Category Archives: art
永瀬正敏
Democratization of music creation
The integration of AI into various creative tools is inevitable. AI is already influencing image generation and music creation will follow suit. Tools used for video creation and digital audio workstations will also incorporate AI features, improving user accessibility and enhancing the output.
Such advancements will provide an avenue for countless individuals who have a passion for music but might not possess the technical skills. It’s an opportunity for them to express their creativity. This is a significant move in the music industry, mirroring the transformation brought about by streaming services. These platforms, such as Spotify and Soundcloud, have made music distribution accessible to everyone. As a result, a vast number of songs are being uploaded daily.
A third of art galleries do not expect to survive
A recent survey conducted by The Art Newspaper discovered that as a result of global lockdown, art galleries around the world are expected to lose an average of 72% of their annual revenue. The survey of over 236 international dealerships revealed that the drop in financial activity ranges from region to region with UK galleries suffering the highest loss at 79% and with European at the opposite end with 66%.
Of even greater concern is the fact that approximately 30% of gallery owners believe they will not survive the crisis. With the smallest galleries, those with between 5-9 employees, predicted to have the lowest chance of survival at just 62%. Larger galleries have a rather more optimistic outlook and have put their chances of survival at 75%.
Generative AI’s impact on creative work (Ziv Epstein)
Generative AI tools are doing things that even a few years ago we never thought would be possible. This raises a lot of fundamental questions about the creative process and the human’s role in creative production. Are we going to get automated out of jobs? How are we going to preserve the human aspect of creativity with all of these new technologies?
The complexity of black-box AI systems can make it hard for researchers and the broader public to understand what’s happening under the hood, and what the impacts of these tools on society will be. Many discussions about AI anthropomorphize the technology, implicitly suggesting these systems exhibit human-like intent, agency, or self-awareness. Even the term “artificial intelligence” reinforces these beliefs: ChatGPT uses first-person pronouns, and we say AIs “hallucinate.” These agentic roles we give AIs can undermine the credit to creators whose labor underlies the system’s outputs, and can deflect responsibility from the developers and decision makers when the systems cause harm.
Cosette balayant (Émile Bayard)
Keith Haring
猪子寿之(チームラボ)
Bo Kyung Park
粟津邸(原広司)
西元祐貴
Ruth Misener
In computational optimisation, a relaxation of a difficult-to-solve optimisation problem is an easier-to-solve approximation with special properties. Application are wide and varied, from manufacturing to and logistics to machine learning, and can also include bioprocess optimisation under uncertainty and petrochemical process network design and operations.
Bengt-Erik Engholm
感じたこと
見たものの感動を
感じたことを
写真とか映像とかで
伝える人がいる
大都会にいる人には
決してたどり着けないところで
捉えられ閉じ込められたイメージが
二次的な感動を呼び起こす
それは自然への冒涜ではないか
生きているものたちの音も 匂いも
その場の空気の流れも 感じない
だから 畏れを抱くことは ない
それは 宗教に似ている
伝道とかいうけれど
その人がどう感じるかは
他の人には伝わらない
こんなにいいのだから
人に伝えたいと思うのは
奢りであり 冒涜であり
自分で感じたことへの裏切りではないか
感じたことは
自分のなかに留める
いや 感じたことは
君と分かち合う
憲法色
憲法色は、黒褐色の1つ。別名に憲法黒、憲法染、憲法茶などがある。 剣術家の吉岡直綱(号は憲法)が広めたとされることからこの名が付いた。 吉岡一門は足利将軍の兵法師範を務める兵法の名家として名高く、足利将軍家が衰退した後は豊臣秀吉に仕官した。そのため、徳川家康に与することを潔しとせず、豊臣秀頼に従って大坂の陣に参陣し、敗戦の後は家業の剣術を棄て、家伝の染色をもって生計を立てる道を選んだ。 当時の染料の多くは薬草として使用されることも多く、傷の治療などの目的から、兵法の名家が生薬の扱いに慣れ親しんでいたことはそれほど珍しいことではなかった。吉岡一門は道着の染色を全て一門のもので賄っていた。 黒染めには高い技術が必要だったこともあり、吉岡家の堅牢で良心的価格の小袖は非常に人気があった。憲法色は江戸時代を通じて人気の高い色となっている。京都の多くの染屋が吉岡家から染めの技術を学び暖簾分けされたため、京都の染色業者には吉岡姓の家が多い。 |
Guillermo Tolentino
Fernando Cueto Amorsolo
Agustin Goy
福島ユナイテッドFC
森本草介
川邉雅規
Salon des refusés (la décision de l’empereur Napoléon III)
De nombreuses réclamations sont parvenues à l’Empereur au sujet des œuvres d’art qui ont été refusées par le jury de l’Exposition. Sa Majesté, voulant laisser le public juge de la légitimité de ces réclamations, a décidé que les œuvres d’art refusées seraient exposées dans une autre partie du Palais de l’Industrie.
Cette exposition sera facultative, et les artistes qui ne voudraient pas y prendre part n’auront qu’à informer l’administration qui s’empressera de leur restituer leurs œuvres.
L’Été
Le Mont-Blanc
美術館
美術館のなかを歩く
絵が時代順に並んでいる
ロマネスクから ゴシックへ そしてルネサンスへ
マニエリスム バロック ロココ の時代の後
ネオクラシシズム ロマンティシズム アカデミズム リアリズム
という イズムの時代が続き
今でも人気の インプレッショニズム の時代に至る
そんな本のなかにあるアートの流れは
美術館では まったく感じられない
絵から感じるのは パトロンのちからだけ
それ以外は 何も感じることができない
教会や教会にすがる人がパトロンになれば
宗教の起源に関する話が絵のなかに描かれ
権力者や金持ちがパトロンになれば
本人や家族のポートレートが描かれる
そんな絵を見て 何を感じればいいのだろう
絵を見ることに疲れ 椅子に座る
目の前の絵には 輝く白い山が描かれている
絵が描かれたのは1802年
フランス革命の後の混乱にも ナポレオンの台頭にも
まったく関係のない白い山と
争いにまみれた麓の黒い景色
立ち上がり 絵の中を歩く
本に書いてあったことを思い出す
ルネサンスが始まる頃になると
商業の発展とともに
国内取引では銀貨が
貿易取引では金貨が利用されるようになる
そして絵が 売買されるようになる
ルネサンスが過ぎ去る頃には
幾千もの貨幣鋳造所が作られ
インプレッショニズムの頃には
金銀貨が安定的に流通し 小額貨幣も大量に発行される
すると 画商が現れ 画材店ができ 絵が身近になる
インプレッショニズム以降の絵には
それまでの絵のような遠さがない
そのかわり 絵に値段が付き
値段の高い絵ほど珍重されるようになる
有名な絵の前には人だかりがしていて
無名な絵の前には誰もいない
美術館という不思議な空間を歩き回ったら
感じたことのない疲れを覚えた
美術館から出たら まるで
クラシック音楽のコンサートから出てきたような気がした
外の空気は心地よかった
隣の君は笑っていた
僕も笑った
Faber-Castell
Gien
Biennale de Lyon
鏑木清方
大竹伸朗
竹内栖鳳
幸野楳嶺
鈴木松僊
バーブル
Madame_de_Pompadour
Diane de Poitiers
Agnès Sorel
Egon Schiele
Despite largely failing as a student at school and having to repeat a year, his artistic talent gained him entry to the Kunstgewerbeschule (School of Arts and Crafts) in Vienna, where famous artist Gustav Klimt had studied. But one of his teachers there complained that Schiele had “too much talent” and he was sent to Vienna’s Academy of Fine arts, the youngest student ever enrolled there, at the age of 16. According to records he was accepted over another candidate — Adolf Hitler.
But Schiele soon rankled at the conservatism of the Academy. In 1907 he sought out Klimt, whose work Schiele admired, hoping to learn more from the great artist. Klimt was the leader of the Vienna Sezessionist (Secessionist) group, who had made a break from the conservative styles of the Academy. He was greatly impressed by the teenager’s talent and became a mentor and friend, buying some of Schiele’s works, organising models and finding him connections in the art world. It led to Schiele’s first inclusion in a Sezessionist exhibition in 1908.
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In 1911, Egon Schiele met a woman. She was seventeen, bright eyed, fun, amiable, not a bit shy or innocent. Her name was Valerie ‘Wally’ Neuzil, and she was just what both Schiele and his art needed. In that short period of time, Schiele’s art blossomed, and Wally was his muse, his lover, his friend. Their story is the one of obsession, love, betrayal, erotic exploration, and death – death of an artist, death of a muse, death of a whole empire and death of an era.
吉本隆明
ほんとうの意味で日本人が色というのはじぶんの側に属するんだと、つまり、日常生活の側に属するし、民衆の平凡なる日常の中で、色というのは豊富に氾濫し、豊富に使われなければいけないんだ、あるいは、使われるといいんだというふうに、それをじぶんに許したのは、むしろ明治以降で西欧の染料とか、色彩感覚とか、それがどんどんどんどん入ってきてから、はじめて日本人は色彩というものを日常生活に使っていいんだという考え方になったので、それ以前は、色というものを、日本人は宗教に属する、つまり、神に属するもので人間がそれを使うべきでない。だから、せいぜい使われるのは、神社の森だとか、神を祀った山の上だとか、そういうところにきれいな花の咲く樹を植えたりというようなことは、むしろ、そういうところに使ったので、ほんとうにじぶんの庭に、例えば、桜の花でもなんでもいいですけど、お花見の桜の花みたいなものをじぶんの庭に植えようという考え方をもったのは、たぶん、平安朝時代になってからはじめて、あるいは、奈良朝の末期ぐらいからはじめて、そういうふうになったので、それ以前は桜の樹とか、きれいな花の咲く樹というのは、ぜんぶ神社の社の境内にそれを集めるとか、あるいは、神聖なる山の麓にそれを植えるとか、そういうふうに、つまり、神に属するところにそれは植えるのであって、じぶんの庭に、たとえば、きれいな花の咲く樹を植えてもいいんだというふうに考えだしだのは、平安朝ぐらいになってからであって、そういうふうになってから、それでもわりに一種、神々しい気持ちで、庭の木に咲く花なんかというのを、そういうふうに考えて、そういうふうに植えているというふうな、そういうふうな鑑賞の仕方をしているというようなことが行われてきて、それでむしろ、自然の草花を採ってきて、家の中の仏壇に供えるみたいなふうな、そういう花の見方とか、鑑賞の仕方をするようになったのは、もう明治になってからなんだ、つまり、明治になってから初めて色彩というものを神に属するものじゃなくて、日常生活に誰もが使っていいものであるし、また、誰もが塗っていいものであるし、誰もが植えていいものであるし、誰もが着てもいいものだというふうに考えだしだんだ。それにもかかわらず、日本人の色彩の抑え方というのは、日常生活、つまり、じぶんのものとしての色彩の使い方の抑え方といいましょうか、抑制の仕方というのは著しいので、これは一種、そういう言い方をすれば、柳田国男は天然の禁色だ、つまり、天然によって禁じ、あるいは、神によって禁じられた色であって、それを人間が使っちゃいけないんだというふうに、日本人はむしろ考えていたんだというふうに、そういう言い方をしています。
そのようにして、たとえば、本来ならば、誰それ天皇の御代に誰それが政権をとって、こういう政治をやったとかというような、そういう歴史というものが描かれると同じように、たとえば、そういう色彩というものを、日本人が宗教的な神に属するものだというふうに考えていたときから、それから、これは人間に属するもので日常生活に使っていいんだというふうに考えるようになるまでの色彩についての日本人の心の変化というものをたどれば、やはり、誰それ天皇の御代にこういう戦があって、こういうふうに政権をとってというような、そういう歴史と同じ歴史が日本人の色彩感覚の移り変わりというもので捉えることができるんだということを、『明治大正史』のなかで柳田国男は言っています。
禁色
柳田國男は 1875年(明治8年)に生まれ 1962年(昭和37年)に死んだ
1875年の人々の感覚と 1962年の人々の感覚が 同じわけはなく
さらにいえば
1962年の人々の感覚と 2022年の人々の感覚が 同じわけもない
だから
柳田國男の感覚は 私たちの理解のはるか外にあることを 忘れてはならない
「褻(ケ)」 と 「晴れ(ハレ)」
「現滅の常なきもの」 と 「永くとどまって変わらぬもの」
「移り動く地上の色」 と 「変わることのない天上の色」
「常の日の安息」 と 「特別な時の興奮」
「樹の陰のようなやや曇ったる色」 と 「こころときめく ゆゆしき禁色」
その違いは 私たちにもよくわかる
でも 禁色の煌びやかさはもうどこにもなく
禁色のゆゆしき感じは もう誰にもわからない
私たちが「褻(ケ)」の色を好むのは
常に興奮している現代に疲れ
以前の渋いという味わいを懐かしく思うからだ
柳田國男は そう説明した
でも
私たちが「褻(ケ)」の色に感じるのは
自然の色の無限の豊かさであって
常の日の安息というようなものではない
自然の色の無限の豊かさのなかで
私たちは生まれ 死んでゆく
この世に禁色を蘇らせても
その色はやがて褪せてゆく
私たちが禁色と思っているものは
もはや禁色ではない
自然の禁色も 人がつくった禁色も
もうどこにもない
柳田國男
こういう二通りの色の分かちが存する限り、たとえ技術はこれを許すとしても、人は容易に禁色を犯そうという気にはならなかった。興奮はたとえば平野の孤丘のごときもので、それがなかったならば人生はもちろん寂しい。しかもしばしばその上に登り立つことも、堪えがたき疲労でありまた前進の妨げであった。それゆえに我々ははなやかなる種々の色が、天地の間に存することを知りながらも、各自は樹の陰のようなやや曇ったる色を愛して、常の日の安息を期していたのであった。それが固有の染料の自らの制限だけでなかったことは、単なる白という色の用い方を見てもよくわかる。現在は台所の前掛けにまでも使われるようになったが、白は本来はゆゆしき色であった。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前はこれを身に着けることはなかったのである。つまりは目に立つ色の一つであり、清すぎまた明らかすぎたからである。こういうやや不自然なる制限の解除せられたことは、一つには異なる外国の風習の、利あって害なきことを知ったからでもあるが、それよりも強い理由は褻と晴れとの混乱、すなわちまれに出現するところの興奮というものの意義を、段々に軽く見るようになったことである。実際現代人は少しずつ常に興奮している。そうしてやや疲れてくると、初めて以前の渋いという味わいを懐かしく思うのである。
Vincent Van Gogh
If you hear a voice within you say “you cannot paint,” then by all means paint, and that voice will be silenced.
Fazioli
唯想国际(X+living)
Shafiq Alnawab
墨絵
墨で書いた絵をじっと見ていたら
ないはずの色が見えてきた
絵はモノクロの写真に似て
空は空の色を
雲は雲の色を
内蔵しているかのようだ
日が昇り 光を取り戻した街が
色彩でいっぱいになるように
絵のなかに隠された色が
墨のなかからにじみ出て
墨のないところまで
色づいてゆく
絵の余白に現れた色は
言葉にならないほど 美しい
その色が
色相や明度や彩度で表されることは
ない
こころのなかに あらわれた色は
ぼんやりとして
やがて消えた
目の前の絵は
墨の絵に戻っていたけれど
その墨はもう
前の色ではなかった
芸術
江戸時代までは
芸術という言葉はなかった
言葉がなかったくらいだから
芸術家もいなかった
もちろんアートはなく
アーティストもいなかった
絵師や彫師や摺師はいた
浮世絵師と呼ばれる人もいた
でも芸術家やアーティストはいなかったのだ
明治時代になるまでは
美術という言葉もなかった
明治政府は
音楽画学像ヲ作ルノ術詩学等ヲ美術ト云フ
と定め
美術の字穏当ならずと雖も 今姑く之を襲用す
などと言ってその場を凌いだ
宮大工 家大工 建具師 指物師 曲物師
そんな職人をアーティストと呼んだら
せっかくの出来上がりがウンチクばかりになってしまうし
庭師をアーティストと呼び 庭をアートと言えば
庭から情緒が消え 庭園になってしまう
私たちの場所には芸術はいらない
もちろんアートなどいらない
大事なことは職人がやってくれる
語る人はいらない
君への気持ちを言葉にして伝えるのは なにか違う気がする
芸術もアートも必要ないように 言葉も必要ない
言葉にした途端 本当のことが本当でなくなる
君への気持ちが嘘になる
だから伝わることを期待して ただ 佇む
伝わらないことは承知で ただ ただ 佇む
文化施設
海を見下ろす高台に並べられたものたちが
なぜかアートと呼ばれ
インターネットから事前に入館料を払った人たちが
決められた時間に見学に来る
神社にあった石は
神社にあってこその石なのに
神社とは関係ない場所に置かれ
アートというものに成り下がっている
寺の門は
寺の入口にあってこその門なのに
寺とは関係ない場所に建ち
アートになっている
石舞台のミニチュアは
なんの神秘も感じさせず
茶を点てることのない茶室は
なんの輝きも持たない
人の立つことのない舞台に
立とうとしたら
監視員が飛んできて
立たないでくださいと丁寧に咎める
雨音を聞くためというトタンの屋根は
わざとらしさをあざとく纏い
衣食住を感じさせない場所では
無機質なものたちが自然を演出する
気持ち悪いくらいに整った庭
反射することのない硝子
錆びることのない錆びた感じの鉄
雨が降ると濡れた感じになる石
散歩のために用意された見せかけの竹林と
収穫がショーになる蜜柑の木と
歩きにくそうなのに歩きやすい石畳とが
アートらしきものを観光の道具にする
ここを訪れて思い出したのは
美術館に置かれて拝まれることのなくなった仏像
移設されて住む人のいなくなった住宅
シナリオ通りに進むスポーツというショー
そこにいることに腹を立てながら
見える海をきれいだと思い
バカらしいと思いながら
写真を撮る
こんな気持ちにさせるのも
計算のうちなのだろうか
そう思って前を見たら
係員とわかる人が微笑んだ
雨が降っていたならば
月が照っていたならば
そう思って空を見上げていたら
送迎バスがやって来た
誰がために
聴く人のいない音楽や
見る人のいない映画は
読む人のいない物語に似ている
聴く人が
メロディーを変えることはなく
見る人が
映像を乱すこともない
読む人が
物語に入り込むなんてありえない
出来上がった音楽は
譜面の上にあり
出来上がった映画は
ディスクのなかに埋もれ
出来上がった物語は
紙の上で固まっている
録音されなかった音楽は
演奏するたびに異なった音を紡ぎ
撮影されなかった演劇は
上演されるたびに台詞が違い
紙の上に固定されなかった物語は
語られるたびに彩を変えた
聴く人を知らない音楽には
興奮や喜びがなく
見る人を知らない映画には
笑いも涙もない
受けとる人を知らない物語は
始まる前から終わっている
流れのない音楽には
淀みしかなく
画面の変わらない映画には
輝きはない
心のない物語からは
事実しか伝わってこない
それでも人は
聴く人のいない音楽を編み出し
懲りることなく
見る人のいない映画を制作し
あてどなく
読む人のいない物語を書き続ける
聴いてほしい人は自分の音楽に酔っていて
他人の音楽を聴くだけの余裕はなく
見てほしい人は映像の制作で手いっぱいで
他人の映画を見ることなど考えない
読んでほしい人は書くことに夢中で
他人の物語を読む時間を持たない
音楽も映画も物語も
みんなみんな自分のため
作り手も自分のため
受け手も自分のため
でもそのほうが
他人のためというよりも
ずっといいのかもしれない
ホキ美術館
軽井沢千住博美術館
葛飾北斎
岡倉天心
実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の歎じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。
佐藤達夫
扱った植物は、庭で育てたものや、次女のいけ花のおさがりや、東京ちかくの野や丘で採取してきたものなど、ごく身ぢかなものが大部分である。我流の、まったくお恥ずかしい絵だが、すべて実物をお手本にいっしょうけんめいに描いた。へたながらも、草木にたいするわたしの愛情がすこしでも滲みでていたらうれしいと思う。
忙しい公職をもつわたしが、こんなのんきな本を出したりすると、いかにも、本職をおろそかにして、わき道に熱中しているように誤解されそうである。しかし、これは、まったく業余の息ぬきであり、ひとさまがゴルフや麻雀を楽しみ、野球放送などに興じておられる時間をあてての、わたしなりのレクリエーションなのだから、このくらいのあそびは許していただけるだろう。
久保孝久
Claude Monet
Vincent van Gogh
Makoto Fujimura
The Metropolitan Museum of Art
STEM to STEAM
In this climate of economic uncertainty, America is once again turning to innovation as the way to ensure a prosperous future.
Yet innovation remains tightly coupled with Science, Technology, Engineering and Math – the STEM subjects. Art + Design are poised to transform our economy in the 21st century just as science and technology did in the last century.
We need to add Art + Design to the equation — to transform STEM into STEAM.
STEM + Art = STEAM
STEAM is a movement championed by Rhode Island School of Design (RISD) and widely adopted by institutions, corporations and individuals.
The objectives of the STEAM movement are to:
- transform research policy to place Art + Design at the center of STEM
- encourage integration of Art + Design in K–20 education
- influence employers to hire artists and designers to drive innovation
山口周
課題を解くアプローチとして、私が考えているのが、「サイエンス」「クラフト」「アート」の3つです。サイエンス、つまり科学的アプローチで解決できるのは、いわゆるマニュアル業務でしょう。LABORの場合、既存のマニュアルに頼れば一定の仕事の成果を上げることができます。
ところがCEOに近づくほど、サイエンスでは解けない問題が増えていきます。ここで次に頼るのが「クラフト」です。これはいわば経験や勘によるアプローチ。マニュアルに書かれていない課題にぶつかったとき、クラフトが活きてくる場面は少なくないでしょう。
ところが、現代のように変化が早い時代に入ると、クラフトを使っても対応できない課題が増えてしまう。過去の成功体験のとおりやってみても、前提となる社会環境が変わってしまっているため、うまくいかないのです。
サイエンスで解けず、クラフトも効かない――。そんなとき最後に頼るアプローチが、内在的に「真・善・美」を判断する美意識による「アート思考」です。今、世界のエリートたちが早朝のギャラリートークに参加して美意識を鍛えているのも、単に教養を身につける目的ではなく、ビジネス上の極めて功利的な目的によるものなのです。
Frédéric Lère
轉法輪寺
Arthur Schopenhauer
Never in my life having enjoyed the true happiness of love I shall erect a memorial to this loveliest of all dreams in which, from the first to the last, love shall, for once, find utter fulfillment.
Carol Vogeldec
In the preface to his only novel, “The Picture of Dorian Gray,” Oscar Wilde famously proclaimed that “all art is quite useless.” The statement seemed so intriguing to a contemporary, an Oxford University student named Bernulf Clegg, that in 1891 he wrote Wilde asking him where in his other work he “may find developed that idea of the total uselessness of all art.”
Wilde, not directly answering Clegg’s question, responded: “Art is useless because its aim is simply to create a mood. It is not meant to instruct or influence action in any way. It is superbly sterile, and the note of its pleasure is sterility.”
松村公嗣
いけばな嵯峨御流
日本は美しい自然に恵まれ、四季折々の風景は心の安らぎを与えてくれます。昔から人々は、常に変化していく植物の美しさを瓶に移し、神仏に捧げ、花と語らい、そして少しでも長もちさせたいと考えました。
そこにより深い感動を持たせようとしたとき、芸術としての「いけばな」が生まれたのです。
平安の初め、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿されました。その姿が「天、地、人」三才の美しさを備えていたことに感動され、「後世花を生くるものは宜しく之を以って範とすべし」とおっしゃいました。これがいけばな嵯峨御流の始まりであると伝えられています。嵯峨天皇の自然や草木に対する慈しみの心が、嵯峨御流の礎になっています。
熊田千佳慕、熊田すぎ子
熊田 一番のもとは戦災で焼けたということなんです。これが僕にはとても福になったんです。
熊田夫人 五月二十九日の空襲は朝でしたから、物を防空壕へ非難させる暇がなかったんです。朝起きない人で、普通は早く起きてきても十時ですから、まだ寝ていたんです。
熊田 きれいさっぱり焼けてしまったので、師匠の山名文夫先生の所に行ったら、全部道具を集めてくださったのです。いつもなら素直にいただいてくるのに、何か抵抗があるんですね。「鉛筆一本で結構です」と言うと「えっ!」とびっくりされた。消しゴムも要らない。鉛筆一本と紙をいただいて帰ってきたんです。
そしたら一本の線を引くにも、普通の方は何本も引いて要らないところは消して一本の線を引く。それができないから、物を見るときによく見るんですね。見て、もう一つは見つめるんです。そして最後に、あっ、これだと見極める。見て、見つめて、見極める。このプロセスを神から授かったんですね。
それで、あっ、この線だなと思うときにスッと引く。こういうスケッチがそれから始まったんです。そこまでいかないといけない。そうすると頭に入りますね。そういう環境にならなかったら、今の絵はなかったわけですよ。
熊田千佳慕
島村光
佐藤幹児
小西麻美
teamLab
Charlotte Perriand
Bianca Bromberger, Rebecca Sternschein, Page Widick, William Smith, II, Anjan Chatterjee
Historically, art and esthetics have been well ensconced in the humanities and have not been considered seriously within the sciences. Fechner (1876) began the field of empirical esthetics. More than a century later, neuroscience is playing catch-up, and is finally coming of age (Skov and Vartanian, 2009; Chatterjee, 2011). Theoretical positions and a few books linking neuroscience to art have appeared (Ramachandran and Hirstein, 1999; Zeki, 1999; Livingstone, 2002; Chatterjee, 2004a). Empirical studies using imaging techniques looking at our responses to beauty (Aharon et al., 2001; Ishai, 2007; Winston et al., 2007; Chatterjee et al., 2009) as well as to different kinds of artwork (Kawabata and Zeki, 2004; Vartanian and Goel, 2004; Jacobsen et al., 2005; Ishai et al., 2007; Cela-Conde et al., 2009) are being published. Recent conferences devoted to art and neuroscience (Nadal and Pearce, 2011) attest to the growing interest in the biology of esthetics. In this paper, we examine the state of one important aspect of neuroesthetics, the neuropsychology of art (Chatterjee, 2004b; Bogousslavsky and Boller, 2005; Zaidel, 2005). We outline reasons that this aspect of neuroesthetics has been relatively undeveloped and report our initial attempts to rectify this situation.
元田久治
Royal Copenhagen
Arnold Krog
Berndnaut Smilde
Fernando Pessoa
Art consists in making others feel what we feel, in freeing them from themselves by offering them our own personality. The true substance of whatever I feel is absolutely incommunicable, and the more profoundly I feel it, the more incommunicable it is. In order to convey to someone else what I feel, I must translate my feelings into his language – saying things, that is, as if they were what I feel, so that he, reading them, will feel exactly what I felt. And since this someone is presumed by art to be not this or that person but everyone (i.e. that person common to all persons), what I must finally do is convert my feelings into a typical human feeling, even if it means perverting the true nature of what I felt.
Ruben Östlund
So many directors kill people left and right. I have never experienced anything like that in my life. And I want my films to be true to my experience.
山田喜美子, 張大千
Alvar Aalto
古谷振一
Alexandre Cabanel
池田清明
徽宗
Louvre
Giuseppe Fagnani
Musée du Louvre
Rune Froseth
深澤直人
俳句は、いいものがあって詠むわけではなくて、特別ではない、ふつうの領域が、妙にアーティスティックに高まるということがすごい。きっとデザインと同じように、何らかのことを入力したり考えたりしていたことが、ある瞬間に、ふっとひとつの調和した線みたいなものが見えたときに、ポンとでるのかなあ。デザインと俳句はすごく似ているんじゃないかと思います。
くろすけ
France
1 % des sommes consacrées par l’État pour chaque construction d’établissement scolaire ou universitaire devra financer la réalisation d’une œuvre d’art contemporaine intégrée au projet architectural.
Les communes, les départements et les régions doivent consacrer 1 % du montant de l’investissement à l’insertion d’oeuvres d’art dans toutes les constructions qui faisaient l’objet, au 23 juillet 1983, date de publication de la loi n° 83-663 du 22 juillet 1983 complétant la loi n° 83-8 du 7 janvier 1983 relative à la répartition de compétences entre les communes, les départements, les régions et l’Etat, de la même obligation à la charge de l’Etat.
伊勢英子
伊東深水
東信(あずま まこと)
AMKK(東信、花樹研究所)とは、フラワーアーティスト東信の花・植物を題材とした実験的なクリエイションを展開していく集団であり、その活動は、花・植物のみが有しているもっとも神秘的な形を見つけ、それを芸術的レベルに変換し表現する事で、植物の存在価値を高める事に一貫している。