上東麻子

「倒そう、制圧、制圧」。手袋をはめた制服姿の入管職員が、収容されていた日系ブラジル人男性を6人がかりで押さえ込み、「痛い、痛い」と叫ぶ男性の腕をねじり上げた。「痛いじゃねーんだよ」「うるさい、静かにしろ」。職員の大声が響き渡る。これは、男性が東京入国管理局(現・東京出入国在留管理局、東京都港区)に収容されていた際に職員による暴行でけがをしたとして、国に損害賠償を求めた裁判で東京地裁に提出された証拠のビデオ映像だ。入管収容施設で外国人が職員に暴力を振るわれたと訴える裁判が相次いでいる。入管の収容施設で、何が起きているのか。

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  1. shinichi Post author

    「うるさい、静かにしろ!」 入管施設「制圧」の実態 映像入手

    by 上東麻子

    https://mainichi.jp/articles/20220211/k00/00m/040/249000c

    暴行を受け負傷したとして国を提訴
     訴状などによると、2018年10月5日、東京入管に収容されていた日系ブラジル人、アンドレ・クスノキさん(35)は入管職員から、茨城県牛久市にある入国者収容所「東日本入国管理センター」に移送されると告げられた。クスノキさんは友人が面会に来られなくなることや、同じ年に同センターで自殺者が出ていたことから移送を希望しないことを伝え、理由について尋ねたが、決定事項だとして入管側は話し合いをしなかった。

     クスノキさんは、この4日後の移送の際に、多数の入管職員に床に倒されて押さえつけられたり、腕をひねられたりされるなど暴行を受けて負傷したとして、国に500万円の損害賠償を求めて19年8月に提訴。東京地裁で審理が続いている。

     これに対して国側は裁判で、クスノキさんが「移収(移送と収容)を拒み、入国警備官の職務執行を妨害したことから、クスノキ氏及び職員双方の受傷事故などの防止のためにとられた措置であり、入国警備官の正当な職務行為であった」などと主張している。

    「暴れんじゃねえ」手錠かける様子も
     その時の様子を入管側が撮影したビデオ映像は、原告側の求めに対して国側が証拠として裁判所に提出した。法務省は「強制力を伴う制止」や隔離措置などを行う場合、適正に行われたことを後に立証するためにビデオ撮影で記録すると、要領で定めている。毎日新聞は約20分間のビデオ映像をクスノキさんの代理人弁護士から提供を受けた。メディアで公開されるのは初めてで、その映像を見てみよう。

     「制圧」は、移送を告げられた4日後の18年10月9日の朝、東京入管内で行われた。映像には、手袋をはめた多数の男性職員が居室に入ってきて、トイレに机をバリケードにして立てこもるクスノキさんを引きずり出し、うつぶせに倒して床に押さえつけて「制圧」し、手錠をかける様子が生々しく映っている。

     「痛い、折れる……」。クスノキさんは苦痛に顔をゆがめるが、職員たちは「折れてないよ」「暴れんじゃねえ」などと答えている。組み伏せた後は、うつぶせのまま5人で担ぎ上げ、出所の手続きを行う部屋に運ぶ。途中、何度も「腕痛い」「痛い」と悲鳴を上げるクスノキさん。「指示に従わねえから、こうなるんだろー」「静かにしろって言ってるんだ」と職員の怒声が響く。

     入出所手続き室に着くと、クスノキさんは青いマットの上に再びうつぶせで組み伏せられた。「茨城の入管行くから」と告げる職員に、「なんで、なんで俺行くんだよ?」「あそこは自殺した人もいるんだよ」と訴えるが、職員は答えない。途中から制圧に加わった大柄の男性がクスノキさんの頭を両手で押さえつけ、体重をかけると、クスノキさんは「あーっ」と苦痛で声を上げ、顔をゆがませている。制圧は十数分間続いた。

    「話し合いたかっただけ…」
     現在は一時的に収容を解く「仮放免」となっているクスノキさんへの取材によると、クスノキさんは制圧で抵抗する力を失い、その後、血が付いた手と顔を洗い、牛久に向かうバスに乗せられた。途中、痛みと屈辱でずっと泣いていたという。

     移送翌日の10月10日、東日本入国管理センター内の診療室で医師の診察を受け、「左腱板(けんばん)不全損傷」と診断された。押さえつけられた頭は痛みが残り、数日間、鎮痛剤を飲まなければならなかった。診療所の医師からは長期の肩のリハビリか手術が必要と言われたという。現在も肩に痛みが残り、腕が上げづらい状況が続いている。

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  2. shinichi Post author

    職員による暴行を「GO!GO!」と囃し立て「あなたの命は私の手の中」と口にする……。被収容者が明らかにする入管常勤医の狂気

    by 織田朝日

    https://hbol.jp/228565/

    子供のいる日本を離れることがでず、悩み続ける

     日系ブラジル人のアンドレ・くすのきさんが牛久入管から9月2日に仮放免された。トータルで約2年の収容生活だった。

     アンドレさんは2005年、18歳の時に来日。もともとは日本で仕事をするためにやってきて、すぐ帰る予定だった。日本で出会った女性と結婚して2人の子供を授かり、そのまま日本で暮らしていた。

     しかし、たった一度の過ちがアンドレさんの運命を狂わせ、入管で虐待される日々を送ることになる。違法薬物を所持していたことにより3年の執行猶予がつき、刑に服すこと自体はなかったが、この件でビザの更新ができずに仮放免の状態となってしまったのだ。

     その8か月後の2018年1月、東京入管に収容されることになる。このことが原因のひとつとして、離婚となってしまった。しかし、元妻にはいつでも2人の子供と会うことを許されていた。

     退去強制命令が出てしまったアンドレさんだが、子供たちと離れることが辛くてブラジルに帰ることを躊躇していた。入管職員には、「離婚したのだからもう関係ない。早く帰国するべきだ」と促されたが、戸籍上は他人でも自分の子供には変わりない。どうしても離れることが辛く、悩み続けた。

    入管の「制圧」はただのリンチとしか思えない

     2018年10月、アンドレさんは東京から牛久入管(茨城県)へ移送されることになった。その理由を求めたが、入管職員が答えてくれることはなかった。

     遠い牛久入管に連れて行かれたら、知り合いはおろか、誰も面会に来なくなってしまうのではないかという不安が訪れた。さらに、同年に自殺者を出している場所(2018年4月にインド人が自殺している)に行く恐怖も感じていた。

    「どうしても行きたくない」とトイレに逃げて籠城したところ、職員たちから激しい暴力を受け、牛久へ連れて行かれた。この暴力事件についてアンドレさんは現在、国賠訴訟で争っている。(筆者記事「常勤医が『気に入らないなら日本から出ていけ』。牛久入管でいまだ横行する被収容者イジメ」参照)

     過去、入管職員から制圧にあった人たちから証言を集めると、やり方はだいたい共通している。おそらくマニュアルがあるのだろう。

     集団で被収容者を地面に叩きつけ、職員たちが押さえつけ後ろ手錠をかける。身動きできなくなった相手に対し、手首をねじり上げるなど必要以上に痛めつける。痛みで叫ぶ被収容者に、よってたかって罵倒の言葉を投げかける。

     これは徹底して抵抗する気持ちを失わせ、屈服させるつもりでやっているようだが、一見するとただのリンチとしか思えない。公務員がここまでやっていいのだろうかとの疑問が残る。刑務所でも、ここまでやれば問題になるだろう。

    20日間シャワーを浴びさせないなどの嫌がらせ

     移送されたアンドレさんは、しばらくして他の被収容者とともに、解放を求めるハンガーストライキを開始した。その報復か、仮放免が決まって保証金を支払っても、すぐ捕まるという嫌がらせを2回も受けた。ハンストに加わった他の被収容者たちも、同じような対応を受けている。

     1回目はわずか2週間のみの猶予で、東京入管へ呼び出されて再収容され、すぐに牛久へ移送。しばらくしてまた仮放免となったが、わずか約3週間しか認められなかった。

     3週間が経ち、決められた日に東京入管へ出頭しなければならなかったが、アンドレさんはその日、体調がすぐれなかった。電話で出頭できない旨を伝えたが、その日のうちに職員たちが家までやってきて、強制的に連れて行かれた。

     2020年の2月には、とうとう帰国する決心をした。裁判が終わり次第ブラジルに帰ろうと考えた矢先、新型コロナウイルスが流行りだした。航空便がなくなり、帰国が不可能となってしまったのだ。裁判も延期になり、結局残るしかなくなってしまった。

     八方ふさがりとなってひたすら苦痛の日々が続き、アンドレさんはだんだん食事がのどを通らなくなり、やせ細っていった。

     それを若い常勤医に「ハンストだろう」と責め立てられ、「食べないなら差し入れも受け取らせない。シャワーも浴びさせない」と、20日間もシャワーを浴びることができないという嫌がらせを受けた。これには他の職員も、さすがに疑問を感じているといった態度をアンドレさんに見せていたらしい。

    常勤医が「GO! GO! 制圧!」

     ある日、アンドレさんは常勤医に「体重計に乗れ」と命令され、拒否をした。すると複数の職員に制圧され、無理やり体重計に乗せられそうになった。その時、常勤医は「GO! GO! 制圧!」などと言い放っていたという。しかも、職員たちがアンドレさんを抑え込んでいる中、常勤医までが足をねじるように強く押さえつけてきた。

     別の日には「点滴を打つ」と言って、嫌がるアンドレさんの腕を職員たちに押さえつけさせ、むりやり針を刺そうとした。あまりにも嫌がるアンドレさんを見て、職員が「今日は辞めましょう」と静止して、その場はしのぐことができた。

     これに対し、牛久入管の総務課は「本人は、『GOGO制圧』なんて言っていないし、『国に帰れ』等の暴言も吐いていないと言っていました」と回答している。

     アンドレさんは個人情報開示を申し入れ、職員や医者に制圧された映像の入手を試みている。それさえあれば、事実がはっきりするのではないだろうか。

     その常勤医に「国に帰れ」「あなたの命は私の手の中」などの暴言を吐かれたという証言は、ほとんどの被収容者から得ている。あまりの常勤医の態度に、入管職員が被収容者に対して同情的な態度を見せることもあるらしい。

     アンドレさんは仮放免が決まった時、常勤医にこう言われたという。

    「これからどうするの? 国に帰るの? 帰らないならまた捕まえるよ。子供に会うの?(イラン人は犯罪者だから)イラン人とは仲良くしないでね」

     アンドレさんは東京の知人の元に身を寄せることになる。帰るにも帰れない今の情況で、この先どうしていけばいいのか、判断に迷っている様子だった。まずはゆっくり休んで、傷ついた身心を癒してほしい。

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  3. shinichi Post author

    「入管職員から暴行」収容者、賠償求め提訴 「動物のような扱い」

    毎日新聞

    https://mainichi.jp/articles/20211124/k00/00m/040/221000c

     東京出入国在留管理局に収容中に職員から暴行を受け、腰の骨を損傷して歩行に支障が生じるようになったとして、米国人男性のマーク・ゴードンさん(52)が24日、国に3000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

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  4. shinichi Post author

    監視映像、異例の公開 入管職員暴行の国賠訴訟で―大阪地裁

    JIJI.COM

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2021091500806&g=soc

     大阪出入国在留管理局で2017年に収容されていた日系ペルー人男性(48)が、職員の暴行を受け骨折したなどとして国に損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が15日、大阪地裁(徳増誠一裁判長)であり、国側が提出した監視カメラ映像の取り調べが行われた。男性の代理人弁護士によると、約24時間に及ぶ長時間の監視映像が公開されるのは異例という。

     映像では17年12月、職員に抗議した男性が保護室に運ばれた後、後ろ手に手錠を掛けられたまま職員5人に制圧された場面や、手錠を掛けたまま14時間以上放置された様子などが記録されている。男性はその後、左上腕を骨折したことが判明した。

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  5. shinichi Post author

    車椅子の病人に集団暴行、1時間半―入管「コメントは差し控える」

    志葉玲

    https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20211129-00270226

     今年3月に名古屋入管で当時33歳だったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件で、日本の入管行政のあり方が問われた。著しい体調の悪化にもかかわらず、適切な治療を行わないまま収容を続けた挙げ句、ウィシュマさんを死なしてしまったことに社会は震撼し、国会でも大きく取り上げられた。だが、入管の人権感覚は全く変わっていない。なんと、入管の収容施設内で、車椅子の病人を数人がかりで1時間半にわたって虐待したというのだ。被害者の男性に話を聞いた。

    ○入管施設内でコロナに二度も感染

     今回、筆者の取材に応じたのは、スリランカ人男性のジャヤンタ・マルダケ・スガット・クマラさん(47歳)。2000年に来日し、日本で結婚したが、その後、離婚したために在留資格を失ってしまった。また、母国スリランカ内戦では現在の政府と応戦していた勢力に属していたため、帰国すれば迫害される恐れがあるとして、難民認定申請を行ったが、昨年3月に東京入管の収容施設に収容されてしまった。収容後、ジャヤンタさんは二度も新型コロナウイルスに感染し、現在も頭痛や倦怠感などの後遺症に苦しめられている。さらに肝機能障害も患っており、吐き気のために、脂っこい入管の給食は食べても吐いてしまう状況だ。入管内の面会室で筆者の取材に対応した際も、バケツを持参していた。常に吐き気に苦しめられ、取材中に嘔吐する可能性もあったからだ。

    ○入管職員による集団暴行

     ジャヤンタさんが入管職員らに暴行されたのは、今年10月11日のこと。既に体調の悪化が著しく、苦しみもがく中で、ジャヤンタさんは、吐瀉物用のバケツを破損してしまった。その様な些細なことで、入管職員らはジャヤンタさんを雑居房から独房に連行したのだ。この、「懲罰房」とも呼ばれる独房は、入管職員に反抗的な態度を取った際に懲罰として、閉じ込められる狭い部屋だ。この連行の際に、入管職員らはジャヤンタさんを車椅子から無理やり引きずり下ろしたのだが、その際にジャヤンタさんの片足が車椅子の金具に挟まってしまった。入管職員らは、金具を外そうとする間、ジャヤンタさんの頭と両腕をそれぞれ一人ずつが、力いっぱいに床に押しつけた。特に頭を抑えていた職員は、ジャヤンタさんの頭の上に乗るようなかたちで、のしかかった上、何度も首を絞めてきたのだという。

     また、腕を押さえつけていた職員の肘がぶつかり、ジャヤンタさんの右目はまぶたが開かなくなる程、酷く腫れ上がった。車椅子の金具に挟まってしまったジャヤンタさんの足はうっ血し、途中から現場に来た入管内の医師が「道具を使って、車椅子を壊して。早く外さないと、足を切断しないといけなくなる」と職員らに注意する程だったという。だが、入管職員らは結局、力ずくでジャヤンタさんの足を車椅子から引き抜いたのだった。そのため、ジャヤンタさんは足を痛め、現在も痛みのために自由に動かすことができないのだという。この暴行は1時間半にも及んだ。

     健康状態の悪化が著しかったジャヤンタさんは、今月11日に仮放免されたものの、そのたった2週間後の今月25日に再び東京入管の収容施設に再収容されてしまった。ジャヤンタさんは、通院していた最中で、肝機能の低下は病院での診断書でも指摘されており、それが原因とみられる摂食障害もある。入管での人権問題に取り組む市民団体「収容者友人有志一同」(SYI)は、ジャヤンタさんの再収容について、「ウィシュマさんの事件を繰り返すのか」と懸念。ジャヤンタさんの仮放免を求めている。

    ○入管施設内で横行する暴力

     何の変哲もないバケツを破損してしまった程度で「懲罰房」行きとなり、しかも足に引っかかった車椅子をただ単純に外せば良いものを、わざわざ床に数人がかりで体重を乗せて1時間半も床に押し付ける。何故、そのようなことをするのか、東京入管側の言い分も聞くべく、筆者は同広報に問い合わせたが、「個別のケースにはお答えできない」という決り文句が返ってきただけであった。

     入管の収容施設では、被収容者を「反抗的」と見なした場合、大勢の入管職員らが被収容者に飛びかかり、暴力で無理やり従わせるという「制圧」行為が日常的に行われている。東京入管では、先日も米国人男性が「制圧」され、腰骨を損傷したとして国賠訴訟を提訴したばかり。過去にも、男性職員らが女性の被収容者達を力ずくで床にねじ伏せ、膝で女性の首を押さえつけたり、女性を乱暴に投げ飛ばしたりしている。

     さらに、2010年には、ガーナ人男性アブバカル・アウドゥ・スラジュさん(当時45歳)が強制送還の際に、入管職員らに制圧行為を受けた後に死亡するという事件も起きている(なお、スラジュさんは日本人女性と結婚しており、彼自身も彼の妻も在留を強く望んでいた)。

     被収容者達の証言によれば、この「制圧」は、職員の安全等のためのやむを得ない措置というよりも、サディスティックに被収容者を痛めつけること自体を目的に行われているのではと思わざるを得ないようなケースも多々ある。例えば、東日本入国管理センターに収容されていたクルド難民のデニズさんに対し、腕をねじりあげられ、身動きの取れない状態で、彼の首の急所に入管職員が指を突き立て「痛いか、痛いか?」と叫んでいる様子が、裁判資料として提出された入管側の記録映像にはっきりと映っていた。

    ○法を軽視する行政組織は解体されるべき

     ウィシュマさんの件や、デニズさんの件は、国内外で大きな問題となり、今年春に法務省/入管が提出した入管法「改正」案も、高まる批判の中、廃案となった。だが、ジャヤンタさんの件を見ていると入管は全く懲りておらず、組織として致命的に自浄能力が欠落しているようにも見える。他方、在留資格を持たない在日外国人に対しては、主にネット上の匿名のユーザーからは「法に反しているのだから厳しく対応して当然」と、入管のやり方を擁護する意見もあり、筆者への記事に対してもそうした外国人を擁護するなとの意見もある。ただし、前提として、本来、庇護すべき難民や、様々な個別の事情から在留を許可すべき外国人を「不法滞在」にしてしまっている、法務省及び入管の差別的な対応にも問題は大いにある。また、仮に「不法滞在」だとしても、その人に対し何をしてもよいわけではない。日本は法治国家であるから、法から逸脱した対応は許されない。実際、「制圧」は入管法に基づく省令(被収容者処遇規則の第17条の2)で「制止等の措置」として規定されているが、同省令においても「合理的に必要と判断される限度」であるべきだとされており、被収容者を虐待してよいとは、どこにも書いていない。そもそも拷問は日本国憲法で禁じられている。車椅子を使うまでに衰弱していたジャヤンタさんを「制圧」する必要はなく、何度も首を絞めるといった行為は拷問にあたるのではないのだろうか。個人に対し強制力を伴って法に従わせようとする組織が、自分達は法令遵守していないのだから、本末転倒だ。その解体と再構築を含め入管のあり方を根本から問い直す時期に来ているのであろう。

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  6. shinichi Post author

    「ガラ」と見下す風潮 元職員が明かす入管の人権意識

    by 上東麻子 金志尚

    https://mainichi.jp/articles/20210512/k00/00m/040/030000c

     入管収容施設の「密室」で被収容者はどう扱われるのか。東日本の入管収容施設で働いていた元職員が、現場を改善してほしいと初めてメディアの取材に応じ、一部職員は外国人の被収容者を「ガラ」と呼んで「見下しているように感じた」と証言した。また、収容されている人が体調不良を訴えても詐病を疑う風潮もあったといい、「職員は医療の素人。専門スタッフが常駐していれば名古屋入管での事件も起きなかったのではないか」と医療提供体制の充実を訴えている。【上東麻子、金志尚/デジタル報道センター】

     毎日新聞が4月29日に、「外国人は悪いことをするかもしれない、危険な人になり得るかもしれないという意識がありました」などと、その証言を報じた元入国審査官の木下洋一さん(56)も、審査対象の外国人について職場で「ガラ受け(身柄引き受け)」などと話していたと明かしている。

     名古屋出入国在留管理局の収容施設では3月6日にスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が死亡している。これまでも収容中の外国人が死亡する例が相次いでおり、入管法改正を巡る国会審議でも施設内での処遇が問題になっている。

    収容施設での死亡17件

     出入国在留管理庁(入管庁)警備課によると、収容中の外国人が施設で死亡した例は、2007年以降17件起きている。内訳は病死10件、自殺5件、死因不詳2件。施設別では東日本入国管理センター(茨城県牛久市)と東京入管(東京都)がそれぞれ6件、名古屋入管(名古屋市)2件、大村入国管理センター(長崎県大村市)、福岡入管(福岡市)、西日本入国管理センター(現在は廃止)が各1件となっている。

    入管も「あってはいけない」

     元職員の男性は待ち合わせ場所にジャンパー姿で現れた。入管収容施設で働いていたが、被収容者に対する処遇や医療提供体制を「おかしい」と感じていたという。少し前まで働いていたが、身元を特定される恐れがあるため、詳細な勤務期間は明らかにできない。外国人の人権問題を長年扱っている支援者に自ら連絡し、少しでも現場の改善につながればと記者の取材に応じた。

     元職員が収容施設で働き始めて最初に驚いたのは、先輩職員たちが収容されている外国人のことを「ガラ」と呼んでいたことだった。「ガラが、ガラが、と言っているので何のことかと思ったら、被収容者のことだったんです。同僚に意味を尋ねると、『身柄のガラのことだろう』と言われました」と語った。

     「身柄」という言葉は、刑事手続きの中で容疑者を逮捕し法的に身体を拘束する場合に使われることがある。

     入管法では、オーバーステイなどで外国人を検挙した警察はその身体を入管に引き渡すよう定めている。こうした手続きを「身柄引き受け」といい、元入国審査官の木下さんによると、略語として、「ガラ受け」と呼んでいたという。入管法64条にも「身柄の引渡」という見出しがある。しかし、収容した外国人を「ガラ」と呼ぶのはどうだろうか。

     入管庁警備課に事実関係を問い合わせると、「そんな呼び方はあってはいけないし、していない」とコメントした。

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  7. shinichi Post author

    日本の入管はなぜ難民・外国人に冷酷なのか? その「歴史的」理由
    「警察行政のDNA」の影響とは

    by 五野井 郁夫

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64055

    救急車を追い返した東京入管

    まだ底冷えのする3月12日の深夜、クルド人たちを含む多くの人々が品川の東京入国管理局で警官らと対峙していた。

    収容者の命に関わる問題が生じているので、東京入管前にすぐに集まってくれという呼びかけがあったからだ。

    東京入管に収容中のクルド人難民申請者、チョラク・メメットさん(38)が12日に極度の体調不良となり病院での診察を訴えたにもかかわらず、家族と支援者が呼んだ救急車が、医師資格を持たない入管職員の勝手な判断で、2度も追い返されるという事件が起きていた。これに対する抗議が、50人ほどの有志らによって、入管前で夜通し行われたのである。

    この救急搬送拒否事件と抗議行動がSNS上で話題となったことで、翌13日の国会質疑において国民民主党の源馬謙太郎議員と日本共産党の藤野保史衆院議員が取り上げ、事件発生から30時間後になってやっとメメットさんは病院に運ばれ、脱水症状だと診断された。

    メメットさんの出身国トルコでは、国を持たないクルド人は弾圧と差別の対象となってきた。親族にクルド独立運動の参加者がおり、身体への危害を加えられることを恐れたメメットさんは、2004年に入国ビザが不要な日本に家族とともにやって来た、典型的な政治難民である。

    4度難民申請をしたものの、その度却下され「仮放免」となっててきた。「仮放免」とは、病気その他やむを得ない事情が難民申請者にある場合、一時的に収容を停止し一定の条件を付して、収監せず身柄の拘束を解く制度だ。

    昨年1月、この延長手続きのために入管を訪れると家族には同制度が認められたものの、メメットさんのみ不可となり、入管に収監されていたのだった。

    入管施設で13人が亡くなっている

    この事件は氷山の一角に過ぎない。

    全国の入管内では収容者に対する非人道的扱いが起き続けてきた。東京入管では2017年6月、虫垂炎の手術をしたばかりのトルコ人男性収容者が患部の痛みを訴えていたにもかかわらず、約1ヵ月もの間診療を受けさせなかった事件もあった。

    2018年4月には、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容されていたインド人男性のディパク・クマルさん(当時32)が、9カ月にもわたる長期収容の末、自殺した。

    難民認定申請中に在留資格を失って収監されたクマルさんの死を受けて、牛久入管では被収容者約70人がハンガーストライキを、その他の入管収容施設内でも処遇をめぐり抗議が行われた。2007年以降、全国の入管施設内で死亡した収容者の人数は13人におよぶ。

    ようするに施設内環境と収容者への待遇が非常に劣悪なのである。

    このような状態に憤った者たちによる行動だろう、昨年11月には「FREE REFUGEES」という入管を批判するグラフィティ(落書き)が入管付近の港南大橋歩道上などに書かれたが、対する東京入管の公式Twitterアカウントは人権侵害行為を棚に上げて「落書きは止めましょう」「少しひどくないですか」という投稿し、入管は他の歩道にあった落書きは消さずに、「FREE REFUGEES」のグラフィティのみを消したのだった。

    日本の入管が持つ「警察行政のDNA」

    なぜ日本の入管は、これほどまでに難民申請者らに対して敵対的なのだろうか。それの一因は入管という組織の来歴に淵源しているともいえる。以下、日本の入管行政を足早に振り返ってみよう。

    戦前、日本の入国管理は、警視庁や各都道府県の特別高等警察(特高)と同様に内務省が所管しており、警察行政の一環として入国管理が行われていた。

    1945年の敗戦にともない、占領軍によって内務省は解体された。それにともない特高警察も解体されたものの、おもに大日本帝国内での市民だった朝鮮人や外国籍の者たち、そして共産主義者らを取り締まっていた官僚たちの多くが公職追放を免れたことで、戦後の初期から出入国管理業務に携わる部署の一員として引き続き雇用されることとなった。

    これについて国際法学者の故大沼保昭は、敗戦直後の占領期に出入国管理体制に携わった人々からのインタビュー調査を行っている。

    調査の結果、入管業務従事者とその周辺のかなりの部分が旧特高関係者で占められており、とりわけ在日朝鮮人らに対する強い偏見や差別観をもち、入管業務対象者に対してはつねに公安的な発想で接していたことが、明らかとなったという。

    戦後初期の入管担当者に聞き取りをした故大沼の表現を借りれば、旧大日本帝国の植民地下にあった在日韓国・朝鮮人、台湾人に対する管理と差別意識がそのまま「外国人と日本国民の間に差別があるのは当然」という形で正当化され、また悪名高い戦前の特高警察が主要な担い手であったことから「戦前の感覚」が存在して、引き継がれたというのである。

    会社と同様に各省庁にもそれぞれ組織文化が根付いており、体質として戦後の長い間、組織内で何らかの形で温存されてきたとしても、それはとくに不自然なことではないだろう。

    戦後、「難民」が社会に位置付けられた

    そもそも入管に難民申請をしている難民とは、どういう現象であり人々なのだろうか。

    20世紀には戦争と革命、そして勝者なき戦争後の空気のなか、諸国の法が機能している空間秩序が生まれ、その空間秩序の「法外」に置かれた難民が相次いで発生した。

    第一次世界大戦に関連して生じたアルメニア難民、ソヴィエト革命から逃れ大量に流出したロシア難民、次の大戦に至る「危機の二十年」と呼ばれた戦間期のユダヤ難民、そして第二次大戦での各地での戦災難民などがその主なものだ。

    難民を救済するために国際連盟下でいくつかの国際条約が結ばれもしたが、それらは対象となる難民の範囲や保護の内容が限定されていたのみならず、締約国数も少なかったため、第二次大戦に関連して発生した多数の難民保護には不十分だった。

    実際に国際社会のなかで難民の定義がしっかりと定まりパラダイム転換が起きたのは、1951年に国連全権会議において各国に採択された「難民の地位に関する条約」、いわゆる「難民条約」においてである。

    同条約では、第二次大戦後も引き続き発生する難民に対して、人権と基本的自由を保障し、難民の地位に関する従来の国際協定等を修正・統合した。これとともに、適用範囲と保護の拡大をするために難民と無国籍者の地位を定めており、今日まで難民一般の概念を規定する基本線となっている。

    難民条約の定義によれば、難民とはまず

    「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」

    がゆえに、

    「国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」

    である。

    社会的マイノリティであるがゆえ、ないしは政治的な迫害事件の結果として、常居所であったはずの国の外にいる無国籍者に対して、難民条約は開かれている。

    この基底となっているのは、1948年に国連総会で承認された世界人権宣言である。

    同宣言の第2条1項は「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」とあり、同項の原則が難民条約の前文でも改めて確認されている。

    日本は難民にどう対峙してきたか

    戦後の難民をめぐる我が国の難民受け入れ状況はどうだろうか。

    過去には難民に対して大きく門戸を開いた時期があった。1970年代後半にアメリカの失策であったヴェトナム戦争終結にともない、ヴェトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ三国から逃れた「ボート・ピープル」と呼ばれる人々を約1万1千人受け入れたことがある。

    だが、我が国は長年のあいだ1951年の難民条約にも未加盟で、政治難民もふくめて対応できていなかったこともあり、国際世論の非難の的となってきた。我が国が難民条約を批准したのは1981年になってからのことである。

    その後2010年度からの3年間で、「第三国定住」プログラムを、アジアで初めて90名のミャンマー難民に対して行うようになった。これは、一時的に他国へに避難しているものの本国への帰還が難しく、第三国で定住することが唯一の安全かつ実行可能な解決策である場合に難民を受け入れるプログラムだ。

    その結果、2010年には1202人だった難民申請数は、アラブの春と2015年の難民危機に関連して毎年前年度比で50%近く伸び、2017年には1万9629人(難民認定数は20人、難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた者が45人)にまで増加した。

    続く2018年の申請者数は1万493人(そのうち難民としての認定数は42人、難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が40人)となった。

    申請者数が減少した理由は、2018年1月以降、入管がその相当数が就労目的の「濫用・誤用的」な申請であるとして、申請者の在留や就労を制限するといった、申請数を抑制するための措置を強化したためである。

    このように入管法上の難民認定手続きの姿勢は、ボート・ピープル受け入れ時に偽装難民がいたことからも受け入れに消極的なものとなっており、難民は保護するよりも管理するという姿勢のほうが強い。

    さらに先述のとおり、歴史的な背景を持つ、行政組織の外国人差別的な体質が現在も温存されているため、残念ながら現在まで難民とそのステータスの申請者に対して、十分な法的保証を与えるものとなっていない。

    もちろん条約難民として認定されれば、難民条約に基づき在留資格と公共サービスを利用できるが、不認定の場合には人道的配慮などによる一定の不十分な保護しか与えられないのが現状だ。

    その結果、再申請のための在留資格は得ても、就労許可や国民健康保険などの公共サービスが受けられないケースも多くある。

    日本語学習の機会は難民認定者を主な対象としており、申請者は日本語を学ぶ機会が制限されている。

    場合によっては数ヶ月から数年かかる申請結果を待つ間、罹患時には医療費を自費負担し、そののち支援機関による払い戻しを待たなければならない。就労許可が下りなければ収入を得られず、医療へのアクセスは事実上絶たれてしまう。

    これからどうすべきなのか
    こうした難民ならびにその前段階の難民申請者の状態について、かつて国連難民高等弁務官事務所は「法的な幽霊」と表現した。

    日本への申請者らは難民認定されるまで法的な裏打ちがなく人権を十分に享有できない宙吊りの状態にさらされるが、その「法的な幽霊」たちは他でもない生身の人間なのである。人間に対しては、われわれは同じ人間として、人道的に接しなければならない。

    それすらできていないのが、いまの日本の現状だ。

    たしかに我が国への難民申請者のなかには偽装難民がいるのは事実だろう。しかしながら難民審査参与員を長年担当した友人の元国家公安委員にどうやって認定しているのかを尋ねると、返ってきた答えは意外なものだった。

    審査員経験者がいうには、正直なところ偽装難民かどうかを見分けることは極めて困難だというのである。というのも年間1万人単位の難民申請者一人ひとりの出身地で迫害を受けたかどうかなどを、きっちり現地まで赴いて精査することなど不可能だからだ。

    間違って認定される申請者もいるだろう。けれども、間違って認定されなかった申請者はさらに数多くいることだろう。

    カントが『永遠平和のために』で「訪問権」として記した外国人が自国民と同様に人として持つ諸権利、そしてかれらを歓待する義務がわれわれにはあるのだ。このカントの思想はのちに世界人権宣言や難民条約において国際法として法典化した。

    であるならば、世界人権宣言と難民条約を批准している我が国の地に足を踏み入れた者に対しては誰であれ、たとえ再申請中で在留許可が下りようと下りなかろうとに拘わらず、我が国の市民と同様の人道的扱いを直ちにせねばならないのである。

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