さらけだされてしまう社会

 心の内をさらけ出すというのは、今も昔も難しい。迷いながら、躊躇しながら、後ろめたさを感じながら、哲学しながら、心の内にある隠しておきたいことを、勇気を持って正直に話す。そんなことは、できるはずもない。
 それなのに、テクノロジーは心の内を、なんの迷いも躊躇もなく、鮮やかにさらけ出す。コンピュータグラフィックス(CG)技術が成熟し、コンピュータグラフィックスの関連領域が発達したために、ニューロイメージングを使った脳神経学、脳医学、認知神経科学といった専門分化された分野が急速に発展し、また、センサーなどの IoT から集められたデータや、インターネット上のありとあらゆるデータとが、AI によって有効活用できるようにもなり、どの分野の進化のスピードも、まさに加速度的である。
 心の内をさらけ出すという行為は、多くの場合、痛みや苦しみ、悲しみを伴う。それとは反対に、発見や推理、喜びといった快楽を伴ったりもする。ところがテクノロジーが心の内をさらけ出す場合にはすべてが無機的で、「心の内はこうですよ」という結果だけが提示される。そこにはベールを剥がすというようなワクワク感は存在しない。
「感情」という「ある意味ブレーキの役目を果たすもの」がないから、そういった分野の進歩を止めるものはない。何の役に立つのかも考えずとにかく進化し、後から「こんなことに役立つ」とか「あんなことにも役立つ」などと言っている研究者たちは、まさに21世紀的なのだろう。

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