花田省三

十四日、何時ものように栄養失調の足を引き摺りながら、宮城前の明治生命館六階にあった日立製作所の事務所へ、ネオン管の催促に行った。 。。。
そこを出て、『宮城前に来たから拝んでいこう』という気持で二重橋の方へ歩いていったところ、丁度『写真』の位置で、腕章を巻いたカメラマンに呼びとめられ、『写真を撮りたいので、そこに土下座してほしい』と云われた。他に写真のように多くの人々が座らされ、『撮しますからお辞儀して下さい』と云われて撮られたのです。
後で振り向くと、件のカメラマンが腕で涙を拭っていたので、何か様子がおかしいと思い、又、何かの記念になるかもしれぬと思って、『写真ができたら譲って欲しい』と頼んでみた。すると、『この写真は特別なものだから呉れる訳にはいかない。しかし、明日正午過ぎたら社に来てみれば、或いはあげられるかもしれぬ』と云って、又涙を拭った。
妙な気分で、その場を去ったが、そでも、まだ敗戦終戦ということは思い浮ばなかった。翌十五日、大変暑い日であった。 。。。

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