虚構の森(田中淳夫)

 森があれば洪水を防げ、渇水もなくなり、山は崩れない。森は二酸化炭素を吸収して気候変動を抑えてくれる。また森こそ生物多様性を支える存在であり、もっとも大切な自然である。それらを裏返すと、人の営みは常に環境破壊を引き起こす。さらにプラスチックは環境に悪い影響を与え、農薬や除草剤は生態系を狂わせる悪魔の化学物質。
森だけではないが、こうしたステロタイプな環境問題における常識は、本当の問題点を覆い隠す。昨今は国連の定めた温室効果ガスの削減目標やSDGs(持続可能な開発目標)さえ推進すれば(実現すれば、ではない)、地球は安泰だと信じてしまう。
何も「森の常識」を全否定しようというのではない。だが深く考えずに信じてよいのか。何か見落としはないか。常識というバイアス(思い込み)は判断を誤らせないか。
森の世界に長く関わると、ときに「不都合な真実」に触れてしまうことがある。不都合と言うより、森は千差万別であり、融通無碍であり、常にワンダーな感覚に満ちた存在であることに気づくと言った方がよいか。私自身は、その謎だらけで予想を覆す森に惹かれるのだが、世間は固定された森の姿を描きがちだ。そんな「森の常識」を元に環境問題の世論が形成され、政策がつくられているのを見ると、不安を超えた危険性を感じる。

4 thoughts on “虚構の森(田中淳夫)

  1. shinichi Post author

    虚構の森

    by 田中淳夫

    SDGsが大流行の昨今。環境問題の大切さはよくわかっていても、「地球温暖化とCO2排出量は関係ない」「いやある! 」、「緑のダムがあれば洪水や山崩れは防げる」「いや防げない! 」などなど、環境問題に関しては異論だらけで、果たして何が正解かわかりません。さらに地球環境を巡ってはさまざまな“常識”も繰り広げられています。しかし、それをそのまま信じてもいいのでしょうか? 本書は、そうした思い込みに対して、もう一度一つ一つ検証を試みました。「森の常識」を元につくられた〝環境問題の世論″に異論を申し立て、不都合な真実を突きつけた一冊です。

    目次

    はじめに ――森を巡る情報の「罠」

    第1章 虚構のカーボンニュートラル
    1.地球上の森林面積は減少している?
    2.アマゾンは酸素を出す「地球の肺」?
    3.間伐した森は「吸収源」になる?
    4.森林を増やせば気候変動は防げる?
    5.老木は生長しないから伐るべき?
    6.温暖化によって島国は水没する?
    7.砂漠に木を植えて森をつくろう?

    第2章 間違いだらけの森と水と土
    1.「緑のダム」があると渇水しない?
    2.「緑のダム」があると洪水は起きない?
    3.木の根のおかげで山は崩れにくい?
    4.森は降雨から土壌を守ってくれる?
    5.黄砂は昔から親しまれる気象現象?
    6.植物もパンデミックに襲われる?

    第3章 日本の森を巡る幻想
    1.マツタケが採れないのは、森が荒れたから?
    2.古墳と神社の森は昔から手つかず?
    3.日本の「本物の植生」は照葉樹林?
    4.日本の森は開発が進み劣化した?
    5.植林を始めたのは江戸時代から?
    6.生物多様性は安定した環境で高まる?
    7.草原は森より生物多様性は低い?

    第4章 フェイクに化ける里山の自然
    1.ソメイヨシノにサクランボは実るか?
    2.外来草花が日本の自然を浸食する?
    3.堤防に咲く花は、遺伝子組み換え植物?
    4.街路樹は都会のオアシスになる?
    5.ミツバチの価値はハチミツにあり?
    6.外来生物は在来種を駆逐する?

    第5章 花粉症の不都合な真実
    1.造林したからスギ花粉は増えた?
    2.枯れる前のスギは花粉を多く飛ばす?
    3.スギを減らせば花粉も減る?
    4.舗装を剥がせば花粉症は治まる?
    5.花粉症はスギがもたらす日本だけの病?
    6.マイクロプラスチックは花粉症より危険?

    第6章 SDGsの裏に潜む危うさ
    1.桜樹は日本人の心だから保護すべし?
    2.和紙も漆も自然に優しい伝統工芸?
    3.木材を使わない石の紙は環境に優しい?
    4.再生可能エネルギーこそ地球を救う?
    5.パーム油が熱帯雨林を破壊する?
    6.農薬や除草剤は人にも環境にも危険?
    7.人口爆発のため食料危機になる?

    終わりに――行列の後ろを見るために

    Reply
  2. shinichi Post author

    はじめに ――森を巡る情報の「罠」

     母校の大学で講義をする機会があった。森林ジャーナリストとして、学生に話をしてくれと頼まれたので気軽に応じたのである。
     私は農学部林学科出身だが、当時の林学とは林業に関わる学問だった。だが今は、農学部生物資源科学科の中の地球生態環境科学コースで森林を扱う。林業のイメージはかなり薄まり、環境としての森林を学ぶ場になった模様だ。
     何を話したらよいかと考えた。大学の講義といっても、私は研究者ではないから自らの研究内容を話すことはできない。そもそも在学中は留年もした落ちこぼれだ。かといって、学生時代の昔話をしてもウケないだろう。話す方は楽しいが。
     そこで「森林環境を巡る情報リテラシー」というタイトルを掲げた。小難しい言葉を使って大学の講義らしく見せかける魂胆だ。リテラシーは読解力と訳されるが、ようするに報道される情報の読み取り方を伝えようと思ったのである。これならジャーナリストっぽく私の仕事内容に触れられるし、学生には新鮮な話になって格好がつく。
     そこで最初にいくつかの「森を巡る常識」的な質問を投げかけた。たとえば、.
    ・世界の森林は、減少している?
    ・森林は、CO2を吸収し、酸素を放出する?
    ・森林は、水源涵養する(水を溜める)?
    ・森林は、山崩れを防ぐ力がある?
    ・人工林は、天然林より生物多様性が低い?
     などなど。そのほか林業的な項目もいくつか入れたが、世間的には「イエス」と答えるような問いかけだ。教室の学生たちも、だいたい首を縦に振ったように思う。
     そののち、最新研究のニュースや私が取材した現場の話を紹介した。大方、先の質問内容を「ノー」とする内容である。どちらが正解と思うか、とまた問いかけた。
     実は、最初示したのは罠だった。正解を問うているのではない。(学生も含めた)一般人の「森の常識」を揺るがす情報が存在することを知らしめようという魂胆である。
     そして伝えたかったのは、
    ・情報は、多くの媒体から幅広く集める
    ・正反対の情報・意見を知る
    ・第三の意見はないか、と探す
    ・それぞれの情報の背景・エビデンスを考える
    ・森林を巡る(科学)情報は、常に変化すると覚悟する
     である。言い換えると「知ったつもりでいる情報・意見を疑え!」である。幅広く情報を集めて、常識を疑い「もし.だったら」と反実仮想を脳内で行う心構えが必要。だから勉強しろよ、と最後に先輩面することも忘れなかった。

     本書でも、同じことをしてみたくなった。先輩面ではなく反実仮想である。だから学生に投げかけた質問と同じような項目を本書にも入れてある。
     なぜ、そんなことを思いついたかというと、世間の森林に対する目があまりにステロタイプだと感じるからだ。
     森があれば洪水を防げ、渇水もなくなり、山は崩れない。森は二酸化炭素を吸収して気候変動を抑えてくれる。また森こそ生物多様性を支える存在であり、もっとも大切な自然である。それらを裏返すと、人の営みは常に環境破壊を引き起こす。さらにプラスチックは環境に悪い影響を与え、農薬や除草剤は生態系を狂わせる悪魔の化学物質。
     森だけではないが、こうしたステロタイプな環境問題における常識は、本当の問題点を覆い隠す。昨今は国連の定めた温室効果ガスの削減目標やSDGs(持続可能な開発目標)さえ推進すれば(実現すれば、ではない)、地球は安泰だと信じてしまう。
     何も「森の常識」を全否定しようというのではない。だが深く考えずに信じてよいのか。何か見落としはないか。常識というバイアス(思い込み)は判断を誤らせないか。
     森の世界に長く関わると、ときに「不都合な真実」に触れてしまうことがある。不都合と言うより、森は千差万別であり、融通無碍であり、常にワンダーな感覚に満ちた存在であることに気づくと言った方がよいか。私自身は、その謎だらけで予想を覆す森に惹かれるのだが、世間は固定された森の姿を描きがちだ。そんな「森の常識」を元に環境問題の世論が形成され、政策がつくられているのを見ると、不安を超えた危険性を感じる。
     本書では、私の見つけた森に関する異論・異説、意外な現実などを紹介したい。それらは一般に思われている森林とは違った姿だろう。学界で定説(だが、世間ではあまり知られない)の項目もあれば、新説として注目され始めたばかりで、まだ評価が出ていないものもある。とはいえ(地球は温暖化していないなど)陰謀論や政治的プロパガンダ、スピリチュアル系、オカルト系のトンデモ学説からは慎重に距離を置いたつもりだ。
     テーマには、地球的課題である気候変動と生物多様性に関わる森の話題を意識して選んだ。そのほか外来種の侵入など身近な自然の変容、日本の森林の歴史的変遷、植物が人にもたらす被害としての花粉症、日本文化を支える森の産物、そして環境問題に対する政策や報道そのものも取り上げたい。
     自然の変化を何でも環境破壊だと糾弾するつもりはない。反対もある。環境破壊と騒ぐ中には、まったく別の理由で起きたもの、あるいは自然界の正常な営みを人為のせいだと思い込むケースもある。また人が生きるための自然への働きかけを、どこまで否定できるのか迷う。ある程度の「人間の都合」は受容せざるを得ないだろう。
     また「異説への異論」もあるはずだ。その異説を取り上げた私の浅学さもあれば、早合点もあるだろう。科学の新たな知見が過去の定説を否定する可能性だって残される。本書を読んで「こんなもの、異説でも異論でもない。すでに常識だ」という人もいれば、「信じられない。意図的にゆがめられた情報じゃないか」と思う人もいるだろう。ここであっさり異論を信じるのでも否定するのでもなく、さらに深掘りして、本当に正しいのはどちらかチェックしてくれたらよい。それも含めてのリテラシーだ。
     ちなみに学生向けの講義では、概ね私の話した内容を驚いてくれたようである(多分)。この驚きの感覚(センス・オブ・ワンダー)と疑問こそ学問の出発点だ。もし私の提示した異論が、これまで信じていた「森の常識」に疑いを持ち、考察を深めるきっかけになっていれば、私も本当の意味で先輩面ができるのだが。
     本書でも、より広く世間の人々が「森林環境を巡る情報リテラシー」を磨く一助になれば幸いである。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *