北限の出稼ぎの地

明治時代には「北海道落ち」という言葉があった。本州で食いつめた者が、北海道に「落ち延びる」ことを指す。
そして北海道には「樺太落ち」という言葉があった。北海道で食いつめた者が、さらに樺太に「落ち延びる」からである。
樺太は、冬期に零下20度を記録するのが普通の酷寒地であり、流氷のために交通は杜絶する。また水稲栽培が不可能なため、米はすべて移入せざるを得ない。従って物価が非常に高かったといわれる。
その一方で、賃金もまた一般的に高かった。夏期の短い北方では、漁業や土木業など多くの産業が夏に集中せざるを得ない。短期間に多くの人手が必要なため、賃金が高止まりする傾向があった。さらに緯度が高いため、夏の1日は極端に長い。
要するに「きついが金になる」ので、多くの出稼ぎ労働者が、北海道、樺太に渡ったのである。

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