ゴジラ

 
「いやね、原子マグロだ、放射能雨だ。その上、今度はゴジラと来たわ。東京湾にでもあがりこんできたら、いったい、どうなるの」
「まず、真っ先に、君なんか狙われる口だね」
「んー、嫌なこった。せっかく長崎の原爆から命拾いして来た大切な体なんだもの」
「そろそろ、疎開先でも探すとするかな」
「私にも、どっか探しておいてよ」
「あーあ、また、疎開か。まったく嫌だな」
 
 

3 thoughts on “ゴジラ

  1. shinichi Post author

    ゴジラ (1954年の映画)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴジラ_(1954年の映画)

    ある年の8月13日19時5分に小笠原諸島近海の北緯24度東経141度2分付近において南海汽船所属の貨物船「栄光丸」が突然SOSを発信して消息を絶ち、それを受けて現場に急行した同社所属の貨物船「備後丸」も同じ地点で消息不明になる。その後、大戸島の漁船が生存者3名を救助したとの知らせが入るが、その漁船もまた消息を絶つ。やがて漁師の山田政治まさじが大戸島の砂浜に漂着し、「やられただ……船ぐるみ」と言い残して意識を失う。島へ取材に来た毎朝新聞記者の萩原からインタビューを受けた政治は「確かに大きな生き物だった。不漁なのもその生き物が海の中で暴れているせいだ」と語り、島の老漁師は、一連の事態は大戸島に古くから伝わる海の怪物「ゴジラ」の仕業であり、ゴジラは海のものを食い尽くすと陸に上がってきて人間さえも食らうため、昔は若い娘を生贄にして遠い沖へ流すことでゴジラを鎮めていたと言う。その夜、暴風雨の中を何かが重い足音を響かせて島に上陸し、家屋を次々と破壊して住民や家畜を殺戮する。このとき政治と母のくにも押し潰された自宅家屋の下敷きとなってともに命を落とし、政治の弟の新吉だけが助かる。亡くなった政治と「くに」は大戸島の共同墓地に埋葬される。「調査団のメンバーとして大戸島に到着した山根・恵美子・尾形の3人は、まず島の共同墓地を訪れ犠牲者らの冥福を祈る。このとき3人は孤児となった新吉と出会い、政治とくにの卒塔婆に手を合わせる。

    大戸島での大被害を受けて古生物学者の山根恭平博士は至急、調査団を編成して調査する必要があるとの見解を国会で発表し、大戸島への調査団の派遣が決まった。調査団には山根と娘の恵美子、恵美子の恋人で南海サルベージ所長の尾形秀人、物理学者の田辺博士らも参加することになったが、出発の日、大戸島へ向かう海上保安庁の巡視船「しきね」に乗船した恵美子は見送りの人々の中に元婚約者の芹沢大助博士の姿を認める。現地に到着した調査団は破壊された集落の調査を開始。田辺は一部の井戸だけが放射能で汚染されていることを確認し、山根は直径数メートルもある謎の巨大な足跡に絶滅したはずのトリロバイト(三葉虫)を発見する。トリロバイトの個体を見つけて興奮する山根だったが、直後に島の半鐘が鳴り、巨大な生物が八幡山の尾根の向こうで頭をもたげ咆哮するのを目撃する。

    帰京した山根は巨大生物を大戸島の言い伝えによりゴジラと仮称し、巨大な足跡から発見されたトリロバイトとその殻から見つかった岩滓に残留放射能ストロンチウム90が認められたことを根拠に「海底の洞窟に潜んでいた200万年前の侏羅紀の生物が、たび重なる水爆実験のために安住の地を追われたのではないか」とする見解を国会の専門委員会で発表する。その後もゴジラの仕業とみられる船舶の被害が相次いだため、ついに大戸島西方沖へフリゲート艦隊が派遣されゴジラに対する爆雷攻撃が実施された。その様子をテレビニュースで見て、貴重な研究資料であるゴジラを失いたくない山根は胸を痛める。

    そんなある夜、東京湾を周遊中の納涼船「橘丸」の甲板でダンスに興じていた人々が目の前の海面に姿を現したゴジラを目撃し、パニックに陥る事態が発生する。ゴジラ問題を担当する特設災害対策本部は山根を招致してゴジラの生命を断つ方法を訊ねるが、山根は古生物学者の立場から水爆の洗礼を受けてなお生命を保つゴジラを抹殺することは不可能であり、むしろゴジラの生命力を研究することこそが必要であると力説する。一方、「芹沢博士がゴジラ対策につながるプランを完成させているかもしれない」とあるドイツ人が語ったとの情報を毎朝新聞のデスクから聞かされた萩原は恵美子を訪ね、芹沢との面談の仲介を依頼する。芹沢はかつて恵美子と婚約していたが、戦時中に右目を失い、人間不信にも陥って恵美子を遠ざけるようになり、あたかも世捨て人のように自宅地下の実験室に籠る生活を送っていた。恵美子とともに訪ねてきた萩原を芹沢は追い返し、恵美子に他言を固く禁じた上で「ある恐るべき実験」を見せる。それを目にした恵美子は恐怖のあまり悲鳴を上げる。

    その夜、ゴジラが品川沖に現れ、重機関銃で迎撃する防衛隊をものともせずに品川埠頭から品川へ上陸する。山根は防衛隊員に「ゴジラに光を当ててはいけない、怒らせるだけだ」と必死に伝えるが受け入れられず、ゴジラは品川駅構内へ侵入。走行中の国鉄EF58形電気機関車と客車を蹂躙し、品川運転所と京急本線八ツ山橋跨線橋を破壊して東京湾に去っていく。この結果、甚大な被害が出たことにより諸外国の調査団が相次いで来日する事態となった。

    東京湾に潜むゴジラから東京を防衛するため、対策本部は東京湾の海岸線一帯に巨大な有刺鉄条網を張り巡らせて5万ボルトの強力な電流を通じ、ゴジラを感電死させる作戦を実施する。鉄条網の工事が完成して間もなく、ゴジラが芝浦沖に出現。防衛隊は鉄条網の背後に榴弾砲や重機関銃、軽戦車を展開してゴジラを待ち受ける。やがてゴジラは芝浦海岸に上陸し5万ボルトの電流が流れる鉄条網に接触するがびくともせず、ゴジラが口から吐く放射能を帯びた白熱光で送電鉄塔はたちまち赤熱し水飴のように融け落ちる。防衛線を突破したゴジラは第一京浜国道を北上し札の辻で第49戦車隊を全滅させた後銀座へ侵入し、松坂屋・和光ビル・日本劇場・国会議事堂を次々と破壊するとともに大火災を発生させる。さらに実況放送中の報道陣もろとも平河町のテレビ塔をなぎ倒すと、勝鬨橋を横転させ破壊して東京湾に向かう。そこへ到着した防衛隊のF-86F戦闘機隊が追撃を試みるが、ゴジラはそれを振り切って海中へ姿を消す。

    東京は焦土の廃墟と化し、ゴジラによる放射能汚染は幼い子供たちにも及ぶ。恵美子は臨時救護所で被災者たちの救護に当たるが、眼前に展開するあまりにも凄惨な光景に耐え切れなくなり芹沢に見せられた実験の秘密を尾形に明かすことを決意する。それは水中の酸素を一瞬のうちに破壊し尽くしあらゆる生物を窒息死させ、さらに液化する液体中の酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」の実験だった。芹沢は酸素の研究をしていた際、偶然にそれを発見したと言う。尾形と恵美子は芹沢のもとへと向かい、ゴジラを倒すためにそれを使わせてほしいと必死に懇願するが、芹沢は「オキシジェン・デストロイヤーは原水爆に匹敵する恐るべき破壊兵器になり得るものであり、いったんこれを使ったならば世界の為政者たちが看過しているはずはない。彼らは必ず武器として使用するに決まっている」と言い、使用を断固として拒絶する。しかし、テレビに映し出された変わり果てた東京の光景・苦悶する被災者たちの姿・女子学生らによる真摯な「平和への祈り」の斉唱を目の当たりにして心動かされた芹沢は、「今回1回限り」の条件でオキシジェン・デストロイヤーの使用を承諾し、それに関するすべての資料を焼却する。

    海上保安庁の巡視船「しきね」の甲板で、田辺は東京湾に潜むゴジラの所在をつきとめる。芹沢は尾形のサポートを受けて海底に潜り、ゴジラの側まで到達したところで尾形だけを海面へ浮上させゴジラの足元でオキシジェン・デストロイヤーの安全弁を抜いて発生装置を一人で起動する。一瞬のうちに海水が激しく泡立ち、ゴジラが苦しみ始める。成功を確認した芹沢は海底から尾形に別れを告げると自ら命綱・送気管を切断し、自決することで自身だけが知るオキシジェン・デストロイヤーの秘密をこの世から完全に消滅させる。そして、ゴジラも断末魔の悲鳴を残し泡となって消える。

    船上で事態の推移を見守っていた人々が歓喜に湧く中、山根は沈痛な表情で「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」と呟く。人々は静けさを取り戻した海原に敬虔な黙祷を捧げる。

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  2. shinichi Post author

    香山滋『ゴジラ』(奇想天外社 昭和54年8月10日)

    ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

    http://blog.livedoor.jp/bsi2211/archives/51370405.html

       神保町の、三省堂の角の交差点に立って、見上げると大きな広告が眼に入る。イチローのカン・ビールの広告と、その上の松井秀喜のカン・コーヒーの広告である。

       松井の広告は左右2枚で、その真ん中に、なにやら怪物らしい背中? よくよく見たら、ゴジラ! カン・コーヒーの広告に、な、なんでゴジラなんだ!(ダイワ・ハウチュのCMのように声をあげる)と、暫く考えてから、なあんだ、松井=ゴジラか!!と分かった(この間、およそ2分)。

      今回は、地球の終末をテーマにした話を書こうかと思ったけれど、そんなこんなで、ゴジラの話。

      SF映画の傑作『ゴジラ』(監督・本多猪四郎、特撮・円谷英二)が封切られたのは、前回紹介した『空気が無くなる日』と同じ年、つまり、昭和29年11月である。この年の3月には、第五福龍丸が、ビキニ環礁での水爆実験により被曝するという恐ろしい事件が起きた。映画『ゴジラ』は、封切り当時観たけれど、ただただ、ゴジラの破壊力に圧倒されて、ゴジラが水爆と関係があるなんて、すっかり忘れていました。
      
      原作は香山滋。この歳になって初めて小説『ゴジラ』(映画を小説化したもの。写真上・左が表紙、右は裏表紙。装丁:Studio Iwao)を読んだ。それで初めて知ったことが沢山あるんですよ。

      まず、「ゴジラ」というのは、太平洋に浮かぶ小さな島・大戸島に伝わる伝説にでてくる怪獣の名前なんですね。僕は、この怪獣が登場した後で誰かが付けた名前だ、と思い込んでいました。で、ゴジラは、水爆実験によって安住を脅かされたため怒り心頭に発し、東京に上陸して破壊の限りを尽くす、というわけ。ゴジラは、悪の権化なんですね。

      ゴジラ出現の噂が日本中に広まると、京浜線大宮行きの電車の中で、中学生らしい学生が、「いやあねえ……原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラと来たわ」なんて話をしている場面が小説にある。ゴジラは架空の怪獣だとしても、「原子マグロ」というのは、当時、実際に使われた言葉。「原子マグロ」とは、放射能に汚染されたマグロ、という意味で、当時、「当店では『原子マグロ』は買いません 乞うご安心」と張り紙を出した魚屋もあったから。

      ゴジラは、芹沢博士の発明になる「オキシジン・デストロイヤー」によって最後を遂げるが、古生物学者・山根博士は、「……あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない……もし……水爆実験が続けて行われるとしたら……あのゴジラの同類が、まだ世界のどこかへ現れるかもしれない」とつぶやく。今だに核の恐怖が消えない世界、松井・ゴジラの活躍は期待するが、本物のゴジラが日本海あたりに現れる、なんてのは御免こうむりたいね。

      さて。『ゴジラ』の作者・香山滋のデビュー作は探偵雑誌『宝石』昭和22年4号に掲載された「オラン・ペンデクの復讐」。古生物学者・宮川博士が発見した、第4の人類「オラン・ペンデク」の発表会から始まるSFで、ドイルの『失われた世界』を彷彿させるなあ、と思いきや、文中に、「私は嘗てドイルの『ロスト・ワールド』という小説を読んだことがある。」と記されていた。

      小説『ゴジラ』の巻末にある竹内博「香山滋とゴジラ」によると、香山は中学生(旧制)のころ、理学博士・横山又次郎の著書『前世界史』を読んで、古生物、特に恐竜のトリコになり、独学で古生物学をマスターしたというから、ドイルの『失われた世界』を読んだのも当然といえば当然。それに、「オラン・ペンデクの復讐」には、古生物学者・横尾又次郎博士の著書『前世界誌』が登場するから、これは、横山博士へのオマージュであろう。

      そして、翌昭和23年、雑誌「探偵少年」の6月号から、その名も『怪龍島』の連載が始まる。山田眞理夫少年と秘境探検家・川島博士が、太平洋の孤島に向かい、そこで恐竜を発見する物語。その島に住むピグミーの「ムラジ族」(平和を愛する種族)と「バベル族」の戦いが描かれるのは、『失われた世界』と同様だが、2族間の争いも、やがて両者の誤解が解けて平和に暮らすというストーリーは、先に紹介した伴大作『怪獣国探検』(昭和23年)と同様である。

      『怪龍島』も『怪獣国探検』も、戦後3年目の児童向け作品だから、戦争から平和へ、というエンディングになっているのだろう。

    ――と、ここまで書いてきて、前回の映画『空気が無くなる日』が、昭和24年に制作されながら、なぜ、5年も公開されず、『ゴジラ』と同じ29年に公開されたのだろうか?という疑問の一斑が解けるのではないか、と思い至った。

      つまり、水爆という最終兵器を手に入れてしまった人間の恐怖感を『ゴジラ』が描いたのと同様、世界の終末という恐怖感を『空気が無くなる日』も描いているからではないか? まだ戦争の傷跡も生々しい昭和24年に、世界の終末をテーマにしたSF映画を公開するのは時機尚早、「新形式の殺人が次から次と案出された」昭和29年という時代(中井英夫『虚無への供物』の冒頭を思い出して欲しい)の空気にこそ相応しいと判断したのではなかろうか?

      この理由の当否は別にして、2つの優れたSF「パニック」映画が、日本が高度成長期に差しかかる前に公開されたことを、記憶に留めておきたい。  

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  3. shinichi Post author

    ゴジラ、反核の直感が生んだもの

    by 尾関章

    https://ozekibook.com/2022/08/12/ゴジラ、反核の直感が生んだもの/

    今週の書物/
    ●「ゴジラ映画」(谷川建司執筆)
    『昭和史講義【戦後文化篇】(下)』(筒井清忠編、ちくま新書、2022年刊)所収
    ●「G作品検討用台本」
    『ゴジラ』(香山滋著、ちくま文庫、2004年刊)所収

    反核を思う8月。今夏は例年よりもいっそう、その思いが切実なものになっている。世界の一角で、この瞬間にも核兵器が使われるかもしれない軍事行動が進行中だからだ。

    折から、核不拡散条約(NPT)再検討会議が1日からニューヨークの国連本部で開かれている。核兵器保有国に核軍縮交渉を義務づけ、非保有国に核兵器の製造や取得を禁じた条約だ。1970年に発効した。再検討会議は、その実態を点検するのがねらいだ。

    会議の報道でもっとも印象深かったのは、ウクライナ副外相の演説だ。ロシアがウクライナの核関連施設を攻撃したことに触れ、「我々はみな、核保有国が後押しする『核テロリズム』が、どのように現実になったのかを目の当たりにした」と述べた(朝日新聞2022年8月3日付朝刊)。たしかに今回は、原発が軍隊によって占領され、それがあたかも人質のように扱われている。「平和利用」の核が「軍事利用」されたのである。

    この指摘はNPTの弱みを見せつけたように私は思う。NPTは「核軍縮」「核不拡散」だけでなく、「原子力の平和利用」も3本柱の一つにしている。ところがウクライナの状況は、「平和利用」が「軍事利用」に転化されるリスクを浮かびあがらせた。原発は、今回のように占領の恐れがあるだけではない。ミサイル攻撃を受ければ放射性物質が飛散して、それ自体が兵器の役目を果たしてしまうのだ。「軍事」と「平和」の線引きは難しい。

    それにしても「核軍縮」と「核不拡散」になぜ、「原子力の平和利用」がくっつくのか。これは、戦後世界史と深く結びついている。源流は1953年、米国のドワイト・アイゼンハワー大統領が提唱した「平和のための原子力」(“Atoms for Peace”)にあるようだ。核兵器保有国はふやしたくない、先回りして核物質を平和利用するための国際管理体制を整えよう――そんな思惑が感じられる。こうして国際原子力機関(IAEA)が設立された。

    ここには、「軍事利用」は×、「平和利用」は〇という核の二分法がある。だが私たちはそろそろ、この思考の枠組みから脱け出るべきだろう。なぜなら、戦争には「平和利用」の核を「軍事利用」しようという誘惑がつきまとうからだ。さらに核は、「平和利用」であれ「軍事利用」であれ偶発事故を起こす可能性があり、その被害の大きさは計り知れないからだ。私たちは、核そのものの危うさにもっと敏感になるべきではないか。

    で今週は、一つの論考と一つの台本を。論考は「ゴジラ映画」(谷川建司執筆、『昭和史講義【戦後文化篇】(下)』=筒井清忠編、ちくま新書、2022年刊=所収)。台本は「G作品検討用台本」(『ゴジラ』=香山滋著、ちくま文庫、2004年刊=所収)。前者は、ゴジラ映画史を1962年生まれの映画ジャーナリストが振り返った。後者は、映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督、東宝、1954年=一連のゴジラ映画の第1作)の「原作」とされている。

    後者の著者香山(1904~1975)は、大蔵省の役人も経験した異色の作家。「秘境・魔境」や「幻想怪奇」など「現実の埒外にある題材」を好み、「読者に一時のロマンを与えてくれるのが特長であった」と、『ゴジラ』(ちくま文庫)の巻末解説(竹内博執筆)にはある。

    今回の当欄では、戦争が終わってまもなくの日本社会が被爆や被曝をどうとらえていたかを谷川論考から探り、その具体例を香山台本から拾いあげていきたい、と思う。

    谷川論考はまず、映画「ゴジラ」が日本人の被爆被曝体験と不可分であることを強調する。1954年3月、遠洋マグロ漁船第五福竜丸の乗組員が太平洋で米国の水爆実験の放射性降下物を浴び、放射線障害に苦しんでいるという事実が明らかになった。日本人は、広島、長崎に続いて、またもヒバクしたのだ。核兵器反対の市民運動に火がついた。街には「原子マグロ」を恐れる空気も広まった。その年の11月に「ゴジラ」は封切られたのだ。

    香山台本には、日本近海にゴジラが出現したという話題でもちきりの酒場が出てくる。「女」が言う。「原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえこんどは、怪物ゴジラときたわ」。東京湾に現れたらどうなるか、と彼女が「客」に問うと「疎開先でも探すとするか」という答えが返ってくる。「疎開」が10年ほど前の記憶として残っていたこのころ、ゴジラの不気味さは広島、長崎の被爆や第五福竜丸の被曝を人々に想起させるものだったことがわかる。

    谷川論考によれば、「ゴジラ」は東宝にとって社運をかけた一大プロジェクトだった。東宝は1950年代に入ると、戦後燃え盛った労働争議の傷痕が癒え、戦時中の戦争映画で追放されていた幹部も返り咲いて、起死回生を期していた。そこに降ってわいた第五福竜丸事件。幹部たちは太古の恐竜が水爆によって目覚めるという娯楽大作を秘密裏に企画、香山に筋書きを頼んだ。「G作品」はコードネーム。「G」はgiant(巨大)を意味したという。

    それにしても、映画人は機を見るに敏だ。戦時に戦意高揚の作品をつくっていた人々が戦後、核への忌避感に乗じた作品を構想する。その撮影には、戦争映画で特撮を受けもった人材が投入されたという。この点で、映画「ゴジラ」は太平洋戦争と地続きにある。

    谷川論考は、ゴジラを「“被爆者”」と位置づける。その体表に「ケロイド状の皮膚」との類似を見てとるのは「当時の観客にとっては言わずもがなのことだった」。ここで言及されるのが「アサヒグラフ」1952年8月6日号だ。占領が終わって、原爆被害の真相を包み隠さず伝える写真がようやく公開された。そこに、第五福竜丸の報道映像がさらなる追い討ちをかけた。日本人の多くは1954年ごろ、核の怖さを真に実感したのかもしれない。

    香山台本には、古生物学者の山根恭平が娘の恵美子にゴジラの正体を語って聞かせる場面がある。ゴジラはジュラ紀の海棲爬虫類だが、現代まで海底の洞窟などでひっそり生き延びていたという自説を明かして、こう続ける。「水爆実験で、その環境を完全に破壊された」「追い出されたんだ」。それで日本近海にやって来たのだろう。こうしてゴジラは、人類が始めた核兵器開発競争のとばっちりを受けた者として描かれるのである。

    恵美子は父の説に「信じられないわ」と半信半疑だが、父は「物的証拠が、ちゃんと揃っている」と譲らない。ゴジラの体からこぼれ落ちた三葉虫――絶滅したとされている古生物――を調べると、放射性核種のストロンチウム90が検出されたという。

    山根恭平の説明は、記者発表の場でも繰り返される。そこでは、ゴジラ本来の推定生息年代が「侏羅紀(じゅらき)から、次の時代白亜紀にかけて」に広げられ、分類も「海棲爬虫類から、陸生獣類に進化しようとする過程にあった中間型の生物」とされている。

    記者発表で見落とせないのは、ゴジラの体が水爆によって「後天的に放射性因子を帯びた」としていることだ。物質が放射線を受け、自身も放射線を出すようになることを放射化という。山根は、ゴジラが全身から放つ「奇怪な白熱光」をこれで説明しようとしている。

    ゴジラは水爆実験で「安息の地と平穏な暮らしを奪われた」(谷川論考)のだから、核兵器の被害者だ。と同時に「人間の築いた文明を破壊しよう」(同)としている点で加害者でもある。そこでは、被曝するという被害と被曝させるという加害が同居している。香山台本で特筆すべきは、架空の生きものにこの二面性を付与したことだろう。ト書きには、ゴジラを水爆のシンボルにしようという作者の意図が書き込まれた箇所もある。

    谷川論考によると、映画「ゴジラ」には「怪獣王ゴジラ」という改定版がある。米国の映画会社が東宝からフィルムを買い入れて再編集したものだ。2作品を比べると、後者では「ゴジラ自体が“被爆者”に他ならないという見立て」は消え去っているという。

    ゴジラの二面性で思うのは、ウクライナの原発も同様ということだ。攻撃の標的になりかねないという意味では被害者の立場だ。だが、いったん攻撃されたならば、核汚染を引き起こしかねないのだから加害者の側面もある。これが核のリスクというものだ。

    広島、長崎、第五福竜丸。三つのヒバクが直近の出来事だった1950年代半ばの日本社会は、核の本質を直感していた。ゴジラの出現は、そのことを物語っているように思う。

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