shinichi Post author01/12/2021 at 3:51 am 花ふぶき生死のはては知らざりき―里海の世界 石牟礼道子さんインタビュー 聞き手 鎌田東二 http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/kokoronomirai/kokoro_vol14_p2_p13.pdf 石牟礼 はい。本当に狐になりたかったんですよ。なりたいと思えばなれるかと思って、お尻をなでてみるけど、しっぽがなかなか生えてこない(笑)。 鎌田 それは 5 歳ぐらいのときですか。 石牟礼 5 、6 歳から 7 、8 歳ぐらいまで。とんとん村に最初に住み着いたクロダさんというおじいさんは、若いときに狐に化かされたことがある。祝言に招かれて行って、したたか飲まされて、お土産を重箱に詰めて持たされて、丑三つ時ごろ、大廻りの塘を一人で帰りよったら、美人の女の人に化けた狐が話しかけてきた。いろいろ相手をしているうちに眠り込んでしまった。朝方、寒いので目が覚めて、俺はどこにいるかなと思ったら、大廻りの塘だった。そこらあたりに食べられた重箱が散らかっていたそうです。うちの者たちは、帰ってこないので心配で迎えに行ったら、ぼう然として探しものをしておられた。その話は村中が知っていました。 鎌田 最後に、石牟礼さんは未来に対してどういう思いを持たれていますか。 石牟礼 差別を受けた人、深く傷ついた人たちがたくさんいますよね。未来は、そういう人たちの中に、むしろ希望があると思うんです。 鎌田 水俣病など、いろいろな差別を受けてきた人たちの中にこそ未来の新しい何かを切り開いていく力と希望がある。 石牟礼 それが生まれるだろうと思います。日本列島はコンクリート詰めになっていますから、表面は息も絶え絶えですが、この前の地震で、底の方が割れ、深い地殻の底が動くだろうと思いますね。 鎌田 今回の私たちの雑誌の特集テーマは「里山」です。石牟礼さんは『花の億土へ』(2014年)の中で、海と山との連関、海の中にも里山があるというようなことを言われています。いまのお話を聞いていると、海の中のドングリの実を拾って食べるようなものですね。 石牟礼さんの世界には、『しゅうりりえんえん』 )の狐がすんでいる山、しゅり神山とかも出てきますね。山の生き物と海の生き物のつながりをどう捉えておられますか。 石牟礼 渚には特殊な植物が生えています。海の潮を吸って生きている。たとえば、アコウの木というのがありました。 鎌田 その写真をちょっと見せてもらえますか。樹根が垂れていて、沖縄のガジュマルに似ていますね。 石牟礼 ガジュマルの仲間だと思います。 鎌田 沖縄のガジュマルはキジムナー(樹木の精霊)がすんでいますね。これは天草にあるんですか。 石牟礼 水俣に入ってきたものが天草にもあります。海の潮が満ちてくるところに生えています。それを陸に持ってきて植えてもつかない。潮がないとだんだん枯れてきます。これはチッソの裏の明神というところに生えていました。ここは渚です。海と陸は呼吸し合っていますね。 鎌田 そうですね。お互いにつながり合って、刺激を与え合っています。 石牟礼 それで海も陸も生きている。でも、今はそれができなくなりました。父は、コンクリートで石垣をつくるようになった時代に入ったとき、「日本は堕落するぞ」と言っていました。 鎌田 まったくそのとおりになりましたね。いま、東北でも15メートルの防潮堤を造ろうとしています。底辺が80メートルですよ。こういうピラミッドみたいな巨大な防潮堤を気仙沼や石巻の近くなどにコンクリートでつくろうとしているんです。 私ももちろん反対をしているけれど、地元の人たちは、海を見ながら生活したい、海といっしょに呼吸をして生きていきたいのに、そんなことをすると呼吸を止めてしまうじゃないですか。だから、やめてくれと県知事とかに申し立てているんですけど、公共工事はお金が下りるものですから。水俣の問題も同じだと思うんです。土木建設業は、それによって潤うところがあるから、国も県もどんどん進めようというのが基本的な流れです。 気仙沼に畠山重篤さんという、「森は海の恋人」というキャッチフレーズで運動をしている人がいます。畠山さんたちは、コンクリートの防潮堤なんかとんでもないと言います。 石牟礼 とんでもないですよ。 鎌田 これは海を殺してしまう。人間の生活圏も変えてしまう。コンクリートは日本列島を窒息死させます。 石牟礼 そうですね。そして、原子力発電所の汚染水をコンクリートの島みたいなのをつくって閉じ込めようとしているそうですけれど、閉じ込められるのは日本列島そのものですね。それでは日本列島は呼吸ができなくなります。 ** 石牟礼 難しゅうございますね、俳句は。 鎌田 そうですね、短いだけに。だけど、うまくいくと、ものすごく広がりのある宇宙を表現できますよね。 石牟礼 最近も「花ふぶき生死のはては知らざりき」。 鎌田 「花ふぶき生死のはては知らざりき」。いい俳句ですね。ご詠歌の世界みたいです。この俳句は、いつごろつくられたんですか。 石牟礼 そんなに昔ではないです。 鎌田 その花ふぶきは桜ですか。 石牟礼 いちおう桜です。ここの玄関にコケの花が咲いているんですけど、ご覧になりましたか。 鎌田 はい、きのうお聞きしたので、帰りがけに。 石牟礼 きれいですね。それで、地震を結びつけて、コケの花が震えて地震が来たというような俳句にしようかと思っています。コケの花が、あんなにきれいに咲いているのを初めて見ました。 鎌田 俳句はそんなに考えてつくられるんですか。 石牟礼 すぐに、ぱっと出る場合もあります。 九重高原の奥に「泣きなが原」 )という地名があります。これを俳句にしたいのですが、難しいです。 ** 鎌田 石牟礼さんが最初、歌人から出発して、その後俳句もしばしばつくられていて、映画の『花の億土へ』でも「祈るべき天と思えど天の病む」など、俳句が非常に印象的に使われていますね。 石牟礼 私は俳人ではなかったのです。いまも俳人ではないですけど。 鎌田 でも、素晴らしい俳句をつくられるじゃないですか。 石牟礼 いやあ。天籟句会で酒盛りになったとき、「いまから石牟礼さんのことを俳人と呼びます」と皆さんから冷やかされて。私はうれしいやら、感動するやら。歌人のグループとはちょっと趣が違う。 鎌田 俳人と歌人の違いを石牟礼さんはどう感じていますか。 石牟礼 短歌の人たちは情緒的ですね。俳人は何かすきっとして。 Reply ↓
花ふぶき生死のはては知らざりき―里海の世界
石牟礼道子さんインタビュー
聞き手 鎌田東二
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/kokoronomirai/kokoro_vol14_p2_p13.pdf
石牟礼 はい。本当に狐になりたかったんですよ。なりたいと思えばなれるかと思って、お尻をなでてみるけど、しっぽがなかなか生えてこない(笑)。
鎌田 それは 5 歳ぐらいのときですか。
石牟礼 5 、6 歳から 7 、8 歳ぐらいまで。とんとん村に最初に住み着いたクロダさんというおじいさんは、若いときに狐に化かされたことがある。祝言に招かれて行って、したたか飲まされて、お土産を重箱に詰めて持たされて、丑三つ時ごろ、大廻りの塘を一人で帰りよったら、美人の女の人に化けた狐が話しかけてきた。いろいろ相手をしているうちに眠り込んでしまった。朝方、寒いので目が覚めて、俺はどこにいるかなと思ったら、大廻りの塘だった。そこらあたりに食べられた重箱が散らかっていたそうです。うちの者たちは、帰ってこないので心配で迎えに行ったら、ぼう然として探しものをしておられた。その話は村中が知っていました。
鎌田 最後に、石牟礼さんは未来に対してどういう思いを持たれていますか。
石牟礼 差別を受けた人、深く傷ついた人たちがたくさんいますよね。未来は、そういう人たちの中に、むしろ希望があると思うんです。
鎌田 水俣病など、いろいろな差別を受けてきた人たちの中にこそ未来の新しい何かを切り開いていく力と希望がある。
石牟礼 それが生まれるだろうと思います。日本列島はコンクリート詰めになっていますから、表面は息も絶え絶えですが、この前の地震で、底の方が割れ、深い地殻の底が動くだろうと思いますね。
鎌田 今回の私たちの雑誌の特集テーマは「里山」です。石牟礼さんは『花の億土へ』(2014年)の中で、海と山との連関、海の中にも里山があるというようなことを言われています。いまのお話を聞いていると、海の中のドングリの実を拾って食べるようなものですね。
石牟礼さんの世界には、『しゅうりりえんえん』 )の狐がすんでいる山、しゅり神山とかも出てきますね。山の生き物と海の生き物のつながりをどう捉えておられますか。
石牟礼 渚には特殊な植物が生えています。海の潮を吸って生きている。たとえば、アコウの木というのがありました。
鎌田 その写真をちょっと見せてもらえますか。樹根が垂れていて、沖縄のガジュマルに似ていますね。
石牟礼 ガジュマルの仲間だと思います。
鎌田 沖縄のガジュマルはキジムナー(樹木の精霊)がすんでいますね。これは天草にあるんですか。
石牟礼 水俣に入ってきたものが天草にもあります。海の潮が満ちてくるところに生えています。それを陸に持ってきて植えてもつかない。潮がないとだんだん枯れてきます。これはチッソの裏の明神というところに生えていました。ここは渚です。海と陸は呼吸し合っていますね。
鎌田 そうですね。お互いにつながり合って、刺激を与え合っています。
石牟礼 それで海も陸も生きている。でも、今はそれができなくなりました。父は、コンクリートで石垣をつくるようになった時代に入ったとき、「日本は堕落するぞ」と言っていました。
鎌田 まったくそのとおりになりましたね。いま、東北でも15メートルの防潮堤を造ろうとしています。底辺が80メートルですよ。こういうピラミッドみたいな巨大な防潮堤を気仙沼や石巻の近くなどにコンクリートでつくろうとしているんです。
私ももちろん反対をしているけれど、地元の人たちは、海を見ながら生活したい、海といっしょに呼吸をして生きていきたいのに、そんなことをすると呼吸を止めてしまうじゃないですか。だから、やめてくれと県知事とかに申し立てているんですけど、公共工事はお金が下りるものですから。水俣の問題も同じだと思うんです。土木建設業は、それによって潤うところがあるから、国も県もどんどん進めようというのが基本的な流れです。
気仙沼に畠山重篤さんという、「森は海の恋人」というキャッチフレーズで運動をしている人がいます。畠山さんたちは、コンクリートの防潮堤なんかとんでもないと言います。
石牟礼 とんでもないですよ。
鎌田 これは海を殺してしまう。人間の生活圏も変えてしまう。コンクリートは日本列島を窒息死させます。
石牟礼 そうですね。そして、原子力発電所の汚染水をコンクリートの島みたいなのをつくって閉じ込めようとしているそうですけれど、閉じ込められるのは日本列島そのものですね。それでは日本列島は呼吸ができなくなります。
**
石牟礼 難しゅうございますね、俳句は。
鎌田 そうですね、短いだけに。だけど、うまくいくと、ものすごく広がりのある宇宙を表現できますよね。
石牟礼 最近も「花ふぶき生死のはては知らざりき」。
鎌田 「花ふぶき生死のはては知らざりき」。いい俳句ですね。ご詠歌の世界みたいです。この俳句は、いつごろつくられたんですか。
石牟礼 そんなに昔ではないです。
鎌田 その花ふぶきは桜ですか。
石牟礼 いちおう桜です。ここの玄関にコケの花が咲いているんですけど、ご覧になりましたか。
鎌田 はい、きのうお聞きしたので、帰りがけに。
石牟礼 きれいですね。それで、地震を結びつけて、コケの花が震えて地震が来たというような俳句にしようかと思っています。コケの花が、あんなにきれいに咲いているのを初めて見ました。
鎌田 俳句はそんなに考えてつくられるんですか。
石牟礼 すぐに、ぱっと出る場合もあります。
九重高原の奥に「泣きなが原」 )という地名があります。これを俳句にしたいのですが、難しいです。
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鎌田 石牟礼さんが最初、歌人から出発して、その後俳句もしばしばつくられていて、映画の『花の億土へ』でも「祈るべき天と思えど天の病む」など、俳句が非常に印象的に使われていますね。
石牟礼 私は俳人ではなかったのです。いまも俳人ではないですけど。
鎌田 でも、素晴らしい俳句をつくられるじゃないですか。
石牟礼 いやあ。天籟句会で酒盛りになったとき、「いまから石牟礼さんのことを俳人と呼びます」と皆さんから冷やかされて。私はうれしいやら、感動するやら。歌人のグループとはちょっと趣が違う。
鎌田 俳人と歌人の違いを石牟礼さんはどう感じていますか。
石牟礼 短歌の人たちは情緒的ですね。俳人は何かすきっとして。
(sk)
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島原の乱 天草 水俣 。。。