眼を醒ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辿り込む孤帆のように、北にむかって静かに流れていた。夜明けが近いのか、暗色に閉ざされていた空は仄かに白み始め、吹雪に包まれた雪景色の単調な描線が闇から浮かび上がってきた。暗澹とした空の下で、しんと澄みきった夜明けの藍色に染まる曠野は、死者たちの瞳に宿る光のように冷やかな深みを感じさせていた。その深みに入ろうとする者は寒冷な大地に自分の内部を晒されて、思わずたじろいでしまうに違いない。雪は死者のたちのために降る。白い世界を走り抜ける列車は、死者たちの無数のまなざしに射竦められて動けなくなる。
実際、さっきから列車が少しも進行しないかと思えるほど、窓外の風景には変化がなかった。雪まじりの凩がごうごうと鳴ると、窓枠の隙間から身をきるような寒気が忍び込み、背筋を伝って足元に抜けていった。私は思わず身震いすると、襟を掻き寄せて首をすっぽり埋め、その温かみの中にかじかむ指先を差し入れた。車輛には暖房が入っていたのに、体内からひろがる悪寒のような冷気がひたひたと波打ち、私の躰を冷たくさせていた。暗闇から抜け出ようとするその列車のように、私もまた暗い二十歳から抜け出ようとしている頃だった。
**
啄木が大逆事件に異常なまでの関心を抱いてその真相を究明したのは、彼が一人のジャーナリストであったためというばかりではないだろう。彼は詩人であったからこそ、国家の犯罪を糺明せずにはいられなかったのではないか。
北帰行
by 外岡秀俊
(1976年/2022年)
雪国を背景に啄木の人生と「私」の青春を、流麗な文体で描いた、急逝した作家・名新聞記者による文学史に燦然と輝く伝説的名作。
2021年の暮れに心不全で亡くなった外岡秀俊の処女作が、2022年に復刊された。
「北帰行」外岡秀俊 大学生作家の鮮烈デビュー
by 中島秀典
(2014年)
https://ameblo.jp/hawks-a-love-love/entry-11175381736.html
朝日新聞、外岡記者が、あの「北帰行」の作家外岡秀俊、であると知ったのは、ある雑誌でのことだった。
新人作家の登竜門「文芸賞」(河出書房出版)を大学生で受賞した外岡秀俊の鮮烈なデビューは今でも記憶しているのだ。
抒情溢れる文章だった。今(当時)は荒削りながら将来は、才能豊かな作家になる、と予想していたファンも多いと思う。
冒頭はこうだ。鮮烈な抒情だ。
「眼を醒ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辿り込む孤帆のように、北にむかって静かに流れていた。夜明けが近いのか、暗色に閉ざされていた空は仄かに白み始め、吹雪に包まれた雪景色の単調な描線が闇から浮かび上がってきた。略 。その深みに入ろうとする者は寒冷な大地に自分の内部を晒されて、思わずたじろいでしまうに違いない。雪は死者のたちのために降る。白い世界を走り抜ける列車は・・・・・」
この小説には、青春の総括があった。主人公は、心と身体に傷をもった青年。
東京から函館まで、石川啄木の人生と自分の旅を重ね、これまでの青春を清算しようとする青年の心、そして恋人との再会と別れ。抒情豊かな青春の物語だった。
しかし、外岡秀俊はこの一作で、消えて行った。余韻を残し、ロマンティックに。
「あの一作しか書けないのか?」と、思っていた人は多いと思う。
その外岡が朝日新聞記者である、と知ったのはあの「噂の真相」という雑誌だった。
ずいぶんたってからだ。
東大法学部を卒業し、朝日新聞社に入社していたのだ。エリートコースだ。
それまで、そういえば朝日新聞の署名記事で「外岡」というのは見た覚えもあった。しかし、それが天才作家のあの外岡秀俊、とは知らなかった・・・・・」。
それもそうだろう。政治記事か外報、外岡特派員、とかの固い記事ばかりだったのだから・・・・。
あの抒情豊かな小説の続編を書いてほしい、と思うのは俺だけではない、と思うのだが。
【下山進=2050年のメディア第12回】
外岡秀俊『北帰行』復刊 46年前のこの小説に新聞社再生のヒントあり
どんな都市でも、表通りを一歩踏み込んで裏街に入れば、隠すことのできない特有の表情を覗かせることだろう。無味乾燥なコンクリートやアスファルトにどうにかして馴染み、根を張ろうとする人々の熱意がその表情に滲み出てくるからだろうか。繁華街も官庁街もホテルもトルコ風呂も警察署も、意図に反して奇妙なかたちになるとはいえ、あくの強いアピールで存在を主張して無名性の波に洗われることを拒否しようとしている。コンクリートへの怖れから原色の都市が生まれ、その多彩な表情を驚く程人間的な翳りの中に溶け込ませる。こうして都市は、無性格に対する恐怖から、苛立ったように自らをきらびやかに飾り立て、生気に満ちた猥雑さに溺れながら人間味を取り戻す。
そのグロテスクなまでの生命力も、淫する者のみが持つ人間臭い弱さも、札幌には感じられない。文字通りに無性格であり、透明な光に包まれた都市なのだ。素気無い程に無関心な表情を見せながらも、それは裏に愛憎を隠し持った強烈な無関心なのではなく、拍子抜けするような質の健やかさなのだろう。