「晴耕雨読」の語源として有力だと言われているのが、明治時代の文学者である「塩谷節山」が著した漢文詩を語源だとする説です。塩谷節山が「晴耕雨読、悠遊するに足る」と書いたところから「晴耕雨読」が生まれたと言われていますが、その真偽ははっきりとしていません。
一方で塩谷節山が活躍したのとほぼ同時期である1989年に出版された『少年文庫 第二集』の中には、「吉田丹三郎」の漢文である「晴耕雨読楼記」が掲載されています。「晴耕雨読楼記」にも「晴耕雨読」という文字があることから、この漢詩が語源になったという説を支持する意見も少なくありません。
このように語源は諸説ありますが、少なくとも1989年の段階で「晴耕雨読」という言葉が使われていたということは間違いないといえるでしょう。
晴耕雨読の語源
マナラボ
https://docoic.com/54148#i-2
塩谷温
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/塩谷温
塩谷温(1878年-1962年)は、日本の漢学者。東京に漢学者塩谷青山の子として生まれる。塩谷宕陰は大伯父。号は節山。1902年東京帝国大学漢学科卒。1906年母校助教授となり、ドイツのライプツィヒ大学、ついで清国の北京および長沙にて研究、1912年帰国、1920年元曲に関する研究で文学博士号を授与され、同年教授、1939年定年退職、名誉教授となる。元の「全相平話」や明の白話小説集『古今小説』(「三言」の一書)を再発見するなど、支那近世の小説・戯曲の研究・紹介に多大な業績を残した。また『新字鑑』は標準的な漢語辞典として長く愛用された。
少年文庫
第2集
榊信一郎 編
出版者: 少年園
出版年月日: 明治22年
請求記号: 特46-120(国立国会図書館)
左の写真は「少年文庫 壱之巻」