永住権を取得したが2009年に権利を放棄した。遅くとも2011年以降は香港の永住権を取得している。

    キャリア

    中国の新聞21st Century Business Heraldのインタビューで、会計部門で働くためにファーウェイに戻った1998年に自分のキャリアが始まった、と孟晩舟は述べている。国際会計責任者、ファーウェイ香港CFO、会計管理部門ディレクターを勤めている。

    2011年にファーウェイが幹部を最初に公表したとき孟晩舟は既にCFOとして挙げられていた。4人いる副会長の1人であり、父親の任正非は否定しているが、孟は父を継ぐために訓練されたと推測されうるものであった。任は以前シナテック(新浪科技)に「私の家族は誰も適性を持っていないし後継者には含まれないだろう」と述べていた。

    2018年時点で18万人を雇用する中国最大級の私企業ファーウェイ副会長兼CFOである。2017年フォーブス誌で中国の優秀な女性経済人リストで8位にランクされ、ファーウェイ会長孫亜芳(中国語版、英語版)は2位にランクされた。

    逮捕

    孟晩舟は2018年12月1日、香港からメキシコに向かう途中の乗り換え空港バンクーバーで、アメリカからの要請によりカナダ当局によって逮捕された。12月7日カナダの裁判所で検察は、「複数の国際機関を欺くための陰謀容疑」で逮捕令状がニューヨーク東部地区連邦地方裁判所(United States District Court for the Eastern District of New York)により2018年8月22日に発行されていたことを明らかにした。香港の会社を通じて、対イラン経済制裁を回避したと検察は指摘した。

    2018年12月11日、バンクーバーの裁判所は‪パスポートの提出とGPS機器により24時間体制で監視下に置くことを条件‬に、保釈金1000万カナダドル(約8億5000万円)で孟晩舟が求めた保釈申請を認めた‬。

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