ハッキング

泣いた女が バカなのか 騙した男が 悪いのか
という歌があったけれど
騙したほうが悪いのか 騙されたほうが悪いのか
という議論は 永遠に尽きない

騙したほうが悪いに決まっているのだが
社会はそんなに甘くない
信用してはいけない人を信用したり
嘘を見抜けずに金を払ったりすれば
ひどい結果が待っている

良いことをすれば報われて
悪いことをすれば罰せられると
言われるままに信じてみたいけれど
高級住宅地に並んでいる家々は
悪いことをしなければ手に入るまい

泥棒に入られる方が悪いとか
いじめられた方が悪いとか
悪い人たちが弱者を悪く言う

ふざけるんじゃない
泥棒が悪いに決まっているし
いじめた人が悪いに決まっている
悪い人が悪い
そう言わなければいけない

騙したほうが悪いのだ

**

でも 騙したほうが悪いというような論理は
ハッキングには通じない
ハッキングする方が悪いなんて言っているうちに
ITシステムは次々にハッキングされ
ハッキングされる方が悪いとしか
言いようのない現実が広がっている

ホワイトハット・ハッカーと言われる人がいて
どんな時にも法を守り 倫理に反することはせずに
政府機関や民間企業などのITシステムを守っている

ブラックハット・ハッカーと言われる人もいて
法を破ることも 倫理に反することも 躊躇せず
政府機関や民間企業などのITシステムを攻撃する

グレイハット・ハッカーはその中間で
自分が任されているITシステムを守るためなら
時として法を破り 倫理に反する行動をとる

ホワイトハット・ハッカーに課せられた制約は大きく
ITシステムを防衛しようと思えば
グレイハット・ハッカーにならざるをえない

ホワイトハット・ハッカーは そもそも報酬が少ないし
いい道具と環境が与えられず 技術的に劣ることが多いから
ブラックハット・ハッカーの攻撃を 防ぐことはできない

ホワイトハット・ハッカーを 倫理的なハッカーと呼ぼうと
コンピュータセキュリティの専門家と呼ぼうと
侵入テストを繰り返していれば そうそうホワイトではいられない

ブラックハット・ハッカーの攻撃を防ぐには
ホワイトハット・ハッカーに 法を破り 倫理に反することを許し
ブラックハット・ハッカーの道具や環境以上のものを与えるしかない

いい道具や環境を与えたからといって
ハッキングが防げるわけでもない

こちらのホワイトハット・ハッカーは
あちらにとってはブラックハット・ハッカーで
こちらのブラックハット・ハッカーは
あちらにとってはホワイトハット・ハッカーなのだ

ハッキングは戦いだと心に決めて
味方を守るために戦うしかない
負けた武将が消えるしかなかったように
負けたハッカーは消えるしかない

優秀なハッカーを揃えた集団が
勝ち残っていくという現実から
目をそむけないほうがいい
ハッキングが いい悪いで語られた時代は
もう とうに 終わったのだ
ハッキングは強いほうがいいに決まっている

大自然のなかで

山の空気はきれいで
おいしくて
胸いっぱいに吸い込んでみたら
風の音が聞こえてきて
風の音を聞いていたら
鳥の鳴き声が聞こえてきて
上を見上げたら
葉が輝いていて
立ち止まって辺りを見回す
川が目に入る
水の音に惹かれ
水に近づいてみる
山の水はきれいで
冷たくて
おいしくて
水を眺めていたら
小さなことが どうでもよくなって
先に進む気もなくなって
戻ろうかなと思う
空気を吸い込む
川の水で顔を洗う
笑顔になっているのに気付く
いい気持ちだ
陽の高いうちに戻って
寝転ぶ場所を探そう
そして眠る
なにもかも忘れて眠る
きっとなにもかも許される
きっと

高級車

アメリカや日本の医者は
高級車を乗りまわすけれど
フランスやドイツの医者は
高級車には乗らない
というか 乗れない

日本や中国の坊さまは
高級車を乗り回すけれど
タイやベトナムの坊さまは
高級車には乗らず
やたら 歩き回る

サッカーの一流選手は
高級車を乗り回すけれど
ラグビーの一流選手は
高級車には乗らない
というか 乗れない

ブランド品を持ち歩く女が
一向に減らないように
高級車を乗りまわす男も
一向に減らない

社会の矛盾と混乱が
ブランド品や高級車を生み出している

ブランド品を持つことがクールでないと思われても
ブランド品は減らないし
高級車に乗ることがクールでないと思われても
高級車は減らない

電気自動車とか
エコカーとか
いろいろなクルマが出てきても
高級電気自動車とか
高級エコカーとかが
カタログの端に載っている

でも
君には愛を
ブランド品よりも 高級車よりも
君には 愛が似合う

知ったかぶり

氷期 人間の移動
というウェブページを見つける

アフリカで誕生し、ヨーロッパ、アジアへと拡がっていた現代人の祖先は、氷期にベーリング海峡を渡り、食料となる動物を追って北米大陸へ進出しました。

と書いてある

科学の一部は もう長いあいだ
信じるか 信じないかという
宗教のようになっている
一人の人間が知る由もないことを
どこかから持ってきて
もっともらしく説明する

それは科学でもなんでもない
知ったかぶりの ひけらかし
宗教を広める宣教師のように
検証不可能なことを 正しいと言う

科学を妄信している人たちは
科学を知らない
科学を教えている人たちは
科学的でない

あさましさ

抗がん剤は時代遅れ?アメリカは抗がん剤を使わない治療にシフトしている
というウェブページを見つける

アメリカなどでは、3大治療から免疫や遺伝子医療などの代替療法などにシフトしつつあり、がんの死亡者数が過去20年間で22%以上も減少しています。逆に、3大標準治療に頼りきりの日本では年々がんの死亡者数が増えてきているがん大国になってしまっています。
保険診療を行っている大病院の医師に「最後まで諦めないでなんとかお願いします」と頼むことは、寿命を縮める結果になってしまっているかも知れません。
世の中には、保険診療外ではありますが、副作用がなく、高い効果の見込める治療がいくつも存在しています。今おこなっている治療に疑問を感じたら、患者様を苦しめる結果になる前に一度他の治療を選択肢に入れることをお勧めします。

と書いてある

医学の一部は もう長いあいだ
信じるか 信じないかという
宗教のようになっている
いや 正確に言えば
儲かるか 儲からないかが大事な
宗教ビジネスになっている

研究に没頭する多くの医師たちの脇に
他人の命を弄ぶ医師たちがいて
腕には高級時計が光り
胸ポケットには高級ボールペンが何本も刺さり
ガレージには高級外車が何台か駐車し
豪華マンションには高級家具が置かれ
医学の進歩が それらを支えている

命を弄ぶ医師たちを垣間見て
人間のあさましさを感じる

気が遠くなる話

地球の直径は12,742kmで 人間の大きさの約1千万倍
ウイルスの大きさは0.1ミクロンで 人間の大きさの約1千万分の1
つまり
地球にとっての人間の大きさは
人間にとってのウイルスの大きさ

地球は太陽の大きさの100分の1
昆虫は人間の大きさの100分の1
ウイルスは細菌の大きさの100分の1
だから
細菌から見たウイルスは
人間から見た昆虫や
太陽から見た地球のようなもの

人間は地球の表面の 陸地の一部の住みやすいところに生息し
ウイルスは人間のなかの 呼吸器 消化管 血管 排泄系 生殖系の細胞に生息する

地球上の人間は80億
人ひとりのなかのウイルスは380兆
なんと人ひとりのなかに380兆ものウイルスが生息しているのだ
80億(8 x 10の9乗)と380兆(3.8 x 10の14乗)では比べものにならない

ネズミが100億 コウヨウチョウが150億 ゴキブリは1兆5千億
動物がどれだけいたとしても 鳥がどれだけいたとしても
植物がどれだけあったとしても 海洋生物がどれだけあったとしても
数百兆(10の14乗)を超えることは絶対にない
海や陸にいる動植物プランクトンなどを足していって やっと数百兆を超える
でもアリは 1京匹(10の16乗)もいる
昆虫ぜんぶを合わせると1000京匹(10の19乗)にもなる
昆虫の数は多いように思えるけれど
微生物やウィルスの数に比べればどうっていうことない
地球上の微生物が何百穣(10の30乗)で
ウィルスの総数もそれぐらい
気が遠くなる

 水を大切にする
という
 空気を大切にする
という
 砂を大切にする
という

 水をきれいにする
という
 空気をきれいにする
という でも
 砂をきれいにする
とはいわない

 水が不足する
なんていわない
 空気が不足する
ともいわない でも
 砂が不足する
というのは現実にある

ビルを建てるにも
埋め立てをするにも
砂が要る

世界のあちらこちらが砂漠化し
砂が溢れ出ているけれど
溢れ出た砂は
ビルや埋め立てには使えない

美しい海岸の砂が消え
湖の砂が消え
川の砂が消える

消えた砂は戻らない
ビルに消えた砂も
埋立地に消えた砂も
二度と戻ることはない

八月の熱い砂も 二月の冷たい砂も
戻ってはこない

神のいるところ

放っておくと
草がぼうぼうになる場所で
草を刈り
土をならし
その周りを白い縄で囲ったら
そこだけが神聖に感じられ
神が宿ったと思う

雨が降ると
水を吸い込む

その上に宿った神は
自然の内にいて
心地いい

**

雨が降るたびに
ドロドロになる場所に
水の逃げ道を作り
石を敷きつめ
その上に石を積み上げたら
そこに神が降りてきたように感じ
みんなで神に祈る

雨が降ると
水をはねつける

その上に降りてきた神は
自然の外にいて
気持ちいい

**

長い時を経て
土の上には神社が建ち
石の上には教会が建つ

気が付けば
きまりや形式や権威や嘘が
心の祈りを押しつぶしている

仕方なく神社や教会の外に出て
深く息をする
そして
どこにでもいるという神に
祈る 

古神道

僕は古神道を知らない
 いや 誰も 古神道を知らない

常世といい 現世という
 常世は理想郷で
  現世は理想からほど遠い
 常世は永遠に変わらず
  現世に永遠はない
 常世はなにもかもが完成されていて
  現世ではなにも完成されることがない
 常世はすべてが完璧で
  現世に完璧はない

神がいるという
 尊という神がいる
  人と同じ姿形をしていて 人と同じ心を持つという
 御魂という神もいる
  人の命や人の心のありさま つまり神の心のありさまだという
 御霊という神もいる
  御魂が寄り集まったものとしての神霊のかたちだという

神体があるという
 磐座は神がいる岩や山で
 神籬は神が隠れ住む森や木々で
 巫は神が憑依した人だという

古神道を知ろうとしても 知ることはできない
古神道をわかろうとしても わかることはない
でも と僕が言う
古神道を信じることはできるに違いない

古神道は宗教ではないかもしれない
だって
宗教がこれほどすがすがしいわけがないから
宗教がこんなに優しいわけはないから

やっぱりなあ な人

 従順ならざる唯一の日本人
とか
 マッカーサーを怒鳴りつけた男
とか
 プリンシプルのある男
とか
そんなふうに呼ばれていた 見てくれのいい美男子が
マッカーサーにすり寄るような 読むに耐えない手紙を書いていたり
マッカーサーに相手にされていなかったようなのを知って
ああ やっぱりなあと思う

**

 かつての日本に出たことのない人物
とか
 今後も再生産不可能と思われる人物
とか
 博愛の精神を実践した貧民街の聖者
とか
そんなふうに持ち上げられていた 評判のいい社会事業家が
弱い立場にいる女性たちのことを 多くの欠陥を持っていると決めつけ
わざと悪に接近するような悪魔的なところがあるとか
一種の変成社会における精神分裂病患者であるとか書いたのを見て
ああ やっぱりなあと思う

**

立派な人だと言われる人は
どういうわけか みんな 多かれ少なかれペテン師で
その正体を知るたびに
ああ やっぱりなあと思う

ほんとうにいい人は
立派な人などと呼ばれたりはしない
ほんとうにいい人は
権力から賞をもらったりはしない

権威になってしまった人が
立派な人と呼ばれるのを見ると
なんだかなあ と思う
嘘をつくことと 騙すことしか 能のない人が
きれいごとを言っているのを聞いて
なんだかなあ と思う

やっぱりなあと
なんだかなあが
いいことを 見えなくする
いいことが たくさんあるのに
いい人が たくさんいるのに

喜ぶ

ひとつが終わると
次が始まる

終わることは大事で
終わらなければ
始まるものも始まらない

終わるのは
悲しいことではない
終わるのは多くの場合
いいことでもあるのだ

どんなことにも終わりがある
戦争が終わる
人生が終わる
会社が終わる
国が終わる

入学すれば退学か卒業が
就職すれば退職が
出生すれば死亡が
必ず待っている

何かの終わりが
別のことの始まりになる

始まりは
何かが終わることでやって来る

終わることを
新しいことが始まるのだと思って
喜ぶ

終わってしまえばすべて夢
だから
どんな終わりも
喜ぶ

雨は季節によって違う
春に降る雨
春から夏にかけて降る雨
夏に降る雨
夏から秋にかけて降る雨
秋に降る雨
秋から冬にかけて降る雨
冬に降る雨
冬から春にかけて降る雨
そんな分け方だけでは
とても形容できない

降ったり止んだりの雨
ずっと降り続く雨
雨粒が大きく強い雨
霧のような細かい雨
しとしとと降る雨
雨脚白く降る雨
弱い雨
柔らかい雨
静かに降る雨
激しい雨
横なぐりの雨
篠で突くような雨
月明かりの中の雨
陽に輝く雨
凍りつくような 冷たい雨
たくさんありすぎて
書ききれない

春雨 紅雨 小糠雨 菜種梅雨 発火雨
梅雨 走り梅雨 暴れ梅雨 送り梅雨 返り梅雨
空梅雨 緑雨 五月雨 麦雨 卯の花腐し
白雨 洗車雨 酒涙雨 夕立 神立
秋雨 冷雨 白驟雨 秋黴雨 霧雨
時雨 朝時雨 北時雨 横時雨 村時雨
月時雨 冬時雨 片時雨 氷雨 凍雨
飛雨 小雨 涙雨 天気雨 微雨
鬼雨 驟雨 俄雨 通り雨 村雨
宿雨 陰雨 地雨 霖雨 私雨
翠雨 甘雨 慈雨 喜雨 黒雨
細雨 糠雨 涙雨 豪雨 集中豪雨
雷雨 暴風雨 篠突く雨 繁吹き雨 暮雨
遣らずの雨 日照り雨 巌雨 そぼ降る雨
雨に名前を付けても
すべてを表すことはできない

今日の雨は
暑くも寒くもないなかで
強くもなく弱くもなく
雨粒が大きいわけでも小さいわけでもない
特徴のない普通の雨だけれど
そんな雨も君のうえに降れば
きらきらと輝く
いいことが ありますように

寛容 不寛容

寛容な人とか 不寛容な人とか いうけれど
寛容な人だって 落ち込めば不寛容になるし
不寛容な人も 元気な時は意外と寛容だ

ストレスがなければ寛容でいられるし
どんなピンチもチャンスに変えて
問題が起きても笑っていられる

ストレスを感じればバランスを崩し
傷つき 自信を失い 体調が悪くなる
仕事を続ければ失敗をしてしまう

ストレスが溜まればネガティブになり
楽しくなくなり 自分を責め 落ち込む
仕事ができなくなって追い詰められていく

ストレスで不寛容になるのは防衛本能の表れだから
危機的な状況で不寛容になって ‎自分を守っているのだ
ストレスをなくせば守ることもなくなり 寛容になる

不寛容になったら ストレスを減らす
心身が健やかなら衝突することもなくなり
トラブルも逃げていく

不寛容に気づいたら 休息をとる
反省などしてないで おいしいものをたべる
そして寝る
そうすれば 知らず知らずのうちに 寛容になっていく

もっともそれは一般論で
不寛容が心地いい僕は
寛容な人から離れるようにして日々をすごしている

**

それはそうと 寛大であるということが
 悪いことをした人を 厳しく咎めだてしない
ということだとしたら 寛大は
 悪くない人が 悪い人を 許す
ということになってしまう

許されることのない人に
寛大であるというのは
ただの思い上がりではないか

ただ違うというだけで 酷い目にあっている人に
寛大であるというのは
ただの間違いではないか

**

自分たちのことを寛容だと思いこんでいる人たちが
違うグループの人たちを
不寛容だと決めつける

もし寛容な私たちが
不寛容な人たちに 寛容でい続けたなら
私たちは不寛容な人たちに滅ぼされ
私たちの寛容も消えてゆく

もし必要ならば
たとえ力によってでも
不寛容な人々を抑制しなければならない

不寛容なあの人たちは
寛容な私たちの言うことを
欺瞞だといって批判する
議論に暴力で答えるかもしれない
だから寛容な私たちといえども
不寛容に寛容であってはならないという

自分たちが寛容だと思っている人たちが
不寛容には不寛容で立ち向かうという
不寛容と決めつけられた人たちも
自分たちは寛容だと思っていて
自分たちの寛容を守るために
不寛容と戦うという

寛容なんて はじめから
自分たちのコアに合ったものだけを許すということで
逆に言えば
自分たちのコアに合わないものは許さないということで
だから寛容などという言葉は
宗教のなかに閉じ込めておけばよかったのだ

寛容という言葉のように
正しい顔をして社会を歩き回る言葉が
社会を不寛容にして ほくそ笑んでいる
おぞましいとしか いえない

美しいと感じる

何を美しいと感じるか
キラキラ輝いたものか
渋くて落ち着いたものか
感性は人によって違い
時によっても違う

四季の移り変わりのなかで
いつが美しいと感じるか
花が咲き青葉が繁る頃か
葉が散った静けさの頃か

新しいものが持つ匂いや質感に
清らかさやすがしがしさを感じたり
年月を経たものだけが持つ深みに
余韻や味わいを感じる

誰もが豪華絢爛を好むわけもなく
誰もが風情を感じたいわけでもない

なにもないところに美を感じる人と
なにもないと不安になる人とが
生活を共にすることはできない

人の内面の美しさも一様ではない
誰かにとって美しくても
他の誰かには美しくない
それは外見も内面も同じ

男と女が一緒になるとき
美の感じ方が同じかどうかは
愛しているかや
価値観が同じかより
大事なのかもしれない

君は美しい
内面も外見も

無の縁

無の無限の可能性から生まれる
無の縁の美
どこに行けば 見ることができるのか
どうすれば 見ることができるのか
あるかどうかさえ
わかりはしない

見過ごされ
些細なことと思われ
取るに足らないことと誤解されるほどに
微かで
繊細で
一瞬の美

ものに執着せず
富を求めない
優雅さを持ち
多数の意見だからといって盲目的に従わず
ひとつの考え方に固執しない
柔軟な美

抑制を知り
不便を自然に受け入れ
不確実なことを受け止め
予測できないことを認め
混沌を恐れない
エレガントな美

不完全さ喜ぶ心と
不規則性を選び取る感覚と
留まることのない多様性と
なにごとも完成しない覚悟と
永遠はないのだという認識を合わせて持つ
勇気ある美

無の縁の美を求め
しあわせに近づく
静けさの向こうに
君が見える
幻想か現実か
君が微笑む

エントロピー

思い出を溜めこむ
記憶 写真 書類 領収書 手紙 そしてゴミ

未来を溜めこむ
希望 トイレットペーパー 歯磨きチューブ 水 そして夢

過去が短い若者が
過去を溜めこみ

未来の短い老人が
未来を溜めこむ

アヘン

宗教はアヘンだ
人を惹きつける方法を知っていて
人を離さない方法を知っていて
大きな口を開けて待っている

権力から遠い宗教は
権力から離れて生まれ
権力から弾圧され
その分 強くなり
魅力を増す

権力に近い宗教は
権力にすり寄った宗教だったり
権力が利用した宗教だったり
権力がデザインした宗教だったり
権力が編み出した宗教だったりして
その分 巧妙で
人を惑わす

権力から遠い宗教も
権力に近い宗教も
どちらもアヘンで
どちらも危険だ

音楽ビジネス

音楽がビジネスになり
音楽産業として発展し
毎年 たくさんの新譜が発表され発売されてきた
世界中の売上高は年間2兆円を超え
その半分以上が音楽ストリーミングだ

機器が変わり続け メディアが変わり続け
CDやDVDを買う時代から ダウンロードする時代へ
環境が変わっても 人は新しい曲を作り続け
歌い続け 演奏し続ける

ハードウェアやソフトウェアを使って
誰にでも作曲ができるようになると
どんな曲を作っても
以前作られた曲に似てしまう

毎年 何十万もの曲が編み出され
何百万 何千万もの曲が蓄えられる
音の組み合わせは無限だといっても
もう どんな組み合わせも 独創的とはいえない

コンピュータを使って 新譜に似た古い曲を見つけ出し
新譜の作曲をした人を 著作権侵害で訴えるなどという
新しいナンセンスなビジネスが生まれ
著作権は意味を失う

人は何千年ものあいだ
著作権料など払わずに 歌を歌ってきた
吟遊詩人の歌も ブルースも メロディーは似通っていて
でも それを 誰も おかしいとは言わなかった

聴いた曲が良ければ 歌いたくなるのは自然のこと
コピーだとか 真似たとか 似たものを作ったとか
そんな細かいことは 誰も言わなかった
大らかに笑っていれば それでよかった

自分では何もしないで
なんでもかんでもビジネスにして
カネ儲けをしている人たちに
音楽が乗っ取られてしまった

音楽はビジネスである前に
楽しむもの
楽しむことなくカネ勘定をするのは
音楽への冒涜だ
著作権ビジネスで稼ぐ人たちは
みんな悪魔だ

ビッグデータ

F社が管理するビッグデータに
C社の社員がアクセスした
F社がきちんと管理していなかったために
C社の社員が F社のビッグデータを簡単に手に入れた

C社は手に入れたビッグデータを使い
データマイニング技術をフルに活用し
一人の候補の潜在的な有権者ベースを拡大し
リーダーを選ぶ選挙の結果に影響を与えた

F社が管理していたビッグデータが
C社の社員の手に渡らなければ
違うリーダーが選ばれていたかもしれない

ビッグデータを手にすれば
思いもよらないことができてしまう
そんなことが証明されたわけだ

F社がC社の社員にアクセスさせるために
わざと管理を緩めていたとか
いや C社の社員が不法にアクセスしたのだとか
真相は闇のなかに葬り去られた

F社が悪いにせよ
C社の社員が悪いにせよ
F社がビッグデータを持っているという事実は変わらない
F社がそれを使えば同じことができる

C社でないG社がアクセスしても
P社がアクセスしても
M社がアクセスしても
同じことができる

一企業がビッグデータを持っている
一企業はビッグデータを使って 社会を変えることができる
それがあたりまえだというのか
そんなことが許されていいのか

シノプティコン

検索をする
検索は監視されている
監視は自動的だから
誰も監視に気付かない

発信をする
発信は監視されている
監視は見えてこないから
監視があるとは思わない

監視している人は
ひとりもいない
監視される人が
誰だろうと構わない

僕が検索をすれば
僕に関する情報がたまり
僕が発信をすれば
僕に関する情報がたまる

僕は何者でもないから
僕に関する情報は なんの意味も持たず
僕は何者でもないから
僕に関する情報は 誰にも利用されない

いつまでも 僕が何者でもないことを
そして 僕に関する情報が
いつまでも 意味も持たないことを 祈る
ただ 祈る

パノプティコン

刑務所で囚人を監視する
犯罪者を監視下におけば
労働の習慣が身について
更生が可能になるという

病院では患者を監視する
病人を監視下に置けば
もしもの時に対応できて
病状の悪化が防げるという

工場では工員を監視する
労働者を監視下に置けば
モラルも生産性も向上し
収益が上がるのだという

学校では児童生徒を監視する
子どもたちを監視下に置けば
態度が良くなり 理解度が増し
成績が良くなるのだという

社会ではみんなを監視する
人を監視下に置いておけば
モラルが上がり 犯罪が減り
安全で住みやすくなるという

ネットワークカメラとAIが
人の表情や態度を認識し
考えていることを分析し
危険な人を察知する

国は家族だという国に
国は家族ではないと言ったなら
どんな扱いを受けるのだろう
なにを受け入れればいいのだろう

監視されたくないと思うのは
いけないことなのだろうか
私は危険なのか
私は罰せられるのだろうか

The Diplomat

The future of modern warfare increasingly emphasizes technology, with a fast-emerging field being the artificial intelligence (AI) space. AI is becoming increasingly critical when applied to military applications; a notion China is heavily invested in.

聴きたくない

聴きたくない
Arvo Pärt の Estonian Lullaby も
장하은の Clair de Lune も
矢野沙織の Left Alone も
Dire Straits の Going Home も
なにも聴きたくない
今日は

目を閉じてみる
なにも聞こえてこない
静かだ

いる

内面が外見を しのいでしまえば
野暮ったくなる
外見が内面を しのいでしまえば
薄っぺらくなる
内面も外見も いいのなら それは内面が いいから
内面も外見も ひどいなら それは内面が ひどいから

量が質を超えれば 粗野になり
美が感じられなくなる
質が量を超えれば 派手になり
仁が感じられなくなる
量と質も満足できるのなら 静かにしておけばいい
量も質も満足できないのなら 壊すのもいいだろう

でも じつは
そんなことは どうでもいい
内面も外見も 気にしなくていい
野暮ったくても薄っぺらでもいい
量も質も 気にしなくていい
美も仁も感じられなくていい
君が君のままでいて
そこにいればいい

本のなかの社会

本を読む
 富裕層に富を集中させれば経済が成長する
なんて書いてある
 なんというまやかし
そう思ったら もうその先は読めない

違う本を読む
 豊かさをもたらすのは資本主義なのか コミュニズムなのか
なんていう文章に行き当たる
 えっ その二択?
そんな疑問が頭をかすめ 読むのを止める

今度こそと思いながら 話題の本を広げる
 社会における生産活動の水平的共同管理
なんて書いてあるのを見て 嫌悪感を抱く
 生きていくのに必要とされる様々な生産‣消費活動を行う領域「必然の国」

 芸術 文化 友情 スポーツ等の人間らしい活動を行う領域「自由の国」
も 嫌だ

飲み屋ばかりの「赤羽の国」や 風俗店が並ぶ「西川口の国」のような
猥雑で 垢ぬけていない感じのほうが
「必然の国」や「自由の国」より ずっといい
混んだ飲み屋では 知らない人たちが
からだを斜めにして並んで立っていて(それをダークダックス飲みというらしい)
タバコの吸い殻は床にポイ捨て

正しいことしかしないなんていう人がいないように
悪いことしかしないなんていう人は(たぶん あまり)いない
ひとりひとりが正しさと悪さを身に纏い
立派な人生と サエない人生を 同時に送る
「必然の国」や「自由の国」も特別でなくて
昼しかないような人なんて いなくて
夜しかないような人なんかも いなくて
悩んで生きる普通の人がいるだけ

人が生きている社会は キャピタリズムでもコミュニズムでもない
人が人らしく生きているところに イズムはいらない

聴色

ゆるしいろ という色がある
許色と書く人もいるけれど
なぜか 皆 聴色と書く
紅花で染められた淡い紅色
紅花大一斤で絹一疋が染められ
一般的には一斤染と呼ばれる

昔 紅花はとても貴重で
紅染の値段も 色が濃くなるほど上がり
そのため 濃染の紅色は 禁色と呼ばれ
身分の高い人にしか纏うことがゆるされなかった
薄染の紅色は 聴色と呼ばれ
誰でも纏うことがゆるされた

ゆるすをなぜ 聴すと書くのか
聴くときは 相手の話を真摯に聴く
相手の存在を受け入れる
だから ゆるす
わかったような わからないような

ゆるしいろは 君の色
あれもこれも ゆるしてほしい

そして
いつか
なんでも ゆるせるように なりたい

いろいろな仕事

役に立つ仕事をする 役に立つ人たちがいる
役に立っているのに 収入は少ない
病人を看護したり 老人を介護する仕事
子どもの面倒を見たり 教えたりする仕事
物の移動や修理 発送や配送といった仕事
清掃や整備 メインテナンスにかかわる仕事
大変な仕事をこなすために 真面目な人が利用される

役に立たない仕事をする 役に立たない人たちがいる
何の役にも立たないのに 収入は多い
中抜きをするだけの中間業者
でたらめな仕事を作り出す中間管理職
必要のない書類を作成するオフィスワーカー
読む人のいないプレゼン資料を用意するPRプランナー
でたらめな仕事のためには でたらめな人たちが必要だ

そして 恐ろしい仕事をする 恐ろしい人たちがいる
悪いことをしても それを隠そうとはしない
他人からむしり取ることしか考えていないヘッジファンド・マネジャー
裏を知り トラブルを収入に変える顧問弁護士
1000の話をしても本当の話は3つだけという悪徳不動産業者
持って来る仕事は架空のものばかりというコンサルタント
騙しや ゆすりが あたりまえの 暴力団員
違法 不法 脱法 非合法など ルール違反はおてのものだ

なぜ役に立つ仕事をしている人の収入が
役に立たない仕事をしている人の収入よりすくないのだろ
なぜ恐ろしい仕事をしている人たちの収入は増え続けるのだろう

収入は市場原理で決まるというけれど
そんな教科書に載るようなことは
どの社会にも起きはしない

満足は収入に反比例するというけれど
収入が低ければ満足は得られない
なにかが変だ

エッセンシャル・サービス

エッセンシャル・サービスという不思議な言葉がある
日常生活を送るために必要不可欠なサービスのことだ
エッセンシャル・サービスを担う働き手たちのことを
エッセンシャル・ワーカーといって持ち上げたりする
政府がエッセンシャル・サービスのリストを作ったり
エッセンシャル・ワーカーはこんな人だという時には
政府にとって都合のいいものばかりが並ぶのだけれど
それは果たして社会にとってエッセンシャルだろうか
第二次世界大戦の敗戦を機に作られた枠組みのなかで
老朽化したビュロクラシーは本当にエッセンシャルか
健康 医療 介護といったエッセンシャルなサービスが
健康産業 医療産業 介護産業といった産業に変質して
市場の分析だとか 産業の成長とかを 話し始めたとき
それらはもうエッセンシャルではなくなってしまった
健康食品産業 医療機器産業 福祉機器産業などはもう
本来の目的をどこかに置き忘れ売上だけを考えている
教育産業になった教育はもうエッセンシャルではない
防衛産業になった防衛ももうエッセンシャルではない
生産 流通 配送 交通 電気 ガス 上下水道 通信 金融など
エッセンシャルに見えるものの実態を調査してみると
エッセンシャルでないサービスがたくさん見えてくる
エッセンシャルでないように見えるサービスがじつは
欠く事のできないエッセンシャル・サービスだったり
エッセンシャルに見えるサービスのほとんどがじつは
エッセンシャルでも何でもないサービスだったりする
エッセンシャル‣ワーカー エッセンシャル‣サービス
そういった お上が大好きな言葉に 騙されてはいけない

外部化社会

成長が永遠に続くというまやかしと
持続可能な開発というまぼろしを
どんな言葉でごまかしても
もう誰も信じない

政府がカネを印刷しようが
どんなにカネをばら撒こうが
どんなに投資を喚起しようが
経済成長は起きはしない

持続可能な開発というものが
貧しい人たちからの収奪でしかないと
バレてしまったあとで
なにをどう言いつくろうのか

そう グローバル・ノースの発展のモデルは
どう考えても持続可能ではない
第二次世界大戦後の資本主義の繁栄の後で
奇跡は二度と起きない

天然資源の体系的な開発は 資源のただの乱用だと
産業の発展の代償は 大気と水の汚染だと
グローバルノースの繁栄は グローバルサウスの犠牲の上にあるのだと
みんなが気づいてしまった

すべてを外部に押し付ける外部化社会
悪いことはすべて外部のことにしてしまう
グローバルサウスの富と資源を奪い
労働力や個人の人生のチャンスを奪い続ける

グローバルノースの外部化社会が 良い状態でいられるわけがない
グローバルノースの大多数の人々は 自分たちが裕福だとは思えない
そもそも 自分たちがなにをしているかを 知りはしない
誰の犠牲でいい暮らしが成り立っているのか 気付くことはない

外部化社会なんて望んではいないという
外部化社会は私たちの未来ではないという
いや それは違う
外部化社会は 今の現実だ

災害

南のほうからやってきたフィリピン海プレートが
ユーラシアプレートと北米プレートのあいだに入り込み
東のほうからやってきた太平洋プレートが
北米プレートやフィリピン海プレートの下に沈み込む

大きな大きなプレートが 入り込んだり入り込まれたり
沈み込んだり沈み込まれたりすれば
ひずみが溜まって地震が起きるのもあたりまえ
なんの不思議もない

もっと長い目で見れば 陸と海の様相は大きく変わり
大陸と大陸がぶつかって ひとつになってしまったり
大陸がぷっつりと割れて ぶたつになってしまったり
陸のところが海になり 海のところが陸になるなんて
きっと あたりまえのことなんだろう

ふたつの大陸がぶつかる衝撃は
ひずみが溜まってはねるのとは大違い
大地震と巨大地震の違いは
私たちの想像をはるかに超えている

地球の自転速度は だんだんと遅くなる
長くなった昼は熱帯砂漠のような灼熱の暑さ
長くなった夜は極地のような耐えられない寒さ
海の満ち引きは大きくなって海岸にはいられない
宇宙からの放射線が容赦なく降り注ぎ
生態が変わり 作物は枯れ 鳥も動物も死ぬ

長い目で見れば そして大きな目で見れば
私たちが知っている天災など小さなもの
私たちが知っている人災も
きっと小さなもの

まだ見たことのないような大きな災害を
この目で見たいとは思わないけれど
そう遠くない未来に
どんな災害が起きても
誰も驚いたりはしない

プレート

太平洋プレートは 日本の東に広がり
太平洋のほとんどが その上に広がる
毎年 8センチ 東から西に移動して
日本海溝の下に沈み込む

北米プレートは 日本の北に広がり
カムチャッカ半島 シベリア アラスカ 北米大陸が
その上に乗っている
北海道 東北 関東も
かろうじて その端に乗っている

ユーラシアプレートは 日本の西に広がり
朝鮮半島 中国 ロシア ヨーロッパが
その上に乗っている
中部 関西 中国 四国 九州も
みんな その端に乗っている

フィリピン海プレートは 日本の南に広がり
北米プレートとユーラシアプレートに挟まれるように
地中深く広がり
毎年 7センチ 南から北に移動している
大昔に はるか南にあった島が プレートと共に移動して
ふたつのプレートのあいだに消威するはずだったのが
島が大き過ぎてそのまま残ってしまい
伊豆半島と呼ばれている

プレートのせめぎ合いが
今日も続いている
四方からの押し合いへし合いで
日本列島が悲鳴をあげている

日本海溝という名前の付いた
深い谷の暗い闇が
日本の未来を暗示している

それにしても
とんでもないところに生まれたものだ

理解

薬物を使い続ける人の気持ちを わかってあげることができたなら
止めたいのか続けたいのかだけでも 知ることができたなら
寄り添うことも なにかしてあげることも できるのに
知らん顔をして なにもしない 僕がいる

戦争で戦い続ける人の気持ちを わかってしまったら終わり
戦争とはいえ人に武器を向け 傷つけたり殺したりしとうとする人に
優しくしてあげたり 一緒に飲んだりは できない
知らん顔をして 通り過ぎる 僕がいる

部屋に籠り続ける人の気持ちを わかってあげられればいいのだけれど
人の気持ちはわからないと決めつけて どんなことにも知らんぷり
近づくことも 話を聞いてあげることも できるのに
無関係だからと 自分に言い聞かせている 僕がいる

弱い人に手を差し伸べようとしない僕は 臆病なのかもしれない

誰も悪くはないという僕が 自分も悪くないと言っている
なにもしない僕が ひとりで歩いている

いや まてよ
なにかしてあげるとか 優しくしてあげるとか
話をきいてあげるとか 手を差し伸べるとか
そんなのはみんな 思い上がりじゃないのか
他人に迷惑をかけずに 生きていればいいのではないか

いや いや
そんなことは できるはずもない
他人に迷惑をかけている
他人をわずらわせている

社会的な活動をして 他人のためになにかしようと思った僕が
他人のおかげで生きている
思い上がりは
カッコ悪い

人の心

紀貫之が
 やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける
という
 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり
ともいう

鴨長明が
 ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
という
 淀みに浮かぶうたかたは 久しくとどまりたるためしなし
ともいう

吉田兼好が
 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば
という
 いでやこの世に生れては ねがはしかるべきことこそ多かめれ
ともいう

清少納言が
 春はあけぼの 夏は夜
という
 秋は夕暮れ 冬はつとめて
ともいう

百年経っても 千年経っても
人の暮らしは変わらない
天災や人災は繰り返し
人の心は文字になる

清少納言

春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際 少し明かりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる
夏は夜 月のころはさらなり 闇もなほ 蛍の多く飛びちがひたる また ただ一つ二つなど ほのかにうち光て行くもをかし 雨など降るもをかし
秋は夕暮れ 夕日の差して山の端いと近うなりたるに 烏の寝所へ行くとて 三つ四つ 二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり まいて雁などの連ねたるが いと小さく見ゆるは いとをかし 日入り果てて 風の音 虫の音など はた言ふべきにあらず
冬はつとめて 雪の降りたるは言ふべきにもあらず 霜のいと白きも またさらでもいと寒きに 火など急ぎおこして 炭持て渡るも いとつきづきし 昼になりて ぬるくゆるびもていけば 火桶の火も 白き灰がちになりてわろし

吉田兼好

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
いでやこの世に生れては、ねがはしかるべきことこそ多かめれ。みかどの御位はいともかしこし。竹の園生のすゑばまで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御ありさまはさらなり、たゞ人も舍人などたまはるきははゆゝしと見ゆ。そのこうまごまでははふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつゝ時にあひ、したり顏なるも、みづからはいみじと思ふらめどいと口をし。法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木のはしのやうに思はるゝよ」と淸少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうにのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。增賀ひじりのいひけむやうに、名聞ぐるしく、佛の御をしへにたがふらむとぞ覺ゆる。ひたぶるの世すて人は、なかなかあらまほしきかたもありなむ。人はかたちありさまの勝れたらむこそあらまほしかるべけれ。ものうちいひたる聞きにくからず、あいぎやうありて詞多からぬこそあかずむかはまほしけれ。めでたしと見る人の心おとりせらるゝ、本性見えむこそ口をしかるべけれ。しなかたちこそ生れつきたらめ、心はなどかかしこきよりかしこきにもうつさばうつらざらむ。かたち心ざまよき人も、ざえなくなりぬれば、しなくだり、顏にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそほいなきわざなれ。ありたきことは、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また有職に公事のかた、人のかゞみならむこそいみじかるべけれ。手などつたなからずはしりがき、聲をかくして拍子とり、いたましうするものから、げこならぬこそをのこはよけれ。

鴨長明

ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくのごとし   たましきの都のうちに 棟を並べ 甍を争へる 高き 卑しき 人のすまひは 世々を経て尽きせぬものなれど これをまことかと尋ぬれば 昔ありし家はまれなり あるいは去年焼けて今年作れり あるいは大家滅びて小家となる 住む人もこれに同じ 所も変はらず 人も多かれど いにしへ見し人は 二 三十人が中に わづかにひとりふたりなり 朝に死に 夕べに生まるるならひ ただ水のあわにぞ似たりける 知らず 生まれ死ぬる人 いづかたより来たりて いづかたへか去る また知らず 仮の宿り たがためにか心を悩まし 何によりてか目を喜ばしむる その あるじとすみかと 無常を争ふさま いはば朝顔の露に異ならず あるいは露落ちて花残れり 残るといへども朝日に枯れぬ あるいは花しぼみて露なほ消えず 消えずといへども夕べを待つことなし

紀貫之

やまとうたは 人のこころをたねとして よろづのことのはとぞなれりける よの中にあるひとことわざしげきものなれば 心におもふ事を みるものきくものにつけていひいだせるなり はなになくうぐひす みづにすむかはづのこゑをきけば いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける ちからをもいれずしてあめつちをうごかし めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ をとこをむなのなかをもやはらげ たけきもののふのこころをもなぐさむるはうたなり このうた あめつちのひらけはじまりけるよりいできにけり しかあれども よにつたはれることは ひさかたのあめにしては したてるひめにはじまり あらがねのつちにしては すさのをのみことよりぞおこりける ちはやぶるかみよには うたのもじもさだまらず すなほにして ことのこころわきがたかりけらし 人のよとなりて すさのをのみことよりぞ みそもじあまりひともじはよみける かくてぞはなをめで とりをうらやみ かすみをあはれび つゆをかなしぶこころことばおほく さまざまになりにける とほきところもいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり たかき山もふもとのちりひぢよりなりて あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに このうたもかくのごとくなるべし 

お金

フランシス・ジャムの短編に
120年前のフランスで
貧しい一家がお金を貯めて
馬車に乗ろうとしたのだけれど
一台の馬車も止まってくれなかった
という話がある

ジョージ・スティーヴンスの映画に
90年前のアメリカで
メキシコ人の嫁が
白人一家とレストランに入ると
出ていけと言われてしまう
というシーンがある

ダニエル・バックマンの報告に
60年前のロシアでは
たとえお金を持っていても
党員でなければ
いいレストランで食事をすることができない
という記述がある

誰でもが お金を持ってさえいれば
経済的自由を与えられ
なんでもできる社会というのは
歴史上 そんなにあるものではない

みんながある程度のお金を持ち
なんでもでき 自由も手に入る
そんな社会で暮らす
君と暮らす

がん治療

がんに罹ると
好むと好まざるとにかかわらず
生存率という確率のことを
深刻な顔をした医者から聞かされる
あなたの5年後の生存確率は何%とか
あなたの10年後の生存確率は何%とか
知りたくないのに聞かされる
確率を知って何になる
確率どおりに死ぬ人なんて そうはいないのに

生存確率は
余命に似ていて
あなたは69歳で男だから
あと20年生きることができます
ただしそれはあくまで平均で
あなたは平均より長く生きるかもしれないし
平均よりずっとはやく死ぬかもしれません
そんなことを知って何になる
どうせいつかは死ぬというのに

がんの手術にはリスクが付きまとう
手術ミスもあるだろう
手術中の術死だって少なからずある
手術が成功しても 後遺症が残ることもある
切り取った臓器がなくなったのだから 臓器不全も起きる
手術のストレスから 免疫力が低下する
切り取ったところに大量の活性酸素が発生し 全身の組織を攻撃する
見えないがんが残存し かえってがんが暴れだす
メスを入れることでがん組織を破壊して がんが転移する可能性も高い
がんの手術を前にすると
リスクばかりが浮かんでくる

先進国といわれる国では
抗がん剤は増がん剤だと見限られている
先進国では 抗がん剤はがんを治す上で無意味であると
思われている
抗がん剤を3種類使うとがんは小さくなるが
寿命は7~10倍短くなる
抗がん剤は がん細胞により効く時は劇的に効く
でも 抗がん剤は そのほとんどが劇薬か毒薬で
効かなかった場合は すぐに抗がん剤の使用を止め
違う治療を模索するほうがいい
完治に向けた抗がん剤の使用ならともかく
延命に向けた抗がん剤の治療は寿命を縮める

他の先進国で起きていることと
この島国で起きていることが
あんまりにも かけ離れていると
どうしても言葉が溢れ出す
余計なことと思いながら
嫌われると知りながら
今日も余計なことを書く

不動産投資というゲーム

不動産投資というゲームがあって
多くの人がのめり込んでゆく
入居者が入らない空室リスク
入居者による家賃滞納リスク
価格が低下する価格変動リスク
少し考えただけでもリスクは多い

でもそんなリスクは
日本という国にいるリスクに比べれば
ほんのささやかなリスクでしかない

現在の日本国の負債は
敗戦時の大日本帝国の負債と比べて2~3倍
国がいつ崩壊してもおかしくないのに
みんなで安全だ安心だと合唱している
人災と天災が勢揃いした国にいて
人災にも天災にも
みんなで気づかぬふりをする

そんな国にいる個人の財産がどうなるかは
明治維新のときのことや
敗戦の時のことを考えれば
想像がつく

実際 日本の経済の破綻は
1791年(寛政の改革)1868年(明治維新)1945年(敗戦)と
77年おきに起きてきていて
次は2022年
なんと来年だ
たとえ来年でないとしても いつかは必ず破綻する

破綻すると どうなるか
1945年を例にとって考えると
まず 戦時補償債務は実質的には支払わないという御触れが
政府への戦時補償請求権に税率100%で課税するというやり方で出る
次に1回限りの財産税が課せられる
1946年3月3日時点で国内に居住する個人に
税率25%から90%の財産税が課せられ
銀行預金 郵便貯金 土地 家屋 株式 国債が取り上げられ
金銭納付が困難な場合には物納させられる
不動産投資をしていた人の財産は
あっという間にゼロになる

事情は明治維新の時も同じ
地租改正といって土地を取り上げた
江戸時代もその前も同じ
忘れた頃に 人々から
すべてのものを取り上げる
7世紀の大化の改新の頃からずっと
千年以上にわたって
個人の土地や財産を取り上げ続けてきた国に
なにを期待するというのか

フランスに土地や家を持てば
いつフランス政府に取り上げられても文句は言えない
そういう法体系なのだ
フランスは収奪を隠したりはしない
でも時が経てば
たとえ壊されていたとしても
取り上げたものは戻ってくる

スイスに土地や家を持てば
自分のものだと思えるけれど
払えないような額の税金がのしかかる
仕方なく銀行でローンを組めば
税金は安くなるけれど
緊急時には所有権が国に移る
それでも取り上げられたりすることはない

日本 日本 と言う人たちが
不動産投資というゲームにのめり込む
いつか全部取られてしまうことを
知ってか知らずか
熱心にそして真面目に
ゲームに参加している

SNSの罠

誰々が近況を投稿しましたとか
誰々がリンクをシェアしましたとかいって
私たちは SNSに誘われる
花に誘われるミツバチのように
儲け話に誘われる貧しい人のように
SNSに誘い込まれる

誰の近況ならクリックするだろうとか
誰のリンクのシェアなら興味を持つだろうとかを
AIがよく知っていて
気が付けば
私は SNSのなかにいる

中に入った私にも
AIはまとわりつく
画面の端の文字や写真が
私の興味を誘う
リンクをクリックする
その先でまたクリックする
一度誘い込まれたら
なかなか出てこられない

Facebookも Twitterも Instagramも YouTubeも LINEも同じ
誘い込んだ者たちを
どれだけ長いあいだ留めておくかという競争が
人をゾンビ化してしまう

SNSの先には人がいて
私たちは人に誘われる
でもその誘いは
人の誘いではなく
AIの誘い
計算された誘いなのだ

酒の誘いに負けず
麻薬の誘いにも
ギャンブルの誘いにも負けなかった人たちが
SNSの誘いには易々と乗る

SNSの罠は
AIの罠
私たちをどこに導くのか
見えてこない
私たちがどこに行くのか
誰も知らない

大いなる無駄

無駄をなくしていったら
なにも動かなくなった

仕方なく無駄を戻していったけど
なにも元に戻らなかった

一度失くしてしまった無駄は
二度と戻らない

しなやかさも 大らかさも
戻ってはこない

社会インフラ

社会インフラという言葉がある
まず頭に浮かぶのがコンクリートにケーブル
上下水道管 電線 ガス管 道路 鉄道 通信網
橋 トンネル ダム 港湾 工場 商店 食堂 銭湯
学校 病院 図書館 住宅 集会所 公園
競技場 美術館 劇場 音楽ホール

社会インフラは 後世に遺跡として残る
闘技場や劇場が残っていれば
格闘技や演劇が盛んだったのだろうと想う
公共浴場が残っていれば
落ち着いた社会を思い浮かべる
巨大な壁が続けば 外敵が思い浮かばれ
城や神社仏閣からは 権力が偲ばれる

遺跡は そこにいた人たちが
どんな人たちだったのかを語る
何を大切にしていたのか
どんな社会を作りたかったのか
そんな諸々を 見せてくれる
上下水道管が陶器でできていて
そのひとつひとつに花が描かれていれば
心豊かな人たちを想像するし
図書館の棚が延々と続いていれば
本を愛した人たちが浮かんでくる

どんな社会も永遠には続かず
最後は必ず滅びる
豊かな社会も貧しい社会も
最後は必ず滅びる
社会インフラは必ず老朽化し
そして朽ちる
でもだからといって
社会インフラが疎かにされるのは悲しい

個人の場所しかなくて
みんなの場所がないのは悲しい
海辺や湖畔が外の人たちに占領され
地元の人たちが行けないというのはおかしい
個人の図書館しかなくて
みんなの図書館がないのは悲しい
スポーツや音楽が金持ちだけのものになり
普通の人たちが楽しめないのはおかしい

学校が消えて予備校が残り
学ぶことがなくなり受験テクニックだけが生き延びる
農業や工業が消えて商業と金融が残り
サービスとマネーゲームだけが栄える
人々の心がすさみ
社会インフラは立ち行かなくなる
人々の心がなくなってゆけば
社会インフラは消えてゆく

どんなこともカネに換算され
なにをするにもカネが要る
息をするのにもカネの要る社会が
目の前まで来ている

Eric Klinenberg

Infrastructure, at its most fundamental level, is not about roads and bridges, cable and concrete. It’s about who we are, what we value and what kind of society we want to create.

川の思い出

立会川にボールを落とし
拾うために
下流に向かって歩く
川の流れは
小さな子どもが追えるほどに緩やかで
次の橋で拾おうと
子どもなりに必死で
気付けば西小山
諦めて帰る川の長いこと

呑川の桜の下を歩き
小学校の先生の説明を聞く
花の色 川の音
空の色 風の音
先生の説明は耳に入らず
列をなす友だちから離れ
気配を消し
気付けばひとり
学校に帰る道の心細いこと

石神井川沿いの荒れ地に
サッカーボールを探しに行き
蛇に出くわしたこと
渋谷川にも 目黒川にも
烏山川にも 北沢川にも
野川にも 仙川にも
神田川にも 千川にも
多摩川にも 隅田川にも
荒川にも 江戸川にも
思い出が詰まっている

なぜ思い出は
川に結びついているのだろう
数限りない どうでもいい思い出が
水に流されることなく
川の岸辺に残っている
暗渠になって川は消えても
思い出は消えずにいる

国立がん研究センター

2008年にがんと診断された患者の10年生存率

  • 胃がん:66.0%(ステージ I:90.9%、II:59.3%、III:34.6%、IV:6.9%)
  • 大腸がん:67.2%(ステージ I:93.6%、II:83.9%、III:69.4%、IV:11.6%)
  • 肝細胞がん:21.8%(ステージ I:33.4%、II:18.9%、III:9.2%、IV:2.2%)
  • 肝内胆管がん:10.9%(ステージ I:32.1%、II:29.5%、III:8.1%、IV:0.0%)
  • 小細胞肺がん:9.1%(ステージ I:35.7%、II:18.9%、III:11.6%、IV:1.8%)
  • 非小細胞肺がん:34.5%(ステージ I:72.4%、II:35.2%、III:13.5%、IV:2.0%)
  • 乳がん(女性):87.5%(ステージ I:99.1%、II:90.4%、III:68.3%、IV:16.0%)

全がんで見ると、3年生存率は73.6%、5年生存率は67.3%、10生存率は59.4%

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遺伝子組み換え作物

遺伝子組み換えと関係のないものだけを
食べていたいと思っても
なかなか そうはいかない
輸入されたトウモロコシのほとんどは
遺伝子組み換え作物といわれ
そのほとんどが
牛や豚や鶏などの飼料に使われ
私たちはその肉を食べる

遺伝子組み換えのトウモロコシは
コーンフレークになり
私たちの口に入る
コーン油になり
ハンバーガー フライドチキン
ドーナツ ピザ 餃子 と
次々と口に入る

コーンスターチになり
食べもののなかに入り
飲みもののなかに入り
化粧品のなかに入り
医薬品のなかに入りして
私たちのからだのなかに入る

遺伝子組み換え作物のない暮らしなど
誰にもできはしない
オーガニック食品の信奉者たちが
遺伝子組み換え作物に No を突き付けても
それは ヒポクリットでしかない

出来上がったシステムは
あまりにも複雑で
なにが良くてなにが悪いのか
誰にも判断できない

Peter Ward

People commonly assume that our species has evolved very little since prehistoric times. Yet new studies using genetic information from populations around the globe suggest that the pace of human evolution increased with the advent of agriculture and cities.
If we are still evolving, what might our species look like in a millennium should we survive whatever environmental and social surprises are in store for us? Speculation ranges from the hopeful to the dystopian.

Kurt Streeter

Into this troubled environment, 11,000 athletes from all corners of the globe will descend, along with coaches, officials, Olympic support staff, media workers and more. The Tokyo Games could end up being a three-week superspreader event that leads to death and illness across Japan and far beyond.

人の進化

人は言葉を獲得し
意思の疎通がうまくなり
あらゆる敵を打ち倒し
怯えずに暮らすようになった

人の体温は下がり
骨は軽くなり
必要なカロリーは減り
遺伝子が変わる

人の活動が狩猟から農耕になると
遊牧民だった人たちは農民になり
獲物を追っての旅は終わりを告げ
慣れた土地での繰り返しが始まる

人の体温はさらに下がり
骨はもっと軽くなり
必要なカロリーは際限なく減り続け
遺伝子がまた変わってゆく

活動の場所が農地からオフィスに移ると
農民だった人たちはオフィスワーカーになり
土に親しむ暮らしは終わりを告げ
ビルのなかでの繰り返しが始まる

人の体温は下がり続け
骨は軽くなり続け
必要なカロリーは減り続け
遺伝子が変わり続ける

オフィスに行かなくてもよくなって
みんながリモートで働くようになり
会うことも話すこともなくなって
リアルかバーチャルかわからなくなる

人の体温は極限まで下がり
骨はもっともっと軽くなり
必要なカロリーはとても少なくなり
遺伝子が大きく変わる

動物を追うことなどない
苗を植えることもない
他人と交わることもない
人は もう人ではない

自然から遠ざかった人が
どこに向かっているのか
どのように変わるのか
それは進化なのだろうか

松江

松江で
沈む夕日を
早朝のシジミ舟を
そして
ラフカディオ・ハーンの怪談を
目にした

夕日も
舟も
怪談も
みんな静かだった

出雲

出雲には
神がいた
でも それは
思っていたような神ではなく
想像もつかないような
不思議な神だった

僕はただ
祈る
君もまた
祈る

祈りが通じるかどうかは
神も知らない

進化

人の進化は終わったのだという学者がいる
人はこれからも進化し続けるという学者もいる
何かから進化して人になったように
人が進化して何かになってもおかしくない

口腔と咽頭腔を直角にし 咽頭を下に移動させることで
人は話し言葉を獲得し その後 文字を使うようになり
人は 人となった

次の進化が 言葉なしのコミュニケーションだとして
からだのどの部分を どのように変えたなら
言葉なしでコミュニケートできるようになるのだろう

次の進化が 瞬間移動だとして
からだのどの部分が どのように変わったら
瞬間移動ができるようになるのだろう

でも次の進化は
言葉なしのコミュニケーションだとか瞬間移動とかの
想像できるものではなくて
きっと 僕なんかが想像もつかないような進化なのだろう

進化による人の誕生が 人に似た動物たちを滅亡に導いたように
進化をとげた新しい動物が 人を一人残らず滅ぼす
それは いいことなのか
悲しいことなのか

滅ぼされる直前に
進化論は正しかったとか間違っていたとか言っても
それは何の意味も持たない

人という種が生まれた時から
人という種は滅びる運命にあった
そう
永遠なんて どこにもない

説明

空間を 緯度 経度 標高 体積 温度 気圧などを使って示しても
 空間を 説明したことには ならない
時間を 年月日や時分秒で言ったとしても
 時間を 説明したことには ならない
色を CMYKで表しても
 色を 説明したことには ならない
光を RGBで表しても
 光を 説明したことには ならない
形を 三角だ四角だと説明してみても
 形を 説明したことには ならない
明るさを ルーメン カンデラ ルクスで表しても
 明るさを 説明したことには ならない
質感を 形容詞を総動員して説明しても
 質感を 説明したことには ならない
味を 見た目とか香りとか食感とかで言葉を尽くして説明しても
 味を 正確に表現することはできない
匂いの 質と強さを 識別装置で数値化しても
 匂いを 説明したことには ならない
音を どう形容しても
 音を 説明したことには ならない
  水音 波音 川音 瀬音 葉音 雨音 風音 足音
  そう聞けば 音は浮かんでくるけれど
  だからといって音が正確に伝わるわけではない
  産声 裏声 風邪声 金切り声 しわがれ声 涙声 だみ声
  そう聞けば 声は想像できるけれど
  あの人とこの人とで声は違う

伝えているつもりでも 何も正確には伝わっていない
説明は難しい

金持ちと貧乏人

安定した社会がいいという
金持ちは より金持ちになり
貧乏人は より貧乏になる
それでも 安全で安心だ

国際通貨基金のレポートが
貧富の差に警鐘を鳴らしても
金持ちは金持ちのまま
貧乏人は貧乏人のまま

金持ちには
貧乏人の知らない投資の機会があり
優秀なウェルスマネージャーが
金持ちの損失をゼロにする

貧乏人には
カードローンやリボ払いがあって
金融機関の優しい融資のPRが
貧乏人の借金を増やし続ける

民主主義だろうと社会主義だろうと
なぜか どの国の政治家も役人も
金持ちのために働いて
貧乏人を増やす

最大多数の最大幸福を目指そう
21世紀は貧乏人のためにある
そんなプロパガンダが見えてきた
アッカンベーをする僕に
居場所はあるのか

ありのまま

猫は
微分や積分を
考えることができない

猿は
量子力学を
理解することができない

人は
経験を
予測することができない

僕は
ありのままを
感じることができない

君は
ありのままを
受け入れることができない

ガーディアン・エンジェル

どんな難解な哲学も
時間をかけて理解しようとすれば
理解できないことはない
そうでなくても
理解したと思うことはできる
でも 君は
そして 君のガーディアン・エンジェルは
どんなに時間をかけても
理解を超えていて
理解したと思うことすらできない

適応は真実に勝るとか
運動が感情になったとか
いろいろ言ってみたところで
惑わされようと
惑わされないでいようと
理解の枠のなかのこと
でも どんな適応も
そして どんな感情も
君には勝てないし
君のガーディアン・エンジェルにも勝てない

君がしてきたことに
そして 君のガーディアン・エンジェルがしてきたことに
ただただ脱帽する
というか
脱帽するしかない

言葉 2

言葉に頼れば気分障害になる
ゲーテも マルキ・ド・サドも バルザックも ディケンズも トルストイも
メルヴィルも ヘミングウェイも 太宰治も 宮沢賢治も 夏目漱石も 坂口安吾も
遠藤周作も 北杜夫も 開高健も 玉置浩二も キェルケゴールも ニーチェも
フルシチョフも チャーチルも カート・コバーンも アクセル・ローズも
みんなみんな言葉に頼り みんなみんな気分障害になった

言葉に頼らない人も 気分障害になった
ミケランジェロも ゴッホも ベートーヴェンも シューマンも 気分障害になった
でも 言葉に頼った人より 圧倒的に少ない

言葉はやはり
危険だ

言葉

言葉よりもいい表現というものあって
例えば 音の組み合わせで気持ちを伝えることができたらいいのだけれど
結局は 言葉に頼るしかなくて
それで 今日も言葉を紡いている

言葉を使わなくてよくて
例えば 目を見るだけで思いが伝わったらいいのだけれど
最後は 言葉に頼るしかなくて
言葉で 不安を消そうとしている

僕はアーティストでないから
アートで気持ちを表現するなんて 夢のまた夢で
作品でこころを伝えるかわりに
言葉に頼って生きている

言葉の通じない人に思いを伝えるには
どうしたらいいのかと考えて
言葉なしで思いを伝えるのは
そうは簡単でないと気がついて
君に思いを伝えるには
言葉では十分でないと思い至った

君に思いを伝えよう
言葉なしで念じる
伝わらなくても念じる
伝わるまで念じる
思いは伝わる

曖昧

私たちは誰も
決して白とか黒とかではない
そして
あっちでも こっちでもない

ある時は
白でも黒でもなく
また ある時は
あっちであり こっちでもある

いろんなことが
and だったり
or だったり
none of them だったりするのだけれど
でも多くの場合は
曖昧で
白か黒かよくわからず
あっちか こっちか よくわからない

君が はっきりしていて
僕が 曖昧なのか
君が 曖昧で
僕が はっきりしているのか

いや
君が 曖昧なら
僕も 曖昧なら
そして まわりもみんな曖昧なら
なにもかもが きっとうまくいく

すべてをはっきりさせれば
いいというわけではない
時には曖昧もいい
とてもいい

桜が咲き
桜が散る
花びらが地面を覆い
緑の葉が木を覆う
それは
あっという間のこと

桜の事情は知らないけれど
桜に見とれる
君の心は見えないけれど
君にみとれる

批判と非難

自分の考えに合わないからといって
誰かを批判するのは容易い
でも僕の考えなんて
他人を批判できるほど
立派なものではない
だから
批判はしない

ルールを守らなかったといって
誰かを非難するのは容易い
でも僕は
他人を非難できるほど
立派ではない
だから
非難はしない

批判なんて できない
非難なんて できない
そして 考えてみれば
愛するなんて できない
でも
君を愛している
止めることなく
愛している

日本音楽著作権協会

みんなで歌いたい
歌を楽しみたい
それなのに
JASRAC のせいで
歌いたい歌が歌えない
歌うのは人の基本的な権利なのに
なにも歌うことができない

JASRAC のせいで
聴きたい歌が
インターネットから削除され
聴きたい時に聴くことができない
仕方なしに海外の歌を聴く
気がつけば
聴くのは海外の歌ばかり
JASRAC のせいで
日本の歌が記憶から消えていく
世界中の人のなかから
日本の歌が消えていく

目先のカネのために
日本の文化が消えていく
歌をひとつひとつ消してゆくのが
JASRAC の役目なのか
文化をひとつひとつ消すのが
文化庁なのだろうか

法律とか判例とかがあって
音楽が人からどんどん遠ざかる
裁判所とか官庁とかのせいで
音楽が消えていく
裁判官にも役人にも
歌はいらないのだろう
あるのはただ
金儲けだけ

JASRAC なんていうものは
ないほうがいい

阿修羅像

興福寺の阿修羅像は三面六臂
右の幼い少年の顔には反抗心が見て取れ
左の思春期の顔には思い詰めたような表情があり
正面の青年期の顔は決意がみなぎっている

善悪もこの阿修羅像に似ている
まず善悪の基準に反抗し小さな悪を演じる
次に善悪は誰が決めるのかなどと思い悩む
そして善悪を超え 迷いを断ち まっすぐに生きる

宗教とか哲学とか倫理とかに惑わされることなく
学校とか会社とか常識とかに振り回されることもなく
文化とか慣習とか権威とかに従うわけでもなく
誰が言ったからといって 誰かのせいにするわけでもない

人が決めた あるべき姿に
押し込めようとしても
一人ひとりに 持って生まれた姿があって
誰も あるべき姿には近づけない

結局は 人は生き物で
生き物であることからは逃れられない
生き物は生きようとする
そして生き物はいつか必ず死ぬ

だからというか
それでというか
決意を持って生きる
前を向いて生きる

時は流れない

時は流れるという
過去から未来へと流れる
決して逆戻りせず
一方向に流れる
過去の原因が
未来の結果を生む

時間の因果律とか
時間の非対称性とか
難しく言ったところで
なんの意味もなく
なにも変わらない
こうしている今も
時は流れている

双方向性とか
一方向性とか
対称性とか
非対称性とか
なにを言っても
時は流れる
時計の振り子が
静かに時を刻む

ところが
そんな平穏は
長くは続かないかもしれないと
科学の悪魔が囁きかける
平らに思えた地面が球形だったように
直感に基づくあたりまえは
ある日突然揺らぐのだという

不確定性という不確実な言葉で
直感では正しい決定論が
無残に崩されてしまう
時間は連続していない
時間は揺らぐ
時間は流れない
そんなことを言われても
なにも言い返せない

僕が見ている君は
ここにいる
他の人が見ている君は
違う場所にいる
うーん
もしもそれが世界なら
そんな世界は
知りたくもない

なんでも知っている人

なんでも知っている人ではなく
なんにも知らないと思える人がいい
なんでも知っていて なにも考えない人より
なにも知らないで たくさん考える人のほうがいい

なんでも知っている人は
どんなことも もっともらしく説明し
知らないことも 知っているかのように話し
答えのないことにまで 答えを与える

なにかを知っている人よりも
なにかを好きな人のほうがいい
なにかを真面目にやっている人よりも
なにかを楽しんでいる人のほうがいい

言葉を巧みに操る人でなく
言いたいことも言えないような人がいい
頭のいい人より
心がいい人のほうがいい

自分の境遇を怨んでいる人ではなく
状況を変えていける人がいい
打ちのめされている人より
微笑んでいる人のほうがいい

君がいつまでも微笑んでいるといい

現実と作りごと

暮らしとか生活とか利害とかいった
現実があり
神とか国家とか政治とかいった
作りごとがある

現実はそこにあり
作りごとはどこにもない
ないのに あると思う
ないと知りつつ あることにする

現実と作りごととの境界は
ぼんやりとして見えない
作りごとを作ったのが人ならば
作りごとを信じるのも人なのだ

個人というのは人で
社会は人の集まりで
ここにいる個人は現実で
社会は現実なのか 作りごとなのか
それとも ただの 幻なのか

僕は社会の一員なのか?
君は社会の一員なのか?
僕は社会に生きているのか?
君は社会に生きているのか?

優等生

生徒たちが数学の問題を解く
真面目な生徒の答えは正解で
不真面目な生徒の答えは不正解

人生の問題に直面して
真面目な人は答えを求めて行き詰まり
不真面目な人は流れに乗って出口にたどり着く

問題を解くのが人生ではない
不思議なことを楽しむのが人生なのだ

生徒たちが勉強の計画を立てる
計画通りに勉強した生徒は褒められ
計画通りにできなかった生徒は叱られる

実際には 計画しても その通りには いかない
計画にこだわった人は 失敗し
計画にとらわれなかった人は どこかにたどり着く

計画通りは失敗し
無計画が成功する

学校で教わったことを鵜呑みにするのが優等生だとすると
優等生というのは きっと なにも考えない人たちなんだろう

言論の自由という幻想

言論の自由という
街には 未熟な文章が溢れ
あちらこちらで でたらめがまかり通る

文章や画像を尊重し そのまま使えば
著作権といってカネをふんだくられ
文章や画像を踏みにじり 改ざんしてしまえば
褒められたりもする

宗教に関することは
その宗教の教義を 隅から隅まで知ることなしには 語れない
科学に関することは
その科学の分野を 隅から隅まで知ることなしには 語れない
それなのに
言論の自由という名の下に 誰もがいいかげんなことを話す

何も知らない人が思い付きで言ったことが 正しいとされ
よく知った人が考え抜いて言った言葉は 隅に追いやられる

言論の自由という幻想によって 言論が封殺されている
なんてこった パンナコッタ

自分を思いやる

自分を慈しむ
そうすることで
心の平静を保つ

負の感情を抱いてもいい
負の感情を否定しない
負の感情を責めない
ありのままに受け入れる

自分を追い詰めず
自分を思いやる
手を頬にあてる
顔をさする
手を胸にあてる
おなかをさする
手の圧を感じる
温もりを感じる

自分を思いやる
そうすれば
君を思いやることができる
そう
自分を思いやる
君を思いやる

思考停止

人にやさしい街づくり  人にやさしい都市づくり  人にやさしい店づくり  人にやさしいクルマづくり  人にやさしい公園づくり  人にやさしいモノづくり  人にやさしい色づかい  人にやさしいテレビ  人にやさしい建築  人にやさしい経済学  人にやさしい医療  人にやさしい木材  人にやさしいロボット  人にやさしい道路  人にやさしい住宅  人にやさしい会社  人にやさしい組織  人にやさしい学校  人にやさしい施設

人にやさしい という言葉を組み込んだ途端
人は思考停止してしまう
人にやさしいのだから いいことに違いない と思ってしまう
そして
人のことを忘れてしまう
弱い人のことは まるっきり考えようとしない

地球にやさしい社会  地球にやさしい製品  地球にやさしい商品  地球にやさしい洗剤  地球にやさしい生活  地球にやさしい暮らし  地球にやさしいストッキング  地球にやさしい鉄道輸送  地球にやさしい家電  地球にやさしい新聞製作  地球にやさしい自転車

やさしいのは 人や地球にとどまらない
胃にやさしい献立
財布にやさしい節約ごはん

何かにやさしい という言葉を組み込んだ途端
キラキラしているものから輝きが消え
美味しいものも不味くなる
やさしいというわりに なぜかやさしくない

人にやさしい会社で働くと なかなか幸せになれない
地球にやさしい製品が 地球に害をなす
やさしい社会を目指しても 弱い立場の人が生きやすい社会はやってこない
やさしいだけでは 何もよくはならない

労働

働くってどういうことだろう

なぜか多くの人たちが
似たような給料に満足し
朝から晩まで働かされて
嬉々としている

どこかにいる少ない数の人たちは
自分たちは働かず
多くの人たちを働かせて
安らいでいる

働くことがあたりまえだと
働かなければ食べていけないのだと
刷り込まれ
信じ込まされて
今日も働いている人たちは
ろくな朝食も摂らずに駅に急ぎ
満員電車に揺られて会社に行き
なんのためなのかも知らされずに
与えられた仕事をこなす

目の前に自然の織りなす景色が広がっている
アルヴォ・ペルトの静かな音楽が流れている
僕は働いていない
隣に君がいる
ここはどこだろう
きっと この世ではない

心のありか

心が痛い
心が華やぐ
心が躍る
心が弾む
心がなにをしてもいいけれど
心はどこにあるのだろう
胸にある
脳にある
脊髄にある
末梢神経にある
感覚運動器官にある
皮膚にある
体の外にある
君のなかにある

僕の心が君のなかにあって
君の心が僕のなかにあったら
それはそれでおもしろいけれど
きっと困るだろうな

野生

農耕や牧畜を始める前の
野生の人間のように生きる
ありのままの自然を享受し
飼いならされたりしない

人懐っこくなったりしない

無条件で人を信用したり
知らない人に優しくしたり
物わかりがよかったり
そんな子供っぽさは 持たない

ひとりで戦う

無駄なことは 話さない
あたりまえのことは 口にしない
遊牧民のメンタリティーはもちろん
農民のメンタリティーも持たない

野生の人間にはなれないけれど
意識だけでも近づく

思いは巡る

より多く 現実を見れば
より少なく知ることにつながり
知識にしがみついたり振り回されたりすることが少なくなる

より少なく知れば
より多く感じ
五感をフルに使っ生きることができる

より多く感じれば
問いただしたりすることが より少なくなる
問いただしたり 非を責めたりなんて しないほういい

問いただしたりが少なくなれば
より多く愛する
愛するのはいい

より多く愛せば
より少なく争う
愛を忘れて争うなんて やめたほういい

より少なく争えば
より多く安らぐ
多く安らぐのはいい

より多く安らげば
より少なく思い煩う
現実を忘れて思い煩うなど しないほうがいい

より少なく思い煩えば
より多くの現実を見ることができる
多く見るのはいい

自己家畜化

ある種の生き物は
飼いならされて
家畜化する

人間も
飼いならされて
家畜化する

祖先に比べて小さな顎
小さな歯
平たい顔
攻撃的でないオス
家畜化された動物に見られる特徴が
人間にも見られる

犬 小麦 牛
トウモロコシ じゃが芋 鶏
稲 馬 林檎
銀狐 そして 人間

自己家畜化が
吉と出るか凶と出るか
滅びの道を辿らなければいいのだけれど

覇権国

覇権国イギリスに綻びが出始めた頃に
日本はイギリスと同盟関係を結んだ
しばらくして
覇権国イギリスが衰退する頃に
日本は新しい覇権国アメリカと戦争をして
そして負けて
アメリカの植民地のようになった

覇権国アメリカに綻びが出始めた頃に
日本はアメリカと同盟関係を強固にした
しばらくして
覇権国アメリカが衰退する頃に
日本は新しい覇権国中国と戦争をして
そして負けて
中国の植民地のようになるのではないか

まあ そんなことは 起きないだろうけれど

ハラスメント

嫌がらせはハラスメントと呼ばれ
ありとあらゆる職場で問題になり
職場をギスギスした場所に変えてしまう
個人的な嫌がらせは見えにくく
心理的嫌がらせや身体的な嫌がらせは
時に命を危うくする

人種的・民族的な嫌がらせとか
男性から女性への嫌がらせとか
年上から年下への嫌がらせとか
健常者から障がい者への嫌がらせとかの
差別的なハラスメントは
多くの場合 無理解から起こり
嫌がらせをする側に 罪の意識はない

罪の意識がないのは
言葉による嫌がらせや
ネットのいじめも同じで
変な正義感から嫌がらせが起きる
なんの関係もない第三者が
嫌がらせをする場合の多くが
間違った情報による勘違いで
もちろん罪の意識はない
会社の業績を上げようとして
パワーハラスメントを繰り返す上司にも
罪の意識はない

セクシャルハラスメントとよばれる性的な嫌がらせは
いちばん手に負えない
見た目についてコメントするとか
性的なジョークとか
見つめるとか
触るとか
レイプなどの明らかな場合をのぞいては
ハラスメントかどうかがはっきりしない

ハラスメントを受けた人が
ハラスメントだと訴えたら
ハラスメントをした人に
逆に訴えられるなんていうこともある
ハラスメント・ハラスメント
略して ハラハラというのだという

もっとも
報復のハラスメントというのもあるというから
判定は難しい

人と人との関係は
ハラスメントであろうとなかろうと
いつもとても難しい

人が人に嫌がらせをして
人が人を追い詰める
人というのは そういうものなのか
それとも 一部の人がそうなのか

戦争になれば人殺しもできるのが人だから
人は平気でハラスメントをするのだろう
ハラスメントなどというものとは
関わりなくすごしたいけれど
そう うまくいくかどうか
関わりなくすごせますようにと
ただ祈るしかない

消えない記憶

改札を出て 階段を上がる
交差点を渡り まっすぐ進む
カフェの角を 道なりに曲がる
信号を渡り 公園に入る
池に沿って歩き 石の階段を上がる
広場を横切って 図書館の前をすぎる
テニスコートの脇を通って 家の前の道に出る
ドアを開けて なかに入る
それだけの思い出が 景色とともに甦る
この記憶は なんなのだろう

街を歩いた記憶は
他のどんな記憶より鮮明に甦る
街は変わり続けているから
記憶のなかの街は もうどこにもない
それなのに 記憶のなかの街は
いつまでも変わらず 記憶のなかにある
記憶のなかの街が 色褪せることはない
僕がいなくなる時 記憶のなかの街は消える
他のたくさんの記憶と一緒に消える
でも 僕のなかの君だけは消えない
きっと消えない

壊色

仏教の修行僧の衣の色を壊色という
えじきと発音してみると色の感じが伝わってくる
サンスクリット語のカシャーヤという袈裟を意味する言葉のの漢訳で
原色を破壊した色というような意味だという

衣服に対する執着を捨てさせるために
修行僧の衣には
青 黄 赤 白 黒の華美な標準色や
緋 紫 緑 紅 硫黄の鮮やかな中間色は避け
原色を染壊した色が用いられた

だから 壊色は
地域によって異なり
宗派によって異なる
木や樹皮や鉄分を含んだ土などで染めて
色を壊そうとするので
柿渋色だったり木蘭色だったりする

壊色を纏ってみると
落ち着いた気分がやってくる
どの色でもないのだが
どの色にも見える

色を壊すはずが
すべての色を含んでしまった壊色
それは 失敗なのではないか
だって僕は
壊色に執着している

すべては変わる

飽きるのを
悪いことのようにいう人がいる
でも 飽きるのは変わろうとするからで
夢中になれる何かを探し続けているからで
だから 飽きるのは 自然なのだ

変わり続ければ 飽きたりしない
変わり続ける何かを探し続けていれば 飽きっぽくみえる
変わり続けるのは 悪いことではない
でも 変わり続ければ
たくさんのものを得るかわりに
たくさんのものを失う

変わり続けて
たくさんのものを失って
それでも笑っていられれば
それでいい
。。。かもしれない
いつか 変わり続けるのに飽きるまで
失い続ければいい

いや まてよ
変わり続けなくても飽きる
人は どんなものにも飽きる
みんなで飽きるから 車のデザインは変わり続ける
服や靴のデザインも流行をくりかえす
都会に住めば 田舎に住みたくなり
田舎に住めば 都会に住みたくなる
そう 僕たちは 飽きるようにできているのだ

飽きるようにできているのに飽きないのは
君をずっと好きなのは
とっても変
。。。かもしれない

心のなか

想像が心のなかに浮かびあがる
感覚が心のなかに蘇る
心のなかは自由だけれど
心のなかの情景は その時だけ
二度と見ることができない

人のすごいところ

美味しいケーキが食べられる店があって
そこのオーナーが有名になったりする
でも ちょっと考えてみれば
すごいのは ケーキを作っている人で
オーナーではないことに気づく

すごく素敵な服を売っている店があって
そこの社長がもてはやされたりする
でも ちょっと冷静に観察してみると
すごいのは 布を切ったり縫ったりしている人で
社長ではないことがわかる

働いていた人が辞めると
ケーキがまずくなったり
服が素敵でなくなったりする
そして 辞めた人が移った先の
ケーキがおいしくなったり
服が素敵になったりする

そういうことが ないようにと
オーナーは AI にケーキを作らせ
社長は AI に服を作らせる
でも なぜか
AI の作ったケーキはまずく
AI の作った服はサエない

人がすることには揺らぎがあって
計算や予測ができない
人の論理的でないところが
美味しいケーキを作り
素敵な服を作る

いい知能が
美味しいケーキを作ったり
素敵な服を作るわけじゃない

今日食べたあの店のケーキは
いつもより甘かったけれど
おいしかったし
飾ってあったあの店の服は
あの店の服にしては地味な色をしていたけれど
とても素敵だった

計算できないところが
予測できないところが
論理的でないところが
人のよさなのかもしれない

遅く生まれていたら

ヒトラーの演説を聞いて感激していた人が
40年か50年遅く生まれていたら
ベルリンの壊れた壁の上で喜んでいたかもしれない

特攻機でアメリカの軍艦に突入した人が
10年か20年遅く生まれていたら
安保反対のデモに参加していたかもしれない

今朝電車に飛び込んで通勤ダイヤを狂わせた人が
1年か2年遅く生まれていたら
死のうなんて思わなかったかもしれない

僕が この僕が
1か月か2か月遅く生まれていたら
君と出会わなかったかもしれない

僕は 運がいい

己の心は忌わしく
自らの心は息たえだえ
奴の心は怒る

今は心を念じ
次の心は恣(ほしいまま)にし
中の心は忠(まごころ)で
亦の心は恋しく
耳の心はなぜか恥だ

物の心は惣
音の心は意
士の心は志
田の心は思
串の心は患
亜の心は悪
徴の心は懲
欲の心は慾
休む心は恷
能の心は態
恕は心の如く
忿は心を分け
懲は心を徴し
懸は心に縣る

心の上の刃を忍び
心の上の台で怠ける

悲しいのは心に非ず
忘れるのは心が亡いからだ

門のなかの心は悶え
若い心に惹かれ
秋の心は愁い
相手の心を想う

変わりゆく景色

目に見える景色は 変わり続ける
同じ景色は 二度と現れない

目の前にある景色は 今だけのもの 束の間のもの
だからこの景色は愛しい

思い出の景色は いつまでも美しい
でも どんな景色も 君のいる景色には敵わない

過去を秘めた景色が 徐々に消えてゆく
夢を秘めた景色が 徐々にはっきりしてくる

辺りが明るくなる 止まっていたものが動き出す
風が吹き 水が流れ 君が笑い 君が跳ねる

でも どんな景色も 変わり続ける
同じ景色は 二度と現れない

過去

過去を変える試みには
過去をなかったことにして 対抗する

勝ち目はない

**

過去のことは消す
消してもらう
いや
いや いや
過去は なかった
なにも なかった

募金

久しぶりで 世界の貧しい人のための募金 なんていうものを見た
貧しい人が10億人いるとして 募金で100万円集めても
一人あたり 0.001円にしかならない
だから募金に意味がないことは 明らかなのだけれど
貧しい国に学校を建てようとか
飢えた子どもたちに食べ物をとか
情に訴えるカネ集めは 後を絶たない

震災で行き場を失った 可哀想な動物たちを救おうと
駅前の街頭で 声を張り上げる人たちがいる
立ち止まって
募金をするよりも働いたお金で動物たちを救ったらと言ったら
私は時給千円のバイトなんですと 申し訳なさそうな顔をする

アムネスティとか UNICEFとか UNHCRとか WFPとかも
駅前の街頭で カネ集めやサポーター集めをする
立っているのは 団体の職員ではなくて
それ専門の会社の臨時職員で
活動に関する知識は ほぼゼロだ
その人たちに給料を払っても まだカネ集めになるのだから
募金というのは割がいいのだろう

金持ちがするチャリティーとか
税が軽くなる寄附だとか
募金以外にもいろいろあるけれど
おカネが絡む社会活動には 批判や中傷が付きまとう

ボランティアとか慈善とか言われても 素直にそうですかとは言えないのは
なぜだろう
真心とか誠意とかを口にする人たちに 真心や誠意が感じられないのは
なぜだろう
僕がいいことを していないからなのか
僕が薄情すぎるからなのか

僕ばかりが悪く思えてくるから不思議だ

墨絵

墨で書いた絵をじっと見ていたら
ないはずの色が見えてきた
絵はモノクロの写真に似て
空は空の色を
雲は雲の色を
内蔵しているかのようだ

日が昇り 光を取り戻した街が
色彩でいっぱいになるように
絵のなかに隠された色が
墨のなかからにじみ出て
墨のないところまで
色づいてゆく

絵の余白に現れた色は
言葉にならないほど 美しい
その色が
色相や明度や彩度で表されることは
ない

こころのなかに あらわれた色は
ぼんやりとして
やがて消えた
目の前の絵は
墨の絵に戻っていたけれど
その墨はもう
前の色ではなかった