三浦有史

SNSに上げられる情報の多くは「成功物語」であるため、時として見る人の劣等感を高める。英王立公衆衛生協会(RSPH)は、2017年5月、若者の多くがSNSを通じて不安感、孤独感、劣等感といった負の感情を抱くようになっているとした(RSPH[2017])。中国においても同様の変化が起こり、格差に対する許容度が低下したとしても不思議ではない。この問題は「内巻」や「横たわり」と同じく、共産党が指導する社会からの逸脱、あるいは、指導そのものの拒絶を意味し、共産党にとっては看過出来ない問題である。
この認識は急進的な考えを持つ左派団体のなかで広がり、共同富裕に反する対象や現象への批判を勢いづかせている。批判の対象は、当初は「資本の無秩序な拡大」といった曖昧なものであったが、次第に中性的な男性アイドルをもてはやす番組を制作するテレビ局、オンライン・ゲームを提供するテンセント、「独身の日」というイベントを作り上げたアリババ、そしてそれらを利用する若者といった具体的な組織や集団に向けられ、批判のトーンも強まりつつある。
批判は起業家にも向けられるようになっている。ミネラルウォーターの製造販売で2021年の長者番付で1位となった鍾睒睒氏は(図表21)、同年夏の河南省の洪水に際し2万箱のミネラルウォーターを寄付したものの、「多額の資産を有するわりに寄付が少ない」と揶揄された。図表21のリストに名前が載ることは成功者の証であったが、共同富裕によって寄付を募る「奉加帳」に変質するかもしれない。共同富裕が文革を想起させるのは、左派団体の主張が静かに社会に浸透していく薄気味悪さを多くの人が感じているからである。

2 thoughts on “三浦有史

  1. shinichi Post author

    習近平政権が掲げる「共同富裕」の実像

    by 三浦有史
    日本総合研究所
    https://www.jri.co.jp/file/report/rim/pdf/13190.pdf

    要旨

    1.共同富裕の目的は中間層を厚くすることにあり、消費主導経済への移行、経済発展の質の向上、社会の調和と安定に寄与すると考えられている。共同富裕は、所得格差など急速な経済発展のもとで後回しにされてきた公平性の問題に対する取り組みを通して共産党への信認を高める試みと解釈出来る。

    2.中間層を増やすための分配政策として目立った動きがみられるのは、寄付や慈善によって富裕層の富を移転する3次分配である。税・社会保障や財政支出によって格差を是正する2次分配はメニューこそ多彩であるが、具体化に向けた動きは鈍く、唯一目立つのは不動産税である。

    3.不動産開発、学習支援、ITの3産業は、共同富裕によって「発展論理は大きな変化に直面しており、成長への貢献は低下する」とされた。不動産開発業と学習支援業は家計の住宅および教育支出負担の軽減という観点から、IT産業は政権に対する批判を許さないという政治的な観点、そして、独占的地位の乱用禁止やギグワーカーの権利保護などの経済・社会的な観点から、ターゲットにされたとみられる。

    4.3次分配は、寄付の強要に怯える民営企業が増える一方で、国有企業が枠外に置かれるなど、「国進民退」加速のリスクを内包する。共同富裕を可能にするのはあくまで2次分配であるが、不動産税は導入対象地域が大幅に減少するなど、楽観を許さない。

    5.不動産開発業は、その減退に伴う経済および金融に与えるインパクトがあまりにも大きく、「成長への貢献は低下する」という事態を受け入れ難い。学習支援業についても地下に潜行することで産業として把握しにくくなっただけで、教育支出負担の軽減につながるかは疑問とせざるを得ない。

    6.IT産業については、投資が好調である、あるいは、法整備が一段落したとして規制前の成長軌道に戻ると考えるのは楽観的に過ぎる。プラットフォーマーは権威に対する信認を低下させる、あるいは、伝統的な価値観を破壊する存在と見なされているため、共産党の介入が弱まることはないとみるのが妥当であろう。

    7.習近平政権が成長鈍化を覚悟してまで共同富裕を進める背景には、SNSの発達により格差を測る比較対象が広がり、格差に対する国民の許容度が低下したことがある。これは「内巻」や「横たわり」と同じく、共産党が指導する社会から逸脱する人が増えていることを意味する。共同富裕は、経済成長により共産党への信認を高めるという従来の統治メカニズムが機能しなくなったことに対する危機感の表れでもある。

    8.持ち家比率の上昇に伴い自らを中間層と位置付ける世帯が増える一方、住宅ローンを組むことで以前より生活が苦しくなる世帯が増えている。消費主導経済への移行、経済発展の質の向上、社会の調和と安定により、中国が共同富裕に向けて前進出来るか否かは、住宅価格がどのような軌道を描くかによって左右される。

    はじめに

    習近平政権は、ややゆとりのある生活を意味する「小康」の次に達成すべき目標として「共同富裕」を掲げた。共同富裕は、国民の誰もが豊かさを実感出来る社会を意味し、同政権が高止まりしていた格差の是正に動き出すことを意味する。その一方、同政権は不動産開発、学習支援、ITの3つの産業に対する締め付けを強化しており、2021年8月の中国共産党中央財経委員会(以下、中央財経委員会)では、それら産業の「発展論理は大きな変化に直面しており、成長への貢献は低下する」とした。

    これは、共同富裕によりそれぞれの産業の成長を支えてきたビジネスモデルは今後通用しなくなり、経済成長への寄与度が徐々に低下するであろうという習近平政権の警告にほかならない。実際、この警告は現実のものとなりつつある。経済を支える成長産業にメスを入れること、そして、それに伴う成長の下押しを事前に容認してみせるというのは、極めて異例である。

    習近平政権がそこまでの覚悟を持って取り組む共同富裕とは何か。まず、そのエッセンスと具体的な取り組みを明らかにしたうえで(1.)、ターゲットとなっている各産業でどのような変化が起きているかを整理する(2.)。次に、共同富裕に向けた取り組みは果たして成功するのかを検証する(3.)。そして、習近平政権はなぜ共同富裕を急ぐのかを国民の格差に対する許容度という点から再検討し(4.)、共同富裕を実現する鍵は高すぎる住宅価格の是正にあることを指摘する。

    。。。

    4. なぜ共同富裕なのか─格差に対する許容度の低下

    共同富裕が打ち出されたのは、中間層を厚くし、国民の多くが経済成長の果実を実感出来るようにするためである。しかし、前出の図表11でみたように、中国の所得格差は大きいとはいえ、近年急速に拡大したわけではなく、むしろ緩やかながらも縮小傾向にある。つまり、中間層が急速に薄くなったという事実はない。にもかかわらず、経済の下押し要因になることを覚悟してまで共同富裕を進めようとするのはなぜか。

    この問題は格差に対する国民の許容度という視点からアプローチするとわかりやすい。中国における格差に対する国民の許容度は低下し続けている。所得や資産の格差は数値化出来るが、許容度は心理的な問題であるためそれが難しい。これを明らかにしているのが世界価値観調査(World Values Survey:WVS)である。WVSは、異なる国の人々の文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査する国際プロジェクトで、中国も早い段階から参加している。

    WVSは、「所得はより平等であるべきだ」(スコア1)と「所得は個人の努力に対するインセンティブであるべきだ」(スコア10)という所得格差に対する正反対の見方を示し、回答者がどこに該当するかを選ばせることで、所得格差に対する許容度を測っている。アジア4カ国(中国、日本、韓国、ベトナム)を比較すると、中国だけが過去20年間一貫して所得格差に対する許容度が低下している(図表19)。

    これは、競争に対する許容度が低下していることと符合し(図表20)、中国が競争による優勝劣敗を受け入れにくい社会に変容しつつあることを示唆する。共同富裕は、経済成長により共産党への信認を高めるという従来の統治メカニズムが機能しなくなったことを危惧する習近平政権によって生み出された新たな統治メカニズムでもあると解釈することが可能である。

    所得格差に対する許容度が低下した背景には、格差の重心が所得から資産に移行したこと、そして、SNSなどの発達により格差を測る比較対象が広がったことがあると思われる。2010年に国家統計局が実施した農民工調査では、自らの生活状況の良し悪しを判断する際に選んだ比較対象は、多い順に①同一市内の農民工(23.6%)、②都市戸籍保有者(23.4%)、③故郷の農村の人(19.3%)であった。同様の調査はその後行われていないが、SNSの普及によってこの状況は一変したと考えられる。

    10億人を超えるユーザーを持つテンセントが開発したインスタントメッセンジャーアプリWechat(ウィーチャット)がサービスを開始したのは2011年である。また、5億人を超えるユーザーを持つウェイボがサービスを開始したのは2009年である。中国にはInstagram(インスタグラム)やFacebook(フェイスブック)に相当するSNSも普及しているが、その多くがやはり2010年前後にサービスを開始している。これによりユーザーは不特定多数の人の日常を垣間見ることが出来るようになった。

    SNSに上げられる情報の多くは「成功物語」であるため、時として見る人の劣等感を高める。英王立公衆衛生協会(RSPH)は、2017年5月、若者の多くがSNSを通じて不安感、孤独感、劣等感といった負の感情を抱くようになっているとした(RSPH[2017])。中国においても同様の変化が起こり、格差に対する許容度が低下したとしても不思議ではない。この問題は「内巻」や「横たわり」と同じく、共産党が指導する社会からの逸脱、あるいは、指導そのものの拒絶を意味し、共産党にとっては看過出来ない問題である。

    この認識は急進的な考えを持つ左派団体のなかで広がり、共同富裕に反する対象や現象への批判を勢いづかせている。批判の対象は、当初は「資本の無秩序な拡大」といった曖昧なものであったが、次第に中性的な男性アイドルをもてはやす番組を制作するテレビ局、オンライン・ゲームを提供するテンセント、「独身の日」というイベントを作り上げたアリババ、そしてそれらを利用する若者といった具体的な組織や集団に向けられ、批判のトーンも強まりつつある。

    批判は起業家にも向けられるようになっている。ミネラルウォーターの製造販売で2021年の長者番付で1位となった鍾睒睒氏は(図表21)、同年夏の河南省の洪水に際し2万箱のミネラルウォーターを寄付したものの、「多額の資産を有するわりに寄付が少ない」と揶揄された。図表21のリストに名前が載ることは成功者の証であったが、共同富裕によって寄付を募る「奉加帳」に変質するかもしれない。共同富裕が文革を想起させるのは、左派団体の主張が静かに社会に浸透していく薄気味悪さを多くの人が感じているからである。

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  2. shinichi Post author

    習近平政権が掲げる「共同富裕」の実像

    by 三浦有史
    日本総合研究所
    https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=102085

    共同富裕の目的は中間層を厚くすることにあり、消費主導経済への移行、経済発展の質の向上、社会の調和と安定に寄与すると考えられている。共同富裕は、所得格差など急速な経済発展のもとで後回しにされてきた公平性の問題に対する取り組みを通して共産党への信認を高める試みと解釈出来る。

    中間層を増やすための分配政策として目立った動きがみられるのは、寄付や慈善によって富裕層の富を移転する3次分配である。税・社会保障や財政支出によって格差を是正する2次分配はメニューこそ多彩であるが、具体化に向けた動きは鈍く、唯一目立つのは不動産税である。

    不動産開発、学習支援、ITの3産業は、共同富裕によって「発展論理は大きな変化に直面しており、成長への貢献は低下する」とされた。不動産開発業と学習支援業は家計の住宅および教育支出負担の軽減という観点から、IT産業は政権に対する批判を許さないという政治的な観点、そして、独占的地位の乱用禁止やギグワーカーの権利保護などの経済・社会的な観点から、ターゲットにされたとみられる。

    3次分配は、寄付の強要に怯える民営企業が増える一方で、国有企業が枠外に置かれるなど、「国進民退」加速のリスクを内包する。共同富裕を可能にするのはあくまで2次分配であるが、不動産税は導入対象地域が大幅に減少するなど、楽観を許さない。

    不動産開発業は、その減退に伴う経済および金融に与えるインパクトがあまりにも大きく、「成長への貢献は低下する」という事態を受け入れ難い。学習支援業についても地下に潜行することで産業として把握しにくくなっただけで、教育支出負担の軽減につながるかは疑問とせざるを得ない。

    IT産業については、投資が好調である、あるいは、法整備が一段落したとして規制前の成長軌道に戻ると考えるのは楽観的に過ぎる。プラットフォーマーは権威に対する信認を低下させる、あるいは、伝統的な価値観を破壊する存在と見なされているため、共産党の介入が弱まることはないとみるのが妥当であろう。

    習近平政権が成長鈍化を覚悟してまで共同富裕を進める背景には、SNSの発達により格差を測る比較対象が広がり、格差に対する国民の許容度が低下したことがある。これは「内巻」や「横たわり」と同じく、共産党が指導する社会から逸脱する人が増えていることを意味する。共同富裕は、経済成長により共産党への信認を高めるという従来の統治メカニズムが機能しなくなったことに対する危機感の表れでもある。

    持ち家比率の上昇に伴い自らを中間層と位置付ける世帯が増える一方、住宅ローンを組むことで以前より生活が苦しくなる世帯が増えている。消費主導経済への移行、経済発展の質の向上、社会の調和と安定により、中国が共同富裕に向けて前進出来るか否かは、住宅価格がどのような軌道を描くかによって左右される。

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