NHKラジオ(1947年)

世間がやっぱり。
そう。
冷たい目で見るっていうの? だからいつまでも街が抜けられないっての?
そう、それがまぁ… まじめになったところで逆戻りしてね、また帰ってくんのよ、結局。
そうですか。まじめになる気は、もうほとんど、あっても周囲が…。
そうさせない。
ダメだからってわけだね。じゃあ、将来に対する希望なんか持ってないのかね。
そりゃあ人間ですもん、ないってことはないでしょう。

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  1. shinichi Post author

    「そりゃ人間ですもん」NHKに残る終戦直後の未編集音源に衝撃 安倍元首相銃撃にも通じる問題

    (太田奈名子著「占領期ラジオ放送と『マイクの開放』」より抄録)

    日刊スポーツ

    https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202208010000144.html

    <オトナのラジオ暮らし>

    戦争が終わって、ラジオのマイクは、市井の人々の声を伝えるようになった。清泉女子大専任講師の太田奈名子さん(33)は、NHKに残る当時の音源を聴いて、激しく胸を打たれたという。その声は、7月に大きな事件が起きた、今の日本にも通じるのだという。どんな声だったのか。太田さんに聞く。【取材・構成=秋山惣一郎】

    NHKが研究者に向けて過去の音源や映像を公開する「NHK番組アーカイブス学術利用トライアル」という制度を使って、戦後間もないころの未編集のラジオ音源を聴いたのは、今から5年ほど前のことです。

    時は1947年(昭22)4月。雨が降る夜の東京・有楽町。電車の通過音や車のクラクションが省線のガードに反響して、大きな音を立てている。暗闇の中、小型マイクを外套(がいとう)に隠したNHKの藤倉修一アナウンサーは「厚化粧」に「けばけばしい洋服」の「パンパン」と呼ばれる娘たちに近づき、話しかけます。

    背景の音や藤倉アナと娘たちとのやりとりが生々しく聞こえ、視聴ブースの私は、敗戦の闇を抱える有楽町に、体ごと吸い込まれるような感覚に襲われました。

    やがて娘たちから「姐(ねえ)さん」と慕われる19歳の女性と藤倉アナの、こんな会話が聞こえてきます。

    藤倉 将来に対する希望なんか持ってないのかね。

    姐さん そりゃあ人間ですもん、ないってことはないでしょう。

    戦争で家族を失い、家を焼かれたという姐さんの「人間ですもん」という言葉は、75年の時空を超えて私の胸に突き刺さりました。

    この音源は、47年の4月22日に放送されて大反響を呼びます。NHKには「真に私たちの胸を打った」「もはや上滑りな議論や批判では、どうすることもできないものを感じた」といった投書が寄せられました。

    番組は「青少年への警(いまし)め」として放送されたが、意図とは違う形で占領期のリスナーの胸に、さらに現代の私の胸に刺さった。彼女の言葉と、とことん向き合おうと決めました。

    小さなピースを、大きなパズルにはめ込んでみると、全体が動きだす。戦争に負けて占領軍がやってきて、国も社会も大きく変わっていく。そんな時代のパズルに、娘たちと有楽町に群れる姐さんの言葉をはめれば、見えてくるものが必ずある。この直感に、かけてみたかった。

    姐さんがすべてを失った責任は、戦争を引き起こした国家にあります。なのに日本政府も占領軍も助けてくれない。「女性の解放」を名目に公娼(こうしょう)制度を廃止する一方で「自由意思による売春」には目をつぶっている。この放送の11日後、「基本的人権」をうたう日本国憲法が施行されます。でも、姐さんは、自分を守ってくれるのは憲法などではないと、肌で分かっていたはずです。女の子たちは「パンパン」と呼ばれ、白眼視されていたって、私のそばにいてくれる。共に生きている限り、人間ですもん、希望はある。時代の大転換期に、権力者が向き合わない戦禍の生傷と対峙(たいじ)する彼女の叫びが、娘たちとリスナーのやるせなさと共振し、地鳴りのごとき「肉声」となって、私の胸をかきむしったんです。

    これは、戦後間もない占領期の話ですが、現在の問題でもあります。

    7月8日、安倍晋三・元首相が、殺されました。ほどなく「安倍氏の政治信条への恨みではない」という犯人の男の供述が伝えられました。にもかかわらず、参院選投票日の2日前ということもあってか、政治家もコメンテーターも「民主主義の破壊」「言論の自由への挑戦」と口々に非難しました。警察の捜査やメディアの取材が進むにつれ、「宗教」や「母親」が背景にあることが分かってきた。いや、男は最初から「政治絡みじゃない」と言っていましたよね。事件を肯定はしないし、男の擁護もしません。しかし、たとえ殺人犯の話であっても、真摯(しんし)に耳を傾けたい。そういう社会じゃないと、自分の声も、しっかり聴かれなくなってしまうのではないでしょうか。

    姐さんが「人間ですもん」と言い放った放送は「可哀想(かわいそう)な個人」の話として消費され、社会の問題として語られることはありませんでした。安倍氏の事件も「宗教で家族をこじらせた個人」の問題として片付け、社会の矛盾を自己矛盾として葬ってはいけません。独り嘆く「次」なる誰かを抱きとめるために、学者にしかできないことがある。くしくも今回の参院選投票日と同日に母から生を受けた私は、こう考えます。

    ■未編集音源の主なやりとり

    「街頭録音 青少年の不良化をどうして防ぐか その二 ガード下の娘たち」(1947年4月22日放送)の未編集音源(16分36秒)に残る、姐さんと藤倉アナウンサーの主なやりとりは、以下の通り。

    藤倉 みんな両親のない子が多いかしら。

    姐さん 片親のないって子が多いんじゃないのかしらね。両親ないって子は、まぁ少ないんじゃないかしら。私なんかね、戦災で焼かれてさ、本当に両親もね、きょうだいも何にもないわよ。で、まぁ結局、こういうふうにぶらぶらしているけどもねぇえ。

    「ここにいる女の子はみんな、おねえさん、おねえさんって慕ってくれる」という姐さんに、藤倉アナは「そういう子は何人いるか」と尋ねる。

    姐さん ここに全部150人ぐらい、いるんじゃないのかしら。

    藤倉 そういった人の親分なんてのはいるの?

    姐さん …。います。

    藤倉 親分がね、うーん。

    姐さん 姐さんって、やっぱり本当の姉さんじゃなく、おさかず、盃(さかずき)を交わしてね、いわゆる。

    藤倉 盃を交わしてね。

    姐さん だから私たちは、まぁ愚連隊(ぐれんたい)系統の人間なのよ。不良少女ね。

    続いて、藤倉アナは、まじめに働いている人たちに対して、どう思うのか。遊ぶ方がおもしろいという娘が多いのか、と尋ねる。

    姐さん まぁ、何て言うのかしら。でも更生するっていう気持ちがないんじゃあないのよ。

    藤倉 ある?

    姐さん あるんだけどもね、結局みんな続かないんじゃないのかしら。

    藤倉 どうしてだろう。

    姐さん ねぇ、私なんかもねぇ、ずいぶんねぇ、ここの女の子たちをね、堅気にしようと思って、4、5人はマーケットへ勤めさせたりなんかしたわよ。でも結局、周囲の目がねぇ、そういうふうに見ないでしょ。(中略)結局、女の子たちにしてもやっぱり、今までそういうふうに遊んでたっていう気持ちがさぁ頭にあるからさぁ、どうしてもー、こう、ひがんじゃうんじゃないのかしら。

    藤倉 世間がやっぱり。

    姐さん そう。

    藤倉 冷たい目で見るっていうの? だからいつまでも街が抜けられないっての?

    姐さん そう、それがまぁ逆も…(中略)まじめになったところで逆戻りしてね、また帰ってくんのよ、結局。

    藤倉 そうですか。まじめになる気は、もうほとんど、あっても周囲が…。

    姐さん そうさせない。

    藤倉 ダメだからってわけだね。じゃあ、将来に対する希望なんか持ってないのかね。

    姐さん そりゃあ人間ですもん、ないってことはないでしょう。

    藤倉 だけど今は、享楽に夢中になっているっていうわけ? 今は全然、若い子たちじゃないですか。

    姐さん わからないわ。

    藤倉 それはわからない?

    姐さん …。

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