AI に影響された社会

 人間は見ることを学び、考えることを学び、話すことを学ぶ。AI も見ることを学び、考えることを学び、話すことを学ぶ。同じことをしているようだが、目指すところは違う。
 人間が見ることを学ぶというのは、「目に落ち着きを持ち、見られるものが自ら現れるのを待つ」ということに尽きる。見ることに集中し、深く考え、深く思い、長いまなざしで見ることができるようになればいい。
 それに対し、AI が見ることを学ぶ場合には、ディープラーニングという言葉とは裏腹に、浅い。インプットにすぐ反応し、最良と思われる方法で処理する。ためらうことも躊躇することもなく、手を休めたり佇んだりすることもない。疲れることもなく、否定することもない。ひたすらインプットを受け入れ続ける。
 人間には「何も考えない」とか「何もしない」という選択がある。サボることもできるし、出来ないと判断して止めることができる。ところが AI には「止めずに、し続ける」という選択しかない。ひたすら何かをし続けて、ひたすら肯定し続けるのだ。
 人間は答えがないという状況に慣れている。答えがあったとしてもその答えに自信が持てず、不安になる。ところが AI には、答えがないという状況は訪れない。いつも最良の答えが見つかり、揺らぎがない。
 AI を仕事にするなどして長いあいだ AI に触れていると、AI の影響を強く受けて、AI のような人間になってしまう。中断を嫌い、いつも忙しくしていて、どんなインプットにも反応してしまう。AI と同じことをしてしまうのだ。
 でも人間が AI と同じことをしても AI のようにはいかない。AI のように速く処理できないし、休みなしで処理し続けているうちに、判断は鈍り、疲れ果ててしまう。AI はインプットにすぐに反応し最良の方法で処理に向かうが、人間がインプットにすぐに反応すると必ずといっていいほどミスをする。
 人間には、能力を生かし続け、成果を生み出し続けることはできない。人間が AI のように否定しないで処理し続けていれば、疲れ果て、燃え尽きてしまう。新しいものに惹かれ、速さに惹かれ、見慣れないものに惹かれ、出来ないことに惹かれ、働き続けているうちに、壊れてしまう。
 人間は休みたくなるように出来ている。遊びたくなるように出来ている。逃げ出したくなるように出来ている。AI はどこまでも論理的で合理的だが、人間は非論理的で非合理的だ。人間が AI に影響され、AI のようになってゆけば、悲劇が待っている。

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