トイランド宝島

「時」は流れ行くものとすると、一本の川の流れのように、社会全体がどの方向に流れて行くのかということを推し量ることは、だれにとってもそう難しいことではありません。しかし、その川の中に浮かんだ一枚の葉っぱを私達一人一人の人生に例えるとするならば、どのようなコースをたどって行くのか?を推し量ることはかなり難しい作業です。

2 thoughts on “トイランド宝島

  1. shinichi Post author

    私達は時に流れに逆らって、また時に淀みながら、結局は大きい流れに従って大海に入ります。
    悠久の時と共に、川の流れは多少変化しますが、「上流から下流へ」、「峡から広へ」という流れは変わりません。ただ、清らかな流れであるのか、または、汚れた川であるのかは、そこに住む人達がそれぞれの役割りを分担して社会を形成し、それぞれの生活を営むかぎり、その川に関わる全ての生活者の共通の責任であり、義務であり、さらにはその結果による恩恵を被る人たちであると思われます。

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