Daily Mail Reporter

HawaryuThe beauty of one of Tokyo’s most popular geisha has been preserved in a series of stunning postcards taken more than a century ago.
The collection of images shows Hawaryu, who worked in the Japanese capital at the beginning of the 20th century, posing in a variety of elaborate kimono with her hair pinned in traditional style.
Her porcelain skin and doll-like features have captured the imagination of internet users who have shared the pictures hundreds of times since they were posted.

萬龍(まんりゅう)」を「Hawaryu」と書いて記事にしてしまうデイリー・メール。イギリスの新聞が日本のことを書けば、この程度のことは起きる。「芸妓」についての理解もまったくない。
この記事を真に受け、「はわりゅう」さんなどといって紹介したり、それを読んで、“はわりゅう”というのも奇妙な名前でなどというのが日本人だから、イギリス人のことは笑えないけれど。

6 thoughts on “Daily Mail Reporter

  1. shinichi Post author

    本名は田向静。7歳で東京赤坂花街の芸妓置屋・春本の養女となり、お酌(半玉)を経て芸妓になった。

    当時の一流芸妓は多くの男性の憧れの対象であり現在のタレント、アイドルに相当する存在であった。また日露戦争の際、出征兵士のために慰問用絵葉書が作成されたのをきっかけに戦争後も芸妓の絵葉書が流行しブロマイドのように多数作成されていた。

    萬龍は絵はがき美人として人気を博し、1908年に「文芸倶楽部」誌が主催した芸妓の人気投票「日本百美人」で9万票を得て第1位となった。新聞に「萬龍物語」が連載され、三越のポスターなどにも登場し、「酒は正宗、芸者は萬龍」と流行歌にも歌われるほど評判を呼んだ。

    1910年箱根で大洪水に遭い、貧血を起こし逃げ遅れかけたところを東京帝国大学の学生・恒川陽一郎に助けられるという事件があった。翌年、再会した2人はやがて恋におちた。恒川は谷崎潤一郎の府立一中、一高以来の同級生であり、同人誌「新思潮」に参加する文学志望の青年であった(横浜船渠第一号船渠などのドック建設で知られる恒川柳作は父)。

    1913年恒川と萬龍は結婚。大学生と芸妓のロマンスは新聞紙上で大きく取り上げられた。1914年7月、恒川は東京帝大法科大学政治学科を卒業、同年、自伝的小説『旧道』を刊行し評判になった。ところが結婚4年目の1916年、恒川が病死し、若くして未亡人になってしまった。再び萬龍として芸妓に戻るのかどうかが世間の関心を集めたが翌年(1917年)、恒川の知人である建築家の岡田信一郎と結ばれることになった(岡田静となる)。

    再婚後は病弱な夫の看護や設計事務所の手伝いに専念した。岡田は1932年に逝去し、再び未亡人となった。後半生は遠州流の茶道教授として多くの弟子に慕われる存在であった。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    わあ、どうもありがとうございます。

    「2ちゃんねるでの討論」っていうのがいいですね。

    ほんとうに、もう少し、調べますね。

    Reply

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