井上靖

むかし写真画報と言う雑誌で、比良のしゃくなげの写真を見たことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部が望まれる北比良山系の頂で、あの香り高く白い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおおっていた。その写真を見たとき、私はいつか自分が、人の世の生活の疲労と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さな軽便鉄道にゆられ、この美しい山嶺の一角に辿りつく日があるであろう事を、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと。
それから恐らく10年になるだろうが、私はいまだに比良のしゃくなげを知らない。忘れていたわけではない。年々歳々、その高い峯の白い花を瞼に描く機会は私に多くなっている。ただあの比良の峯の頂き、香り高い花の群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が眠りを想うと、その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひたすらなる悲しみのようなものに触れると、なぜか、下界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なお猥雑なくだらなぬものに思えてくるのであった。

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