国土交通省

日本は、国土の大半において春夏秋冬が明確にわかれている国であり、人々は四季の移ろいに敏感で、自然に対する感受性が鋭いと言われている。自然を題材とした、または、自然の美しさについて記した書物は、古来より多数書かれている。例えば、鎌倉時代、「徒然草」の作者である吉田兼好は、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と記し、自然の美しさは、満開の花や満月だけではなく、これから咲くつぼみや雨の中の月など不完全なものの中にも存在するということを述べており、自然の様々な姿を愛でていたことがうかがわれる。
さらに、江戸時代には、浮世絵に、花を愛でる描写や、自宅やその庭で盆栽等の植木を育てる描写があること等から、花見や園芸の文化は庶民にまで浸透していたことが分かり、人々は、身分を問わず、広く自然を楽しんでいたと考えられる。
また、明治・大正期の著名な地理学者である志賀重昂は、「日本風景論」において、日本人は欧米人や中国人と比較して、自然現象に対して敏感であるなどと述べている。

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  1. shinichi Post author

    国土交通白書 2019 令和元年版

    国土交通省

    第3節 日本人の感性(美意識)の変化

    https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h30/hakusho/r01/index.html

    日本人にとって、美しい・すばらしいと感じる価値や行動(以下「感性(美意識)」という。)は、各々の時代の社会的な背景により、変化してきている。

    本節では、意識調査を踏まえつつ、日本人が昔から持つ感性(美意識)、高度経済成長期の日本人の感性(美意識)を振り返るとともに、平成の日本人の感性(美意識)の変化や社会におけるそれらの現れ(発現)について概観する。

    1 平成以前の日本人の感性(美意識)

    (1)日本人が昔から持つ感性(美意識)(古代から近代まで)

    日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、また、研究もなされているが、本節では、それらのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)を取り上げて、考察する。

    なお、国土交通省が実施した日本人の感性(美意識)に関する「国民意識調査」注18 においても、高度経済成長期より前の日本人の感性(美意識)として上記の4 項目が上位となっている。

    (義理がたさ)

    日本人は、古来より、自分のことを多少後回しにしてでも他者を尊重する、思いやりや礼儀を大切にする感性(美意識)を有していると言われている。

    例えば、明治時代に、新渡戸稲造は、こうした日本人の感性(美意識)を整理し、「武士道」としてまとめている。この中で、日本人には「義(正しさ)」「仁(情け)」「礼(敬意)」「誠(誠実さ)」等の徳(人としての優れた精神性)があると述べている。この文献は、1900 年当初は、アメリカにて、英文で刊行され、米国大統領のセオドア・ルーズベルトやジョン・F・ケネディ等に影響を与えている。また、英語以外の言語にも翻訳され、世界中で広く知られている。なお、日本語訳版も1908 年に出版され、日本人の間でも読まれるようになっている。

    (伝統•文化)

    ■伝統的な文化や風習

    日本では、例えば、明るい知的な美を「をかし」、しみじみとした情緒美を「もののあはれ」と表現するなど、「美」に対して、ニュアンスの異なるきめ細やかな感覚を有していた。その中において、特に、日本人は、「大きく、力強いもの」よりも、「小さく、愛らしいもの」や、「縮小されたもの
    (小さくまとまったもの)」に対して「美」を感じてきた。こうした感性(美意識)により、盆栽や箱庭、弁当等の「縮小した世界観」が生まれ、国内において文化として根付いただけでなく、現在、広く世界に知られるようになっている。

    また、日本人の奥深い感性(美意識)として、度々取り上げられる「侘び・寂び」は、簡素で静寂な中に美しさを感じるという意味で使われている。さらに、「侘び・寂び」は簡素だけでなく、明白にせず曖昧に暗示することによる美しさや、古いものの内側からにじみ出てくる(外装に関係しない)美しさ等を表現した言葉でもある。「侘び・寂び」を具現化するものとして、特に、東山文化を代表する慈照寺銀閣、茶道(侘び茶)、桂離宮等が有名である。

    こうした「侘び・寂び」のような感性(美意識)は、明治時代、岡倉天心の「茶の本」において、茶道を通して欧米向けに紹介されている。また、国際的にも高く評価されており、例えば、桂離宮については、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、簡素な美しさを絶賛し、日記に「泣きたくなるほど美しい」と記したと言われている。

    ■異なる文化の受け入れ

    日本人は、伝統を守り続ける一方で、新しいものを取り入れ、自国の文化に発展させることに長けていると言われている。歴史的に見ると、古代から中世までは、中国を中心としたアジアの近隣諸国の影響を、そして明治以降は、欧米からの影響を強く受けつつ、それらの文化の受け入れと取捨選択を繰り返し、日本の伝統的な感性(美意識)と融合させ、独自の文化として発展させている。

    例えば、茶道は、茶を飲む習慣や茶の製法が中国(唐)から伝来した後、盛大な茶会や闘茶という遊芸となり、華やかさを有する文化として広まった。しかし、室町時代には、茶をもてなす主人と客との精神的な交流が重視されていき、華やかさではなく「侘び・寂び」等を体現する独自の文化として発展している。

    (和)

    調和や協調を重視する姿勢も、日本人の特徴的な感性(美意識)であると言われている。こうした感性(美意識)は、例えば、江戸時代の長屋における生活に見受けられる。長屋では、共有する井戸の周り(井戸端)が女性たちのコミュニケーションの場となり、食材、台所用品、食器等の生活必需品の貸し借りや、他の人の育児への協力等が日常的に行われていた。長屋は、一つのコミュニティとして、つながりや支え合いといった相互扶助の精神により成り立っていた。

    また、近代以降においても、松下幸之助が、日本人は、「和を貴び、平和を愛し、お互いに仲良くしあっていこうとする国民」であり、会社経営においても社員の知恵を尊重し、助け合うといった「和の精神」が大事であると述べている。

    なお、「和」には、調和と協調のみならず、身分を問わず広く議論して決めるという意味も含まれており、こうした考え方は、7 世紀初頭の聖徳太子(厩戸王)によって作られたとされる「十七条憲法」や、1868 年に明治政府によって出された「五箇条の御誓文」にも見られる。

    (自然)

    ■自然を愛でること

    日本は、国土の大半において春夏秋冬が明確にわかれている国であり、人々は四季の移ろいに敏感で、自然に対する感受性が鋭いと言われている。自然を題材とした、または、自然の美しさについて記した書物は、古来より多数書かれている。例えば、鎌倉時代、「徒然草」の作者である吉田兼好は、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と記し、自然の美しさは、満開の花や満月だけではなく、これから咲くつぼみや雨の中の月など不完全なものの中にも存在するということを述べており、自然の様々な姿を愛でていたことがうかがわれる。

    さらに、江戸時代には、浮世絵に、花を愛でる描写や、自宅やその庭で盆栽等の植木を育てる描写があること等から、花見や園芸の文化は庶民にまで浸透していたことが分かり、人々は、身分を問わず、広く自然を楽しんでいたと考えられる。

    また、明治・大正期の著名な地理学者である志賀重昂は、「日本風景論」において、日本人は欧米人や中国人と比較して、自然現象に対して敏感であるなどと述べている。

    ■自然との調和

    日本人は、自然を愛でる対象としてとらえる一方で、人間は自然の一部であるという独自の自然観を持ち、自然との調和(共生)を図ってきた。

    庭園等では、周囲の景色を活かしながら景観をつくりあげる「借景」の技法が取り入れられ、景観を楽しむとともに、周囲との一体感を醸成していた。例えば、室町時代の鹿苑寺金閣や、明治時代の無鄰菴(山県有朋の別荘)の庭園等が、借景庭園として知られている。

    また、障子に見られるように、建物の内部と外部をはっきりとは遮断せず、自然との連続性を持つことも好まれていた。このような感性(美意識)は「空間の連続性」を大切にするという意識にもつながっており、平安時代や鎌倉時代の絵巻において、その物語を、場面によって区切ることをせず、連続したものとして表現していること等にもうかがえる。

    ( 2 )高度経済成長期以後の日本人の感性(美意識)

    (高度経済成長期における変化)

    1955 年頃から1973 年まで、急速な経済成長を遂げたこの時期は、社会生活が大きく変容し、日本人が持つ感性(美意識)にも多大な影響を及ぼしたと考えられる。

    高度経済成長期は、欧米に「追いつけ、追い越せ」の精神により、経済性や機能性を重視し、人々はデザイン等個性にこだわらず、大量に生産された画一的な物を消費していた。「大きいことはいいことだ」という言葉に象徴されるように、人々は、より大きな物をたくさん所有し、また、次々と買い替えていくという「物質的な豊かさ」を追求していたと考えられる。

    急激な経済成長は、人口分布にも変化を及ぼし、経済発展の中心である都市への人口集中による過密化と、地方における人口流出による過疎化が顕著となった。都市では、増加した人口の受け皿としてニュータウンが建設され、住民のつながり等は、地方よりも弱まっていくとともに、類似した商業施設や看板の乱立等により街の景観は画一的なものとなっていった。一方、地方においても、人口流出により昔のようなコミュニティを維持することが困難となり、以前よりも人のつながりが弱まっていったと考えられる。

    また、この時期の経済発展により、公害等の環境問題が発生した。急速な工業化の過程で、自然が破壊され、工場から排出される有毒廃棄物等は、周辺住民に健康被害をもたらした。また、大量生産・大量消費の経済構造が進み、ごみが急速に増え、その総排出量は、高度経済成長期の当初(1955 年)からの20 年間で約7 倍に増加した。

    このように、高度経済成長期は、「和」や「自然」等の日本人が昔から持つ感性(美意識)に比べ、特に「物質的な豊かさ」が重視されていたと考えられる。

    (高度経済成長期の後の変化)

    1970 年代、オイルショックにより急激なインフレが発生し、旺盛な経済活動にブレーキがかかったことにより、高度経済成長期は終焉を迎えた。これを契機に、人々の価値観には、消費を美徳とすることから、節約を美徳とすることへと変化が芽生え、商品を選択する際には、個性(自分らしさ)を重視するようになっていった。「量から質へ」と日本人の意識は変化していき、「物質的な豊かさ」を追求する傾向は徐々に弱まっていったと考えられる。

    2 平成の日本人の感性(美意識)

    ( 1 )平成の日本人の感性(美意識)の特徴

    内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、これからの生き方として、「まだまだ物質的な面で生活を豊かにすることに重きをおきたい」(以下「物の豊かさ」という。)、「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」(以下「心の豊かさ」という。)の、いずれの考え方に近いかを尋ねている。この調査の結果を見ると、1970 年代後半に、「物の豊かさ」と「心の豊かさ」は均衡し、以後、平成において、一貫して「心の豊かさ」を重視した生き方を望む人が多いことが見受けられる。

    次に、内閣府の「社会意識に関する世論調査」では、「日本の国や国民について、誇りに思うことはどんなことか」を尋ねている。

    直近の同調査において選択された上位6 項目について、平成の推移を見ると、本節1.(1)日本人が昔から持つ感性(美意識)で取り上げた、「義理がたさ」「伝統・文化」「自然」に関係する項目はおおむね上昇傾向にあることがわかる。

    また、統計数理研究所の「日本人の国民性調査」では、自分の周りの人は、他人の役に立とうとしていると思うか、それとも自分のことだけに気を配っていると思うかということを尋ねている。

    その結果、「他人の役に立とうとしている」(以下「利他的な人」という。)と回答した割合は、1983 年に24% であったのに対して、2013 年には45% になっており、上昇傾向にある。一方で、「自分のことだけに気を配っている」(以下「利己的な人」という。)と思う人の割合は、1983 年に62% であったのに対して、2013 年には42% まで減少し、2013 年の調査では、調査開始以来、初めて「利他的な人」が「利己的な人」を上回る結果となった。平成の度重なる自然災害や不況を経て、他者を思いやり、周りの人々との関係を大切にするなどの「義理がたさ」や「和」を重視する人が増えてきていると考えられる。

    前述の国土交通省の国民意識調査では、今後の社会のあり方において、日本人が昔から持つ「義理がたさ」「伝統・文化」「和」「自然」のような感性(美意識)を重視すべきという回答が、8 割程度を占めており、現代の日本人が、昔から持つ感性(美意識)を大切にしようとしていることがうかがえる。

    これらの結果から、平成の人々は、日本人が昔から持つ感性(美意識)等を日本人の誇りとして意識するようになってきており、今後、更に生活の中にそれらの感性(美意識)が取り込まれていくことを望んでいるのではないかと推察される。

    ( 2 )日本人の感性(美意識)の現れ

    (1)で記したように、平成の人々には、昔からある感性(美意識)等を大切にしようとする変化が生まれており、それらは、様々な形で私たちの生活の中に現れてきている。ここでは、その現れとして、いくつかの事例を紹介する。

    (ボランティア活動の広がり)

    1995 年の阪神・淡路大震災の際、復旧・復興の活動に参加したボランティアの数は約137.7 万人とこれまでにない記録となり、同年は「ボランティア元年」とも呼ばれた。さらに、2011 年の東日本大震災では、災害ボランティアセンターを経由せず活動する人を含めると、約550 万人もの人々がボランティア活動に参加したと推計され、多くの民間企業が「ボランティア休暇制度」を導入するきっかけにもなったとされる。ボランティア休暇制度の導入の有無についての企業向けアンケート調査では、2010 年度では回答企業の20% であったが、2011 年度には急増し、回答企業の約50% を超え、以降、現在に至るまでほぼ同じ水準となっている注19。社会全体において、ボランティア活動を支える体制が整ってきているとも言える。

    個人ボランティアの人数については、平成の約30年の間に、おおよそ10 倍に増加しており、その活動の内容は、災害ボランティアに限らず多岐にわたっている。総務省の「平成28 年社会生活基本調査」によると、数あるボランティア活動のうち、「まちづくりのための活動」、
    「子供を対象とした活動」、「安全な生活のための活動」の割合が高く、周りとのつながりや、他者への思いやりが大切であるという意識等からボランティアに参加する人が多いことがうかがえる。

    (消費スタイル)

    野村総合研究所「生活者1 万人アンケート」調査によると、 2000 年から2018 年の間の「消費スタイル」について、購入する際に安さよりも利便性を重視するという「利便性消費」の割合が大きくなっている。一方で、割合の増加が特に大きいものは、自分にとって付加価値が感じられることについて、価格にこだわらないという「プレミアム消費」であることがわかる。人によって「付加価値」と感じることは異なるため、「プレミアム消費」には、個々の感性(美意識)が反映されると考えられる。

    このような中、環境への負荷軽減や、開発途上国支援などにつながることを目指して、商品やサービスを選択的に消費する「倫理的消費」が日本を含め、世界的に広がりはじめている。これは、単なる消費のみならず、社会に貢献できることを「付加価値」として考える人が増加している結果であると推察される。例えば、「倫理的消費」の一つであるフェアトレード注20 について見ると、「国際フェアトレード機構」が定めた基準を満たす製品は、全世界において、 3 万種類以上に及び、2017 年の推定市場規模は1 兆円を超える。日本における同市場の規模は、約120 億円でまだ小さいものの、年々拡大している。

    (盆栽の広がり)

    「盆栽」は中国の唐の時代に日本に伝来した「盆景」が日本独自の文化として発展し、江戸時代には庶民にも広がっていった。しかし、管理・育成に手間や時間がかかること等から、次第に時間の余裕がある高齢者層中心の文化となっていき、国内の愛好家は減少している。

    一方、海外では、「盆栽」は日本の伝統文化を感じられるとともに、芸術性も高いなどの理由から、「ガーデニング文化」が根付いているヨーロッパの人々の間でブームとなり、「BONSAI」という言葉まで生まれた。最近では、その動きは中国を始めとするアジアにも広がっている。

    現在、国内では、変化した生活環境にも適応し、身近に愛でることができる「ミニ盆栽」等がインテリアとして広まり、「盆栽」の良さが改めて認識される兆しがある。また、海外の「BONSAI」ブームが、日本人に日本の伝統文化を見直させるきっかけの一つになったとも考えられる。

    (仏教美術への関心)

    NHK 放送文化研究所「日本人の意識」調査によると、「『日本の古い寺や民家を見ると親しみを感じる』と思う」との回答は約9 割を占め、日本人の伝統的な寺等への関心は総じて高い。

    また、日本人は古来より、仏像を信仰の対象としてだけでなく芸術作品として愛でてきたが、2009 年の「国宝 阿修羅展」(東京国立博物館)を契機として、幅広い層に仏像への関心が広がり、その後も仏教関連の展示イベントは安定した人気を集めている。仏像の楽しみ方は、学びながら鑑賞するものから、誘い合って趣味として鑑賞するものまで、多様に広がっている。

    (食文化の見直し)

    2013 年12 月、「和食;日本人の伝統的な食文化」は、ユネスコ無形文化遺産に登録された。栄養面だけでなく、自然の美しさや季節のうつろい等を表現する「和食」は、既に世界において広く認知されており、観光庁の「訪日外国人消費動向調査」においても、訪日外国人の和食への関心が高いことがうかがえる。

    日本と同様に、食文化がユネスコ無形文化遺産に登録されているフランスでは、子供のうちから食育を行うことにより、フランスの食文化を守っていこうとする取組みが根付いている。日本においても、伝統的な和食について、調理技術の継承だけでなく、歴史的な背景等も踏まえ、文化として体系化することを目指す動きが、研究・教育機関や民間企業が連携すること等により進められている。

    一方、伝統的なものから、手軽なものに形を変えて、現在の日本人の生活に根付いている和食も存在する。例えば、手軽な和食として販売数を伸ばしたのが、コンビニエンスストアのおにぎりである。日本人の米離れが進む中で、1978 年以降、おにぎりは、コンビニの主力商品となり、いまや販売個数は年間推計60 億個に達し注21、日本人に欠かせないファーストフードとなっている。

    また、おにぎりと同様、その手軽さから平成の大ヒット商品となったのが「お茶飲料」である。 1985 年に缶入りの緑茶が発売されて以降、「外で買って飲む」お茶の人気商品が次々と生まれ、緑茶飲料の市場規模は1999 年の1,619 億円から、2017 年には4,400 億円に拡大している注22。

    (花のある風景)

    古来より、日本人は梅や桜の花等の鑑賞を愛好してきた。近年は、栃木県足利市の「あしかがフラワーパーク」の藤、茨城県ひたちなか市の「国営ひたち海浜公園」のネモフィラ等、様々な花の咲き乱れる風景が「絶景」として話題となっている。「あしかがフラワーパーク」については、その藤の花の美しさから、2014 年には米国CNN に「世界の夢の旅行先10 か所」として紹介されたこともきっかけとなり、国内でも大きな注目を集めるようになった。

    花のある風景が、関心を集めるようになった背景には、情報通信技術(ICT)等の進歩によって写真を撮ることが多くの人にとって身近なことになったことが挙げられる。最近では、SNS の普及により、特に写真に特化したSNS「Instagram」での見栄えを意味する「インスタ映え」が若者を中心に重視されるようになった。そのような中、花等の美しい風景・景色が「インスタ映え」する被写体として選ばれており、このことは、「自然を愛でる」ことを好んできた、日本人が昔から持つ感性(美意識)の現れとも考えられる。

    (自然への回帰(住環境の変化))

    高度経済成長期、マンモス団地であった独立行政法人都市再生機構(UR 都市機構)の草加松原団地(埼玉県草加市)は、建物の老朽化が進んだことで、2003 年から建替事業が行われ、豊かな自然環境を残しながら、住みやすいまち「コンフォール松原」に生まれ変わっている。

    以前は、4 つの街区に4 階建、2 階建を中心とする住棟が一律に並んでいたが、現在は、6 階建から14 階建の住棟をバランスよく配置するなど、団地に表情をつくり、景観に変化を与えている。また、既存の動線を継承した緑道や、団地内で成長した樹木を活かした中庭空間等、緑豊かな環境を継承し、「自然」を確保している。同時に団地の中心の通りとなる「緑のプロムナード」に面した場所に集会所等の賑わいを創出するなど「住民のつながり」を重視した配置としている。また、建替前の団地内にあった昔ながらの郵便ポストが保存されるなど、団地の歴史も感じられるデザインとなっている。

    (企業におけるデザイン)

    近年、デザインは、企業の大切にしている価値やそれを実現しようとする意思を表現するためのものとなっており、世界の有力企業の戦略の中心に据えられている。

    マツダ(株)は、「ブランド価値」に焦点をあてた経営の推進を図るため、「デザイン」を経営の柱の一つと位置付け、デザインの理念(ビジョン)を描き、それを商品全体に反映させる戦略を策定しており、ブランドとしての統一感を表現することを目指してい
    る。

    「マツダデザイン」は、日本の美意識を直接的に表現するのではなく、コンセプトに取り入れ、「控えめでありながら豊かな美しさ」を表現することを追求している。例えば、できるだけ省くこと(引くこと)によって、対比的に主体を引き出させる「引き算の美学」により、車体をシンプルかつ繊細なものにするとともに、車体にうつしだされる景色や光の「移ろい」(変化)による美しさを表現しようとするなど、日本人が昔から持つ美意識を取り入れている。こうしたデザインを重視した独自性の高い商品開発は、ブランド価値向上に貢献している。

    「無印良品」は、生活の基本となる本当に必要なものを、本当に必要なかたちでつくることを商品開発の基本としている。「豪華に引け目を感じることなく誇りをもって簡素であること」「無駄を省いていくことによって、豪華なものよりもっと素敵に見える」といった考えを提唱している。

    「無印良品」を企画・製造・販売する(株)良品計画では、外部クリエイターで構成されるアドバイザリーボードを設置し、月に一度、「アドバイザリーミーティング」を開き、経営陣とともに無印良品を取り巻く様々な課題について話し合っている。

    マツダ(株)や(株)良品計画のこうした考えは、消費者に受け入れられている。これには、日本人が昔から持つ「侘び・寂び」のような、時を経たものの表情や、飾りすぎないものに美を認める感性(美意識)に通ずるところも、その理由の一つとしてあるのではないかと推察される。

    (世界的に認められる日本人建築家)

    建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞注23 は、1979 年(昭和54 年)に始まり、以降、8 人(7 組)の日本人が受賞している。そのうち、7 人(6 組)については、平成に入ってからの受賞であり、近年の受賞者数の多さは際立っている。

    それぞれの建築家は、異なる個性を有しているが、その一方で、日本の伝統的建築に内包される日本の感性(美意識)の影響を受けていると言われている。例えば、建物の内外を明確に区別せず境界をあいまいにすることや、建物は恒久的なものではなく、移ろうものという考え方に基づいていること、「侘び・寂び」を表していること等である。2010 年の受賞者注24 の代表作である金沢21 世紀美術館は、「まちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトとし、建物と周囲のまちとの連続性等が重視されている。こうした建築物等は、広く国内外から注目されており、日本人の感性(美意識)が高い評価を受けているとも考えられる。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    理由はどうあれ、こういう馬鹿なことを国家の白書のなかに書いてしまうほど、国家公務員のレベルは低くなってしまった。知的に低いのか、倫理的に低いのか、それとも両方か。まるで大日本帝国末期の役人の文章だ。

    世界中に四季のある国はあり、世界中に四季に敏感な人はいる。日本、日本というのは見苦しい。

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