戸井田一郎

2007年にはBCG Pasteur 1173P株のDNA全塩基配列が報告され,あわせて主要なBCG亜株の系統図が提示されたが,2008年にはBCG Tokyo 172株のDNA全塩基配列も日本BCG研究所の関らによって明らかにされた。すべてのBCG亜株では遺伝子DNAのRD1領域が欠損しており,このことが強毒力のMycobacterium bovis, Nocard 株から弱毒化BCGが分化した要因と考えられているが,このRD1の欠損に加えてBCG Pasteur 1173P株では,1926年以降にパスツール研究所から分与を受けた国々のBCG 亜株(例えばデンマークのBCG Danish 1331株など)と同様に,RD2領域も欠損している。一方,BCG Tokyo172株では,1926年以前に分与を受けた国々のBCG亜株(例えばロシアのBCG Russia株など)と同様に,RD2領域は保持されている。このような最近の遺伝子分析の結果もBCG Pasteur 1173P株よりBCG Tokyo 172株のほうがCalmetteのオリジナルBCGに近似していることを示唆している。

結核ワクチンBCG─日本の貢献(PDFファイル)

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  1. shinichi Post author

    結核ワクチンBCG─日本の貢献

    日本BCG研究所 戸井田一郎

    1. カルメットとゲランの胆汁菌:オリジナルBCGの誕生

    パスツール研究所(リール,フランス)のLeon Charles Albert CalmetteとJean Marie Camille Guérinは,強毒力のMycobacterium bovis,Nocard株をウシ胆汁_グリセリン_馬鈴薯培地に繰り返し継代培養することによって馴化し,結核予防のためのワクチン株であるBacille(bilié)Calmette-Guérin(カルメットとゲランの胆汁菌:BCG)の樹立に成功した。動物実験を繰り返して弱毒化が確認され,1921年に一人の乳児に初めて経口投与されて以来,実用化された唯一の結核予防ワクチンとして90年にわたり全世界の新生児,乳幼児,若年成人に用いられてきた。ここでは,BCGおよびBCGワクチンに関連した日本の研究者・技術者の貢献に焦点を当てて述べることとし,BCGの結核予防効果や副反応(有害事象)などの一般的な問題については文献を参照されたい。

    2. オリジナルBCGに最も近い日本のBCG:BCG Tokyo 172

    オリジナルBCGは,リールからパリのパスツール研究所へ移ったCalmetteによって多くの国に分与され,それぞれの国でBCGワクチンの製造が行われるようになった。それぞれの国の製造所が,それぞれの国で調達可能なウシ胆汁や馬鈴薯という天然物を用いてCalmetteの原法に準じながらもそれぞれ独自の方式で継代を繰り返した結果,それぞれの国のBCG株はCalmetteの原株(オリジナルBCG)とは多かれ少なかれ性状を異にする亜株として分化していった。日本へのBCGの導入は,1924年に北里研究所の志賀潔が国際赤痢血清委員会に出席のためヨーロッパに渡航した際に,Calmetteから直接分与されて持ち帰ったことによる。このBCG株は,北里研究所の渡辺義政,東京帝国大学伝染病研究所(“東大伝研”,東京大学医科学研究所の前身)の佐藤秀三と今村荒男(今村は後に東大伝研から大阪医科大学に移った。大阪医科大学は大阪大学医学部の前身)等によってまず取り上げられた。1938年からは,国家プロジェクトとしての日本学術振興会第八小(結核予防)委員会による多施設協同研究によって結核予防効果が確認され,その結果BCG接種はわが国の結核対策において中心的な役割をになうこととなった。Calmetteの原法に忠実に従った継代培養によって志賀→渡辺→今村と引き継がれた日本のBCG株は,その後,財団法人結核予防会(“予防会”,1939年設立で現在は公益財団法人)にわたり,予防会の製造所でもCalmetteの原法に従いBCGワクチンの製造が行われた。1947年に国立予防衛生研究所(“予研”,国立感染症研究所の前身)が設立されワクチンの国家検定が行われることになった。予防会から予研へBCG株がわたり,予研でもCalmetteの原法どおりの継代培養を繰り返すことによってBCG株を維持・管理することになった。予研でのウシ胆汁_グリセリン_馬鈴薯培地継代数が 172 代目の培養菌を凍結乾燥した BCG Tokyo 172株がワクチン製造のシード・ロットに採択され,1981年以降は初代のBCG Tokyo 172株から拡大製造されたBCG Tokyo 172-1株がシード・ロットとなり現在に至っている。

    一方,パスツール研究所は,BCGをBacille bilié(胆汁菌)と名づけたCalmetteの遺志に反して,Calmetteの死後間もなくウシ胆汁培地の使用を年に3 回までに減らし,1961年には1173代目の継代菌についてsingle colony selectionを行い,Pと名づけた一つのコロニーを選択し,このコロニーから培養した菌を凍結乾燥してワクチン製造のシード・ロットBCG Pasteur 1173P株を作成した。このような操作の結果,パスツール研究所のBCGはCalmetteのオリジナルBCGとはかなり異質のものとなり,忠実にウシ胆汁培地で継代を続けてきたBCG Tokyo 172株のほうがオリジナルBCG本来のBacille biliéの姿を受け継いでいるといえる。ちなみに,現在,BCG Pasteur 1173P株を用いたBCGワクチンはいくつかの旧フランス植民地国で自国用に製造されているのみでフランス本国でも他のヨーロッパ諸国でも使用されておらず,高い頻度の副反応のためにWHO-UNICEFによる国際的なBCGワクチン供給システムからも排除されている。

    2007年にはBCG Pasteur 1173P株のDNA全塩基配列が報告され,あわせて主要なBCG亜株の系統図が提示されたが,2008年にはBCG Tokyo 172株のDNA全塩基配列も日本BCG研究所の関らによって明らかにされた。すべてのBCG亜株では遺伝子DNAのRD1領域が欠損しており,このことが強毒力のMycobacterium bovis, Nocard 株から弱毒化BCGが分化した要因と考えられているが,このRD1の欠損に加えてBCG Pasteur 1173P株では,1926年以降にパスツール研究所から分与を受けた国々のBCG 亜株(例えばデンマークのBCG Danish 1331株など)と同様に,RD2領域も欠損している。一方,BCG Tokyo172株では,1926年以前に分与を受けた国々のBCG亜株(例えばロシアのBCG Russia株など)と同様に,RD2領域は保持されている。このような最近の遺伝子分析の結果もBCG Pasteur 1173P株よりBCG Tokyo 172株のほうがCalmetteのオリジナルBCGに近似していることを示唆している。

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