3 thoughts on “Kabur, 31 August 2021

  1. shinichi Post author

    Taliban heartland flooded with supporters in wake of final US withdrawal
    Streets of Kandahar, the spiritual home of the Taliban, were awash with supporters a day after the final US troops departed Kabul
    The Telegraph
    https://www.telegraph.co.uk/world-news/2021/08/31/pictures-fireworks-fill-kabuls-sky-taliban-celebrate-final-us/amp/

    The celebrations in Kandahar came less than a day after the skies of Kabul were lit with celebratory gunfire and fireworks on Monday evening after news of the US’s final withdrawal spread.

    **

    Fireworks lights up Kabul sky as US forces leave
    AFP
    https://www.timesofisrael.com/taliban-celebratory-gunfire-fireworks-lights-up-kabul-sky-as-us-forces-leave/

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  2. shinichi Post author

    Photos
    Marines
    https://www.marines.mil/Photos/igsearch/afghanistan/

    「正しいと思っていたが…」復讐心が疑問へ、そして絶望に <米国の20年戦争 ①>

    吉田通夫

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/128064

     9月11日で米中枢同時テロから20年。米国によるタリバン政権への攻撃で始まったアフガニスタン戦争は、そのタリバンが復権し、30日の米軍撤退完了で幕を閉じました。「テロとの戦い」を理由に始めた米史上最長の戦争とは何だったのか、従軍した元米兵や遺族の思いを4回にわたり伝えます。

    ◆タリバンへの攻撃に疑問持たず

     2001年9月11日の米中枢同時テロを、ダニー・ショルセン(38)は入学したばかりの陸軍士官学校で知った。標的となったニューヨーク市の中心部出身。国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンへの復讐を誓い、かくまったタリバン政権のアフガニスタン攻撃に疑問はなかった。
     米国は03年、アルカイダとの関係などを主張してイラクとも開戦。士官学校を卒業したダニーは06年にイラク、11年にはアフガンに従軍したが、いずれの国でも敵対する政権はすでに倒れていた。
     「テロとの戦い」は「民主国家の建設」という目的にすり替えられたが、アフガン政府軍は腐敗し現地人の信用を得られないまま、戦況は泥沼化。米国が国を建設するなど「思い上がりだ」。ダニーの復讐心は絶望に変わった。
     そして今年。アフガンは8月末の米軍撤退を待たずにタリバンが実権を掌握。米国が2兆ドル(210兆円)超をかけ、約17万人の犠牲者を出した戦争は元のもくあみとなった。
     米国は撤退理由の一つに対立を深める中国に備えた戦力増強を挙げる。米国の同盟国として対立の最前線に立たされる日本にダニーは警告する。「『冒険(戦争)』に誘われたときに米国人として言いたいのは『われわれを信用するな』ということだ」。

    ◆戦地バグダッドで感じた違和感

     ダニー・ショルセン(38)が生まれた米ニューヨーク市のスタテン島は、2001年の米中枢同時テロで狙われた世界貿易センタービルからアッパー湾を挟んですぐ対岸にある。警察官や消防士が多く住み、テロ後は母親が葬式に駆け回り、通りに殉職者の名前がつけられていった。陸軍士官学校に入学したばかりのダニーが「復讐してやる」と肩をいからせたのは自然だった。
     ところが、学校を卒業して06年10月に降り立った戦地はイラクの首都バグダッド。「アルカイダとの戦争なのにイラク?」。早くも疑念がよぎった。毎日15~20の市街戦にさらされ「気が狂いそうだった」。1日に2~3人の米兵が犠牲になり、自身の小隊も30人ほどのうち半分は死傷。生き残った仲間のうち2人は、後に自殺した。
     1年3カ月の従軍を経て帰国したダニーは、後ろに人がいると不安になるなど精神的な傷を受けたが、診察は受けなかった。将来のキャリアに響くのと、「たいへんな目にあったけど、仲間が戦地にいるなら助けたいと思うのが軍人だから」。心の傷を隠したまま11年2月、アフガン南部カンダハルに赴任した。

    ◆「民主国家なんて妄想だ」

     「イラク戦争よりは正しい戦いだと思っていた」が、アフガン軍は腐敗しており、捕虜への虐待や、通訳や子供への暴行などで地元住民の不信を買っていた。さらに、地元住民は米兵が1年で交代することも知っており、信頼関係を築く時間も足りなかった。
     反政府軍による基地周辺への攻撃も激しかった。ある日、近くの有力者に協力を求めようと基地を出ようとしたところで激しい銃撃を受けた。用水路に飛び込んだダニーは「俺は基地から出ることもできないじゃないか。民主国家の樹立なんて妄想だ」。
     若い兵士が戦死しても、親族向けの動画で上官として語るべき言葉が出ない。「絶望的な国家建設の任務で死んだ」とはさすがに言えなかったが、では何のために死んだのか。ダニー自身も分からなくなり、かつて抱いた復讐心は絶望に変わり、同時に反戦への思いが強まっていった。帰国後は少佐にまで昇進したが、17年ごろからウェブサイトなどに反戦コラムを掲載。それが問題視され、19年に追い出されるように除隊した。

    ◆払った犠牲とは何だったのか

     アフガンで100人近くいたダニーの部隊は30人が負傷、3人が死亡し、帰国後に3人自殺した。そうした犠牲を払いながら守った地域もイスラム主義組織タリバンに制圧され、ショックだったが「起こるべくして起きた結果だ」。戦争を優位に進め、強力なアフガン軍を育てたという構図は「砂上の楼閣。いや、砂さえなかった」。

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