知性という幻想

良くも悪くも 戦後の日本には 啓蒙の時代という時間が流れていた
そしてそこでは 民主主義を啓蒙するという矛盾が まかり通っていた
片側に知識人がいて 反対側にいる大衆を啓蒙する
知識人から大衆への知の流れがあって
それは 誰もがものを考える という民主主義の理想からは遠かったけれど
人は今よりずっと素直で まとまりやすかったのはではないか

良くも悪くも 今の日本には PR の時代という時間が流れている
そしてそこでは 嘘をロンダリングする騙しが まかり通っている
片側に何も言えなくなった権力者がいて 反対側に些細なことを騒ぎ立てる人たちがいる
権力者たちは あたり障りのないメッセージを読み上げ
それは 相互に利益をもたらす関係性を構築する という PR の理想からは遠かったけれど
人は自分の感情を画面にぶつけるだけで 何の行動も起こしはしない

「大東亜共栄圏」は「自由で開かれたインド太平洋」に置き換わり
「オリンピックを利用した金儲け」は「オリンピックの感動と興奮」の陰に隠れる
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとしてのオリンピック」だとか
「オリンピック開催により被災地の復興が加速した」だとか
「安心安全のオリンピック」とかのフレーズが 繰り返し流される

どんな論理も感情にすり替えられ
データやエビデンスは検討されることもなく
肌感覚や粗野な感情が判断に使われる
大衆はひとりもいないのに 大衆が利用され
物言わぬ人たちが 知らないところに流されてゆく

どこに逃げようか
君と一緒に 北欧にでも行こうか
いや やっぱり ここにいて
どんなになるのか 見ていよう
韓ドラを見るように
楽しんで 笑いながら

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