人間性の進化的起源(ケヴィン・レイランド、豊川航)

人間性の進化的起源
なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか
「人間」誕生の交響曲

ダーウィンが『種の起源』の先に求めた、人間の心や文化の進化的起源。この進化生物学最大の難問を解く鍵は動物の模倣行動にあった。

「文化とは何か」「文化はなぜ、どのように変化するのか」という問を突き詰めて考えると、「いつからヒトは文化を持つようになったのか」「ヒト以外の動物にも文化はあるのか」という問題を無視できないことに気付く。

3 thoughts on “人間性の進化的起源(ケヴィン・レイランド、豊川航)

  1. shinichi Post author

    人間性の進化的起源: なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか

    by ケヴィン・レイランド

    translated by 豊川航

    文化とは何か、人文・社会系読者にこそ読んで欲しい一冊。
    ――長谷川眞理子氏(自然人類学者・総合研究大学院大学学長)

    文化のメカニズムから進化まで「文化科学」研究の最前線。
    ――長谷川寿一氏(動物行動学者)

    累積的な文化への道筋は偶然ではない! 「人間」誕生の交響曲。
    ――亀田達也氏(社会心理学者・東京大学教授)

    ダーウィンが『種の起源』の先に求めた、人間の心や文化の進化的起源。この進化生物学最大の難問を解く鍵は動物の模倣行動にあった。

    ヒト以外の動物にも文化はある。だが宇宙ステーションを造ったのは人間だけ。ヒトの何が決定的に他の動物と違うのか。鍵は技術や知識の累積。魚を使う巧みな実験や、世界中の研究者による社会的学習戦略トーナメントで模倣行動の進化を探り、ニッチ構築で知られる著者が研究人生を賭した「文化と人間性の共進化」をスリリングに描く。
    【原著】Kevin N. Laland, Darwin’s Unfinished Symphony:How culture made the human mind(Princeton University Press, 2017)

    【目次】

    日本語版への序文
    はじめに

    PART I 文化の基礎

    第1章 ダーウィンの未完成交響曲
    第2章 ありふれた模倣
    第3章 なぜ他者をまねるのか
    第4章 二種類のトゲウオ
    第5章 創造性のはじまり

    PART II 人間らしさの進化

    第6章 知能の進化
    第7章 忠実な伝達
    第8章 なぜ私たちだけが言語を操るのか
    第9章 遺伝子―文化共進化
    第10章 文明の夜明け
    第11章 協力行動の基盤
    第12章 芸術

    エピローグ 謎が解けても、人間文化のすばらしさは変わらない

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  2. shinichi Post author

    【特別寄稿】人間性の進化的起源 – なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか(出版)

    by 豊川航

    https://chiiki-kassei-jk.com/archives/4255

    日本育ちの私が感じた、ヨーロッパ暮らしの最も新鮮な驚きは、陸続きの国境でした。しかもシェンゲン協定内では人々の往来も自由ですから、少々大げさな県境のようなものにしか見えません。しかし、その「県境」を一歩跨げば、そこには、言葉も違えば、建物の雰囲気も違うし、レストランのメニューも、スーパーで売っているものも違う、外国があります。外国だから当然、文化が全然違う。たとえば、私が暮らす南ドイツのコンスタンツという街はスイスのクロイツリンゲン町と接しており、街の中に歩いて渡れる国境があります。つまり、人々の生活圏はほぼ連続していて、一つの「かたまり」をなしています(実際、上空から見れば一つの街なので、第二次世界大戦下のコンスタンツは「スイス」に化け、空襲を逃れました)。にもかかわらず、国境のこちら側とあちら側では、人々の暮らしや文化は異なります。

    島国育ちの私は、国が違えば文化が違うのは当たり前だと思っていました。しかし、大陸ヨーロッパにおいては、なぜ国や地域で異なる文化が維持されるのか、それは全く自明ではない。むしろ、とても不思議に感じられます。人々が行き交い、混ざり合って暮らしているのに、なぜ文化は一つにまとまってしまわないのでしょうか。これは外国の話に限らず、日本国内でも、地域ごとに様々に異なった風習や言葉、伝統芸能や伝統工芸、特産品やご当地グルメがありますね。ようするに、文化やカルチャーの地域差は、私たちの身の回りの、至るところで経験することができる、いわば「人間文化に広く見られる性質」の一つだと考えられるのです。

    私がこのたび翻訳しました『人間性の進化的起源 – なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか』(ケヴィン・レイランド著、勁草書房)は、そんな人間の特徴である「文化」を、動物行動学、あるいはより広く生物学という切り口から理解することを試みてきたこれまでの科学研究の蓄積をまとめた本です。なぜ生物学?と思われるかもしれません。たしかに文化といえば、普通は、人文学や社会科学の範疇でしょう。ですが、「文化とは何か」「文化はなぜ、どのように変化するのか」という問を突き詰めて考えると、「いつからヒトは文化を持つようになったのか」「ヒト以外の動物にも文化はあるのか」という問題を無視できないことに気付きます。

    たしかに、ジャコモ・プッチーニの『蝶々夫人』を観てうっとりするのは人間だけでしょう。しかし、「文化」は、複雑なオペラに限られるものではありません。ちょっとした方言の違いだって、れっきとした文化の違いとみなすことができます。では、文化ってそもそもなんなのでしょうか。文化と呼べる多種多様なものごとに共通する項を取り出すとすれば、それは「他者から学ぶこと」です。どのような文化的活動も、誰かが、他の誰かから、直接、あるいは間接的に、遺伝子(DNA)によらず継承したものに違いありません。私が話す仙台弁は(だいぶ薄まっている気がしますが)、私の母や友人から受け継いだものですし、母の仙台弁も、祖父母や地域社会から受け継いだものです。受け継がれたのは血がつながっているからではなく、一緒に暮らすなかで、他人を「猿まね」したから。文化が広まるのは、誰かが誰かをまねするからなのです。逆に、誰かをまねして広がるものが、文化なのです。

    そうやって考えると、人間以外に文化があっても不思議ではなくなります。たとえば、酒好きで猿(猩猩)に似た顔立ちの「ショウジョウバエ」というハエは、たいへん鬱陶しい動物ですが、なんと最近の研究で、「猿まね」までこなせることが判明しました。他のメスが桃色のオスを好んで交尾していることを見せつけられると、見ていたメスまで桃色のオスを好むようになるのです。すると、「桃色が魅力的」という好みが、ハエ社会のなかに脈々と継承されます。ハエの文化です。

    動物にも文化があるなら、ではなぜ、「複雑な」文化を創造できたのは人間だけなのでしょうか。この疑問こそ、本当に問うべき問題だったのです。たくさんの動物に文化はあるのに、ウイスキーを飲み、歌い踊り、政治や経済について語り合えるのは人間だけです。本書の後半は、いよいよ最先端の科学研究の成果を総動員しながら、その問題の本質に切り込んでいます。

    本書は、地域活性という目標へなにか直接的に役に立つような本ではありません。しかしながら、たがいに異なる文化を抱く地域社会がなぜ共存しえるのか、その生物学的原理を、ほんのちょっぴり解き明かしてくれます。動物の文化を理解することで、かえって人間のもつ文化的多様性の素晴らしさが浮かび上がってくるのです。

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  3. shinichi Post author

    (sk)

    「人間だけが素晴らしい」という西洋文化のなかで出来上がった「人間中心主義」。

    「人間はちっぽけなものだ」という東洋文化のなかで出来上がった「自然を崇める態度」。

    人間優位の考え方は東洋にはなく、自然と一体となる考え方は西洋にはない。

    この2つの違った「文化」が交わることは、ない。

    西洋文化にとってダーウィンの種の起源はは危険だが、東洋文化にとったはなんでもない。

    西洋文化のなかで「環境危機」は重大な問題だが、東洋文化のなかでは大した問題ではない。
    「地球の環境が人間にとって不都合なものになっても、地球の営みは続く」と考えるからだ。

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