shinichi Post author26/01/2023 at 12:13 am こどもサピエンス史: 生命の始まりからAIまで by ベングト=エリック・エングホルム http://bengterikengholm.se/wp-content/themes/emfoundation0142BEE/images/page.jpeg 二本足で立ち上がり、頭がよくなって、作物を育て、文字やお金を発明して、ものを売り買いするようになっただけじゃない。 地球をわがもの顔に使ったり、先住民族を滅亡させたり、ひどいこともしてきた。 人類の長い歴史をふり返ってみれば、未来への道も見えてくる。 オールカラーのイラストで、楽しく学べるはじめての人類史。 いまなぜSDGsが必要なのかが、すんなりわかる。 小学校高学年以上で習う漢字にはルビつきで、朝読にも最適。 『サピエンス全史』を読破できなかったおとなにもおすすめです。 【目次】 「頭の中の大革命」 「農耕の始まり」 「みんなでいっしょに」 「科学が世界に広まる」 「モノとお金」 Reply ↓
shinichi Post author26/01/2023 at 12:14 am 長谷川眞理子 人間は30万年ほとんど進化していない by 長谷川眞理子 進化生物学者で総合研究大学院大学学長の長谷川眞理子さんのお薦め本3回目は 『こどもサピエンス史 生命の始まりからAIまで』 (ベングト=エリック・エングホルム著/久山葉子訳/NHK出版)。狩猟採集生活からAI(人工知能)の登場まで、ひねりの効いたイラスト入りで解説。いかにして文化・文明を高度化させ、今に至ったかがよく分かります。子どものみならず、目先のことにばかり関心が向かいがちな大人こそ読みたい。 親子で読んで議論のきっかけに 数年前、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(柴田裕之訳/河出書房新社)が世界的なベストセラーになりました。現生人類(ホモ・サピエンス)の歴史を「認知革命」「農業革命」「科学革命」という3つの革命で説明する、大変ユニークな本です。 しかし、最終盤は少し疑問に思うところもあります。ハラリによれば、生命工学やAIなどのさらなる発達により、やがて人類は乗っ取られるかもしれないとのこと。私はそうは思いません。一般に「ソサエティ5.0」と呼ばれるような未来社会が実現したとき、そこに住む人類も「ヒューマン5.0」のような未来人に変化しているはずです。 ただし、歴史を俯瞰(ふかん)的に振り返ることは重要です。そこでお薦めしたいのが、『こどもサピエンス史 生命の始まりからAIまで』。著者であるスウェーデンの作家ベングト=エリック・エングホルムによれば、『サピエンス全史』に触発されてこの本を書いたそうです。 タイトル通り子ども向けで、とてもやさしい書き方をしています。中身もしっかりしていて、現代の暮らしを念頭に置きつつ、生命誕生から農耕の始まり、国家の誕生、科学技術の発展、資本主義の功罪、そして最後はAIの登場まで紹介し、未来を展望しています。 多くちりばめられたイラストもシニカルで面白い。「ホモ・サピエンス」の名の由来は「賢い人」ですが、人類が差別や戦争を繰り返してきたことに触れて「他の名前にした方がよかったんじゃないか」と問いかけ、「ホモ・オバカサン」というイラストを載せたりしています。 子どものみならず親も一緒に読んで、世の中の現在進行形の問題や未来の社会について議論するきっかけになればいいなと思います。 人は集団で子どもの面倒をみてきた 例えば昨今、保育所不足がしばしば問題になります。今まではお母さんが家にいて子育てをしていたが、外に働きに出るようになったので保育所の増設が必要になった、というロジックで語られることが少なくありません。確かに戦後の高度成長期には、専業主婦という役割が定着していました。その延長線上で考えてしまうと、女性にもっと外で働いてもらうか家で子育てをするかの二者択一を迫るような、極めて狭量な議論になりかねません。 しかし、この本でも触れていますが、もともとホモ・サピエンスは数十人から100人前後の集団による共同生活が基本でした。共同で狩猟採集を行って食糧を分け合い、共同で子どもや高齢者の面倒をみていました。言い換えるなら、ホモ・サピエンスは集団でなければ子どもを育てられない動物だったのです。 そう考えると、お母さん1人に子育てを任せるのはおかしいことが分かります。むしろ専業主婦のような形態の方が、長い歴史の中では不自然でした。実は、今も学校教育は学校の先生に、体調を崩せば病院の先生に頼むのが当たり前。誰も1人だけで子どもを育てているわけではありません。そこを出発点にすれば、もっと地域全体で子育てをしなければならないという発想になるはずです。その一環として保育所があると捉えれば、議論も深まっていくと思います。 ところで、自然人類学の観点から見ると、ホモ・サピエンスは30万年前の登場以来、生物としてはほとんど進化していません。今から1万年前、牧畜民が乳糖耐性という遺伝子を持つことで牛乳を飲んでもおなかを壊さなくなりましたが、それが1万年を経て多くの人類集団に浸透したことぐらいでしょうか。 人間は進化していない 言い換えるなら、生物として特に進化する必要がなかったということでもあります。なぜなら、人間の脳は抽象的・論理的な思考が可能であり、しかもそれを他者と共有できたから。身体ではなく文化環境を進化させたからです。 例えば石器のような道具一つにしても、誰かが使いやすい形を考案して周囲に披露したら、「ここをこうした方がいい」「こうすれば効率的に作れる」といった議論になり、あっという間にもっと使い勝手のいい石器になるでしょう。そうなれば、誰もがそれを使ったり、さらに改良を加えたりするはずです。つまり、文化が浸透するスピードは極めて速いわけです。 あるいは、クマが北極圏で暮らせるように白いホッキョクグマに進化するまでには、何百万年、何千万年という長い年月が必要でした。しかし、イヌイットの人たちが北極圏に進出するために生物的に進化したということは、ほんの少ししかありません。毛皮を着るとか、雪で家を造るといった知識や技術や文化で対応できたからです。 おそらく今後も、人間の脳が生み出す文化環境はどんどん変化していきますが、生物としての進化はあまりないのではないでしょうか。むしろ運動の機会が減れば骨密度は低くなるし、メタボリック・シンドロームにもなります。また、必要な情報をすべてスマホに入れるようになれば、記憶力も落ちるでしょう。 いろいろ自動化やアウトソーシングが進んで自分の時間が増えるかもしれませんが、その時間に何をしているかといえば、たいてい遊んでいるだけ。でも、このような変化によって「退化」のようなことが起こっても、そのほとんどは個体の成長における可塑性(力を加えて変化した形がそのままになること)による対応であって、進化ではないと思います。 それはともかく、今日の私たちの脳や身体の働きは、すべて人類の長い歴史の上に成り立っています。その時々によりよく生きるために編み出した対応策が蓄積されて、今日に至っているわけです。つまり歴史を振り返ることは、自分自身を知ることでもある。そういう観点でこの本を読むと、いっそう興味を持てるのではないでしょうか。 Reply ↓
こどもサピエンス史: 生命の始まりからAIまで
by ベングト=エリック・エングホルム
http://bengterikengholm.se/wp-content/themes/emfoundation0142BEE/images/page.jpeg
二本足で立ち上がり、頭がよくなって、作物を育て、文字やお金を発明して、ものを売り買いするようになっただけじゃない。
地球をわがもの顔に使ったり、先住民族を滅亡させたり、ひどいこともしてきた。
人類の長い歴史をふり返ってみれば、未来への道も見えてくる。
オールカラーのイラストで、楽しく学べるはじめての人類史。
いまなぜSDGsが必要なのかが、すんなりわかる。
小学校高学年以上で習う漢字にはルビつきで、朝読にも最適。
『サピエンス全史』を読破できなかったおとなにもおすすめです。
【目次】
「頭の中の大革命」
「農耕の始まり」
「みんなでいっしょに」
「科学が世界に広まる」
「モノとお金」
長谷川眞理子 人間は30万年ほとんど進化していない
by 長谷川眞理子
親子で読んで議論のきっかけに
数年前、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(上)(下)』(柴田裕之訳/河出書房新社)が世界的なベストセラーになりました。現生人類(ホモ・サピエンス)の歴史を「認知革命」「農業革命」「科学革命」という3つの革命で説明する、大変ユニークな本です。
しかし、最終盤は少し疑問に思うところもあります。ハラリによれば、生命工学やAIなどのさらなる発達により、やがて人類は乗っ取られるかもしれないとのこと。私はそうは思いません。一般に「ソサエティ5.0」と呼ばれるような未来社会が実現したとき、そこに住む人類も「ヒューマン5.0」のような未来人に変化しているはずです。
ただし、歴史を俯瞰(ふかん)的に振り返ることは重要です。そこでお薦めしたいのが、『こどもサピエンス史 生命の始まりからAIまで』。著者であるスウェーデンの作家ベングト=エリック・エングホルムによれば、『サピエンス全史』に触発されてこの本を書いたそうです。
タイトル通り子ども向けで、とてもやさしい書き方をしています。中身もしっかりしていて、現代の暮らしを念頭に置きつつ、生命誕生から農耕の始まり、国家の誕生、科学技術の発展、資本主義の功罪、そして最後はAIの登場まで紹介し、未来を展望しています。
多くちりばめられたイラストもシニカルで面白い。「ホモ・サピエンス」の名の由来は「賢い人」ですが、人類が差別や戦争を繰り返してきたことに触れて「他の名前にした方がよかったんじゃないか」と問いかけ、「ホモ・オバカサン」というイラストを載せたりしています。
子どものみならず親も一緒に読んで、世の中の現在進行形の問題や未来の社会について議論するきっかけになればいいなと思います。
人は集団で子どもの面倒をみてきた
例えば昨今、保育所不足がしばしば問題になります。今まではお母さんが家にいて子育てをしていたが、外に働きに出るようになったので保育所の増設が必要になった、というロジックで語られることが少なくありません。確かに戦後の高度成長期には、専業主婦という役割が定着していました。その延長線上で考えてしまうと、女性にもっと外で働いてもらうか家で子育てをするかの二者択一を迫るような、極めて狭量な議論になりかねません。
しかし、この本でも触れていますが、もともとホモ・サピエンスは数十人から100人前後の集団による共同生活が基本でした。共同で狩猟採集を行って食糧を分け合い、共同で子どもや高齢者の面倒をみていました。言い換えるなら、ホモ・サピエンスは集団でなければ子どもを育てられない動物だったのです。
そう考えると、お母さん1人に子育てを任せるのはおかしいことが分かります。むしろ専業主婦のような形態の方が、長い歴史の中では不自然でした。実は、今も学校教育は学校の先生に、体調を崩せば病院の先生に頼むのが当たり前。誰も1人だけで子どもを育てているわけではありません。そこを出発点にすれば、もっと地域全体で子育てをしなければならないという発想になるはずです。その一環として保育所があると捉えれば、議論も深まっていくと思います。
ところで、自然人類学の観点から見ると、ホモ・サピエンスは30万年前の登場以来、生物としてはほとんど進化していません。今から1万年前、牧畜民が乳糖耐性という遺伝子を持つことで牛乳を飲んでもおなかを壊さなくなりましたが、それが1万年を経て多くの人類集団に浸透したことぐらいでしょうか。
人間は進化していない
言い換えるなら、生物として特に進化する必要がなかったということでもあります。なぜなら、人間の脳は抽象的・論理的な思考が可能であり、しかもそれを他者と共有できたから。身体ではなく文化環境を進化させたからです。
例えば石器のような道具一つにしても、誰かが使いやすい形を考案して周囲に披露したら、「ここをこうした方がいい」「こうすれば効率的に作れる」といった議論になり、あっという間にもっと使い勝手のいい石器になるでしょう。そうなれば、誰もがそれを使ったり、さらに改良を加えたりするはずです。つまり、文化が浸透するスピードは極めて速いわけです。
あるいは、クマが北極圏で暮らせるように白いホッキョクグマに進化するまでには、何百万年、何千万年という長い年月が必要でした。しかし、イヌイットの人たちが北極圏に進出するために生物的に進化したということは、ほんの少ししかありません。毛皮を着るとか、雪で家を造るといった知識や技術や文化で対応できたからです。
おそらく今後も、人間の脳が生み出す文化環境はどんどん変化していきますが、生物としての進化はあまりないのではないでしょうか。むしろ運動の機会が減れば骨密度は低くなるし、メタボリック・シンドロームにもなります。また、必要な情報をすべてスマホに入れるようになれば、記憶力も落ちるでしょう。
いろいろ自動化やアウトソーシングが進んで自分の時間が増えるかもしれませんが、その時間に何をしているかといえば、たいてい遊んでいるだけ。でも、このような変化によって「退化」のようなことが起こっても、そのほとんどは個体の成長における可塑性(力を加えて変化した形がそのままになること)による対応であって、進化ではないと思います。
それはともかく、今日の私たちの脳や身体の働きは、すべて人類の長い歴史の上に成り立っています。その時々によりよく生きるために編み出した対応策が蓄積されて、今日に至っているわけです。つまり歴史を振り返ることは、自分自身を知ることでもある。そういう観点でこの本を読むと、いっそう興味を持てるのではないでしょうか。