Category Archives: nature

外来種

現在の生態系は、外来種の存在も含めてできているわけです。つまり、在来種か外来種かのいかんにかかわらず、現在の環境には、一番そこに適応している生物がいるということです。
いわば皆さんは生物の進化の途中を見ているわけです。だから外来種を除けというのは、単に昔が良かったという話でしかなく、外来種を駆除することは意味のない話ではないか、という考えも当然あるわけです。
つまり、外来種に生存を脅かされている在来種を保護し、生物多様性を保つことは本当に必要ですか、ということです。
生物は全部保護しなければならないかというと、反論もあります。役に立つ生物だけいればいいという考え方です。それに対し、役に立たない生物は絶滅していいのか、と怒っている人はいっぱいいます。かわいいものだけしか保護していない動物愛護も、批判の対象になります。
また、希少な動物はワシントン条約などで保護されていますが、これは単に「いなくなるのが寂しい」「昔はよかった(昔はたくさんいたのに今はそうではない)」という論理と同じではないか、という批判もあります。
先ほど述べたように、現在の生態系が現在の地球環境に最も適応したものですから、なんでもかんでも「昔はよかった」というのではよくないのではないかという考えも出てくるわけです。
しかし、生態学者はそういう考え方に対して反論します。なぜかというと、昔から続いてきた生命の営みを断ち切ることはできないというのです。つまり、生物が多様だからこそ食物連鎖がちゃんと行われるのであって、そのうちの生物が一つでもいなくなると困る、という論理です。ところがそれなら、すでに生態系の一部となっている外来種だけを駆除していいのか、ということになります。

奥泉光

岩は風化作用で細かく砕かれて、石になる。石はやがて砂や土になり、水に運ばれて湖沼や海底に堆積し、固まって再び岩になる。またはマグマに溶けて元に還っていく。石は不動のものと思いがちですが、一瞬も静止することなく変化し、絶えず循環しているわけです。

矢内原伊作

かたくつめたい石はきびしく声明を拒否している。しかし、それだけにかえって、無言の石は、動物や植物以上に自然の力を強く感じさせるのである。われわれは生命のない石に生命以上に力強いなにものかを感じるのだ。

This Is your mind on plants (Michael Pollan)

Is it the quality of addictiveness that renders a substance illicit? Not in the case of tobacco, which I am free to grow in this garden. Curiously, the current campaign against tobacco dwells less on cigarettes’ addictiveness than on their threat to our health. So is it toxicity that renders a substance a public menace? Well, my garden is full of plants—datura and euphorbia, castor beans, and even the leaves of my rhubarb—that would sicken and possibly kill me if I ingested them, but the government trusts me to be careful. Is it, then, the prospect of pleasure—of “recreational use”—that puts a substance beyond the pale? Not in the case of alcohol: I can legally produce wine or hard cider or beer from my garden for my personal use (though there are regulations governing its distribution to others). So could it be a drug’s “mind-altering” properties that make it evil? Certainly not in the case of Prozac, a drug that, much like opium, mimics chemical compounds manufactured in the brain.

Les bains de Lavey

Les sources de Lavey font surface à 62°, après un interminable périple. En effet, l’eau circule à travers les fissures de la roche cristalline et se réchauffe lentement jusqu’à atteindre 120° C. Son parcours l’amène à une profondeur de 3000 m et peut durer plus de 5000 ans. Elle remonte ensuite plus rapidement vers la surface à travers un autre réseau de fissures et ressort à Lavey à une température de 65° C.
Actuellement, l’eau est puisée à 600 m et à 200 m de profondeur à proximité des Bains. Un avantage non négligeable puisque l’ensemble du site thermal trouve ainsi, grâce à l’eau, une ressource naturelle et non polluante, l’essentiel de l’énergie et du chauffage nécessaires.
Cette eau a des vertus dans les traitements des affections rhumatismales, dermatologiques et de l’appareil locomoteur.

ループ量子重力理論

ループ量子重力理論は、時空(時間と空間)にそれ以上の分割不可能な最小単位が存在することを記述する理論である。超弦理論と並び、重力の古典論である一般相対性理論を量子化した量子重力理論の候補である。
同じく量子重力理論の候補である超弦理論は、時空は背景場として最初からそこに存在するものとして定義しており、理論自身のダイナミクスにより決定されているわけではない。それに対しループ量子重力理論は、一般相対論と同様に理論自身が時空そのものを決定している。

時空は、本質的に連続で滑らかな値をとるものと考えられてきたが、この理論で時空は、結晶格子のように離散的な値をとるものと考えられている。このため、時空を連続的なものととらえたときに起きる短距離極限の発散が生じないという利点がある。一般相対性理論から要求される座標変換に対する形式不変性を守りながらこのような時空構造を与えることに成功した量子重力理論はループ量子重力理論のみである。
空間はノード(点)とノード同士を繋ぐリンク(線)から成るグラフで表される。ループ量子重力理論で使うグラフはスピンネットワークと呼ばれる。このスピンネットワークで表される空間のつながりの変化が重力などの力の媒介、電子などの素粒子の存在を示していると考えられている。
そして、このスピンネットワークに時間を加えたものをスピンフォームと呼ぶ。スピンフォームは時計の秒針が動くように離散的に変化する。つながりの変化前と変化後の時間の差は 1プランク秒(10-43秒)で、これが積もり積もって人が感じる時間となる。

The second law

If all processes in the system are reversible, the entropy is constant. An increase in entropy accounts for the irreversibility of natural processes,

島根県隠岐郡西ノ島町

人の幸せは、大きさで決まらない。

 
西ノ島は小さい。
人口は2700人ほど、見いせも選べるほど多くはない。
学校も1つだけ…。
だからといって、人々の幸せが小さいわけではない。

だって、ここには息を飲むほど美しい自然が広がっているし、
何より人々の営みが美しい。体調を崩せば、ご近所さんが
心配してくれるし、たまに新鮮な魚や野菜を分けてくれる。
都会で忘れていた暮らしの大切なことがたくさんある。

島の大きさと幸せの大きさは、必ずしも比例しない。

山本静山

秋の千草がにおっている野や山のほとりには、点々と小松が美しい緑を輝かせながら生えています。一方、秋の野を飾る七草の葉や茎は、松のように深い緑の色ではなくて、こがねなす秋の色をたたえています。その輝くような色で、この秋を限りにと生きる七草と、小さいながらにも力強く、やがては大空へとそびえたってゆく松の緑との対照は、味わいがあります。美しい調和でもあり、必然の美であると思います。

人為 vs 自然の摂理(澤上篤人)

物事には限界というものがある。それを、自然の摂理が働くという。
たとえば、株価上昇の波に乗って、もっともっと儲けようと人間の欲は果てしなく膨らんでいく。 ところが、ある段階になってくると、果てしなく膨れ上がっていく欲望の片隅で、不安心理といったものが芽生えてくる。 すごい上昇相場が続いているが、誰かが売りだしたら一転して大きく崩れるに違いない。 そうなったら、売るに売れない状況に放り込まれ、大損を食らいかねないぞといった不安心理だ。 ガンガンの強気の片隅で、崩れに入ったらやばいぞといった警戒感が、心の中で徐々に醸成されていく。 そういった不安心理や警戒感が、ちょっとした下げをきっかけにパッと広がって、マーケット全般が売り一色に転じる。 その様を眺めていると、天井知らずの上昇相場に対し、自然の摂理が働いてブレーキをかけたかのように見える。
一方、国の財政悪化や借金の膨れ上がりに関しても、いずれ物理的な限界が立ちふさがる。 これも、自然の摂理が働くとなる。 日本はじめ先進国は膨れ上がる一途の財政赤字を埋めようと、野放図な国債発行を続けている。 国債発行を潤滑に進め、かつ国債の利子負担を抑えるそのためには、政策金利をゼロ同然にしておきたい。 そうやってきたものの、国債の発行残高がどんどん積み上がっていけば、いつかはその重みに耐えられなくなる。 そして、どこかで一角が崩れるや、国債はじめ債券市場では売りの連鎖が瞬時に広がっていく。 それはそのまま、債券の流通利回りの上昇、すなわち長期金利の急上昇に直結する。 これまた、自然の摂理が働いたと説明されよう。
どんな人為も、自然の摂理には勝てない。

人間が自然をコントロールしようだなんて(IN YOU Market の出品者)

自然栽培では、もちろん肥料も何もあげないので、種撒いたりとか、植物が育ちやすくするために、周りの環境の整備にフォーカスをしています。
なんというか、僕自身農業の栽培一つとっても「方法」などということはおこがましいと考えています。
実際北海道で農業をやっていると、たくさんの動物がいて、鹿などもしょっちゅうやってきます。
せっかく作っても彼らに作物を食べられてしまうことも少なくなくありません。
本来、人間の手で、人工的に操作してコントロールしたり、自然の摂理を変えたりすることは、やってはいけないし、やるべきではない。
険しい環境の中で「自分たちが後から入り込んできて、農業をやらせてもらっている」、
そういう感覚を忘れずに、自然の前では常に謙虚さを大切にしたいと思っています。

ヴォレを開けて 朝のひかりを浴びる
枝に水滴がついている
鳥が挨拶に来る
ああ いい

Planting trees (Robert Jackson)

… maybe they aren’t quite that black-and-white about it, but … trying to plant our way out of global warming is going to have some so-far-underappreciated side effects.
Planting trees to absorb carbon and reduce the threat of climate change could cause a range of new environmental problems.
tree plantations can dramatically reduce water availability, remove nutrients from soil and increase its salinity. … better planning is needed to assess the environmental costs and benefits of planting trees to mitigate climate change.
… it is important to think carefully about where and what people plant, particularly where water resources are scarce.

Politique forestière

Nos forêts souffrent des premiers effets du changement climatique et doivent affronter de multiples aléas dont la fréquence et l’intensité augmentent : incendies, sécheresses, ravageurs, gelées tardives, tempêtes ou encore épisodes de grêle. La question cardinale qui devrait guider nos choix est celle de la stratégie à mettre en place pour renforcer la résistance et la résilience de nos forêts.
Or, le nombre d’arbres plantés est un très mauvais indicateur pour évaluer la réussite d’une telle stratégie. Une leçon majeure qui se dégage, après plusieurs années avec des températures record, c’est qu’il faut arrêter de planter en plein soleil sur de grandes surfaces. Le taux de mortalité par déshydratation des jeunes plants explose. C’est pourtant ce type de plantation qui est le plus fréquent.
Afin de limiter cette mortalité, une solution consiste à planter à l’ombre, dans de petites trouées où les jeunes plants seront mieux protégés des coups de chaud par l’ambiance forestière. Pour un même nombre d’arbres plantés, ces petites plantations permettraient ainsi de restaurer de façon durable une surface de forêt trois ou quatre fois plus importante.
Contrairement aux grandes coupes rases, ce type de plantation permet, en plus, de maintenir le stock de carbone et l’ensemble des services écosystémiques fournis par la forêt. Une stratégie plus complexe mais plus efficace qui est adoptée par un nombre croissant de forestiers.

Whales pass their songs across oceans (Carl Zimmer)


A humpback whale breaching in waters off French Polynesia. Whales in Australia were found to be passing their songs to others in French Polynesia, which in turn gave songs to whales in Ecuador.
(Photo: Ellen Garland)
 
 

  
Humpback whale songs from the central to the eastern South Pacific
(Audio via Royal Society Open Science)

大雨と山くずれ 必ず起こるがめったに起きない(谷誠)

斜面の水の集まりやすい部分には、土壌層もしくは風化した基盤岩の中に長い年月をかけて自然に排水構造ができていると考えられます(人工的に積まれた盛り土は、効率的な排水が困難なため、熱海で2021年に発生した土石流災害でわかるように、くずれやすく危険です)。大雨があっても速やかな排水によって地下水面が上昇せず、浮力が大きくならず、土壌層はくずれず安定を保ちます。結果的に、雨水は地下水に遮られることなく鉛直方向(真下のことです)に浸透できます。逆に言えば、このメカニズムによって土壌層はたしかに長く安定を保てるのだけれど、500年から数千年に一度は、大雨時に地下水面が上昇して浮力が大きくなり、土壌層は崩壊するということでもあります。

どれだけの


丘を降りて来るあいだに
何十もの 何百もの 何千もの
いや きっと 何万もの 草や花を
踏んづけでしまったのだろう

僕が通ったことで
なにかが変わってしまったとしたら
申しわけないというか
なんというか

夜になれば
僕の知らない動物たちがやってきて
たくさんの草花を
踏んづけていく

だから
僕が通ったことは
大したことではない
そう思いたい

幻想

僕は
木々のなかの道を
君のあとをついて
一緒に歩いていた

どこまで来たのだろう
そう思って僕は
スマホに目をやる
電波が届いていないらしく
地図は出てこない
そうこうしているうちに
君は 僕の視界から消える

あっ と思って僕は
速度を上げた
走った
でも君は 見えてこない

脇に行く道はない
左の斜面を登ることも
右の斜面を転がり落ちることも
考えられない

君は消えた
僕の目の前から
僕の世界から
あっという間に消えた

道には
馬のものらしい糞と
いつ落ちたかわからない落ち葉と
VTT の輪だちが残っている

君の痕跡はない
どこに行ったのかもわからない
君は
僕の前を歩いていたのだろうか

足を止めて 後ろを振り返る
君が笑顔で駆けてくる
君は
僕の後ろを歩いていたのだろうか

Peter Wohlleben

Was wir der Natur antun, tun wir uns selber an.

**

Bäume kommunizieren über Duftstoffe und über chemische sowie elektrische Signal-übertragungen miteinander. Werden beispielsweise die Blätter eines Baumes von Raupen angefressen, so teilt der befallene Baum dies seiner Nachbarschaft über Duftsignale mit. Sowohl der befallene Baum wie auch die benachbarten verändern daraufhin die chemische Zusammensetzung des Pflanzensafts in ihren Blättern – was von Bitterstoffen bis hin zu insektenspezifischen Giftstoffen reicht. Darüber hinaus verfügen Bäume auch über besondere Rettungslockdüfte, um natürliche Freßfeinde der angreifenden Insekten herbeizurufen.

Auch unterirdisch wird lebhaft kommuniziert. Ein Teelöffel Waldboden enthält mehrere Kiometer Pilzhypen. Der Vergleich dieser Pilzfäden mit der Glasfaservernetzung des Internets liegt nahe. Tatsächlich spricht man inzwischen schon vom „woodwideweb“.

박건호

현실도
꿈도 아닌
진공의 상태가 되어
빗소리를 듣는다.

빗소리를 듣는다는 것은
얼마나 반가운 일이냐.

慈雨

しっとり降る雨
どしゃ降りの雨

そぼ降る雨
遣らずの雨

にわか雨
篠突く雨

強い雨 弱い雨
暴風雨 日照雨
五月雨 小糠雨
天気雨 通り雨

煙雨 霧雨 細雨
小雨 大雨 雷雨
甘雨 鬼雨 喜雨
時雨 驟雨 宿雨
翠雨 梅雨 涙雨
白雨 麦雨 氷雨
春雨 秋雨 涼雨
緑雨 私雨 慈雨

そうだ 欲しかったのは
慈雨だ 恵みの雨だ

Rachel Carson

A child’s world is fresh and new and beautiful, full or wonder and excitement.

It is a wholesome and necessary thing for us to turn again to the earth and in the contemplation of her beauties to know the sense of wonder and humility.

If I had influence with the good fairy who is supposed to preside over the christening of all children, I should ask that her gift to each child in the world be a sense of wonder so indestructible that it would last throughout life.

木村宣彰

「春は名のみの風の寒さや」
暦の上では春なのに寒い日々が続くとき、この「早春賦」の詞章を想い出す人は優れた感受性の持ち主である。今や人間は大自然に住まうのでなく、改造された人工環境の中で生活している。
今日、私たちが「自然」と言う場合、山川草木や雨や風など、人間を取り巻く外的な環境のことを指す。そのような自然環境は人間に対立するものであり、自分たちに都合のよいように改造できるものと考えてきた。その結果、地球の温暖化や砂漠化、水や大気の汚染などの様々な問題を惹起した。どれもこれも人間の我が儘が原因である。人間は自然を支配しようとするが、自然は人間の支配の対象ではない。
仏教では、自然を〈じねん〉と訓じて「自ら然る」という意味に解する。人間の作為のない「そのまま」の在り方が自然である。
 明治以降、西洋語のネイチャー(nature)の翻訳語として「自然」が用いられる。この自然は人間と対置するものとされる。しかし仏教が説いているように、人間は自然を超えた存在ではなく自然の一部である。その人間が思い上がって科学技術を駆使して自然を破壊する。一方で、意匠を凝らした盆栽や日本庭園に人工の自然を見いだそうとしているのは、何と考えたらよいのだろうか。

有島武郎

 人は自然を美しいといふ。然しそれよりも自然は美しい。人は自然を荘厳だといふ。然しそれよりも自然は荘厳だ。如何なる人が味到し色読したよりも以上に自然は美しく荘厳だ。議論としてそれを拒む人はあるかも知れないが、何等かの機会に於てそれを感じない人はない。
 その時或人はかくばかり自然が美しく荘厳であるのにどうして人間はかくばかり醜く卑劣なのだと歎じ、そこに人類の救ひ得べからざる堕落を痛感するだらう。或人はかくばかり美しく荘厳な自然の伴侶となるために、人類には如何に希望多き悠久な未来が残されてゐるかを痛感するだらう。而してそこに深い喜悦と勇気とを湧き立たせるだらう。
 老いるものは前の立場に立ち、若き者は後の立場に立つ。而して私は若き者であり、若き者の道伴れでありたい。

Eric W. Sanderson

Water demands a place to go. That means making room for streams and wetlands, beaches and salt marshes. It means solving human-caused problems with nature-based solutions. These include removing urban impediments to let streams flow once again, a process known as daylighting; restoring wetlands and planting trees. It also means using the collective power of our community — expressed through tax dollars — to help people move to safer places.

ICHI.PRO

自然の普遍的な法則の1つは、エネルギー消費の最小率の法則です。たとえば、ポイントAから放出される光は、ポイントBに到達するために、無限の数のルートの中で最もエネルギーを必要としないパスを選択します。これは、多くの場合、最速でもあります。
ポイントAとポイントBが空中にある場合、光はABラインに従います。これは、ABラインが、最小限のエネルギー消費で、ライトがポイントBにできるだけ早く到達する方法であるためです。点Aが空中にあり、点Bが水中にある場合、光はある点で屈折してAからBに移動します。これは、光が空中で速く進み、水中で遅くなるためです。そのため、光は可能な限り空中に留まりたいと考えています。
自然のこの最小のエネルギー消費法則は、しばしば物理学で遭遇します。私たちの美的知覚は、自然とその法則に由来します(他にどこにあるのでしょうか?!)。エネルギー消費が最小の法則は、美学にも適用されます。私たちはしばしばシンプルさに美しさを見出します。
文学、絵画、建築、数学では、どこにいても、不必要な混乱は楽しいものではありません。それは私たちを疲れさせるだけです。シンプルさは私たちの感覚にとって「楽しい」呪文であり、より効果的です。

湯川秀樹

たとえばプラトン、アリストテレス、あるいはもっと古くピタゴラスは、そこにあるものそのものに、自然物あるいは自然界のもう少し細かいものでもいいんでありましてとにかく、ものそのもの、あるいは現象というようなもの自身に、何かある完全なもの、単純なもの、美しいものを求めたわけでありまして、しかし近代の科学は、そういうことではなかなか発見できない。そこには非常に多様性がある。しかし、最高度の規則性がそこに表われているかどうかわからない。完全なものとはいえないかも知れない。円いものだけでなしにゆがんだものもある。直線運動だけではなしに曲った運動もあるだろう、楕円運動もあるだろう、もっと複雑な運動もあるだろう。しかし単純な一様性、単純性というものは、ものの間のいろいろな関係、そういうところに法則の単純性がある。あるいはその法則がどういう立場からみても同じ法則である、法則の形が変らぬ、そういうところに科学者の美意識を満足させる対象を見つけ出す、そういう方向へ進んでいったのだ、そういうふうに一口でいうことができると思います。
科学者の美意識(講演要旨)by 湯川秀樹(PDFファイル)

大自然のなかで

山の空気はきれいで
おいしくて
胸いっぱいに吸い込んでみたら
風の音が聞こえてきて
風の音を聞いていたら
鳥の鳴き声が聞こえてきて
上を見上げたら
葉が輝いていて
立ち止まって辺りを見回す
川が目に入る
水の音に惹かれ
水に近づいてみる
山の水はきれいで
冷たくて
おいしくて
水を眺めていたら
小さなことが どうでもよくなって
先に進む気もなくなって
戻ろうかなと思う
空気を吸い込む
川の水で顔を洗う
笑顔になっているのに気付く
いい気持ちだ
陽の高いうちに戻って
寝転ぶ場所を探そう
そして眠る
なにもかも忘れて眠る
きっとなにもかも許される
きっと

 水を大切にする
という
 空気を大切にする
という
 砂を大切にする
という

 水をきれいにする
という
 空気をきれいにする
という でも
 砂をきれいにする
とはいわない

 水が不足する
なんていわない
 空気が不足する
ともいわない でも
 砂が不足する
というのは現実にある

ビルを建てるにも
埋め立てをするにも
砂が要る

世界のあちらこちらが砂漠化し
砂が溢れ出ているけれど
溢れ出た砂は
ビルや埋め立てには使えない

美しい海岸の砂が消え
湖の砂が消え
川の砂が消える

消えた砂は戻らない
ビルに消えた砂も
埋立地に消えた砂も
二度と戻ることはない

八月の熱い砂も 二月の冷たい砂も
戻ってはこない

神のいるところ

放っておくと
草がぼうぼうになる場所で
草を刈り
土をならし
その周りを白い縄で囲ったら
そこだけが神聖に感じられ
神が宿ったと思う

雨が降ると
水を吸い込む

その上に宿った神は
自然の内にいて
心地いい

**

雨が降るたびに
ドロドロになる場所に
水の逃げ道を作り
石を敷きつめ
その上に石を積み上げたら
そこに神が降りてきたように感じ
みんなで神に祈る

雨が降ると
水をはねつける

その上に降りてきた神は
自然の外にいて
気持ちいい

**

長い時を経て
土の上には神社が建ち
石の上には教会が建つ

気が付けば
きまりや形式や権威や嘘が
心の祈りを押しつぶしている

仕方なく神社や教会の外に出て
深く息をする
そして
どこにでもいるという神に
祈る 

雨は季節によって違う
春に降る雨
春から夏にかけて降る雨
夏に降る雨
夏から秋にかけて降る雨
秋に降る雨
秋から冬にかけて降る雨
冬に降る雨
冬から春にかけて降る雨
そんな分け方だけでは
とても形容できない

降ったり止んだりの雨
ずっと降り続く雨
雨粒が大きく強い雨
霧のような細かい雨
しとしとと降る雨
雨脚白く降る雨
弱い雨
柔らかい雨
静かに降る雨
激しい雨
横なぐりの雨
篠で突くような雨
月明かりの中の雨
陽に輝く雨
凍りつくような 冷たい雨
たくさんありすぎて
書ききれない

春雨 紅雨 小糠雨 菜種梅雨 発火雨
梅雨 走り梅雨 暴れ梅雨 送り梅雨 返り梅雨
空梅雨 緑雨 五月雨 麦雨 卯の花腐し
白雨 洗車雨 酒涙雨 夕立 神立
秋雨 冷雨 白驟雨 秋黴雨 霧雨
時雨 朝時雨 北時雨 横時雨 村時雨
月時雨 冬時雨 片時雨 氷雨 凍雨
飛雨 小雨 涙雨 天気雨 微雨
鬼雨 驟雨 俄雨 通り雨 村雨
宿雨 陰雨 地雨 霖雨 私雨
翠雨 甘雨 慈雨 喜雨 黒雨
細雨 糠雨 涙雨 豪雨 集中豪雨
雷雨 暴風雨 篠突く雨 繁吹き雨 暮雨
遣らずの雨 日照り雨 巌雨 そぼ降る雨
雨に名前を付けても
すべてを表すことはできない

今日の雨は
暑くも寒くもないなかで
強くもなく弱くもなく
雨粒が大きいわけでも小さいわけでもない
特徴のない普通の雨だけれど
そんな雨も君のうえに降れば
きらきらと輝く
いいことが ありますように

エントロピー

思い出を溜めこむ
記憶 写真 書類 領収書 手紙 そしてゴミ

未来を溜めこむ
希望 トイレットペーパー 歯磨きチューブ 水 そして夢

過去が短い若者が
過去を溜めこみ

未来の短い老人が
未来を溜めこむ

遺伝子組み換え作物

遺伝子組み換えと関係のないものだけを
食べていたいと思っても
なかなか そうはいかない
輸入されたトウモロコシのほとんどは
遺伝子組み換え作物といわれ
そのほとんどが
牛や豚や鶏などの飼料に使われ
私たちはその肉を食べる

遺伝子組み換えのトウモロコシは
コーンフレークになり
私たちの口に入る
コーン油になり
ハンバーガー フライドチキン
ドーナツ ピザ 餃子 と
次々と口に入る

コーンスターチになり
食べもののなかに入り
飲みもののなかに入り
化粧品のなかに入り
医薬品のなかに入りして
私たちのからだのなかに入る

遺伝子組み換え作物のない暮らしなど
誰にもできはしない
オーガニック食品の信奉者たちが
遺伝子組み換え作物に No を突き付けても
それは ヒポクリットでしかない

出来上がったシステムは
あまりにも複雑で
なにが良くてなにが悪いのか
誰にも判断できない

低い木の枝

花瓶のなかに生けられているのは
高い木の枝ではない
下草でもない
低い木の枝

森のなかで
隙間を埋めるためにあるような
低い木が
花瓶のなかで何かを主張する

小枝や葉がそぎ取られ
長い一本の枝と
先のほうに残った2枚の葉
そして2個の黒い実

森のなかでは
目に留まることのないものが
部屋のなかで
見るものを くぎ付けにする

社会のなかで
平凡と思われている人のひとりひとりに
喜びや悲しみがあることを思い出させるような
花瓶のなかの低い木の枝

枝と葉と実を見ているのか
考えているだけなのか
なにかの思いにとらわれて
人がひとり 動けずにいる

荘厳

科学技術の進歩のおかげで
私たちの活動範囲は大きく拡がった
遠いところで教育を受けたり働いたり
食べたり飲んだり遊んだりする

科学技術の進歩のおかげで
私たちの情報は大きく交錯するようになった
知りたい情報を正しいと信じ
知りたくない情報を間違っていると決めつける

科学技術の進歩のおかげで
多くの病気が治るようになった
私たちの寿命は大きく伸びて
死ぬ年を超えても生きている

科学技術の進歩のおかげで
世界中の人たちが食べられるようになった
自然のものばかりでなく養殖ものを食べ
農業産品ばかりでなく工業製品を食べる

科学技術の進歩のおかげで
生態系は破壊された
動植物が死に絶えるなか
人だけが生きようとしている

人ひとりが死ぬ前には
あらゆるものが荘厳される
人類が死に絶えるときにも
あらゆるものが荘厳されなければならない

その時 私たちは 皆 自然の一部だと感じる
そう
私たちは特別ではないと感じる
自然の一部だと感じる

エントロピー

エントロピーは秩序の度合い
無秩序な状態ほどエントロピーが高く
秩序ある状態ほどエントロピーは低い

放っておけばエントロピーは高くなる
氷は水になって 部屋は散らかってゆく
そして その分 ポテンシャルは下がる

無の端にある美しさは 可能性から生まれる
かすかで 繊細なものは 執着したりしない
それでいて 不確実性と不便とを優雅に受け入れる

自然のなかのエントロピーは混沌としていて
多様で不完全で不規則だから
予測するのは困難だ

人と人との関係も同じ
知っている人とのエントロピーは低く
知らない人とのエントロピーは高い

世界の人口は80億人 異性は40億人
思い合うことの確率は40億分の一だから
エントロピーはとてつもなく低い

感情は低いエントロピーを求めるけれど
エントロピー増大則から逃れることはできない
思い合う感情は 壊れるのが運命だ

でも僕は運命に抗う
エントロピーが低ければ
その分ポテンシャルは高い

放っておけば高くなるという
エントロピーに逆らって
行けるところまで行こう

君とこのままずっと
エントロピーの低いままでいて
エントロピー増大則に抗い続ける

そのために君を想う
君を思い続ける
エントロピーが高くならないように

直線

家具を製造する会社が 自然界にも人体にも直線はない と言い
建築家が 自然界には直線は存在しない 直線は人間に属する と言い
物理学者が 自然は曲線を創り 人間は直線を創る と言う
僕が見ている直線は幻想なのだろうか
 
自然界では角や直線は消えてなくなる運命にある
角は次第に削れて丸くなり 直線は揺らぎ曲線になる
上流では角ばっていた石が 下流では丸くなる
ということは 直線があったということではないか

整った形をして安定していたものが
支える力を失って壊れ 崩れる
崖が崩れ 積み荷が崩れる
ものが乱れ ばらばらになる

壊れるのが運命ならば 受け入れる
運命と思わなければ 受け入れない
運命に逆らうのも 運命のうちだ
君も 運命のうちだ

見える

霧で遠くが見えない
池があるはずなのに見えない
山も見えない

赤と橙色と黄色と緑と深緑が
ぼんやりとしたなかで混じり合い
風に揺れる

白樺の木が重なって見える
水滴をまとった草のあいだから
水の音が聞こえてくる

ここにいること
生きていること
いること

君がすぐそこにいる
動いている
見える

川に沿って歩いていたら
突然雨が降り出してきて
さっきまで見えていた山が見えなくなり
川の両脇の街も灰色に霞んでしまった

足元にはあっという間に水溜りができて
ここは水が流れるはずの河原なのかな とか
ここは堤防の内側だから河川敷かな とか
人が決めた どうでもいい定義 を思い出そうとする

目の前の大きな橋を渡れば駅に出るのだと
てのひらのなかの画面が教えてくれるけど
橋に上がれる道がなかなか見つからないので
仕方なく橋の下で雨宿りをする

生い茂る雑草のなか
小さな花が咲いている
大雨が降れば川になってしまうのだろうに
どうしてここで咲いているのか

ふと見回すと
花の周りは灰色の塊ばかり
鉄にアスファルトにコンクリート

あの鉄の橋を取っ払って
アスファルトの道路を取っ払って
コンクリートを取っ払ってあげたい

堤防の外の住宅もぜんぶどけて
川を自由にしてあげたい

思うように流れを変えて
好きなように流れたらいい

小さな流れもたくさん作って
たくさんの生き物に水を与えたらいい

川を川に戻してあげたい

川は何も言わず
戻ることなく
流れて行く

考えないということ

ソ連が崩壊した時にロシア人の同僚は
壁に飾ってあったレーニンの像を外し
代わりにイエスキリストの像を飾った

フランス革命の時に人々は王政を倒し
カトリック教会の権威を否定したけれど
作り出したのはなんと理性の祭壇だった

自由が責任と組み合わされて規範になった後に
じゃあ自由は人間の譲れない原則かと聞いても
まともに答えられる人はどこにもいない

人権が普遍的だって言っていた人たちは
その根拠を問われると答えに窮して
自然権などといってごまかそうとした

真理として機能している自由や人権が
真理かどうか問われることはなく
自明の理としてみんなが受け入れる

民主主義とか人道主義と言ってみても
受け入れる人がひとりもいなければ
ただの理想論でしかなくなってしまう

AIの限界を知る人がいなかったことで
論理のすべてが失われることになり
多くの生物の命が救われることになった

AIが神に取って代わろうとする時に
人間が作り上げたシステムは緑に覆われ
高層ビルや鉄道網は砂のなかに埋まる

鳥は飛び 魚は泳ぎ 獣は走る
ウイルスや細菌やカビが悪者でなくなり
空も海も陸もそして君も 明るく輝いている

誰も余計なことを考えなくなったら
地球の寿命は少しだけ延びた
そんなまぼろしがぼんやり見える

流れる水の音

私たちは 水がなければ生きてはいけない
水は 私たちの暮しに欠かせない
でも 目に見える水だけが水ではない
雲になって空に浮かび
雪になって山を白く飾り
木に覆われた山の地下深くを流れ
崖の下から湧き出てくる水

その水が ここを流れていたはずなのに
水の流れは どこに行ったのか
水の音は まるで人の声のように
耳元で私に 待てと囁きかけた
何を 私は待てばいいのか
水の流れが戻るのを 待てばいいのか
流れは戻ってくるのか

アスファルトの下に
流れていた水が戻ろうとしている
音が聞こえる
戻ろうとしている水の音が

コンクリートをすり抜けて
消えていた水が帰ってこようとしている
音が聞こえる
帰ろうとしている水の音が

人が作った川

遠い昔にひとりの男が大きな荷物を担いでやってきて
崖線の下の水が湧き出ているところをねぐらにした
ねぐらからそう遠くないところには川が流れていて
川を泳ぐ魚や川辺の草むらにいる動物を獲ったり
木の実や草を採っての暮らしは
快適なものだった
洪水があるたびに川は流れを変え
男も度々ねぐらを変えた
しばらくするとねぐらは増えて
ある者は畑を作り ある者は田んぼを作り
道具を作るものや 物売りまでもが住み着いた
神社ができ 役所ができ 集会所ができ
川に沿って花の咲く木を植えるものまであらわれた
水は大切にされていて
川はみんなのものだった

不思議な時代がやってきて
水道が完備し 電線が張り巡らされ
水は蛇口から流れ あかりが家々に灯された
川は変わらず流れていたが 人との距離は遠くなり
水は有難いものから管理するものへと変わった
とはいっても利益を得るために管理したのではなく
人に害を及ぼさないように管理したのだ
岸はコンクリートで固められ
時に川は地下に埋められた
川は汚染し臭うようになり
誰も川に近づかなくなった

公害をなくそうと立ち上がった人たちがいて
自然を取り戻すのだと頑張って
コンクリートの岸は岩のような見かけになり
自然の川よりずっと川らしく見えるようになった
自然のように見えても自然ではなく
川のように見えても川でない
洪水はこないし 川は流れを変えない
崖線の斜面だけに木々の緑が残り
崖線の上も下も住宅で埋まる
男のねぐらはもうどこにもない

湧水が作られ 水の流れが作られ
鯉が放たれ 遊歩道が作られ
階段を降りれば水に近づけ
木は伐られ 若い木が植えられた
計画通りに作られた水の流れは
自然の川と呼ばれ
運ばれてきた花が咲き
写真を撮りに人が来る

人は人らしく川に関わればいいものを
川を管理しようなんて大それたことを考えて
川を自然に戻すと言いながら 自然から遠ざけ
川を人に近づけると言いながら 人から遠ざけた
洪水の起きない川は 流れを変えることがなく
100年経っても流れを変えない川は もう川とは呼べない
人が作った川は 人が作った四季を纏い
安全なだけの つまらない場所になる
それはまるで水道水の流れる川で
濁ることも汚れることもない

川が昔のようになることは
もうない

いつもここにいる

東京には崖線という
川や海の浸食でできた
崖の連なりが
あちらこちらにある

崖線は木の緑で覆われ
崖線の下には湧水が湧いていて
崖線のうちのいくつかは
はけとかままとか呼ばれる

崖線の上の屋敷からは
富士山や多摩川が美しく
崖線の下の田んぼには
動物たちが顔を出す

崖線は子どもには厄介で
自転車をこいでは登れない
一昔前の大人たちは
水を担いで途中でへばっていた

崖線に聳える欅や樫が
見て来たものは多い
でも湧水の下の茶色い岩が
見てきたものとは比べようがない

私たちの見ていることなんて
ほんの一瞬
瞬きほどのこと
きっと とるにたらないことばかりなのだろう

人は人殺し

戦争を仕掛け土地を奪い住民を殺す、知識人たちを抹殺する、相手を降伏させ全員を殺す、他民族を虐殺する、宗教の違うものを殺す、気に入らない人たちを殺す、抵抗しないものたちを意味なく殺す。古来、人は、人種・民族・国家・宗教などをターゲットにして大量虐殺を繰り返してきた。
中国だけでもすさまじい数の人々が殺されてきた。8世紀の唐の安禄山の乱では3600万人が犠牲になり、13世紀のモンゴル帝国の様々な地域での戦闘による死者の数は4000万人だったという。17世紀に明朝が滅びた時にも2500万人が死に、19世紀の太平天国の乱では2000万人が死んだ。20世紀の大飢饉などでの死はまだまだタブーだけれど、4500万人という犠牲者の数が出てきている。
中国以外でも状況は同じ。大量虐殺は地球上のあらゆるところで繰り返されてきた。それが私たちだと言ってしまえばそれまでだけれど、私たちのなかには人殺しがいけないというDNAも間違いなくあるように思える。愛する人たちを守るために、家族や仲間を守るために、人は人殺しをするものなのだろうか。

普通の景色

土がもっと近かったころは
土は汚いものではなかったから
泥んこになって働いたり遊んだり
服や靴には土色が混じっていた

水がもっと身近だったころは
潮のかおりに包まれてみたり
水には音も光も匂いもあって
流れる水をいつまでも見ていた

雨が降ったら濡れて歩いて
雨脚が強くなったら雨宿りした
野菜には土が付いたままだったし
野菜のかたちは楽しかった

いつのまにか景色は無機質になり
地面は硬い灰色で覆われて
都会の空に建てられたビルは
まるで墓場の卒塔婆のようだ

空気のなかに聞こえていた歌は
騒音にかき消され聞こえてこない
昼間でも消えることのない街の灯りは
空の色まで変えてしまう

虹のかかった雨上がりの空とか
花でいっぱいになった草原とか
見たい景色はあるのだけれど
もっと見たい普通の景色は
いったいどこに行ってしまったのだろう

Francis Galton

What nature does blindly, slowly and ruthlessly, man may do providently, quickly, and kindly. As it lies within his power, so it becomes his duty to work in that direction.

Adolf Hitler

Nature herself in times of great poverty or bad climatic conditions, as well as poor harvest, intervenes to restrict the increase of population of certain countries or races; this, to be sure, by a method as wise as it is ruthless. She diminishes, not the power of procreation as such, but the conservation of the procreated, by exposing them to hard trials and deprivations with the result that all those who are less strong and less healthy are forced back into the womb of the eternak ubknown, Those whom she permits to survive the inclemency of existence are a thousandfold tested, hardened, and well adapted to procreate in turn, in order that the process of thoroughgoing selection may begin again from the beginning. By thus brutally proceeding against the individual and immediately calling him back to herself as soon as he shows himself unequal to the storm of life, she keeps the race and species strong, in fact, raises them to the highest accomplishments. At the same time the diminution of number strengthens the individual and thus in the last analysis fortifies the species.

One Aboriginal man

By Dreaming we mean the belief that long ago these creatures started human society, they made all natural things and put them in a special place.
These Dreaming creatures were connected to special places and special roads or tracks or paths. In many places the great creatures changed themselves into sites where their spirits stayed.
Aboriginals have a special connection with everything that is natural. Aboriginals see themselves as part of nature … All things on earth we see as part human. It is true that people who belong to a particular area are really part of that area and if that area is destroyed they are also destroyed.

AuthorBill Gabbert

Within five or six years, ‘a burned forest will be looking pretty good’, Kirkpatrick says. ‘And a large proportion of Tasmania’s flora fits into this fire ecology. Pea plants, wattles — their germination is stimulated by heat and smoke. Fire is really, really important in Tasmania.’
At the centre of it all, though, is the eucalypt. Because these trees do not just resist fire, they actively encourage it. ‘They withstand fire, they need fire; to some extent, they create fire,’ Bowman says. ‘The leaves, the bark, don’t decompose. They’re highly, highly flammable. And on a hot day, you can smell their oils.’
The bark and leaves of eucalypts seem almost made to promote fire. Some are known as stringyor candle-barks: long, easily lit strips hang loosely off their trunks and, once alight, whirl blazing up into the flammable canopy above, or are carried by the wind many kilometres ahead of a fire to speed its advance.

ウィキペディア

オーストラリアでは自然発火による山火事が多いが、ユーカリがその一因である。ユーカリの葉はテルペンを放出するが、気温が高いとその量が多くなるので、夏期にはユーカリ林のテルペン濃度はかなり上昇する。テルペンは引火性であるため、何かの原因で発火した場合、燃え広がり山火事になるのである。樹皮が非常に燃えやすく、火がつくと幹から剥がれ落ちるので、幹の内側は燃えずに守られる。根に栄養をたくわえており、火事の後も成長し続けることができ、新しい芽をつけることもできる。

A. M. Fairbairn

Nature exists for man, not man for Nature ; but if she exists for him, it is to teach him to transcend her, to make him ever more of a man, raising each generation above its predecessor. To do this she must awaken the energy and forethought that are in him, compel him to study that he may know, to imitate that he may prevail. And for this reason Nature, in order that she may be beneficent, must be inexorable in her laws.

野口晴哉

万病の因と言われ、また一方で「たかが・・・」と軽く見過されている風邪。風邪に対する一般通念からすれば、本書の表題は極めて奇異なものとして映るかも しれない。しかし著者は、独自の観点から風邪は治すべきものではない、経過すべきものであると主張する。人間は心身の偏り疲労が限界に達したとき、それを 調整すべく、自律作用として風邪をひくと言うのである。
著者は、風邪を病理的に捉えるのではなく、謂わば健康の自然法として捉えている。自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいたあとは、あたかも蛇が脱皮するように、新鮮な体になるとする主張は、極めて説得力に富んでいる。
著者独特の自然観から編みだされた「経過する」というユニークな概念は、「闘病」という言葉に象徴される現代の病気に対する考え方を一変させる可能性をもっている。

Rachel Krantz

What a privilege it is, to be able to try to reduce harm towards animals and the planet.

I was having this thought just today when a bird shat on my head through the mosquito netting. I didn’t take it as a sign, or at least not a negative one. I just laughed and immediately washed my hair, watching the rainstorm that night clean the hammock for me. The symbolism I assign to events, I keep learning, is my choice.
Each time I sit down to eat, I try to remember that, too. What a privilege it is, to be able to try to reduce harm towards animals and the planet. How impossible it seems, as one of the big ones, not to hurt in ways big and small every day. What a beautiful dance, deciding to try anyway, imperfectly but with intention.

Erika Engelhaupt

The scientists looked for evidence of this ghastly activity among four million recorded deaths in more than a thousand different mammals, from shrews to primates. On top of that, they compiled a history of human slayings.
One pattern stood out pretty clearly: Lethal violence increased over the course of mammal evolution. While only about 0.3 percent of all mammals die in conflict with members of their own species, that rate is sixfold higher, or about 2 percent, for primates. Early humans likewise should have about a 2 percent rate—and that lines up with evidence of violence in Paleolithic human remains.
The medieval period was a particular killer, with human-on-human violence responsible for 12 percent of recorded deaths. But for the last century, we’ve been relatively peaceable, killing one another off at a rate of just 1.33 percent worldwide. And in the least violent parts of the world today, we enjoy homicide rates as low as 0.01 percent.

Leonard Koren

静かな喜びというようなものでしょうか。年をとり、いままで重要だったものに意味がなくなると、自分の心を真にときめかせてくれるものは、それほどないことに気がつきました。規模の大きなイベントは人の心を動かすと思われていますが、静かな喜びを味わうことが幸せであり、私はそのことを噛みしめています。

唐木順三

私がいちばん書きたいと思い、また力をいれ、苦労したのは、道元を扱った「無常の形而上学」である。無常を観じ思って、道心を発し菩提を求めるという、普通のところから出発した道元が、ついに無常そのものを究め尽し、「無常仏性」にまで至ったそのことを私は書き尽くしたかった。無常を、ありきたりの無常感や無常観から解き放して、即ち心理や情緒や詠嘆から解き放して、まさに無常そのもの、もののリアリティにいたりつくした「無常の形而上学」を書きたかった。

Peter Wohlleben

Sprache ist laut Duden die Fähigkeit des Menschen, sich auszudrücken. So gesehen können nur wir sprechen, weil der Begriff auf unsere Spezies beschränkt ist. Doch wäre es nicht interessant zu wissen, ob auch Bäume sich ausdrücken können? Aber wie? Zu hören ist jedenfalls nichts, denn sie sind definitiv leise. Das Knarren von scheuernden Ästen im Wind, das Rascheln des Laubs geschehen ja passiv und werden von den Bäumen nicht beeinflusst. Sie machen sich jedoch anders bemerkbar: durch Duftstoffe. Duftstoffe als Ausdrucksmittel? Auch uns Menschen ist das nicht unbekannt: Wozu sonst werden Deos und Parfüms benutzt? Und selbst ohne deren Verwendung spricht unser eigener Geruch gleichermaßen das Bewusstsein und Unterbewusstsein anderer Menschen an. Einige Personen kann man einfach nicht riechen, andere hingegen ziehen einen durch ihren Duft stark an. Nach Ansicht der Wissenschaft sind die im Schweiß enthaltenen Pheromone sogar ausschlaggebend dafür, welchen Partner wir auswählen, mit wem wir also Nachkommen zeugen wollen. Wir besitzen demnach eine geheime Duftsprache, und zumindest das können Bäume auch vorweisen.

Das geheime Leben der Bäume (PDF file)

麦わらドングリ

協生農法では雑草や虫や鳥は畑を作ってくれるスタッフという「仲間」の意識を持っているため、絶対に除去をすることはありません。むしろ彼らがいなければこの農法は成り立ちません。
なんと、一反の農地に250種以上の有用植物を育てているんです。あえて様々な植物を混生させることで畑の中に多様な環境を作り出すことで単一栽培に起こりがちな害虫被害や連作障害を防ぐという効果もあります。
協生農法にとって雑草は野菜と同じくらいとても大切な存在です。それは土を耕してもらうことや土壌の保水力を高めてもらうこと、さらに土を作る微生物を育むなど非常に重要な役割を担ってくれるからです。
自然界では、肥料を渡す役割は虫や鳥が担っています。しかし従来の農法では農薬で虫を嫌い、鳥避けで追い払うため、肥料が畑に入らず仕方なく肥料を入れなければいけなくなっていると言えます。協生農法では逆に鳥や虫を集めるため畑の至る所に果樹を植えています。
人間の役割は畑に生物多様性を作り出すことと、野菜の種を蒔き、苗を植え、収穫することです。協生農法は混生栽培が基本なので何十種類という様々な種を混ぜ合わせて畑にまいていきます。その中で、密生しすぎた部分を間引きながら収穫するのが仕事。収穫する代わりに次の種をまいていけば365日、毎日収穫が可能という理想的な畑が出来上がります。

西成活裕

私が最もすごいと思う研究者は、自然の声を聴いている人です。自分のフィルターを通して環境を見るのではなく、フィルターを外して声を聴いて理論をつくる。それが一番自然で、そうでない理論をむりやり立てたとしても違和感があるのです。むりやりの理論はすぐに駆逐されてしまう。地味であっても自然にできた理論のほうが長続きします。
「けもの道」ってありますよね。ここにも人が踏み固めてできたけもの道らしきものがたくさんあるのですが、それらは人が自然にここに道があったらいいと思ってつくっている。私はそれこそが道路ではないかと思うのです。芝生に入れないように、それを迂回する舗装道路をつくったとしても、見ていれば人は芝生の上を歩いてけもの道をつくっている。
皆それがよいと思ったら、その部分は計画から隔離して考えるべきだと思います。ある程度、計画による統治された美しさも認めますが、そうではない、じわじわと生成してできた凄さが好きです。自然林と人工林の違いもそうですよね。人工林は手をかけないとすぐに枯れてしまうけれど、自然の森は手をかけなくてもすべてが絶妙なバランスでできあがっています。メインテナンスフリーで、それこそが自然の姿だと思います。

National Academy of Sciences (NAS)

As evidenced in both ancient legend and the historical record, human activities, institutions, and technologies have always been prey to the extremes of weather—to droughts and floods, ice storms and blizzards, hurricanes and tornados. Around the middle of the 19th century, however, society in the developed parts of the world became vulnerable to a different kind of extreme weather as well—to severe disturbances of the upper atmosphere and the near-Earth space environment driven by the magnetic activity of the Sun. Although the nature of the solarterrestrial connection was not understood at the time, such disturbances were quickly recognized as the culprit behind the widespread disruptions that periodically plagued the newly established and rapidly expanding telegraph networks. During the following century and a half, with the growth of the electric power industry, the development of telephone and radio communications, and a growing dependence on space-based communications and navigation systems, the vulnerability of modern society and its technological infrastructure to “space weather” has increased dramatically.
The adverse effects of extreme space weather on modern technology—power grid outages, high-frequency communication blackouts, interference with Global Positioning System (GPS) navigation signals, spacecraft anomalies—are well known and well documented. The physical processes underlying space weather are also generally well understood, although our ability to forecast extreme events remains in its infancy. Less well documented and understood, however, are the potential economic and societal impacts of the disruption of critical technological systems by severe space weather.

American Museum of Natural History, Louis Harris and Associates, Inc.

  • Seven out of ten biologists believe that we are in the midst of a mass extinction of living things, and that this dramatic loss of species poses a major threat to human existence in the next century.
  • In strong contrast to the fears expressed by scientists, the general public is relatively unaware of the loss of species and the threats that it poses.
  • This mass extinction is the fastest in Earth’s 4.5-billion-year history and, unlike prior extinctions, is mainly the result of human activity and not of natural phenomena.

Jeremy Butman

When we talk about sustainability, then, what is it that we hope to sustain? We certainly do not sustain nature “in itself.” Rather, we sustain nature as we humans prefer it.

Nācaretes Ģimeņu Kustības

Nature
Одним из даров Святого Духа является дар знания. Дар знания – это способность человека всё лучше познавать окружающую его действительность и открывать законы, управляющие природой и вселенной.

Rainer Maria Rilke

Nevertheless, I do believe you need not be left without answers, if you will cling to things resembling those that are now rejuvenating me. If you will stay close to nature, to its simplicity, to the small things hardly noticeable, those things can unexpectedly become great and immeasurable. If you will love what seems to be insignificant, and will in an unassuming manner, as a servant, seek to win the confidence of what seems poor, then everything will become easier, more harmonious, and somehow more conciliatory, not for your intellect — that will most likely remain behind, astonished — but for your innermost consciousness, your awakeness, and your inner knowing.

姜信子

水音に導かれ、あれもこれも、あまりに当たり前のことばかりを想いだすのである。たとえば、ほら、人は水がなければ生きてはいけないということ。水は水辺だけにあるのではなく、緑豊かな山があってこそ、山の奥の幻の湖があってこそ、澄んだ清水も湧き出づるのだということ。地の底にも川は流れているのだということ。地の底の川は青いのだろうか? そんなことを一生懸命に語り合うような心持ちがあらばこその、地の底の川なのだということ。地上の川にかけられた石橋の、石のぬくもりを感じる力があってこそ、川も山も守られるのだということ。

木村宣彰

今日、私たちが「自然」と言う場合、山川草木や雨や風など、人間を取り巻く外的な環境のことを指す。そのような自然環境は人間に対立するものであり、自分たちに都合のよいように改造できるものと考えてきた。その結果、地球の温暖化や砂漠化、水や大気の汚染などの様々な問題を惹起した。どれもこれも人間の我が儘が原因である。人間は自然を支配しようとするが、自然は人間の支配の対象ではない。
仏教では、自然を〈じねん〉と訓じて「自ら然る」という意味に解する。人間の作為のない「そのまま」の在り方が自然である。
明治以降、西洋語のネイチャー(nature)の翻訳語として「自然」が用いられる。この自然は人間と対置するものとされる。しかし仏教が説いているように、人間は自然を超えた存在ではなく自然の一部である。その人間が思い上がって科学技術を駆使して自然を破壊する。一方で、意匠を凝らした盆栽や日本庭園に人工の自然を見いだそうとしているのは、何と考えたらよいのだろうか。