「共感」と「つながり」

メディアから「共感」とか「つながり」といった言葉が溢れ出し
安っぽい「共感」と嘘っぽい「つながり」が僕たちを覆う
みんなが同じことを感じているという気持ちの悪さに息をつめ
知らない人同士がつながっているという不気味さにおののく

「共感」や「つながり」が嫌だという声は雑音として無視され
異質さをまとうことが まるで悪いことのように感じられる
アルゴリズムが支配する人工的な社会になってしまったら
リストから抜け落ちている価値には意味がなくなってしまった

広告代理店が企業とともに演出した「共感」を持つことなく
テレビ局が政府とともに作り出した「つながり」を拒んだとしても
「共感」と「つながり」は音も立てずに忍び寄って来て
すぐ隣から「共感しよう」「つながろう」と私たちを誘う

「共感するのは嫌だ」と立ち上がって言う
「そんなことを言うお前は 仲間ではない」と 暗闇が僕を見つめる
「つながるのは嫌だ」と大きな声で叫ぶ
「つながらない者は 敵とみなす」といって 銃口が僕に向く

非協力的で共感しない糸が縦横の模様を織りなし
つながりたくないという罪が深い海の底に広がる
どんな罰が与えられるのだろうと怯えて君に聞いたら
「罰なんて こないでしょ」と君が言った

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