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天才(小野伸二)

(小野伸二は)プレー中に特別な映像が見えたことがあるのか? との質問に「ある」と回答。「プレー中というかトレーニングしている中で、常に敵や味方っていう映像(感覚)が全部あるわけですよ。普通のトレーニングしている時もそうだし、だからトラップの仕方とかも自分で変えていたし、ここに止めると敵がどう動くと想定しながらいつもやってたんで。みんなもそういうもんなんだと思ってた」と明かした。
続けて、それはプロでもふかんとして見えていたのか? と問われると、「みんなそうやって言うけど僕はそうじゃない。平面の映像で持っていたから。その前に自分で情報を集めていたので、だからすごい首は振ってました」と話した。
さらに「怪我以降、それが見えなくなったと?」と話を振られると、「そうです。それが一番驚きで、怪我から復帰してヤッターってワクワクして練習に行ったのに、何だろう今日は楽しいんだけど何か物足りない。アッ!! 映像が何もないぞと。ただ単にトレーニングしてるだけみたいな。あの映像はいつ戻ってくるのかと期待していたけれど、どれだけ時間が経っても戻らなかったですね」と衝撃のエピソードを披露。
番組ではどの時点での怪我だったのかは言及されなかったが、「だから、アレ以降いいプレーとういうか、アッと驚くようなプレーは出せなかったかもしれない。僕の中で最高のものは出せなかったかなと」と、自身の “サッカー人生” を大きく変えてしまった怪我を今でも残念がっている様子だった。

笹川良一、寺山修司

本当か嘘かは知らないが、笹川良一が競艇場に集まった競艇ファンを前にして、
「諸君がギャンブルに狂っているあいだに、諸君の妻や子は泣いている。こんなところに来てカネを賭けるようじゃいけない」
と説教を垂れたという。

また、これも本当か嘘かは知らないが、寺山修司が「天井桟敷」に劇を見に来る客について、
「劇を見て喜んでいるようではいけない。劇を見るのではなく、劇を演じるように生きなければ、何の意味もない」
と言ったらしい。

どちらの話も作り話だろうが、笹川良一と寺山修司の真髄をついてはいる。
競艇ファンがカネを賭けるおかげで天下国家を語ることができた笹川良一。
「天井桟敷」に来る客のおかげで好き勝手なことができた寺山修司。
どちらも普通ではない。

多様性、普遍性

多様性(diversity)の対義語は 画一性(uniformity)
diversity(多様性)の antonym は sameness(同一性)
多様性とは、ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在すること
画一性は、変化や特色がなくすべてが同じような感じ、一様で個性や特徴のないさま

普遍性(universality)の対義語は 特殊性(particularity)
universality(普遍性)の antonym は heterogeneity(異種性)
普遍性は、すべてのに通じる性質、広くすべての場合にあてはまる性質
異種性とは、さまざまな起源のものを含み,不均一であること

多様性の反対は画一性であって
普遍性は多様性の反対ではない

普遍性の反対は特殊性であって
多様性は普遍性の反対ではない

異質平等論

  • 男と女は違うけど平等というような異質平等論は良くないし、歪んだ考えだ。
  • 人々の多様性高齢者とか男性・女性という箱に押し込めようとするのは抑圧的な発想だ。
  • 男と女は違うけど平等という考え方は男らしさ女らしさを許容してしまっている。
  • 人間はぜんぶ違う。個人差は、性差を超え、年齢差を超える。

自分軸、他人軸

自分軸で生きる人 他人軸で生きる人
心中心 頭中心
〜したい、〜したくない 〜すべき、〜すべきでない
楽しいかどうか 正しいかどうか
自分のため 誰かのため
他者貢献 自己犠牲
自立している 依存している
嫌われても構わない 嫌われるのがこわい
自由 不自由
責任が降りかかってくるので危険 責任がないので楽だし安全
人を判断したりしない 人を自分の基準で判断する
損得は二の次 損得だ第一
創造 適合
自分は何が好きなのか 自分は良くみられているか
自分にとって何が大事なのか 自分は正しいことをしているか

梅原猛(東洋大学 井上円了リーダー哲学塾 公開講座)

梅原先生は、ご自身のこれまでの哲学研究に言及されました。まず、デカルトの『方法序説』から多くのことを教えられたと述べられましたが、デカルトは、人間を自然世界と対立するものとして捉え、自然は無機質であって、数学的法則で解明されるものであり、自然は人間に従うものとしている、このような考え方から、自然科学と技術は発展し、それが文明を創り、人間に幸福をもたらしたが、しかし、今やそれが、環境(自然)破壊を引き起こし、人類の生存を脅かすほどになっていると、指摘されます。
また、哲学者、ニーチェとハイデッガーは、そのような文明を強く否定する思想を打ち出したが、結局、それも人間中心主義から離れることがないと説かれます。
梅原先生は、40歳ごろに西洋哲学の限界を知ったと語られました。逆に、東洋思想や日本思想に、人間中心主義を超える思想が隠れているのではないかと、日本研究を志されました。その結果として、天台本覚思想の「草木国土悉皆成仏」という言葉の中にこそ、日本文化を象徴する思想が込められていると考えるに至ったということです。
そして、この「草木国土悉皆成仏」の思想は、日本の基層文化である縄文文化(漁労採集文化)の根本思想であり、さらにその後の弥生文化(稲作文化)にも受け継がれていると指摘されます。
この自然と一体となる考え方は、西洋の人間中心主義の考え方とは大きく異なるものであり、梅原先生は、西洋文明の根本にある人間中心主義では人類は救われない、人類文明について、古く狩猟採集の時代にまでさかのぼって再考しなければならないと強く訴えられるのです。

子育て

日本では口を揃えて
近年ではタイムインが主流になってきている
といい
英米では
タイムアウトこそが有効だ
という

子育てという
政治でも宗教でも哲学でもないところで
日本と英米との違いが際立つ

2月19日=今日はどんな日

◆出来事

▼米軍が硫黄島上陸(1945)▼連合赤軍の5人が長野県軽井沢町の浅間山荘に人質を取り立てこもる(1972)▼千葉県沖で海自イージス艦あたごが漁船と衝突し、漁船の父子2人が行方不明(2008)

◆誕生日

▼ニコラウス・コペルニクス(1473年=天文学者)▼スヴェン・ヘディン(1865年=探検家)▼藤岡弘(46年=俳優)▼村上龍(52年=作家)▼大森南朋(72年=俳優)▼中島美嘉(83年=歌手)▼チョン・ユジン(89年=俳優)▼イ・エリヤ(90年=俳優)

違うのは悪くない

 同じ音楽を聴き
 同じスポーツを観戦し
 同じ映画を観て
 同じ本を読む

 同じことに興味を持ち
 同じような趣味を持って
 同じような余暇をすごし
 同じように考える

 同じ商品を買い
 同じ飲み物を飲み
 同じ服を着て
 同じ道具を使う

 同じ価値を信じ込まされ
 同じ考え方を教え込まれ
 同じ能力を持たされ
 同じ行動をとる

 プロパガンダに惑わされ
 情報操作に引っかかり
 上の者に従い
 権威を敬う

 何も考えず
 何の疑問も持たず
 宗教を信じ
 科学を信じる

 人権や人道主義を信じ
 自由や民主主義を信じ
 自助や資本主義を信じ
 書かれたことを信じる

そんなことのすべてが終わった
同じがいいという時代は終わったのだ
違うことが悪いというのは
もう過去のことなのだ

いつ どこで 生まれたか

1920年代にドイツで生まれていれば
ヒトラーユーゲントの一員となり
1950年代に中国で生まれていれば
紅衛兵になったかもしれない

1920年代に日本で生まれていれば
南の島で餓死していたかもしれないし
1950年にアメリカで生まれていれば
ベトナムで人を撃っていたかもしれない

1920年代にソ連で生まれていたら
シベリアに送られたかもしれないし
1950年代にルワンダで生まれていれば
殺すか殺されるかしたかもしれない

そう 私たちの人生は
いつ どこで 生まれたかによって
まったく違うものになる
それは「運」などという言葉を超えている

豊かさと貧しさ

どの社会にも
豊かな人と貧しい人がいる

豊かな人は
悪いことをしたから豊かになったのだという
そういう考えから抜け出せない
貧しい人は
悪いことをしてでも 豊かになろうとする
そういう考えからも抜け出せない

心を豊かにするのも貧しくするのも
心の持ち方一つだとは思うけれど
豊かな人には
社会のことを考える人が多く
貧しい人には
社会のことをあまり考えない人が多いと
そんなふうに言われると
なにも言い返せない

暑い季節がやってくる
貧しい人たちには大変な日々が続く
寒い季節がやってくる
貧しい人たちには大変な日々が続く
ものの値段が上がる
貧しい人たちの暮らしは大変になる
災害がやってくる
貧しい人たちは窮する
でも
豊かな人たちは 何があっても困らない

そう思っていたら
あそこにあったはずの お屋敷は いつの間にか 消え
あそこにいたはずの お金持ちも いつの間にか いなくなっている

人の豊かさなんて 儚いもの
そう思ったら
豊かさなんて という気になる

貧しい人が 立派な家を持ち
立派な庭と 立派な塀と 挙句は立派なプールまで作り
豊かな人と思われて
社会のことなど おかまいなしに 自分のことばかり考えていたら
ある日突然 全財産を失って 貧しい人に 逆戻り

豊かだとか貧しいとかいっても 所詮は同じこと
そう思ってみたいけれど
どの社会も固定化し
豊かな人の子どもは豊かで
貧しい人の子どもは貧しいという
いやな状況がまかり通っているのを見ると
豊かな人の集まる場所に なにか仕掛けてやろうかと思う
やばい やばい そんなことは考えてはいけない

いちばんいいのは
豊かさとも貧しさとも関係なく つつましく暮らすこと
君と二人でつつましく暮らす
それが いい
いちばん いい

プーチン

ロシアのプーチン大統領は メディアでは 残忍な独裁者とか 判断能力を失って暴挙に走っているとか 散々なことが言われている でもロシア人はプーチンを選んできたのだし プーチンへの支持は 今も相変わらず大きい プーチン政権の運営は独裁的だけれど 独裁的だから悪いとは言い切れない

独裁者というと必ず名前があがるのがヒトラーだけれど ヒトラーもプーチンのように選挙で選ばれた ドイツ国民が投票によって意思を示し 選ばれたヒトラーが独裁的に物事を運んだ
21世紀になってから世界中に現れた100人以上の独裁者も そのほとんどが選挙で選ばれた
そして独裁的に物事を運んでいる プーチンも例外ではない

プーチンのロシアという国の運営を見ていると 国民の声の代弁という側面がよく見えてくる
プーチンは スターリンとはまったく違う やり方はどこまでも独裁的だけれど。。。

独裁者の決定は 議会とか司法といった時間のかかるプロセスを経ないので とても効率的だ 独裁者が 国民の多くが望むことをすれば 国民の声を代弁しているといって人気がでて また選ばれる

独裁者が正常な判断ができ 能力のある人たちが重要な決定を任されているうちは 独裁制はそんなに悪くない 民度の低い開発途上国の多くが独裁的な国の運営をするのには それなりの理由がある

ところが どんな制度も疲弊して ダメになってゆく 「能力のある人や 社会全体のことを考える人」が 「出世ばかりを考える人や 取り持ちと呼ばれるような人」に取って代わられ 独裁者が何げなく言ったことが拡大解釈されて伝わり ちょっとしたことが盛られて大きくなってしまう 多くの人たちが独裁者の機嫌を取るようになると 独裁制には終わりが来る

1938年を境にヒトラーの政治が大きく変わり 権力構造があっという間に腐敗し 1945年に滅びるまで なんと7年もの無駄な時が流れた 今のロシアのプーチンの権力構造も 腐敗して滅びてしまうのだろうが それまでにどれだけの時が流れるのやら

開発途上国なら クーデターが起き 政権が交代して新しい腐敗構造が生まれ すべてが以前のように続いて行く

ロシアのような国では    そうは簡単にいかない ただ今回のことで プーチンの権力構造が弱まるのは間違いない

ロシアが弱まった後で 中国がどうなるのか? ヨーロッパがどうなるのか? アメリカがどうなるのか? そして日本がどうなるのか? もう少し生きて なにが起こるのか見ていたい

レアンドロ・ダミアン(Leandro Damião da Silva dos Santos)

家の近くに危険な場所があった。密売人が住んでいたし、麻薬の取引も日常茶飯事。そこに、絶対に行かないように言われていた。12、13歳の頃だったかな。仲の良かった友達が、そこに入ってしまい、戻って来なかった。殺されたんだ。
自分より全然上手な選手も、サッカー選手になれなかった人もいた。別の道に進んだ人もいた
家族のために稼がないといけないし、そんな場所からはい上がりたかった。日本は違う。危険は一切感じない。新たに日本に来る選手にも「本当に何の危険もなく、安心安全な町」と伝えている。
今でこそ、欧州でプレー出来る選手も増えてきた。ただ、ビッグクラブではスタメンになれない、大活躍出来ていない。ブラジルは、代表選手じゃなくても、多くの選手が欧州でやっている。
三笘は世界でも有数な選手。違いを見せてくれる。
代表に重要なポジションはCF。ブラジルには過去にロナウド、アドリアーノという素晴らしい選手がいた。日本では上田が、その可能性を秘めている。フィニッシュ、シュートがいい。体の大きさ、強さをうまく使っている。
日本はここまでの歴史で、海外からいろんなことを学んでいる。必要なことは自分を信じてやること。そこが足りない部分。
ブラジルやスペイン、ドイツとの対戦は、難しいと言われているけど、ノーチャンスと言ったら、そこは違う。守備をして、対戦国を研究する。スピードがある選手もいる。有効活用して、カウンターを狙えば、ゴールも狙える。

World Values Survey

Surveys conducted immediately before and after the outbreak of the Ukrainian invasion on 24 February report that the majority of ordinary Russians expressed support for the Ukrainian war and for President Putin. Overall, across the series of initial polls, a ‘silent majority’ – about 60% of Russian respondents – indicated that they endorsed the “special military operation” in Ukraine. History will ultimately decide how much of the blame for initiating the bloodshed rests on Vladimir Putin alone, as well as his Kremlin acolytes, and how much responsibility rests with the tacit acceptance of ordinary Russians. It is important to determine this issue morally, to assess culpability for the conflict, and legally, to prosecute potential war crimes. Understanding Putin’s soft power can also provide insights into the long-term consequences of the conflict for his leadership and for the future of both countries. State propaganda and fake news about Ukraine “shooting its own citizens in the Donbas region” started back in 2014 and since then has been increasing in its pace and volume. Even if many ordinary Russians are badly misinformed, however, the early polls may still capture authentic attitudes reflecting a silent majority at home supporting Putin’s actions, and thus represent the social construction of reality in modern Russia.

外山滋比古

われわれはどれほど対象のあるがままを正しく理解しようとしても、なお、個人的偏差、色づけを免れることはできない。“誤解”のない理解はない。いわゆる誤解となるか、いわゆるおもしろい解釈となるかは、質的差異ではなく、程度の差に過ぎないのである。

信田さよ子

日本は、いまだに被害者が告訴しなければ加害者を逮捕できません。結果的にDV加害者は野放し、被害者だけが逃げたり、シェルターに入ったりすることになります。本当に不公平な状態のままです。2001年にDV防止法ができてから、多くの被害者支援者たちが加害者への処罰を要求してきましたが、ピタリとも変わらない。
国の公的文書において、「DV加害者プログラム」もしくは「更生プログラム」という文言がない国って、世界で2つしかないんですよ。

  日本と…? …北朝鮮?

そう。

高野陽太郎

多くの文化論は、「日本人は集団主義的、アメリカ人は個人主義的」というように、本質的な対立として「文化差」を描き出しがちである。しかし、心理学における数々の実証的な研究は、人間の行動が状況によって大きく左右される(すなわち、人間は状況に適応的な行動をとる)ことを示している。比較文化研究の実証データを分析すると、通常、文化の影響は予想外に小さいことがわかる。人類の生物学的な共通性は非常に大きく、文化差は表層の差異にすぎないことが多いのである。
にもかかわらず、文化差は「白と黒」のような極端な違いとして描き出され、それはしばしば政治的に利用される。相手の集団を「異質」な存在として認識すると、敵対感情を煽り、敵対行動をとることが容易になるからである。アメリカで「日本人 = 集団主義」説がさかんに唱えられたのも、太平洋戦争と日米貿易摩擦の只中のことであった。
しかし、ステレオタイプ的な文化論の危険性は、日米間だけにとどまるものではない。グローバル化が進展する現代の世界では、異なる文化が接触する機会は飛躍的に増大している。それとともに、異なる文化(たとえば、欧米文化にとっての「イスラム」)を異質化する文化ステレオタイプの危険性も増大していると考えなければならない。文化ステレオタイプについて認識を深めることは、現代の世界にとって重要な課題であると思われる。

COURRiER Japon

日本では、衆院選が迫っているにもかかわらず、「環境問題は小さな争点でしかない」とハン記者は指摘する。
「中道左派の野党連合は、原子力を使わない再生可能エネルギーを推進」する一方、「自民党は、原子力を二酸化炭素排出削減のエネルギー源として将来も必須」と、まったく異なる政策を示している。だが、あまり話題になっていない。
野党のエネルギー政策は「必ずしも票につながるわけでもない」状態だ。
「日本では環境政策が昔から下位のテーマ」であり、「環境省にもあまり権威がなく」、環境大臣の山口壯も「環境政策に特に関心を持っていない」と、ハン記者は懸念を示す。

一方、9月26日に総選挙が実施されたドイツにおいては、独メディア「ドイチェ・ヴェレ」によると、「気候変動対策」が国民のもっとも重要な選挙の関心事項として挙げられた。選挙調査グループの調査によると、ドイツでは43%もの有権者が「環境政策を重視して投票する」と回答しており、各政党とも、環境政策を強調せざるを得ない状況にあった。その結果、ドイツの総選後、環境政策を推進する緑の党が第三党となり、現在連立政権入りに向けて正式な協議が進められている。

Matt Grant

For writers and readers alike, it’s sometimes hard to tell the difference between fiction and nonfiction. In general, fiction refers to plot, settings, and characters created from the imagination, while nonfiction refers to factual stories focused on actual events and people. However, the difference between these two genres is sometimes blurred, as the two often intersect.

C. JoyBell C.

There are people who are generic. They make generic responses and they expect generic answers. They live inside a box and they think people who don’t fit into their box are weird. But I’ll tell you what, generic people are the weird people. They are like genetically-manipulated plants growing inside a laboratory, like indistinguishable faces, like droids. Like ignorance.

Mandy Hale

You’ll learn, as you get older, that rules are made to be broken. Be bold enough to live life on your terms, and never, ever apologize for it. Go against the grain, refuse to conform, take the road less traveled instead of the well-beaten path. Laugh in the face of adversity, and leap before you look. Dance as though EVERYBODY is watching. March to the beat of your own drummer. And stubbornly refuse to fit in.

市場勇太

科学というのは一個人の研究で答えが出るものではないんです。特に僕が求めていた『生命とは何か』という本質的な疑問に対する答えは、少なくとも僕が生きている間には出ないと、研究しては一つの事柄を、文化や宗教、性別などを超えて、誰が見ても共通の理解を得られるようにするもので、それは一世代では成し得ず、受け継いでいくものです。でも美術の世界では、作品に対する意見や感想が観る人によって異なりますし、作品も一個人で完結です。美術は時代や世相、文化などの社会的要素を多分に含むので、同じ作品に対する評価に幅が出るんでしょうね。

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決められない

考えたことのないことを聞かれ
答えに詰まってしまうことがある

印刷の表面の仕上げをどうするか
グロスPPにするか マットPPにするか
そんなことを聞かれても
すぐには答えられない

PP とは Polypropylene のこと
グロスPPは つやあり
マットPPは つやなし
わかったような わからないような

しっかりつやのあるグロスPP
しっとり落ち着いたマットPP
どちらにします?

光沢を出すのがグロスPP
光沢を抑えるのがマットPP
さあ どちらがいいですか?

色鮮やかではっきりした色合いの印刷にはグロスPP
やわらかで淡い色合いの印刷にはマットPP
さあ さあ どうしましょう?

グロスPPだと元の色より濃くなって色味が変わるけど
マットPPなら色目が変わりません
マットPPにしますか?
えっ? グロスPPのほうがいいですって?

なんでですか?
ねえ マットPPにしましょうよ
価格はマットPPの方がやや高いけど
でも マットPPのほうがいいでしょ?

百花繚乱

CMYK (シアン マゼンタ イエロー キープレート) で表される色の数は
C: 0〜100% M: 0〜100% Y: 0〜100% K: 0〜100% の組み合わせで1億以上
それなのに 画面の上の色や 街にあるれている色は せいぜい千くらい
不思議なことに みんな同じ色を使いたがる

学校教育のせいなのか 人もみんな同じように行動する
しかも みんな 同じになりたがる
ひとりひとりがそれぞれの人生を送ればいいのだけれど
違うことがいけない社会では 誰も他人と違うことをしようとしない

人が魅力的なのは 他の人と違うところ
なのに みんな 人の真似をする 人のようになろうとする
そして 違うものや 個性的な人を はじきだしてしまう

他の人と同じになろうなんて考えてはいけない
他の人と同じなんてつまらない
みんなが同じ世の中なんて なんの魅力もない

自分らしい姿で 自分らしいことをする
自分らしい考えで 自分らしく振舞う
みんながそうやっているほうが
みんなが言われるままにしているより ずっといい

分断

社会はいつも2つに分かれる
都市に住む人たちと 地方に住む人たち
富裕層と 貧困層
老人と 若者
保守と リベラル
2つのグループは
違うところに住み
違うものを食べ
違う情報に触れ
交うことなど 考えられない
境界には 線が引かれ
つながりは 断ち切られ
格差が大きくても 見て見ないふり
忙しい人々は 優しくなく
信じることのできる人は いない
助ける人は鈍感で
助けられる人を傷つける
理不尽さは 説明されず
思考は停まったまま
僕はどこにいるのか
あちらなのか こちらなのか
内なのか 外なのか
いや
僕は どこにもいない
部外者よりも 部外者で
外人よりも 外人の
孤立している
僕がいる

違い

余計なことをたくさん知っていると
突然気づいた
新聞でも テレビでも インターネットでも
余計なことは余計なこと
会ったこともない人の犯罪や私生活
遠い国の事件や政治
スポーツ選手の試合結果や収入
知らなくてもいいことは多い

では
知らなくてはならないのは何か
余計でないことは何か
花の名前や木の名前は 山の名前や森の名前は
そして 色の名前は 知らなくてはならないか
鼠色(0, 0, 0, 55)と灰色(0, 0, 0, 68)と鉛色(3, 0, 0, 65)は
みんな グレイ(0, 0, 0, 65)じゃないか
ジョンブリアン(0, 13, 100, 0)もイエロー(0, 13, 100, 0)も
黄色(0, 15, 100, 0)じゃないか
ヘイズル(28, 68, 92, 20)という色が どんな色か
知らなくても いいじゃないか

どちらが右でどちらが左とか
どちらが東でどちらが西とか
今が何時何分何秒だとか
今日が何年何月何日の何曜日とか
ほんとうに知らなければならないことなのか
知らなくても わかることなのではないか
夜が来ると暗くなる
南向きの部屋は暖かい

そう
たぶん
知らなくてもいい
でも
それでも私たちは
言葉に心を込める
どうでもいいことだけど
いや
どうでもいいことだからこそ
言葉に感情を込める

胡粉(0, 0, 2, 0)と
鉛白(1, 1, 3, 0)と
白土(2, 0, 2, 1)と
どれも
乳白色(0, 0, 3, 0)のような色だけれど

胡粉は貝殻を砕いた粉で
 炭酸カルシウムの白だし
鉛白は毒性のある顔料で
 塩基性炭酸鉛の白だし
白土は名前通りの白い土で
 珪酸アルミニウムの白だし
乳白色の乳のような白とは
成分が違う

それだけではない
込められた思いがまったく違う
同じに見えても
違う色なのだ

違う名前の色は
それぞれに違う

色が違うというのではない
違うのだ
紫式部が感じた色と
ホメロスが感じた色は
違う
たとえ同じ色だとしても
違う

君への気持ちも
他の誰の気持ちとも違う
他のどんな気持ちとも違う
君はひとりしか いない
僕もひとりしか いない
だから誰の気持ちとも 違う
誰とも 違う

プライオリティ

プライオリティが高いと優先的で
プライオリティが低いと後回しになる

大事なことだとプライオリティが高くなり
どうでもいいとプライオリティが低くなる

それは自然なことだから
無理に高くしたり低くしたりはできない

それは無意識のことだから
自分でも気づかない

仕事のプライオリティが高い人
家族のプライオリティが高い人
音楽のプライオリティが高い人
プライオリティの付け方は人それぞれ

人からみたらどうでもいいことが
僕のプライオリティだったりする

君のプライオリティと
僕のプライオリティが
大きく違っていたとしても
僕は君のプライオリティを大切にする

たとえ君のプライオリティが僕でなくなっていっても
僕のプライオリティはずっと君だって
そう思っている

君は僕のプライオリティ
いつも変わらぬプライオリティ

違う

日本は福祉国家だから 人々の生活は安定しているという
でも実際には 不安定な生活が普通にある
立場の弱い人たちは 誰にも頼れず孤立して
自助という言葉をあてがわれ なにもできず つらい気持ちでいる

自分にできることは 自分でするのが自助だ
自分の責任なんだから なんとかするのが あたりまえ
そんなことを言われても 仕事さえ見つからず
自分とは関係ない株価の上昇を ぼうっと見ている

近くに住んでいる人たちや 血の繋がっている人たちは
共助という言葉をあてがわれ なにもわからず とまどっている
地域の責任を感じて 共倒れするまで支え合えというのか
家族を大事にして 死ぬまで助け合えというのか

溢れるチャンスの泥沼のなかで 自助は言うほど簡単ではない
昔ながらのしがらみの外にいれば 共助はあてにならない
ほんとうに困った人のためには 公助があるから安心というが
責任を口にしてもカネのない国に なにを期待すればいいというのか
 
日本は法治国家だから 人々は法の支配のもとにあるという
でも実際にあるのは世間国家で 世間のために 法は軽視される
世間が納得しているのなら 違法であっても罰することはなく
世間が納得しなければ どんなことをしてでも罰してしまう

なぜそんなことを考えるのか なぜそんなことを言うのか
そんなことを聞かれても 答えることはできない
なぜそんなことをするのか なぜ大切なものを大切にしないのか
そんなふうに問い詰められても 説明はできない

どうすることもできないのは しないだけじゃないか
しないのも する気がないからじゃないか
そう 私は なにもできないでいる
卑怯なくらい なにもせずにいる

法律の詳細を知ったところで 弱い人は救われない
法律を信じていれば ひどい目にあってしまう
決まりごとの大半は 理不尽なものだけれど
それに従わなければ 面倒なことが起きる

法律についての考え方は 人によって違う
決まりごとへの向き合い方も 人によって違う
法律を守るかどうかは 自分で決める
決まりごとに従うかどうかも 自分で決める

恋愛や結婚もいろいろで 人の数ほどの かたちがあって
どのかたちがいいのかなんて 誰にも言えはしない
恋愛も別離も いい悪いの問題ではないし
結婚も離婚も いい悪いで片付いたりしない

こうあるべきとか こういうものとか
言う人がいたら 言わせておこう
それは その人にとってのこと
私にとっては そうではない

大事なことはたくさんあるのかもしれない
でも
私にとっては
君だ

影 陰 蔭 翳

虚子の
 もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
という句がやたら気になる

影 陰 蔭 翳 のなかから
なぜお蔭様の蔭を使ったのだろう
なにか意味があるのだろうか

陰翳礼讃 が 陰影礼讃 だと
印象はずいぶん変わる
日蔭茶屋 が 日陰茶屋 だと
客の入りに影響しそうだ

影を慕いて が 翳を慕いて だと
なんだか慕いたくない気分だし
青春の光と影 が 青春の光と陰 だと
ちょっと違うんじゃないかと思う

 もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
でなくて
 箸置けばそこに生れぬ秋の蔭
 ペン置けばそこに生れぬ秋の蔭
だったらどうだろう
それでも蔭を使っただろうか

そしてなによりも なぜ
 もの置けばそこに生れる秋の蔭
でなくて
 もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
なのか
 生れる
でいいじゃないか

陽の光が
いや 日のひかりが長くなり
柔らかくなってきたせいで
この句が気にかかる
それだけのことなのだけれど
でも やっぱり気になる
秋の日ざしから生まれた感じの蔭が
とても気になる

専門分化

女性と男性という二つの性がある
そして当然のように 女性と男性を巡る競争がある
女性が女性と 男性が男性と 女性が男性と
競い 時に争い 勝ったり負けたりする

勝った女性も 勝った男性も いつかは負ける
争わない人が勝つこともない
二つの性を巡る勝者は どこにもいない
それなのに 多くの人たちが 勝ったと思っている

仕事が細分化され 高度で複雑になって
専門分化が進んでゆく
誰も彼もが専門家になり
競い合い 争って
そしていつか 誰もが役立たずになる
でも多くの人たちが
自分はいつまでも役に立つと思っている

老人施設には
かつて美しかった女性と
かつて逞しかった男性と
かつて知識豊かだった専門家が
静かに暮らしている
自分が美しかったことを糧にする人
自分が美しかったことを忘れてしまった人
自分が逞しかったことを誇る人
自分が逞しかったことを恥じる人
自分の知識にすがる人
自分の知識に別れを告げた人

愛を忘れた人
愛に裏切られた人
愛と決別した人
愛にしがみつく人
愛を続けようとする人
愛を続けていると思う人
愛の思い出に生きる人
愛ってなに という人
愛に生きる人

いろんな人がいて
みんな似て見えるけど
じつは みんな違う

地球にいちばん近い満月

月は楕円運動をしてるから
どこで満月になるかで
見える大きさが大きく違う

それにしても
大きな満月は理屈より大きく
ずっと大きく見え
小さな満月は理屈より小さく
ずっと小さく見える

それだけではない
ふたつを並べて見ることはないから
印象でしか比べることができないけれど
大きな満月は明るく
小さな満月は暗い

大きな満月は自信いっぱいで
こちらを見てる
小さな満月は自信なさげで
隠れてしまいそう

でも
大きな満月も小さな満月も
じつは同じ月

だから月に言う
大きくなっても小さくなっても
君を思っているよって
君がどんなでも
僕は変わらずここにいるよって

違うのは悪くない

異質な要因を持たない人を
正常といい
異質な要因を多少でも持つ人を
異常だという
20人のうち19人は
基準範囲のなかに入り
正常といわれ
20人のうちひとりだけが
基準範囲の外にいて
異常ということになる

誰が普通で
誰が異常なのか
異常な人がなにか悪いことをしたというのか
違うのが
悪いわけではないのに
違うというだけで異常といわれる

なにが普通で
なにが異常なのか
背の高いのは異常なのか
背の低いのは異常なのか
太っているのは異常なのか
痩せているのは異常なのか
血圧が高いのは異常なのか
血圧が低いのは異常なのか
成績がいいのは異常なのか
成績が悪いのは異常なのか

同じことを考えないのは異常なのか
同じことを感じないのは異常なのか
同じことを望まないのは異常なのか
同じことに従わないのは異常なのか

同じ宗教を信じないのは異常なのか
同じ教育を受けないのは異常なのか
同じ知識を持たないのは異常なのか
同じ経験を持たないのは異常なのか
同じ信念を持たないのは異常なのか
同じ能力を持たないのは異常なのか
同じ価値観を持たないと異常なのか

違うのはそんなにいけないことなのか
同じなのがそんなにいいことなのか

ひとりひとりが違うのに
基準上限値とか基準下限値を外れれば
異常とか
おかしいということになる
異常でなく
なにもおかしくないのに
まるで悪いみたいにいわれ
間違っているかのように扱われる

違うのは
悪くない
違うからといって悪いというのが
悪いのだ

穏やかな日々

向上心いっぱいで生きてきて
向上心なんてなかったと言う
そして
向上心なんてなかったらなあと
嘘みたいなことを考える

向上心がある人は
自分を高めたい人
自己実現に向かってどこまでも
自分を高めていきたい
そんなこと
よく言えたもんだ

向上心がある人は
今日が明日のためにある
今日したいことを我慢して
なにもかもを犠牲にして
明日のために生きる
明日が来れば明後日のため
明後日が来れば明々後日のため
そんな人は
いつになっても今日を生きられない
今日を生きられない人が
明日を生きられるわけがない

向上心がある人の
明日のためというつまらない日々が
いつまでも続きますように
逝くその間際まで
明日のために生きますように

向上心がある人には
達成したい夢がある
夢が達成できたなら
もう少し大きな夢を持つ
それが達成できたなら
もっと大きな夢を持つ
いつになったら休めるのだろう
死ぬまで奴隷でいたいのか

向上心がある人には
友だちがいて愛する人がいて
愛があって繋がっていて
愛がすべてなんて口にする
でも
すべての悪いことや醜いことが
愛から始まっているとは
認めようとしない
目を閉じて
愛は美しいと呟く

いいときは確かに美しく
悪いときはほとんどが醜い
出会いはなぜか美しく
別れはいつもせつなくて
執着は見苦しく
心変わりは冷たい
始まりはきれいだったとしても
終わりがきれいだったことは
あまりない

向上心には終わりがなくて
そこにはなぜか競争があって
他人のことは気にせずに
自分だけが良くなって
愛する人を裏切って
友だちなんて口だけで
夢はいつでも自分のため

向上心のある人が
向上心のない人を
心の底から馬鹿にする

馬鹿にされた人たちは
馬鹿にされたことも知らないで
今日も
今日を楽しんで
気楽な人と
季節に満ちた時間をすごし
好きなことをして
暮らしている

おにぎりころりん

おにぎりとおむすびでは
なにも違わないのに

ローソンでは おにぎり

ファミリーマートでは おむすび

セブンイレブンでは
ノリがパリパリだと おにぎり
そうでないと おむすび

大きく握ったら おむすび
小さく握ったら おにぎり

転がるのが おむすび
転がらないのが おにぎり

三角だと おにぎり
丸いのは おむすび

いやいや ここでは
丸くても おにぎり
俵型でも おにぎり
平べったいのも おにぎり
みんな おにぎり

ん?

きみは おむすびって言ったよね
ならば おにぎりは NG だ
みんな おむすび
どれも おむすび

違うのがいけないというのは いけない

女と男はそんなに違わない
いや、女と男はとても違う
20代の人と30代の人はそんなに違わない
いや、20代の人と30代の人はとても違う
中国人と日本人はそんなに違わない
いや、中国人と日本人はとても違う
二人はそんなに違わない
いや、二人はとても違う

違いばかりがことさらに強調されれば
違っているように思うだろうし
似ているところに注目すれば
そんなに違わないかなと思ってしまう

ある学者は行動を調べて
大きな違いがあると言い
ある学者は脳を調べて
違いはあまり見られないと言う

人と人には違いがあって
違いは個性みたいなもので
性別とか年令とか国籍とは関係なく
似ていることは似ていて
違うところは違う
違いがあってもなくっても
それはなにかのせいではない

違うのがいけないのではなくて
違うのがいけないというのがいけないのだ

Maddy Savage

Sweden’s strategy to keep large parts of society open is widely backed by the public. It has been devised by scientists and backed by government, and yet not all the country’s virologists are convinced.
There is no lockdown here. Photos have been shared around the world of bars with crammed outdoor seating and long queues for waterfront ice cream kiosks, and yet it is a myth that life here goes on “as normal”.

日本おにぎり協会

おにぎりとおむすびの呼び名の違いは諸説あります。日本の大部分で「おにぎり」と呼ぶのに対して、関東~東海道にかけては「おむすび」と呼ばれています。しかし、東京都と神奈川県では「おにぎり」と呼ぶケースが多いです。また、「おにぎり」と呼ぶコンビニ(ローソンなど)もあれば、セブンイレブンのように「おむすび」と呼ぶコンビニもあります。

神の力を授かるために米を、山型(神の形)にかたどって食べたものが「おむすび」。「おにぎり」は「にぎりめし」の転じたものと言われています。つまり「おむすび」は三角形でないといけなくて、「おにぎり」はどんな形でも良いというの説が濃厚です。

ウィキペディア

ハルヴァ
アラビア語 حَلاوة (ḥalāwa)
ヘブライ語 חלבה
トルコ語 helva
ペルシア語 حلوا (ḥalvā)
ウイグル語 ھالۋا (halwa)
クルド語 helaw
ヒンディー語 हलवा
アルメニア語 հալվա
ギリシャ語 χαλβάς
ブルガリア語・ロシア語 халва
マケドニア語 алва
ポーランド語 chałwa
ルーマニア語 halva
エストニア語 halvaa
英語 halva
ベンガル語 হালুয়া

キナリノ

ラーゴム(LAGOM)とは多すぎず、少なすぎず、ちょうどよくといった意味合いの言葉。ラーゴムが生活に根付いているスウェーデンの人たちは、自分にとって、ちょうどいいところを見つけるのがとても上手です。暮らしのすべてにおいて、ラーゴムな感覚を大切にしているのです。

ウィキペディア

野菜は一般には食用の草本植物をいう。ただし、野菜の明確な定義づけは難しい問題とされている。
園芸学上において野菜とは「副食物として利用する草本類の総称」をいう。例えばイチゴ、スイカ、メロンは園芸分野では野菜として扱われ、農林水産省「野菜生産出荷統計」でもイチゴ、スイカ、メロンは「果実的野菜」として野菜に分類されているが、青果市場ではこれらは果物(果実部)として扱われ、厚生労働省の「国民栄養調査」や日本食品標準成分表でも「果実類」で扱われている。また、日本食品標準成分表において「野菜類」とは別に「いも類」として扱われているもの(食品群としては「いも及びでん粉類」に分類)は一般には野菜として扱われている。また、ゼンマイやツクシといった山菜については野菜に含めて扱われることもあり、木本性の植物であるタラの芽やサンショウの葉も野菜の仲間として扱われることがある。さらに、日本食品標準成分表において種実類に分類されるヒシなども野菜として取り扱われる場合がある。
日本では慣用的に蔬菜と同義語となっている。ただし、「蔬菜」は明治時代に入ってから栽培作物を指して用いられるようになった語で、本来は栽培されたものではない野菜や山菜などと厳密な区別があった。しかし、その後、山菜等も栽培されるようになった結果としてこれらの厳密な区別が困難になったといわれ、「野菜」と「蔬菜」は学問的にも全く同義語として扱われるようになっている。そして、「蔬菜」の「蔬」の字が常用漢字外であることもあって一般には「野菜」の語が用いられている。なお、野菜は青物とも呼ばれる。

Philippe Escande

Au Japon, plus qu’ailleurs dans le monde, le consensus, condition de l’harmonie de la société, est une vertu cardinale. Les conflits doivent être évités, résolus avant qu’ils éclatent et surtout ne pas être dévoilés en place publique. L’important est que chaque partie garde le « tatemae », la face. L’affaire Renault-Nissan est aux antipodes de cette philosophie. Les joutes sont continuelles et se tiennent dans l’arène médiatique mondiale, au vu et au su de tous. La belle harmonie de cette alliance unique en son genre est désormais brisée en une mosaïque d’affrontements, où tout le monde à tour de rôle perd la face.

田邉正俊

ニーチェは1879年にバーゼル大学教授を辞するが、それ以降、一カ所に定住することなく ─もちろん、ニーチェの健康が一か所への定住を許さなかったという事情はある ─、主として夏にはスイス、冬にはイタリアや南フランスを転々とする「漂泊者」となった。漂泊者ニーチェにとっては、風土こそが問題になる。すなわち、その土地が自分にとって「合うか合わないか」、また、その土地に滞在することでどのような思想が得られるかが問題になったのである。たとえば、「僕の本性には、このプロヴァンス沿岸地方の気候がすばらしくしっくりくる」という南フランスのプロヴァンス地方(主にニース)、「この高地の一区画以上に、僕の体質にふさわしいところはない」というスイスのシルス・マリア、1880年以降、冬には(ニースと並んで)好んで滞在し、「日なたで身を丸めて幸せそうに寝転がって … 一人きりで海とひそかに戯れていた」ジェノヴァ、最晩年の1888年になって初めて訪れたにもかかわらず、「あらゆる点で高貴な平穏が守り抜かれ」、「私の第三の居住地〔第一の居住地はシルス・マリア、第二の居住地はニース〕として整備した」と絶賛したトリノ…。このように、ニーチェはさまざまな土地を訪れ、時にはしばらくの間滞在し、いかに自分と合っているか(時として合わないか)、それぞれの印象を残している。そして、冷涼にして透徹したシルス・マリアで「襲われた」永劫回帰の思想、ジェノヴァの日なたで身を丸めたり、散歩したりしながら生み出された明るみをもつ『曙光』の思想、トリノのポー川の橋の上で夕方目の当たりにした「善悪の彼岸」などに現れているように、ニーチェの思想展開において、彼が実際に訪れ、滞在した土地の風土の問題は無視できない。『この人を見よ』において、偉大な使命を果たさなければならない者にとって「土地と風土の問題」は避けて通れないものであり、「天才は乾いた空気と澄みきった空から生み出される」と、ニーチェは強調していた。ニーチェが好んで滞在した地は、基本的にはこの「乾いた空気と澄みきった空」という条件を満たしている。逆に、ニーチェが苦々しく思っていたのは、ドイツや(教授として過ごした)バーゼルであった。

日刊ゲンダイDIGITAL

「確実に盛り込みたい」――。ムニューシン米財務長官は13日、15日からワシントンで始まる日米貿易交渉で、円安誘導策を禁じる「為替条項」を求める姿勢を鮮明にした。第2次安倍政権で6年以上「円安株高」を演出してきた「異次元金融緩和」は、自国で出口戦略が描けない中、米国によって“強制終了”させられることになりそうだ。
民主党政権時代、1ドル=80円台だった為替は、安倍政権発足直後の異次元金融緩和(2013年4月~)により、100円を大幅に超える円安が進行。輸出企業は恩恵を受け、株価も上昇した。
米国は、異次元緩和は意図的な円安誘導政策で日本車が安く輸入され、米国産農産品が高く輸出される“元凶”だと見ている。ムニューシンは、カナダやメキシコとのNAFTA(北米自由貿易協定)見直しや、中国との貿易協議で、為替条項を盛り込んでいるので、対日交渉でも議題にする考えだ。

久保田智広

日本語では「茶」といえば緑茶のことで、 紅茶を「茶」と省略することはできません。 一方、英語では「tea」といえば紅茶のことで、 「green tea」を「tea」と省略することはできません。 ここで、「茶」「tea」を「無徴」、「紅茶」「green tea」を 「有徴」といいます。つまり、「紅茶」「green tea」は、 「茶」「tea」にくらべて “徴(しるし)” を余分に持ってるわけです。

高澤鱚介

長野県の農村部では早くから「地域生活改善運動」が行われ、一口に言えば無駄を無くす運動が広く行われていることは知っていた。これを前提に感じながらの経験であった。
通夜。他人は呼ばず、ごく限られた身内だけで行う。そして翌日、身内と葬儀委員長他数人だけが斎場に行って荼毘を行ない、その遺骨を告別式の祭壇に安置する。
告別式。親類と近親者が席に着き始まるのだが、告知された通告時間の30分前から始まる。導師様は居ない。無言の中、参列者が順に、喪主と親類縁者に一人づつ丁寧に挨拶し焼香を済ませていく。一般参列者の多くは、これを済ませ、さっさとお帰りになってしまう。やがて導師様が入場。読経があり、最後の方に喪主から親類等の焼香が行われる。
宴席。「灰寄せ」と言う行事で、「杯を寄せる」と言う意味も持つ。事前に申し込んだものだけが参加できる。宴席には沢山の手土産が用意されており、夫婦であろうと子供であろうと一人づつに配られた。出された料理の残り(意識的に箸を付けない)を、用意された風呂敷に自ら包んで持ち帰る。
一般参列者からの香典(不祝儀)は一律1千円。

鈴木穣

(北欧は)高福祉だが税金も高い。付加価値税25%に所得への課税は50%前後。そこで暮らす人々は高い税をどう思っているのだろう。
日本人は税は「納める」という意識ではないか。政府のお金であって自分のものではない。使われ方もよく分からない。北欧では「預ける」と考えている。いずれ国民に返ってくる「貯蓄」「投資」といった感覚だろうか。
スウェーデンのエコノミストに聞くと「その見方はそうだね。人は生まれれば税で賄われる教育を受ける。そして働いて税を払い老後はそれをもらう。人生を通してみるとそういうことになる」と話した。
聞いたのは数人だったが「高い税は嫌だ」と言う人はいなかった。「社会保障がちゃんと人生を支えてくれることが分かっているから納税する」という答えが共通していた。
税が高くても必要な支えは得られると実感している。負担と給付の関係が明確だ。

鳥居寛之

日本語の「らりるれろ」をアルファベットで綴るときには R で表記します。でもなぜ L ではないのでしょう。日本人は英語の L と R の区別ができない、とよく言われますが、それは日本語に流音が「ら行」子音ひとつしかないからで、しかもそれが英語の L とも R とも違う「弾き音」の発音であることに由来しています。そもそも L と R の違いって何なのでしょうか。
確かに、日本語の「ら行」子音は英語の r とはかなり違った発音です。言語学に興味があって数カ国語の欧米言語を話せるハンガリー人の同僚に聞いてみたのですが、日本語の「らりるれろ」を発音して聞かせたところ、「これは l とも r とも聞こえる。丁度中間の感じだね。なるほど、日本人が l と r を区別しにくいわけだ」、との返事でした。一般に l と r は発音学上、息がなめらかに流れる子音という意味の「流音」に属しますが、日本語などにはこれが1種類しかないのが混乱のもとなのです。日本語のら行子音は弾き音といって、舌の先を上の歯茎の裏あたりに一回つけて弾く音であって、英語の舌を口腔内に浮かせてどこにもつけず「ぅる」というようなこもった音で発音する歯茎後部接近音の r とはまるで別の音です。これに比べれば、舌面前部を歯茎につけて発音する側面音 l の方が近いとも言えます。でも、英語圏のネーティヴのひとに言わせるとやはり、舌先で弾く「ら行」子音と、舌の側面から空気を逃がして発音する英語などの l とはかなり違っているらしく、日本語のら行は r に近くも聞こえるようです。実際日本人の耳にも、英語の l は日本語ら行より硬く聞こえるように思います。

Ali Jahanian

Unlike visual arts where the main goals may be abstract, visual design is conceptualized and created to convey a message and communicate with audiences. This is a key but subtle difference between visual arts and visual design. In fact, it is a critical measure of success in applied arts along with the visual appeal of the design. A design message has to be conveyed at first glance. Studies suggest that designers need to make a good first impression only in some few milliseconds, and this impression deals with expressive aesthetics, which is a matter of visual appeal by itself.

Gary Marcus, Ernest Davis

No matter how much data you have and how many patterns you discern, your data will never match the creativity of human beings or the fluidity of the real world. The universe of possible sentences is too complex. There is no end to the variety of life — or to the ways in which we can talk about that variety.
Today’s dominant approach to A.I. has not worked out. Yes, some remarkable applications have been built from it, including Google Translate and Google Duplex. But the limitations of these applications as a form of intelligence should be a wake-up call. If machine learning and big data can’t get us any further than a restaurant reservation, even in the hands of the world’s most capable A.I. company, it is time to reconsider that strategy.

滝沢ななえ

アスリートにとって、自分の支えになってくれる恋人やパートナーの存在はすごくプラスになると思います。心の支えになっている存在を、隠して生きていかなくてはいけない、後ろめたいことをしているわけでもなく、普通に恋愛をしているのに、という状況は、やっぱりストレスになるものです。
だからこそ、仕事や自身の生き方が少しでも LGBT の方々の応援につながっていけば幸いです。私は子孫を残す、自分の DNA を残すということにあまり興味がない代わりに「自分の考え」を残せたらいいな、と思っています。
恋愛において、みなさんの「普通」と、私たちの「普通」はきっと同じです。男性も女性も、誰が好きであれ、私たちにとっては「普通」なので、明るく受け入れてほしい。

Wikipedia

Consecutive number floor designations

British
convention
North American
convention
Russian/Soviet
convention
Japanese/Korean
convention
4 (4th floor) 5 (5th floor) 5 (5th floor) 5F or 6F
3 (3rd floor) 4 (4th floor) 4 (4th floor) 4F or 5F
2 (2nd floor) 3 (3rd floor) 3 (3rd floor) 3F or 4F
1 (1st floor) 2 (2nd floor) 2 (2nd floor) 2F or 3F
0, G (Ground floor) 1 (1st floor)
L (Lobby)
G (Ground floor)
1 (1st floor) 1F or 2F
LG (Lower Ground) LL (Lower Lobby) 0 (Semi-Basement) 1F
−1, B1 (1st Basement) −1, B1 (Basement 1) −1, B1 (1st Basement) B1F
−2, B2 (2nd Basement) −2, B2 (Basement 2) −2, B2 (2nd Basement) B2F
−3, B3 (3rd Basement) −3, B3 (Basement 3) −3, B3 (3rd Basement) B3F

船橋真俊

生態系を健全に守るためには、いろんな生き物が共存している。その中には食べたり食べられたり一見競合している面は持っているが、そういうものを含みつつ多様性がなければならない。たくさん生き物がいなければならない。
今の農業を見てみると、ジャガイモだけとか、タマネギだけとか一種類だけを取り出して生産している。身体で言ったら臓器を細胞ひとつひとつを栄養を与えて培養して、それを組み上げたら人間が出来るんでしょうか?どうしても無理ですよね。
農業の発祥から1万年くらい経ています。ここ100年で農業は細分化して、ひとつひとつの収量を最適化して来ました。これは地球上から飢餓を無くすには非常に効果がありました。これは科学の勝利です。
でも、その科学にも盲点があります。自然の循環からひとつひとつ取り出すのではなく、全体として、多様性の中で生き延びて来た部分が入っていなかったので、そこを入れて、それをベースにして農業を再定義しようというのが協生農法のベースにある考え方です。

筆洗

日本ハムの栗山英樹監督は中学のとき、野球選手に「なりたい」と思ったそうだ。野球選手に「なる」と言い切る自信や決意はまだなかった。あくまで願望を込めた「なりたい」だった。
「君はどうだったか」。栗山監督は二人の選手に聞いたことがある。一人の選手はこう言った。「中学時代からプロになると信じていた」。中田翔選手。中学でプロ入りを確信していた。栗山さんとはだいぶちがう。
もう一人の選手の言葉にはそれ以上の確信があった。「高校のときには世界一の選手になると思っていた」-。大リーグ挑戦を正式に表明した大谷翔平選手である。

Nancy Huston

Les femmes seraient-elles plus enchaînées que libérées ?
C’est un paradoxe. Plus elles sont autonomes et indépendantes, plus elles deviennent « objets ». À partir du moment où elles entrent dans le monde du travail, où elles deviennent indépendantes économiquement et personnellement, leurs dépenses en chirurgie esthétique, en produits cosmétiques explosent. Nos sociétés occidentales produisent des images aliénantes. Il y a d’un côté le discours de l’industrie de la mode, de la beauté, qui véhicule une version glacée, squelettique, figée de la féminité ; et de l’autre, celui de la pornographie, qui présente une version ronde, accueillante. Ces deux versions – aussi peu maternelles l’une que l’autre – sont reproduites par nos médias et se vendent à des millions d’exemplaires… Comment osons-nous proclamer face aux femmes qui portent le voile : « Nous sommes libres et elles sont opprimées ! »? C’est hilarant et aberrant.

富士通エフ・オー・エム

相手と意見が対立した時、お互いが自分の意見を主張するばかりでは、話し合う程に溝が深まり、わかりあうことができません。対立ではなく協力して仕事を進めていくためには、すぐに反論するのではなく、いったん相手の立場に立って、なぜそう思うのかを考え受け止めてみましょう。それにより、相手の考えをより深く理解することができ、意見の相違点ではなく自分と共通する部分やさらなるアイディアが見つかります。お互いの良いところをあわせて一緒に取り組めば、さらに大きな成果をあげることができるでしよう。

Wikipedia

Allergic rhinitis (アレルギー性鼻炎), also known as hay fever, is a type of inflammation in the nose which occurs when the immune system overreacts to allergens in the air. Signs and symptoms include a runny or stuffy nose, sneezing, red, itchy, and watery eyes, and swelling around the eyes. The fluid from the nose is usually clear. Symptom onset is often within minutes following exposure and they can affect sleep, the ability to work, and the ability to concentrate at school. Those whose symptoms are due to pollen typically develop symptoms during specific times of the year. Many people with allergic rhinitis also have asthma, allergic conjunctivitis, or atopic dermatitis.
Hay fever in Japan (花粉症) is most commonly caused by pollen from Cryptomeria japonica (known as sugi (杉) in Japanese and often incorrectly translated as “cedar”) and Japanese cypress (known as hinoki(檜)), two native Japanese tree species.

桑畑幸博

「あの人は鋭い感性を持っている」と「あの人は豊かな感性を持っている」の違いはなんだと思いますか? なぜ「鋭い」と「豊か」という形容詞を使い分けるのでしょう?
定義と使い分けについてヒトコトで表すと、前者が感性の質(の高さ)、後者が量(の多さ)を表していると考えられます。
無線機のメタファーで表現すれば、「感性が鋭い」とはアンテナの感度が高い(鋭敏)ということ、そして「感性が豊か」とはアンテナの種類が多いということです。
  アンテナの感度が高いから、微弱な電波を拾うことができる。
  アンテナの種類が多いから、様々な帯域の電波を拾うことができる。
「人が気づかないような些細なことに気づく」のが「感性が鋭い」ということであり、「たくさんの刺激に反応する」のが「感性が豊か」ということ。
能力という視点で言えば、「感性が鋭い」とは『他人が面白いと思わないようなことを面白いと思える力』が、そして「感性が豊か」とは『様々なモノゴトを面白いと思える力』が備わっている、と言えるでしょう。

Daria Aminova

The English language has more than 1 million words. Nevertheless, it’s difficult to find an exact translation for certain Russian words, especially if the meaning is related to the enigmatic “Russian soul.”


Nadryv: German Wikipedia has an entire article dedicated to the word nadryv (надрыв). This is a key concept in the writings of Russian writer Fyodor Dostoevsky. The word describes an uncontrollable emotional outburst, when a person releases intimate, deeply hidden feelings.
Moreover, Dostoevsky’s nadryv implies a situation in which the protagonist indulges in the thought that he can find in his soul something that may not even exist. That’s why the nadryv often expressed imaginary, excessively exaggerated and distorted feelings. One part of the novel, Brothers Karamazov, is called “Nadryvs.”


黒川伊保子

男女のものの見方の違いを思うたびに、この世に、二つの違う脳があることの意味を思い知る。この組合せは、とても合理的だ。脳を遠距離両用のハイブリッドにすると、判断が遅れる。どっちかに集約しているからこそ、瞬時に危険を見分けられるのだ。遠くの危険と、近くの危険を瞬時に見抜く脳の組合せが夫婦というものなのだろう。
しかも、発情しあう男女は、免疫抗体の型が遠く離れて一致しない。男女は、体臭の一部で免疫抗体の型を知らせ合っており、その型が一致しないほうが、互いの好感度が高いからだ。
免疫抗体の型、すなわち外界に対しての生体としての反応がことごとく違う男女が、まったく違うものの見方で一緒に暮らす。夫婦の脳は、一対で精緻なメカのようなものであり、けっして離れてはいけない。恋とか愛とかを超えた、ともに生きる意義がそこにはある。

孔子、聖徳太子

子曰、君子和而不同、小人同而不和。

一曰、以和為貴、無忤為宗。
人皆有黨、亦少達者。是以或不順君父、乍違于鄰里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通、何事不成。

三上功

なぜ、パリジェンヌは流行を追わずにそれぞれが違う服装をするのでしょうか。そこにはフランス人独自の考え方が根付いていると思います。フランス人は「人間は平等ではなくそれぞれ違うものだ」という意識があります。「人間みな平等」という日本人の考え方とは正反対ですね。そのため、それぞれの個性にあったファッションがあるべきで、皆が同じ流行を追うのはおかしいという考えが生まれます。だからパリジェンヌにとって、ファッションは真似するものではなく、自分に合うスタイルを見つける行為なのでしょう。

自分の意見を持つことがもっとも大事だとされるフランスにおいて、他人に従ったりその場の雰囲気や流行に流されること(流行とはまさに自分自身が流されること!)は、生きていないのと同じことになります。パリジェンヌは他人と違って初めて、自分の存在を確認できる。日本人にとっては考えにくいことですが、自分の我を通す代わりに他人には干渉しない。それはつまり、他人の生き方を否定しないことを意味します。これこそ人生を楽しく生きる秘訣で、それがそのままフランス人そのものの性格にも当てはまります。他人には無干渉でも、それは都会特有の無関心とは全く違います。それは「お互いの存在を認め合う意味での無関心」なのです。

稲本昌之

気になったのは、ラリー中にコーチから『コントロールを意識して!』と声をかけられた時のリアクションの違いです。ペースを落としてコントロールし始めた日本人に対して、ヨーロッパの選手達は、ほぼペースを落とさずにコントロールにチャレンジし始めます。一言でペースを落とすことができる日本人の技術の高さを褒める場所である、と感じると同時に何かモヤモヤしたものを感じます。日本人に欠けているのは、戦っているイメージです。ボールのペースを落とすと言うことは、弱く軽いボールを打つことになります。そうすると相手にコースを変えられたり、強く打たれて深く押し込まれたり、どちらにしても不利になります。
日本人のペースを落とす能力を褒めるべきと書きましたが、試合中になると、ペースを落とす能力はヨーロッパの選手の方が上です。相手を左右に走らせたり、角度をつけて追い出したり、深く打って下げたり、ドロップショットしたり。試合を見ていると、何かやるしやろうとします。ボールを散らしてコントロールして来ます。ラリー練習の時のコーチの『コントロール意識して!』と言うアドバイスには素早く反応して優等生だった日本人は、ボールをコートに入れていますが、コースを変える勇気すらなかなか出せません。オープンコートができても同じ方向に打ってしまいます。
一番ショックを受けるのは、展開力に対するアドバイスをコーチ達はほとんどしていないことです。しなくてもできるからです。

山口朋子

develop(他動詞)
普段は何気なく見ていたこの動詞。漠然と「発展させる」位の意味しか、すぐには思い浮かばなかったこの語も、取る目的語によって七変化どころではないさまざまな訳し方があるんだなあと、学習を始めたごく初期の頃に面白さを感じ、訳し分けの大切さをまず知るきっかけとなった語の一つでした。例えば、プランなどであれば「立案する」「作成する」、製品なら「生み出す」「作り出す」、アイデアは「考え出す」、企画は「作成する」、場合によっては「導入する」というimplementのような意味にも使えますし、コンセプトなら「開発する」、チームなどは「編成する」、能力は「伸ばす」、病気なら「かかる」、途上国は「発展させる」「開発する」、といった具合に、実に多くのコロケーションが成り立ちます。その他、目的語によっては「成長させる」「育成する・育む」「策定する」などといった訳出が適切となるケースもあります。さらに、It develops that ~ といった特殊な構文は例えば「~ということになる」と訳すとスッキリする場合があるとも学びました。また、-erのついた名詞にまつわる表現では、例えばlate developerといった場合、勿論developの意味を踏まえつつ「発育・発達の遅い人」となりますが、そこから転じて、早熟の反意語である「晩熟」といった訳や、良い意味では「大器晩成」といった訳し方が必要かつ適切となるケースもあります。何だか一見シンプルに見えるdevelop一つを取っても奥深いなあ、とますます翻訳というものに引き込まれ、夢中で色々な表現を書きとめていた記憶があります。

Boston Globe

Just say ‘yes’ on Question 4
leave
A ‘yes’ vote supports this proposal to legalize marijuana, but regulate it similar to alcoholic beverages.
A ‘no’ vote opposes this proposal to legalize recreational marijuana, keeping only medical marijuana legal.

ムーン・リー

「運命は変えられるんですか?」と聞かれることがあります。それぞれの星座のもとに、持って生まれた運があります。けれども、その星座の持つ長所をのばしたり、短所をカバーすることで運命は変こえられるのです。行動次第で開運していくこともできるでしょう。運命を切り開いていくのはあなた自身。「いい恋愛がしたい」「運命の人に出会いたい」と願っているだけでは幸せはやってきません。

Mirror Online

Everyone loves a good stat don’t they? And often the more surprising the better.
And when it comes to shocking stats then there are rarely any more surprising than those which chart just how quick Premier League players are running.
Each and every year it seems as though that huge, lumbering centre-back you’d written off is actually quicker than that fast, nimble forward that everyone knows is lightning, and the latest batch of numbers for the current season is just the same.
1 – Shane Long (35.31 km/h)
2- Lynden Gooch (35.19 km/h)
yoshida-walcott3 – Kyle Walker (35.18 km/h)
4 – Jamie Vardy (35.10 km/h)
5 – Andre Gray (34.87 km/h)
6 – Eric Bailly (34.84 km/h)
7 – Wilfried Zaha (34.79 km/h)
8 – Maya Yoshida (34.78 km/h)
8 – Theo Walcott (34.78 km/h)
10 – Hector Bellerin (34.77 km/h)

Bright Side

A woman’s memory is like a huge cupboard, with dozens of shelves and where everything is in its right place. Women accurately retain information about everyone they encounter and everything that happens — who loves what food, whose birthday is on what date, what her mother asked her to do for her and what her child needs for school. Men, on the other hand, generally remember only the things which they consider to be really important, which often leads them to accuse women of filling their heads with completely irrelevant information.

植田一三, 上田敏子

Tom: Your communication styles have something to do with your religion, Shintoism or Buddhism or Confucianism?
Aki: Yes, I believe so. In Buddhism, silence is golden, while eloquence is not valued. Buddhism holds that words can never tell the truth. The more you speak, the farther away from the truth. Shinto is a nondualistic way of embracing reality, and highly receptive in nature and rejects nothing. Confucianism also plays a role in our communication. It values harmony and respect for the authority. So few Japanese try to challenge the authority. They are conformists and far from individualistic.
Tom: Oh, that’s why Japanese people tend to be unassertive and give indirect, evasive answers to direct questions to avoid confrontation. It’s so frustrating to Americans who prefer arguments and direct give-and-take.

トム:日本人のコミュニケーションスタイルは日本の宗教と関係がある? 神道とか仏教、または儒教とか。
アキ:うん、そう思うわ。仏教では沈黙が大切で、口が達者なのは評価されないの。言葉で真実をいい表わすことは決してできない、しゃべればしゃべるほど真実から遠のくと考えるの。神道では現実を白黒つけずに受け入れるの。実際きわめて受容力に富み、何ものをも拒否しないのよ。儒教もまたコミュニケーションでは一役買っていて、和に価値を置き、権威を尊重するの。だから日本人で権威に挑もうとする人はまれで、体制に順応してしまうのよ。個人主義とはかけはなれているわね。
トム:だから日本人は自分の意見を主張せず、ダイレク卜な質問に間接的、遠まわしに答えて、対立をさけようとするんだね。アーギュメン卜やダイレク卜な意見のやりとりを好む僕たちアメリカ人はとてもイライラするよ。

Sarah E. Needleman

Of 200 Jobs studied, these came out on top — and at the bottom:

The Best The Worst
1. Mathematician
2. Actuary
3. Statistician
4. Biologist
5. Software Engineer
6. Computer Systems Analyst
7. Historian
8. Sociologist
9. Industrial Designer
10. Accountant
11. Economist
12. Philosopher
13. Physicist
14. Parole Officer
15. Meteorologist
16. Medical Laboratory Technician
17. Paralegal Assistant
18. Computer Programmer
19. Motion Picture Editor
20. Astronomer
200. Lumberjack
199. Dairy Farmer
198. Taxi Driver
197. Seaman
196. EMT
195. Roofer
194. Garbage Collector
193. Welder
192. Roustabout
191. Ironworker
190. Construction Worker
189. Mail Carrier
188. Sheet Metal Worker
187. Auto Mechanic
186. Butcher
185. Nuclear Decontamination Tech
184. Nurse (LN)
183. Painter
182. Child Care Worker
181. Firefighter

播州山崎花菖蒲園

アヤメ、花菖蒲(ハナショウブ)、杜若(カキツバタ)の違い
違い

区別 適地 開花期 花色 花径
アヤメ
乾燥地
5月上旬

5月下旬
幅狭く、濃緑色
主脈不明瞭
紫まれに白
花の基部は
網目状模様
約8cm
花菖蒲
乾燥地

湿地
6月上旬

7月上旬
幅中くらい
主脈が太く
明瞭
紅紫、紫、
白、絞り
花の基部は
黄色
約15cm
杜若
湿地
5月中旬

6月上旬
幅広く
黄みを帯び
主脈細小
青紫、紫、
白、絞り
花の基部は
白色
約12cm

Genghis Khan

Genghis KhanWhen a man gets drunk on wine and tarasun [rice wine], he is just like a blind man who can’t see anything, a deaf man who can’t hear when he’s called, and a mute who can’t reply when he’s spoken to. When a man gets drunk he is like someone in a state of death: he can’t sit up straight even if he wants to. He’s as dazed and senseless as someone who’s been hit over the head. Neither are there intelligence and skill in a wine-drinker nor are there morals or good conduct. He does bad things: he fights and kills. It keeps a person from doing the things he knows how to do and from practising the skills he possesses, and when one loses these two, [it is like bringing food from the fire and throwing it into the water]. If a ruler is avid for wine and tarasun, he cannot perform weighty deeds and important functions; any officer who drinks too much wine or tarasun is incapable of commanding his unit; a guard who is avid for drinking wine will suffer great catastrophe; common people who like to drink will lose their flocks and herds and everything they possess and go bankrupt; a servant who is addicted to drink will pass his days in torment. Wine and tarasun make the heart drunk, and they intoxicate good and bad people alike [so that one] is unable to say whether [a thing] is good or bad. They intoxicate the hand so that it is incapable of holding; they intoxicate the foot so that it cannot walk; they intoxicate the heart so that it cannot have correct thoughts; they keep all the senses and limbs from functioning. If one must drink, then let one drink thrice a month, for more is bad. If one gets drunk twice a month, it is better; if one gets drunk once a month, that is better still; and if one doesn’t drink at all, that is the best of all.

Stephen Juan

A really strong man wants a woman who is equal to him, that is the truth of it now. A weak man wants someone that is docile and a servant to him — it is a real sign of insecurity in a man to want a brainless trophy wife. Wives can be beautiful, intelligent and have careers and opinions just as strong as their partners.

Arthur B. Markman, Dedre Gentner

Similarity is a central component of many cognitive processes. Current research suggests that similarity is well characterized as a comparison of structured representations. This process yields commonalities, differences related to the commonalities (alignable differences), and differences not related to the commonalities (nonalignable differences). In the first study, further evidence for this tripartite distinction is provided in a commonality and difference listing study involving pairs of pictures. This study indicates that alignable differences rather than nonalignable differences are central to the comparison process by virtue of their connection to the commonalities. The second study further demonstrates that alignable differences count more against the similarity of a pair than do nonalignable differences. We end by discussing implications of the distinction between alignable and nonalignable differences for other cognitive processes involving comparisons.

Rosemarie Tong

Since writing my first introduction to feminist thought nearly two decades ago, I have become increasingly convinced that feminist thought resists categorization into tidy schools of thought. Interdisciplinary, intersectional, and interlocking are the kind of adjectives that best describe the way we feminists think. There is a certain breathlessness in the way we move from one topic to the next, revising our thoughts in midstream. Yet despite the very real problems that come with trying to categorize the thought of an incredibly diverse and large array of feminist thinkers as “x” or “y” or “z,” feminist thought is old enough to have a history complete with a set of labels: liberal, radical, Marxist/socialist, psychoanalytic, care-focused, multicultural/global/colonial, ecofeminist, and postmodern/third wave. To be sure, this list of labels is incomplete and highly contestable. Indeed, it may ultimately prove to be entirely unreflective of feminism’s intellectual and political commitments to women. For now, however, feminist thought’s old labels still remain serviceable. They signal to the public that feminism is not a monolithic ideology and that all feminists do not think alike. The labels also help mark the range of different approaches, perspectives, and frameworks a variety of feminists have used to shape both their explanations for women’s oppression and their proposed solutions for its elimination.

Paul D. Lehrman

Some folks think it’s all simply wishful thinking on everybody’s part: The system costs more and has better specs; therefore, we make ourselves believe it sounds better. There’s something to that reasoning. Humans are a notoriously imperfect lot and tend to see and hear what we want to see and hear. Another very plausible reason is something that the authors discovered in their research. Despite the fact that no one could hear the difference in playback systems, they reported that “virtually all of the SACD and DVD-A recordings sounded better than most CDs — sometimes much better.” As it wasn’t the technology itself that was responsible for this, what was? The authors’ conclusion is because they are simply engineered better. Because high-end recordings are a niche market, “Engineers and producers are being given the freedom to produce recordings that sound as good as they can make them, without having to compress or equalize the signal to suit lesser systems and casual listening conditions. These recordings seem to have been made with great care and manifest affection by engineers trying to please themselves and their peers.”

Joshua Brustein

There is reason to be wary, given consumer electronics companies’ history of pushing advancements whose main virtue is to make everyone buy new gadgets. Some audio experts are skeptical that the bigger files make a huge difference.

Kana Inagaki

An equivalent of the television industry’s big push for the so-called 4K TVs is happening in the audio industry. From artists, music labels to device makers, the buzz word these days is “high-resolution audio.”
For both the TV and music industry, the most vocal backer behind this new format is Sony. Since last September, the Japanese maker has rolled out more than 25 audio devices that play high-resolution audio including a $700 Walkman.
But what exactly does the phrase mean?
If 4K TVs claim to capture details from beads of sweat to rain drops, high-resolution audio promises to grasp deep bass tones to high-pitched sounds, including the moment when the singer takes a breath.
But who can tell the difference?
The tricky part about high-resolution audio is the ongoing debate on whether people can actually tell the difference. When it comes to comparing compressed music files on an MP3 player and high-resolution audio files on an expensive portable music player, many people would likely be able to notice the difference in sound quality. But it’s a tougher comparison when asking people to listen to the difference between CD quality music and high-resolution audio files.