沢野咲知子

「体育座り」は、『集団行動指導の手引』において、「姿勢」の項目の中で、「腰をおろして休む姿勢」として示されている。『集団行動指導の手引』が初めて作成されたのは、昭和40年である。この『集団行動指導の手びき』作成の背景は以下の通りである。戦後、教育における軍事色の一掃により戦前の「教練」が禁止される。それによって、学校現場には無秩序がもたらされ昭和21年に「秩序・行進・徒手体操実施に関する件」が出され、再び学校教育に、戦前の行動様式が取り入れられ始めることとなる。そして、昭和28年の学習指導要領で戦後はじめて「集団行動」ということばが取り上げられるが、ここでは行動様式の様式は規定されていなかったため、全国バラバラの集団行動が存在することとなる。そこで、「全国的に統一を」という要望にこたえて、文部省が昭和40年度版『集団行動指導の手びき』を作成した。しかし、ここに示されている行動様式は、戦前の行動様式とほとんど変わっていなかった。その原因は、集団行動の行動様式の方法や内容についての吟味が十分になされていなかったためではないだろうか、と考えられる。
その後、学習指導要領の改訂に伴い、昭和62年度版『体育(保健体育)科における集団行動指導の手引』では、これまで技能の内容として取り扱ってきたものを、態度の内容として位置づけた点、平成5年度版『体育(保健体育)における集団行動指導の手引(改訂版)』では、体育(保健体育)の教科においては、運動の学習との関連を図りながら、基本的な行動様式を体得させるようになった点、特別活動における集団行動指導が強調された点が改訂されたが、戦前とほとんど変わらない行動様式は、大きく変化していないということがいえる。また、『集団行動指導の手引』には、なぜ「体育座り」の姿勢なのか、ということの理由は示されていない。

2 thoughts on “沢野咲知子

  1. shinichi Post author

    小学生の体育座りに関する研究

    by 沢野咲知子

    https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4236&item_no=1&attribute_id=26&file_no=1

    体育の授業や、全校集会、運動会で座るとき、我々はどのような座り方をしてきただろうか。おそらく、「体育座り」を思い描く人が多いだろう。その呼び方は、「体操座り」「三角座り」「お山さん座り」など様々であるようだが、筆者も、幼稚園か小学校の頃にこの座り方を教わり、様々な場面でこの座り方をしてきた。この座り方は、『集団行動指導の手引』の中で、「腰をおろして休む姿勢」として示されている基本的な行動様式の一つである。
    このように、日本では、「体育座り」は学校教育の場面において、当たり前のように行われているが、外国では、「体育座り」はほとんど行われていないようだ。アメリカ、オーストラリア、インドでは教師が「床に座りなさい。」と言うと、子どもたちは胡坐を組み、中国では、正坐、もしくは膝を斜めにした斜め座りをするそうだ。外国では、様々な姿勢がとられているのに、なぜ日本では「体育座り」という決まった座り方が示されているのだろうか。
    そもそも、学校教育の場面において、なぜ「体育座り」が行われているのだろうか。我々「体育座り」をする側は、当然のように行ってきたが、「体育座り」をさせている教師は、何を目的として「体育座り」を子どもたちにさせているのだろうか。「体育座り」が、『集団行動指導の手引』において、「腰をおろして休む姿勢」として示されているように、その目的が、子どもたちを休ませるためであるのならば、もっと楽な姿勢も考えられるだろう。このように、「体育座り」について考えてみると、疑問に思うことがいくつかあることに気づく。これまで当たり前のように行われてきた「体育座り」を見直してみたいと思ったことが、本研究の動機である。

    **

    教師は「体育座り」を当たり前のものとして捉えており、あまり意識せずに子どもたちに「体育座り」をさせている、ということがいえる。しかし、改めて「体育座り」について考えた意見から考察すると、教師は「体育座り」を以下のように捉えているといえる。

    • 体育座り」=きちんとした印象である。
    • 話を聞く上で合理的な座り方であり、集団をまとめる上でも都合の良い座り方である。
    • 姿勢の面から見ると、つらい姿勢なのではないか。
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  2. shinichi Post author

    (sk)

    進駐軍によって戦前の教練が禁止されると
    学校が無秩序になったと思ってしまう日本人

    全国バラバラの集団行動が不安で
    全国的に統一してほしいと要望する日本人

    新しい集団行動指導の手びきを作っても
    戦前の行動様式しか示せない日本人

    自分で考えることができない日本の先生と
    自分で考えようとしない日本の子どもたち

    行動様式が戦前と変わらないことに気づかず
    日本が自由で民主主義の社会だと思っている日本人

    日本が全体主義の国だということに気づき
    軍国主義的なところがたくさん残っていると知らなければ
    日本はいつまでたっても 普通の国になれない
    普通の国になれなければ 世界のなかでやっていけない

    いい国でも悪い国でもなく
    強い国でも弱い国でもなく
    親日でも反日でもない
    住みやすい日本にならないかなあ

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