なんにもできない

認められたいとか、好かれたいとか、愛されたいとか思うのは、変なことじゃない。嫌われたくないというのも、不安になるのも、自然のことじゃないかしら。
うん。僕にはそういうところがあるかもしれない。
いい男だと思われたい、いい女だと思われたい、いい子だと思われたい、いい親だと思われたい、いい部下だと思われたい、いい上司だと思われたい、いい友達だと思われたい、いい同僚だと思われたい… 
それは、いけないことだろうか?
いけなくはないけど、でも、そんなことばかり考えていたら、なんにもできなくなってしまう。
なんにもできない?
子どものために自分のしたいこともしないで生きる。子どもが大きくなって、またその子どものために生きる。そんなことが繰り返されて、いったい誰が自分のために生きるのかって。よく、そう思うの。
人のために生きるのって、大切なことだと思うけど。
余計なことは考えないでいいんじゃない?
余計なこと?
まずは、自分のために生きる。自分を大事にする。自分の気持ちに素直になる。そうすれば、不安はなくなるわ。
そういうものかな?
ええ。人は必ず死ぬでしょ。生きているあいだは、認められたいとか、愛されたいとか、いろいろなことを思うけれど、そしていろいろなことをするけれど、最後にはみんな死ぬ。だから、なにをしてもいいの。どうせ死ぬのだから。
どうせ死ぬ?
違う?
なにをしてもいい?
そう。好きな人には好きだって言えばいい。好きな人に思いが通じなかったら、泣けばいいじゃない。好き合った人の気持ちが変わったら、悲しめばいい。それでいいじゃないの?
それでいい?
ええ。いいこともあれば、悪いこともある。それでいいじゃない?

2 thoughts on “なんにもできない

  1. shinichi Post author

    好きな人と一緒にいるのって、いいよね。
    ええ、確かに。好きな人と一緒にいると、心地いいわね。うん、そう。いい夢を見ているのと同じ。喜びでいっぱいになったり、嬉しかったり。
    えっ? 一緒にいて、どきどきとかないの?
    うーん、どちらかというと、もっと静かな感じかな。心が安らぐみたいな。
    それって、その人のことが好きだから?
    そうよ。そうに、決まってるじゃない。
    本当にその人を好きだから? その人を好きな自分がいいって、そういうことなんじゃないの? 
    なに? なにが言いたいの?
    だから、愛している自分っていうのが嬉しいだけじゃないの?
    愛しているのがうれしいだけですって? ずいぶん意地悪な言い方をするのね。
    意地悪なんかじゃない。自分で納得してやっていけるのは、結局は自分のなかの愛だけなんじゃないかって。自分のなかの愛ならば、信じられるんじゃないかって。そんなふうに思ったものだから……
    愛がどうとかって、そんな抽象的なことはどうでもいいの。私はあなたが好き。
    えっ?
    だから、あなたといると心地いいって、それだけ。
    えっ? 
    なによ?
    僕が好き? 僕といると心地いい?
    そう。
    そうなんだ。
    そうなんだって、なに、その言い方。
    僕はてっきり片思いかなって。いや、片思いだって、思っていたから。
    いやなの?
    いやだなんて、いやなわけ、ないじゃない。ただ……
    ただ?
    ただ、なんか変だなって。結局は自分のなかの愛だって考えていたのに、好きだって言われたら嬉しくて。
    嬉しくて? それで?
    嬉しくて、自分のなかの愛なんて、どうでもよくなっちゃった。
    言っていることが、なんか変ね。
    変?
    ええ、なんか変。
    そうかなあ? 
    だって、自分のなかの愛なら信じられるって、言い換えれば他人の愛は信じられないってことでしょ?
    うん、まあ。
    それ、私の愛も信じられないって、そういうこと?
    あの、こんなこと、言ってもわかってもらえないかもしれないけれど、僕は自分がこわいんだ。
    自分がこわい?
    自分の感情がこわい。愛もこわい。
    愛がこわいって、どういうこと?
    うまく言えないけど、たぶん、愛がなくなるのがこわいんだと思う。
    愛がなくなるのがこわいの?
    好きになると、その人に好かれたいと思う。そこまではいいんだ。でも、好きだ好きだって思っているうちに、その人も僕を好きになったりして、ふたりが近づいたりなんていうことになると、もうだめなんだ。
    なにがだめなの?
    不安になって、不安に耐えられなくなって、自分が自分でなくなって…
    なんでそんなことを言うの?
    だって…
    だって?
    自分のすべてを出してしまったら、きっときみは僕を嫌うから。
    どうして? もっと好きになるかもしれないじゃない。
    いや、だって僕だよ。この僕のことを、みんな知ってしまったら…
    あら、もっと知りたいと思うけど。
    僕の嫌なところも?
    考えすぎなんじゃない?
    もうすでに、面倒くさいやつだって思ってるでしょ? わずらわしいって…
    いいえ、そんなこと思わないわ。認められたいとか、好かれたいとか、愛されたいとか思うのは、変なことじゃない。嫌われたくないというのも、不安になるのも、自然のことじゃないかしら。
    うん。僕にはそういうところがあるかもしれない。
    いい男だと思われたい、いい女だと思われたい、いい子だと思われたい、いい親だと思われたい、いい部下だと思われたい、いい上司だと思われたい、いい友達だと思われたい、いい同僚だと思われたい… 
    それは、いけないことだろうか?
    いけなくはないけど、でも、そんなことばかり考えていたら、なにもできなくなってしまう。
    なにもできない?
    子どものために自分のしたいこともしないで生きる。子どもが大きくなって、またその子どものために生きる。そんなことが繰り返されて、いったい誰が自分のために生きるのかって。よく、そう思うの。
    人のために生きるのって、大切なことだと思うけど。
    余計なことは考えないでいいんじゃない?
    余計なこと?
    まずは、自分のために生きる。自分を大事にする。自分の気持ちに素直になる。そうすれば、不安はなくなるわ。
    そういうものかな?
    ええ。人は必ず死ぬでしょ。生きているあいだは、認められたいとか、愛されたいとか、いろいろなことを思うけれど、そしていろいろなことをするけれど、最後にはみんな死ぬ。だから、なにをしてもいいの。どうせ死ぬのだから。
    どうせ死ぬ?
    違う?
    なにをしてもいい?
    そう。好きな人には好きだって言えばいい。好きな人に思いが通じなかったら、泣けばいいじゃない。好き合った人の気持ちが変わったら、悲しめばいい。それでいいじゃないの?
    それでいい?
    ええ。いいこともあれば、悪いこともある。それでいいじゃない?
    うーん。

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