宇宙は138億年前に始まり、宇宙には光より速く伝わるものは存在しない。従って、我々が原理的に観測できる領域の大きさには限りがある。それは現在、我々を中心として約464億光年の半径を持つ球ということになる。この464億光年という限界距離を「観測可能な宇宙の果て」と呼ぶ。
あれ? 138億年前に始まったのだから、光の速度で到達するのに138億年かかる距離、つまり138億光年ではないのか? と思われたかもしれない。
だが、光が昔に通過した領域はその後の宇宙の膨張により引き伸ばされているので、光が通ってきた経路の長さを今の宇宙で測れば、約464億光年になるということなのだ。
「観測可能な宇宙の果て」とはつまり、光が届く範囲ということであるから、実際に宇宙そのものがそこで終わるわけではない。宇宙――すなわち時空とそれを満たす物質、はそこからさらに広がっているはずである。その空間的な広がりがどこまで続くのか、それこそがいわば真の宇宙の果て とも言える。これを「空間的な宇宙の果て」と呼ぶ。
「観測可能な宇宙の果て」は、「空間的な宇宙の果て」に比べれば極々わずかな世界に過ぎない。宇宙は「観測可能な宇宙の果て」よりもずっと大きな領域まで広がっているのだ。
「宇宙の果て」までの距離は138億光年ではなかった?
最新宇宙論の驚くべき成果
by 戸谷友則
際限のない問いかけ
一般社会向けの講演会で宇宙論の話をすると、必ず出てくる質問がある。
まずは何と言っても「宇宙人はいますか?」である。頑張ってビッグバン宇宙論の話をした後で、出てきた最初の質問がこれだった時の脱力感には未だに慣れることができない。
その次に多いのがまさに「宇宙の果てはどうなっているか?」「ビッグバンで宇宙が始まる前は何があったのか?」といったものである。
筆者もまた、高校生の頃のある眠れない夜、宇宙というものについてあれこれ考えているうちに恐ろしくなったことがある。
この宇宙、すなわち我々が認識する物質とそれが埋め込まれている時空がかつてビッグバンという大爆発で誕生したのならば、その「宇宙」が始まる前は何があったのか。
時空や物質を生み出すさらに高い階層の世界があるべきではないか。それを宇宙と呼ぶのであれば、ビッグバンで誕生した「宇宙」というのは宇宙の一部でしかない。
今後もし、さらに科学が発展すれば、時空と物質という狭い意味での宇宙を生み出す、より大きな基礎法則や世界が明らかになる可能性はある。しかし、今度はその法則を生み出す源は何なのか、という疑問に必ず突き当たるはずである。
結局のところ際限がない。
宇宙の「先」は際限がないのか Photo by NASA on Unsplash
となると、どこまで科学が進歩したとしても、我々はなぜ存在するのか、我々は一体何者なのか、という根源的な疑問には永遠に答えは出ないことになる。
ここまで考えて、なんとも言いようのない恐怖を感じたものである。
時間を過去に遡る
現代の物理学では、我々の世界は1次元の時間と3次元の空間を合わせた4次元空間である「時空」と、その中に存在する物質によって記述される。
この考えに基づけば、「宇宙の果て」とは空間だけでなく時間方向も考えて、「遠方・過去・未来」の3方向に向かって宇宙はどこまで広がるのか、という問題になるだろう。
過去にさかのぼる方向の「果て」について、現時点で科学者が確実な自信を持って言えるのは、この時空と物質としての宇宙が、今から約138億年前にビッグバンで始まったということだけである。
そのため講演会で宇宙の果てについて質問されても、「ハテ、ありますかね」としょうもない回答をして会場を寒くさせてしまったりするわけだ。
少し失望されただろうか。
しかし考えてみてほしい。「宇宙がビッグバンで始まったことを科学として自信を持って言える」ということだけでも、偉大すぎるほどの科学的成果というべきではないだろうか。それ以前は、そのようなことは科学の対象ですらなく、神話や伝承の領域であったのだから。
464億光年の彼方にある「宇宙の果て」
それでは空間方向の「果て」はどうだろうか。現在の宇宙論においてこの意味で「果て」という場合、さらに2通りの意味で使われていることを最初に述べておきたい。
宇宙は138億年前に始まり、宇宙には光より速く伝わるものは存在しない。従って、我々が原理的に観測できる領域の大きさには限りがある。それは現在、我々を中心として約464億光年の半径を持つ球ということになる。
この464億光年という限界距離を「観測可能な宇宙の果て」と呼ぶことにする。
あれ? 138億年前に始まったのだから、光の速度で到達するのに138億年かかる距離、つまり138億光年ではないのか? と思われたかもしれない。
だが、光が昔に通過した領域はその後の宇宙の膨張により引き伸ばされているので、光が通ってきた経路の長さを今の宇宙で測れば、約464億光年になるということなのだ。
遠方から届く光はそれだけ昔に放たれたものであり、よく言われるように宇宙では「遠くを見ることは過去を見ること」になる。宇宙では「空間方向の宇宙の果て」に迫る旅は、「過去にさかのぼる宇宙の果て」に迫る旅でもあるのだ。
ここに、歴史学や考古学、あるいは地球史といった過去の歴史を扱う他の学問分野にはない、天文学ならではの魅力がある。より性能のいい望遠鏡を作り、より遠くを観測していけば、銀河や宇宙がどのように進化してきたかをタイムマシンのようにさかのぼって直接見ることができるわけである。
実際、最新鋭の地上巨大望遠鏡や宇宙望遠鏡によって、宇宙が誕生してからまだ5億年(現在からさかのぼること133億年)、宇宙の大きさが現在の10分の1だった頃の銀河が観測されている。
この銀河までの、現在の宇宙における距離は310億光年になるから、人類の天体観測はすでに観測可能な宇宙の果てまでの66パーセントに到達していることになる。時間軸で言えば、138億年のうちの133億年、実に96パーセントまでさかのぼっている。
「宇宙の果て」を越えて
「観測可能な宇宙の果て」とはつまり、光が届く範囲ということであるから、実際に宇宙そのものがそこで終わるわけではない。
宇宙――すなわち時空とそれを満たす物質、はそこからさらに広がっているはずである。その空間的な広がりがどこまで続くのか、それこそがいわば真の「宇宙の果て」とも言えるものだろう。
これを「空間的な宇宙の果て」と呼ぶことにしよう。
多くの宇宙関係の書物では、この2つの全く異なる概念に対して同じ「宇宙の果て」という言葉を使っている。書籍のタイトルや新聞の見出しなどでも、「ここまで宇宙の果てに迫った」というようなものをしばしば見かけるが、それらはほとんど、「観測可能な宇宙の果て」という意味である。
上に述べたように、この意味の宇宙の果てであれば我々天文学者は自信を持って「ここまで宇宙の果てに迫った!」と胸を張ることができるからだ。
だがそれは、「空間的な宇宙の果て」に比べれば極々わずかな世界に過ぎない。
空間的な宇宙の果てについては、必然的に、「観測可能な宇宙の果て」に比べて自信を持って言えることは著しく限られてしまう。
しかし一方で、これも考えてみれば驚くべきことであるが、最新の精密宇宙観測に基づいて、宇宙が「観測可能な宇宙の果て」の向こうにさらにどこまで広がっているかについても、ある程度のことを科学的に言うことができるのだ。
さまざまな観測成果に基づいて、かなり自信を持って言えるのは、宇宙は「観測可能な宇宙の果て」よりもずっと大きな領域まで広がっているということである。
観測することができない宇宙について、なぜこのようなことが言えるのか? 詳しく知りたい方はぜひ、拙著の『宇宙の「果て」になにがあるのか』を読んでいただきたい。
そして、「宇宙の果て」へと迫る研究者の営みを通じて、現代科学の偉大な到達点を感じていただければ幸いである。
観測可能な宇宙
https://ja.wikipedia.org/wiki/観測可能な宇宙
ビッグバン宇宙論でいう観測可能な宇宙(かんそくかのうなうちゅう、observable universe)とは、中心にいる観測者が領域内の物体を十分に観測できるほど小さい、つまり、ビッグバン以後のどの時点でその物体から放出された信号であっても、それが光速で進んで、現在の観測者のもとに届くまでに十分な時間があるような球状の空間領域である。宇宙のどの場所にもその場所にとっての観測可能な宇宙があり、それは地球を中心とするものと重なる部分も重ならない部分もある。
概説
「観測可能」ということは、現代の技術でこの領域内の物体から放射されたエネルギーが検出できるかどうかとは無関係であり、その物体からの光やその他の放射エネルギーが地球上の観測者のもとに到達することが原理上可能だという意味である。実際に観察できるのは、宇宙が晴れ上がった「最終散乱面」にある物体までである。晴れ上がる前の宇宙は、光子に対して不透明であった。しかしながら、重力波(やはり光速で移動している)の検出によって、それ以前の情報を推定することもできないわけではない。重力波はインフレーション時代の遅くとも後期から発生しており、それによって数兆光年・あるいはそれ以上の遠方の宇宙を観測できる可能性がある(もちろんインフレーション時代の宇宙の姿の観測となる)。
観測可能な宇宙と全宇宙
宇宙論の研究論文では、一般人のものでも専門家のものでも、「宇宙」といえば「観測可能な宇宙」を指すことが多い。このことは、我々とは因果律的に断絶されたいかなる宇宙の一部についても直接的な実験によって知りうることは何も無いという理由で正当化しうる。もちろん、宇宙のインフレーションなどの信頼できる多くの理論では、観測可能な宇宙をその一部に持つ、より巨大な宇宙(全宇宙)が必要になる。観測可能な宇宙の境界面が、全宇宙の物理的な境界面とぴったり一致することを示唆する証拠はない(そのような境界面があるとしての話だが)。両境界面が一致するということはまずないと考えてよい。もし一致するなら、地球が全宇宙のちょうど中心にあることになり、宇宙原理に反する。確からしいのは、可視宇宙(観測可能な宇宙よりもさらに狭い領域)内にある銀河が、全宇宙の銀河のごくわずかしか表していないということである。
全宇宙が観測可能な宇宙よりも「小さい」ということも、もちろん可能である。その場合、非常に遠くにあるように見える銀河が、実は近くにある銀河の光が宇宙を一周してくることによって生じた複製像だということもあり得る。この仮説を実験によってテストするのは、銀河の異なる像がその一生の異なる時代を指すこともあり、結果として全く違うということにもなりかねないため、困難である。2004年のある論文では、全宇宙の直径は、24ギガパーセク(780億光年)が下限であると主張されており、その場合、観測可能な宇宙より少しだけ小さいということになる。この値はWMAPの観測をマッチング・サークル分析したものに基づいている。
仮に観測不可能な宇宙を含めた全宇宙が有限で閉じているとしても、観測可能な宇宙の範囲内では、曲率は無視できるほど小さいことから、宇宙全体の大きさは、光年単位を用いても「兆」等の日常的な数の尺度、あるいは命数法レベルの数の尺度ではなく、指数での表現が必要な大きさ、それもA×10Bといった単純な仮数指数表記ではなく、指数の上に指数を重ねた指数タワーでの表現が必要な大きさである。レオナルド・サスキンドは宇宙の直径をと推定している。この推定値はグーゴルプレックスプレックスより大きいが、この見積もりにおいて単位は一切考慮されていない。桁数が非常に大きいため、単位が「ヨタパーセク」でも「光年」でも「メートル」でも「プランク長」でも、もはや誤差以下の違いでしかないためである(巨大数の項目も参照)。具体的に説明すると、単位付与は値に対して定数倍の効果を持つが、1ヨタパーセクは1プランク長の1.9×1075倍であり、の値のオーダーの前には桁数が少なすぎて、議論の本質に影響を及ぼすことがないということである。
宇宙の大きさ
地球から「可視」宇宙(宇宙光の地平面)の端までの共動距離は、あらゆる方向に約14ギガパーセク(465億光年)である。これによって、観測可能な宇宙の共動半径の下限が明確になる。もっとも、導入部で述べたように、可視宇宙は観測可能な宇宙よりやや小さいと考えられる。これは、再結合(宇宙の晴れ上がり)以後に放射された宇宙背景放射からの光しか見えないためである。この宇宙背景放射によって、われわれには天体の「最終散乱面」が見えているということになる(重力波によって、あくまで理論上は、この球体の外部領域から、再結合期以前の事象が観察できる)。つまり、可視宇宙は直径約28ギガパーセク(約930億光年)の球体だということになる。宇宙空間はだいたいユークリッド平面であるから、この大きさはおよそ
すなわち3×1080立方メートルの共動体積に相当する。
上に引用した数字は、(宇宙時間でいう)「今」の距離であり、「光が放射された時点における」距離ではない。例えば、今この瞬間にみえる宇宙マイクロ波背景放射 (CMBR) は、137億年前に起こったビッグバンから379,000年後の再結合の時に放射されたものである。この放射エネルギーは、その中間の時期に密集し、現在では銀河になっている物質から放出されたものである。これらの銀河は現在、われわれからおよそ460億光年の距離にあるとされている。光が放出された時点におけるその物質までの距離を推定するためには、「膨張の数学モデル」を選び、また、スケール因子a(t) をビッグバンからの任意の時刻t について計算しなければならない。観察に適したΛ-CDMモデルでは、WMAP衛星からのデータを用い、このような計算によって、およそ1292というスケール因子の変化が得られる。これが意味するのは、宇宙が、CMBR光子が放出されたときの大きさの1292倍に膨張しているということである。よって、現在観測できる最も遠くの物質(460億光年先)は、現在受け取っているマイクロ波が放出されたときには、いずれ地球となる物質からわずか3600「万」光年しか離れていなかったのである。つまり宇宙の膨張により137億光年より遠方の宇宙も「観測可能な宇宙」に含まれたことになり、重力波が最初に発生したインフレーション時期(雑誌ニュートン2012年7月号掲載)にはインフレーションによる急激な膨張により、重力波を発生した物理体が現在では非常に遠方に存在していることになる。
誤解
多くの二次資料が、これまでにさまざまな誤った可視宇宙の大きさを「報告」している。いくつかを例示する。
内容物質
観測可能な宇宙には3×1022〜7×1022個(300垓〜700垓個)の星があって800億以上の銀河にまとまり、それぞれがさらに銀河群や銀河団、超銀河団を形成している。
2つの大まかな計算がそれぞれ、観測可能宇宙内の原子数を約1080としている。
観測可能な宇宙の質量
観測可能な宇宙内の物質質量は密度と大きさから推定可能である。
星の密度の測定値に基づいた推定
観測可能な宇宙を構成する可視物質の質量を計算する方法は、1つには、平均太陽質量を仮定し、これに観測可能宇宙内の星の総数をかけることである。宇宙の星の推定総数は、観測可能な宇宙の体積
と、ハッブル宇宙望遠鏡の観測値から計算した星の密度
から導かれ、観測可能な宇宙内の星の推定総数は9×1021(90垓)個となる。
太陽の質量(2×1030 kg)を平均太陽質量(矮星の多さと、太陽より質量の大きな星の数はつりあっているとする)とし、星の総数を1022個とすれば、観測可能な宇宙の星の総質量は3×1052 kgとなる。しかしながら、「内容物質」の節で述べたように、WMAPのデータはΛ-CDMモデルで推定すると、観測可能な宇宙の総質量の5%未満が星などの可視的な物質で構成されており、残りは暗黒物質やダーク・エネルギーが占めていると予測される。
フレッド・ホイルは観測可能な定常宇宙の質量を、
という式を用いて計算している。この式は、
と書くこともできる。