人間は善と悪の心を併せ持っていて絶対的な善人も悪人もいないというのが一般的な見方だろう。そう信じたくもある。
精神医学者のフランクルは第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所での過酷の日々から異なる考えに行き着いた。「この世にはふたつの人間の種族しかいない。まともな人間とまともではない人間」(『夜と霧』)
ナチスの人間の中にもユダヤ人のために自腹を切って薬を買い与える者もいる。ユダヤ人の中にも同じ境遇に苦しむユダヤ人をさいなむ者もいる。極限の状況下、追い詰められた人間は善か悪かのいずれかを選ぶようになると書いている。
信じたくないが、フランクルの考えに傾きたくなる。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、その困難に便乗した詐欺電話が相次いでいるという。いつだって詐欺は許せないが、人が助け合うべきときである。邪なたくらみに腹が立ってしかたがない。
電話をかけてきて、助成金や見舞金が出ると偽り、現金をだまし取ろうとする手口。「マスクを送付します」と、人の弱みにつけこんだ言葉で気を引くケースもあるという。
一カ月半ほど前、何人かの読者から使ってとマスクが小欄宛てに郵送されてきた。世の中にはこんなことができる人がいる。胸がいっぱいになる。残念だが、別の「種族」もいる。妙な電話にはくれぐれもお気をつけいただきたい。
筆洗
東京新聞
2020年4月6日
Man’s Search For Meaning
by Viktor E. Frankl
From all this we may learn that there are two races of men in this world, but only these two — the “race” of the decent man and the “race” of the indecent man. Both are found everywhere; they penetrate into all groups of society. No group consists entirely of decent or indecent people. In this sense, no group is of “pure race” — and therefore one occasionally found a decent fellow among the camp guards.
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No group consists entirely of decent or indecent people.
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夜と霧
by ヴィクトール・フランクル
この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間のふたつ。このふたつの『種族』はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も『純潔』ではない。
そもそも
我々が人生の意味を
問うてはいけません。
我々は人生に
問われている立場であり
我々が人生の答えを
出さなければならないのです。
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祝福しなさい
その運命を。
信じなさい
その意味を。
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どのような状況になろうとも
人間にはひとつだけ
自由が残されている。
それは
どう行動するかだ。
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私たちは、人生の闘いだけは
決して放棄してはいけない。
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幸せは、目標ではないし
目標であってもならない。
そもそも目標であることも
できません。
幸せとは
結果にすぎないのです。
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涙を恥じることは
ありません。
その涙は
苦しむ勇気を持っていることの
証なのですから。
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人間は緊張のない状態など
本当は求めてはいない。
心の底では目標に向かって
苦闘する日々を
望んでいるのだ。
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苦難と死は
人生を無駄にしない。
そもそも苦難と死こそが
人生を意味あるものにする。