Category Archives: memory

記憶

何かを学ぶということは、
それがどんなものなのかを、考えたり書いたりしながら、
それと私たちとの相関関係を作り出すことなのだと思う
だから私たちの知識はいつも具体的で、
記憶の中に、それと私たちとの相関関係として、ずっと残っている

何かを理解するということは、
その内にあるものと、私たちのシナプスの内にあるものとの、類似点を探り
それと私たちとを同一化することなのだと思う
だから私たちの理解はいつも抽象的で、
記憶の中に、それと私たちの心との繋がりとして、ずっと残っている

私たちの個人的なそして集団的な記憶には、無限の豊かさが隠されている
記憶の豊かさと現実の豊かさが、相関関係を持ち、
時間の経過とともに、バランスよく織り交ざってゆく。

電子、陽子、中性子といった素粒子は、みんな原子のなかにある。
水素、酸素、窒素といった原子は、みんな私たちの体の内にある。
ということは、電子も陽子も中性子も、みんな私たちの体の内にあるということになる。

陽子を研究する時には、陽子との相関関係を作り出さなければという
でも、自分の内にあるものとの相関関係なんて作り出せるのだろうか
陽子のことを理解するには、陽子と自分とを一体化しなければという
でも、そもそも自分の内にあるものと自分とは、一体ではないか

僕の内にある陽子と、海の水の中にある陽子は同じかと
CERN の物理学者に聞いてみた
その人の答えは明快で
陽子は陽子だと言う

君も僕も 海に繋がっている
君と僕も 繋がっている
君も僕も 海と同じ
君と僕も 同じ

上村松園

 縮図した絵の原図は、その縮図をひらいて見さえすればすぐに憶い出せる、頭のなかにはっきりと描写し得る。これは苦労しているからである。
よく展覧会とか博物館などから複写の写真版を買ってくることがあるが、それらは自ら苦労していないからその複写をみても原画の味や微細な線は憶い出せない。
私がつとめて縮図をとるのはこの故にである。

記憶

人は 辛いことや悲しいことを
忘れるように できている
いいことや楽しいことばかりを
覚えているのだという
ほんとうに そうだろうか

人は 辛いことや悲しいことを
閉じ込めて生きている
いいことや楽しいことで覆い隠し
まるでなかったことのようにして
明るく すごす

人の記憶ほど
あてにならないものはない
記憶は歪められ作られる
いくら正しいと思っても
記憶は事実からは遠い

経験したことが記憶に残り
思い出になってゆくけれど
思い出すたびに歪められ
都合のいいように上書きされ
経験とは かけ離れたものになる

文字や画像や映像から
物語を作り出し記憶して
思い出すたびに
実際にあったことのように
感じ 信じる

記憶の持つ曖昧さが
過去を疑わしいものにする
思い出は限りなく広がり
光景は色を変え
次第に薄れてゆく

美しい記憶は
どれも ぼんやりしている
美しくない記憶は
なぜか はっきりしている
消えてほしくても 消えない

人は辛いことや悲しいことを
忘れるようにできているなんて
そんなのは学者のたわごとで
誰もが 忘れられずに
それでも 生きている

川の思い出

立会川にボールを落とし
拾うために
下流に向かって歩く
川の流れは
小さな子どもが追えるほどに緩やかで
次の橋で拾おうと
子どもなりに必死で
気付けば西小山
諦めて帰る川の長いこと

呑川の桜の下を歩き
小学校の先生の説明を聞く
花の色 川の音
空の色 風の音
先生の説明は耳に入らず
列をなす友だちから離れ
気配を消し
気付けばひとり
学校に帰る道の心細いこと

石神井川沿いの荒れ地に
サッカーボールを探しに行き
蛇に出くわしたこと
渋谷川にも 目黒川にも
烏山川にも 北沢川にも
野川にも 仙川にも
神田川にも 千川にも
多摩川にも 隅田川にも
荒川にも 江戸川にも
思い出が詰まっている

なぜ思い出は
川に結びついているのだろう
数限りない どうでもいい思い出が
水に流されることなく
川の岸辺に残っている
暗渠になって川は消えても
思い出は消えずにいる

消えない記憶

改札を出て 階段を上がる
交差点を渡り まっすぐ進む
カフェの角を 道なりに曲がる
信号を渡り 公園に入る
池に沿って歩き 石の階段を上がる
広場を横切って 図書館の前をすぎる
テニスコートの脇を通って 家の前の道に出る
ドアを開けて なかに入る
それだけの思い出が 景色とともに甦る
この記憶は なんなのだろう

街を歩いた記憶は
他のどんな記憶より鮮明に甦る
街は変わり続けているから
記憶のなかの街は もうどこにもない
それなのに 記憶のなかの街は
いつまでも変わらず 記憶のなかにある
記憶のなかの街が 色褪せることはない
僕がいなくなる時 記憶のなかの街は消える
他のたくさんの記憶と一緒に消える
でも 僕のなかの君だけは消えない
きっと消えない

自然に害をなせば

科学技術の進歩で
自然の猛威による災害が
信じられないくらい大きくなる

人間が
自然を征服したつもりになり
自然のしっぺ返しにあう

国家なんていうものが
小さな損害を大きくし
多くの人間の生活を壊す

自然に害をなせば
自然の一部である人間に
害が及ぶ

人間が
自然の一部だということを忘れれば
人間は
自然から見放される

フェードアウト

だんたんとぼやけてゆく
はっきりしなくなる
だんだんと見えなくなる
いつしか消えてゆく

記憶はいつも曖昧で
実際より綺麗になったり
実際より汚くなったり
それでもひとつだけ
はっきりしているのは
実際とは違うということ

悲しい記憶はとどまらず
忘れるから生きていける
つらい記憶もとどまらず
なにからなにまで忘れてしまう

楽しい記憶もとどまらず
うまいということだけが残る
味の記憶のように
情景だけが残る
匂いの記憶のように
よかったということだけが残る
触れた記憶のように
覚えていたくても
覚えていることはできない

記憶が現実と混じって
別の記憶を作り出しているんじゃないか
そう思って
記憶をたどっていったら
どの記憶にも現実味がない

現実は ほんとうにあったのだろうか

過去の現実はすべてフェードアウトして
記憶のなかから消えてゆく
今という現実もやがてフェードアウトして
記憶のなかから消えてゆくのだろう

記憶から消えた現実は
どこにもない
消えた現実は
現実ではない

丸暗記

丸暗記ほど虚しいものはない

戦前は

神武 綏靖 安寧 懿徳 考昭 考安 考霊 考元 開花 崇神 垂仁 景行 成務 仲哀 応神 仁徳 履中 反正 允恭 安康 雄略 清寧 顕宗 仁賢 武烈 継体 安閑 宣化 欽明 敏達 用明 崇峻 推古 舒明 皇極 孝徳 斉明 天智 弘文 天武 持統 文武 元明 元正 聖武

とか

朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

とかを覚えさせられたという
その頃に生まれなくてよかった

もっとも丸暗記は悪いことばかりではなくて

三皇五帝 夏 殷 周 秦 漢 新 漢 三国 晋 隋 唐 五代 宋 元 明 清 中華民国 中華人民共和国

の「宋 元 明 清」というところは
覚えておいてよかったと思うけれど

3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534211706798214808651328230664709384460955058223172535940812848111745028410270193852110555964462294895493038196442881097566593344612847564823378678316527120190914564856692346034861

を覚えても いいことは何もない

覚えたいと思ったことはあっても
とうとう覚えなかったのが

じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなのちょうきゅうめいのちょうすけ


うん? 待てよ
あれっ ぜんぶ覚えてる
いつのまに覚えたんだろう

記憶

覚えていること
忘れてしまったこと

覚えていたかったこと
忘れてしまいたかったこと

なにを覚えていて
なにを覚えていないのか
なにを忘れ
なにを忘れていないのか

大事なことだから覚えていて
大事でないから忘れたというのか
いや違う
覚えているかどうかは
大事かどうかとは関係ない

僕の記憶は僕自身だけれど
それが正確かどうかは甚だ疑わしい

些細なことまで覚えていたり
はっきりとしていなかったり
情景を覚えていたり
覚えていなかったり

味とか
匂いとか
触れた感じとか
声とか
音とか
色とか
光とか
動きとか
思い出そうとして
思い出せることと
思い出せないことと

したことが経験として記憶に残り
なにかが思い出として記憶に残る
いい経験は次の経験につながり
よかったことは一生の思い出になる

そして幸いなことに
どんなに辛いことも記憶から消えてゆき
生きていくためなのかどうか
悲しみや 痛みは 忘れ去られる

時の流れのなかでは
感情さえも歪んでしまい
好き嫌いまでもが変わり
だから 記憶は あてにならない

なんであんなことをしてしまったんだろうという
してしまったことの後悔と
あのときああしていればという
しなかったことへの後悔が
それしかなかったのだと思うことで
あれでよかったのだに変わる

すべてを覚えているわけではない
すべてを忘れるわけでもない

記憶をあたため
いいことは覚えていよう
記憶を鍛え
いやなことは忘れよう

君を想い続けるために
君に許されるために

現想と幻実

想い出がぼんやりしている
はっきりしていない
そもそも 記憶全部がぼんやりしている
ぼんやりしているから
ズシンとくる
大事なことはみんなぼんやりしている
だから ズシンとくる
ほんとうのことはみんなぼんやりしている
だから ズシンとくる
ぼんやりしていることは美しくて
ズシンとくる

現実と非現実の境界が
ゆらいでいる
現実と非現実の両方が
ぼやけている

現実なのか非現実なのか
夢なのか幻なのか
ファンタジーなのか
ふわふわと そしてゆらゆらと

自由奔放な空想や 嘘のない虚構が
現実から意味を奪い
幻想は
夢と幻をごちゃ混ぜにする

夢に遊び 幻に生き
現実に 背き続けていたら
幻想と現実は いつのまにか
現想と幻実に なってしまった

政治が娯楽化し
経済がギャンブル化し
言うことと実際とが乖離し
社会にひびが入る

幻想と現実の狭間は
透けた紙のよう
現想と幻実の狭間は
蜘蛛の糸のよう

幻実と非幻実の境界に
君がいる
現想と非現想の境界に
僕がいる

時間

しなかったことの後悔は
したことの後悔より
つらい
でもいつも現在にいれば
過去はない
過去がなければ
後悔はない

経験したことのない暗室は
一度経験した暗室より
こわい
でもいつも現在にいれば
未来はわからない
未来がわからなければ
なにもこわくない

過去は 何もない今を見せ
未来は ない可能性を見せる
夢に満ちた目ざめと
記憶に縛られた未来に
何を望んだらいいのだろう

懐かしさのない過去を振り返っても
今は望んでいたようなものでないし
希望のない未来を覗いてみても
今望んでいるようにはなっていない
過去が失敗したすべてなら
未来の失敗も想像できる

それでも僕は君を見る
知っている君とすごす

知っているはずの君だけど
まだ知らない君とすごす

知っている君と何を話し
まだ知らない君に何を話すのか

それは楽しみではないか

思い出のかけら

遠い記憶の闇のなかに
そこだけが照らされて
その前後は暗いままの
短い記録映画のような
いつまでも残っている
思い出のかけらがある

夢か幻のような人物は
自分のようでもあるし
ここに現にいる自分は
他人のようにも見える
自分はここにいるのか
幻影すらもいないのか

自分と関係があるのは
確かなような気もする
でもそんなつながりは
暗い闇のなかに消えて
灯りを灯そうとしても
頼りの理性は働かない

自分の意識的な生活が
夢か幻のようなもので
そういう記憶の断片が
実際に起こったことか
記憶を投影したものか
何もわからず佇立する

見上げると君が見えて
優しい微笑みを感じて
思い出は思い出でなく
記憶はどこにもないと
そんな思いさえ持てば
なにも起きてはいない

なにも起きていないと
君の幻に語りかけたら
嬉しそうな顔が浮かび
あっという間に消えた
明日の空は青いのだと
言っている君を感じた

呪文

水俣はいい
紫尾山に降る雨が地下深く滲み亘ってできる伏流水
湯の児温泉の廃墟を埋める夏草
地下に溜っているメチル水銀を汲み上げるポンプ
水俣は工場という名の城を囲む町だ

私は水俣を訪ね
紫尾山の麓で石を拾い
廃墟で遊び呆け
細い水路のある住宅地域で魚を食べて午睡をとる

水俣湾に浮かぶ漁船を眺めたせいで
海中の龍神の呪文にかけられ
いつか私は
天草の漁村に伝わる物語のなかにいる

記憶の奥底

初めて会ったのは
いつのことだろう
もうずいぶん前のことのようだし
つい昨日のことのようでもあるし

その時に 初めて会った時に
君に心を揺り動かされたのは
記憶の奥底に眠っていた懐かしい感情が
目覚めたからに違いない

心が静かになった時に
記憶の奥底に分け入ってみたら
そこには君に似た人が いや 君がいて
僕に向かって微笑んだ

僕の記憶の奥底に
なぜ君がいたのか
なぜ いたのか

時間が経って 僕が消えた後で
君も消えた後で
僕のような人が 君のような人を見て
記憶の奥底に眠っていた懐かしい感情が目覚め
心を揺り動かされたら
その時
僕のような人は 君のような人に
なにをするのだろう
僕が君にしたようなことを するのだろうか
それとも 懐かしさに負けて
なにもせずにいるのだろうか

君の記憶の奥底にも
僕がいるのだろうか
それとも いないのか

忘れる

忘れたいことは
忘れられず
忘れたくないことは
忘れてしまう

思い出さないようにしても
よみがえってくるし
思い出そうとしても
なにも浮かんでこない

忘れたと思っていても
夢のなかで見て
覚えていると思っていても
記憶はどこにもない

君は 僕のしたことを 忘れようとしない
忘れてしまえば 穏やかな日が来るのに
君はまるで 忘れたくないのかのように
いやな記憶の 上塗りをする

なぜそんなことをしたのか
なぜあんなことが起きたのか
なぜ なぜ なぜ
どうして どうして どうして

でも いや でも
忘れたいことは
忘れてしまおう
忘れたくないことも
忘れてしまおう

そして一緒に海を見に行こう
潮風に吹かれて歩こう
もう見た海はすべて忘れて
まだ見ぬ海に出かけよう

事実を伝えること

記憶も記録もあてにはならない
記憶だからあてにならないとか
記録だからあてになるとか
そういうものではない

記憶は
何が起こったのかでも
何が起こらなかったのかでもなく
そうだったかもしれないという
そして
そうでなかったかもしれないという
可能性なのだ

記録は
何か起こったことについて
記録する人がこうであったらいいなということを
期待を込めて書いたもので
不完全で間違いだらけの
人が記したものなのだ

起きたことを起きたこととしないで
起きなかったことを起きたことにして
起きたことと起きなかったことの
境界をあいまいにしてしまう

不完全な記憶
未完成な記録
永続しない記憶
永久に残らない記録

記憶や記録でできあがった歴史とか
記憶や記録に頼った判断が
正しいわけはない
記憶も記録も事実ではない

滝順一

「運動の短期記憶」は後頭部にある小脳という場所にまず蓄えられる。もっと詳しく言うと、小脳の表面(小脳皮質)のプルキンエ細胞と呼ばれる細胞だ。この短期記憶はしばらくすると、別の場所に転送されて「運動の長期記憶」となる。引っ越し先となる長期記憶の保管庫は、小脳の中心にある小脳核、または延髄の前庭核と呼ばれる場所だ。
長期記憶に収められると、いわば「体で覚えた」状態になる。いったん覚えてしまえば、例えば、しばらく自転車に乗っていなくても、少し練習すれば、こぎ方を思い出す。
ネズミに動く景色を見せて眼球の動きを訓練させる。1時間連続して猛練習したネズミと、訓練を15分ずつ4回に分けて、間に30分くらいの休憩を置いたネズミを比べてみた。練習終了直後の記憶は違わないんだけど、24時間後に調べると、「連続」は「休憩あり」の半分ほどに記憶が薄れてしまう。
長期に保管されるのは、記憶の概要だけ。完全なものではない。長期記憶を思い出して使う際には、短期の記憶がその都度、付け足され完全な記憶に復元する。自転車にちょっと乗ったりピアノの鍵盤に少し触れたり、少し練習するうちに、体が記憶を取り戻すのだ。
私たちはいつも決まり切った動きをするのでなく、その場に応じて動作を微調整している。がちがちの記憶でないから、柔軟性を発揮できる。演奏や運動をするたびに私たちが常に新鮮な感じを持てるのも、このせいかもしれない。

矢野沙織

私が人前でサックスを吹きに家を出たのは14歳の頃でした。その衝動は、何度遡って思い返しても、父とのいつもの何気ない小競り合いの中での、「学校へ行かないならば働きなさい。」という一言だったと思います。
いつか頼んで買ってもらった、キャンディーダルファー特集のJazz Life巻末にあるライブハウス欄を参照して、無数の10円玉を握りながら公衆電話からライブハウスに電話を掛け続けました。「社長は誰ですか?私は中学生です。働かせてください。」と、随分おかしい電話だったであろうと思います。その中で、今でもライブをさせて頂いている東京の外れにあるCafe Clairというjazz喫茶が、そんな私を拾ってくれた唯一の場所でした。
そこへ通って、伴奏だけが入っているカラオケCDをバックに演奏すると、マスターは優しく「まだ沙織ちゃんは親の目がなくてはいけないんだ。それに、1人ではできないからね。ピアノやベース、ドラムのプレイヤーと一緒にやるんだけど、バンドメンバーはいるの?」と言いました。何も無い私には、それができない。と思っていると、「まずうちに来るプロミュージシャンのライブにゲストで出てみなさい。頼んであげるから。で、次はお母さんかお父さんと来なさい。話してあげるからね。」と仰いました。
実際に仕事をしようとしてしまった無鉄砲な私に両親は辟易しながらも、翌週から殆ど毎週Cafe Clairのライブにセッションで参加させて頂いておりました。
その頃になると、私と同時期程度にjazzファンとなった父も、きゃいきゃいと喜び、多摩川沿いで練習をする私に付き合ったのでした。父子が真冬の高架下の河川敷で、カセットコンロを囲んで楽器の練習をする光景は、当時から「嘘みたいだなぁ」と思ったものですが、未だに「やっぱり嘘みたいだなぁ…」と、懐かしく思い出します。

佐藤剛

アメリカ人とのハーフの端正な顔立ちをした女の子だった。ただ肩まで伸ばした髪の毛は、いつ手入れしたのかわからないほどからまっていて、ジーンズのミニスカートから見える脚は、汚れてすすけてあちこちすり傷があった。
りりィという名は中学校の時のニックネームだというその女の子は、ギターの弾き語りでイエスタディを歌って聞かせた。喉から絞りあげるようなかすれた声は個性的だった。
オリジナル曲が一曲だけあると言った。というその曲を聞かせてもらうことにした。その歌を聴いて驚いた。空もひとり 海もひとり 私もひとりという歌詞の、底知れない孤独感にうちのめされる思いがした。りりィが17歳の時に初めて書いたというには、孤独な少女の叫びが込められていた。ヒット曲になるような歌ではない。だが素直な歌詞とハスキーなヴォーカルから、純粋な心根が伝わって3人の心をゆさぶった。
すると曲がついていない詩ならまだたくさんあると、りりィは黒い手帳を開いて見せてくれた。そこには詩のほかにイラストも書いてあった。

Timothy S. George

Timothy S. George is Professor of History at URI, where he has taught since 1998, and has taught at Harvard University as a visiting professor. His research specialty is modern Japanese history, particularly environmental history. He teaches courses on the history of East and Southeast Asia. He has degrees from Stanford University and the University of Hawai‘i, and received his Ph.D. from Harvard. He received Fulbright grants in 1993-1995 and 2012-2013 to study responses to the mercury pollution in Minamata and to the arsenic pollution in Toroku, and during both of those periods he was affiliated at the Institute of Social Science at the University of Tokyo.
His publications include Minamata: Pollution and the Struggle for Democracy in Postwar Japan (2001; Chinese translation 2013); a chapter on Toroku in Japan at Nature’s Edge: The Environmental Context of a Global Power (edited by Ian Miller, Julia Thomas, and Brett Walker, 2013); and a chapter on Tanaka Shōzō’s constitutional thought in Public Spheres, Private Lives in Modern Japan, 1600-1950: Essays in Honor of Albert M. Craig (edited by Gail Lee Bernstein, Andrew Gordon, and Kate Wildman Nakai, 2005). With Christopher Gerteis he edited Japan since 1945: From Postwar to Post-bubble (2013), and with John Dower he published Japanese History and Culture from Ancient to Modern Times: Seven Basic Bibliographies (second edition, 1995). He has published a number of translations, most recently editing and directing the translation of Mikuriya Takashi and Nakamura Takafusa, Politics and Power in 20th-Century Japan: The Reminiscences of Miyazawa Kiichi (2015). He has spent 17 years in Japan since 1962.

南伊豆町観光協会

南伊豆町の西側
砂浜のあるビーチと言えば
弓ヶ浜、子浦、入間の3ヵ所

海水浴場に指定されているのは
弓ヶ浜と子浦のみ

波がないので子供でも十分泳げる

静岡県賀茂郡南伊豆町子浦

山本貴光

自分のコンピュータに1万冊ほどの本を蓄積してみて分かったことがある。デジタルデータとしての本は、実に簡単に把握できなくなる。なにがあって、なにがないのか分からなくなる。同数の紙の本も大概だが、それでもまだおおよそは把握できる。デジタルデータで同じようにいかないのは、おそらく記憶の手がかりが少ないからだ。
例えば、モノとしての本は、空間に並べることで一覧性を確保できる。また、まさに空間の特定の位置に関連づけられる(「この左下のほうには映画の本があったはず……」など)。これに対して、コンピュータの記憶装置にデータをそのまま並べておくだけでは、そうはいかない。そもそも利用者が当該フォルダを表示するまで、それは見えない状態にある。当該フォルダを画面に表示するにしても、一画面に表示されるファイル数はたかが知れており、とうてい一覧はかなわない。ただし、強力な検索機能を駆使することで、適切な検索語さえ選べば、あっという間にデータを抽出できる。だからネットと同様に、検索で用が足りる場合には、記憶は問題にならないだろう。

秋川リサ

AkikawaLisa写真のプリントが上がりシノヤマは白い封筒に入ったその写真をそっと私に渡してくれた。「スゲーいいぞ」とも言った。
太陽やヒマワリの様に丸くて明るいわたしの顔、健康で何一つ悩みのない女と思われるのがいつもシャクだった。
そこにはわたしが一度も見たことのないわたしが写っていた。一言で言って大人の女、色っぽい、それでいて18才の溌剌としたピンとはった肌と乳房、窓から入る横の光で煙草を吸っているわたしなんか、まるで飾り窓の女。嬉しかった。
その後写真はわたしの引出しの中にしまわれ。。。
そして39年たったある日シノヤマから電話がかかってきた。
「あの写真、発表したいんだけど」
正直わたしはちょっと戸惑った。。。
そしてずっと約束を守ってくれたシノヤマをイイヤツだと思った。だって本当に約束を守るカメラマンもいるんだなとはじめて思ったんだもの。

鈴木邦男

私はどちらかというと、国家という大きなものよりも、街とか個人とか、なるべく小さな単位でものを考えようとしている人間なんですが、昭和三〇年代って、わりと小さなものが大事にされていた時代じゃないかなっていう気がする。駄菓子やとか紙芝居に象徴されるように、小さいものが大事にされていた。国という単位でものを考えると、「悠久の大義」だとか、大きな歴史というものが出てくる。でも個人単位、街単位で考えると、記憶なんですね。私は歴史より記憶を大事にしたいのです。

Émile Faguet

L’enfant, en France, est élevé par ses parents dans la haine d’une certaine catégorie de Français ; et la première chose, presque, qu’on lui désigne, c’est un ennemi, très proche, quelqu’un, à côté de lui, qu’il faut s’habituer à détester et à injurier sans motif très précis ; mais pour montrer qu’on est le fils de son père.
Je crois que cela est « dans le sang ».

ルイズルイス加部

Kabe売れたから楽しいことが待っているかと思ったけど、ひどいもんだったよ。とにかく演奏しているのは好きだったけど、流れていっちゃっただけで、途中で気がつくとこれでいいのかななんて。
日本語の曲はやるのあまり好きじゃないし、イギリスやアメリカの曲だったらいいけど、1回40分のステージを10回とかお昼からやっているわけだから。で、その後に写真撮影やテレビ収録があったりして。
あとよくわかんない地方にも演奏しに行ったよ。ライブ会場が山奥の学校の体育館なんだ。下に筵(むしろ)がしいてあって、そこが客席。お客さんがそんなところに座っている前で演奏してるんだ。周りは何もなくて川くらいしかないところで、泊まるところは校長先生の家とかなんだから。
学校の教室で椅子を並べてステージにしてやるっていうのもあった。これは千葉の木更津でのコンサートだったかな。もちろん、俺は帰ってきちゃったよ。ブッチと一緒にフェリーに乗ったらバンドのメンバーから「戻って来い」って言われたんだけど「こんなに天気のいい日に仕事やってるほうがおかしい」って俺は言い返したらしいよ。

Sarah Rainey

The meeting with Nagase – then, like Eric, in his seventies – took place near the bridge over the River Kwai, the infamous stretch of Death Railway immortalised in a 1957 film. Footage from the day shows two grey-haired men tentatively shaking hands. “I must say something to you,” Nagase pleads, bowing. “I am very sorry for what I have done. You must have suffered very much.” Eric simply nods. “Thank you,” he says. “Thank you.”
He hadn’t intended to be so forgiving. Up until the meeting, Patti admits, Eric planned to kill Nagase. “Eric meant to do him harm,” she says, quietly. “He told me that he had fully intended to kill him. He would have garrotted him. My suspicions that he wasn’t being quite honest about his reasons for wanting to meet this man were true. He wanted revenge. But then he realised this was another human being; he clicked into British officer mode. And, instead, he shook his hand.”

Roberta D. Calhoun

Survivor guilt, when it occurs, derives from situations where persons have been involved in a life- threatening event and lived to tell about it. It is often experienced after traumatic incidents causing multiple deaths. In the special case of chronic illness, survivor guilt can occur after the deaths of peers who faced the same diagnosis. By definition, there is an implied comparison with people who have endured similar ordeals.
Survivor guilt explores the other side of the coin of why me? Namely, why not me? Why did I survive when others did not? Those who struggle with it may express the feeling of being an impostor: somehow the “wrong” person survived; it “just doesn’t seem right.” Many feel that beating the odds makes little sense unless the survivor earned or deserved it in some way. But some survivors emphasize they don’t feel especially deserving. To complicate feelings of unworthiness, in the early stages of grief there is a tendency to idealize the deceased, so the survivor may feel even less deserving by comparison.

小島千加子

緑が丘の旧邸の頃は、家の奥で先生 (三島由紀夫) の、「お母さまあ」と呼びかける声がしたり、母堂が風邪気味の先生の喉に薬を塗ろうと追いかけるのを、お手伝いさんの背を楯に逃げ廻ったり、雅びな少年の名残が、家の中まで鬱蒼とした感じの、小暗い隅に影を落としている気配があったのだが、馬込の新邸はガラリと変わった。

Richard Restak

On a very basic level, you are what you remember — your very identity depends on all of the events, people and places you can recall. Improving your memory will help you develop a quicker, more accurate retrieval of information that will increase your intelligence.

坂本太郎

Nineスキー部などの4人の力を借り、9人で大会に臨んでいる双葉が快進撃を続けている。3戦連続のコールド勝ちで、秋季大会の代表決定戦進出は2007年以来6年ぶり。22日に強豪、北照に挑む。
本来の野球部員は1年生の5人。中学校などで野球経験がある4人に声を掛け、出場にこぎつけた。大会前の練習試合では大敗。西谷勇輝主将(1年)は「とても不安だった」と振り返る。
しかし、スキー部の蔦有輝選手(2年)が本塁打を放つなど助っ人が奮起。外野と二塁は助っ人が担うが、これまで失策は一つだけ。スキー部の笹川俊哉選手(同)と後藤悠史選手(1年)は「正直、ここまで来られるとは思わなかった」。普段は部活動に参加していない倉地大世選手(同)はバットが無く木の棒を振って練習に励んだといい、「奇跡みたいでうれしい」とはにかむ。
野球部員も負けていない。三上真司捕手(同)は「自分たちも頑張らないといけない」と、岩内戦で4打数3安打4打点。西谷主将は「一人一人の気持ちがつながってきている。(北照戦は)最後まであきらめない」と意気込む。
長谷川倫樹監督は快進撃について「たまたまです。理由を教えてほしいくらい」と困惑しながらも「目の前の試合を一生懸命やった結果」と選手をほめた。スタンドで観戦していたスキー部の玉川祐介監督は「野球部の5人の調子が良いので引っ張られるように伸び伸びやっている。決勝も楽しんで、けがをしないよう頑張って」とエールを送った。

西田幾多郎

それは私がまだ金沢の四高に教師をしていた頃のことである。或日同僚のドイツ人ユンケル氏から晩餐に招かれた。金沢では外国人は多く公園から小立野へ入る入口の処に住んでいる。外国人といっても僅の数に過ぎないが。私はその頃ちょうど小立野の下に住んでいた。夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユンケル氏の宅へ行ったのである。然るにどうしたことか、ユンケル氏の宅から少し隔った、今は名を忘れたが、何でもエスで始まった名の女の宣教師の宅へ入ってしまった。その女宣教師も知った人であり、一、二度も私の家に来たこともある人ではあったのだ。ベルを押し、請ぜられて応接間に入り、暫く待っていた。無論応接間の様子などユンケル氏のそれと似もつかぬのであるが、それでも自分には少しも気がつかなかった、全くユンケル氏の応接間に入っているつもりでいた。その中エスさんが二階から降りて来られた。それでもまだ気付かない。エスさんも自分と同じくユンケル氏の所へ招れて来ているのだと思い込んでいた。それにしてもユンケル氏が出て来ないのを不思議に思い、エスさんに尋ねて見ると、自分は全く家を間違っていたのであった。

前村大成

Kuwaベトレヘムの園の雑木林脇の細道を歩いていたとき、林の下草を刈っていた人に「そこに、沢山の桑の実が落ちていて、小鳥が食べに来ていたよ」と声をかけられました。見てみると無数の干からびた黒い桑の実が落ちていました。学童時代に同じ村の友達数人と、通学路からそれた畑道に入って桑の実を口にしながら道草をして家に帰った日々や、桑畑で桑の葉を採取していた情景を思い出しながら、わずかに実を残している梢を見上げて「大きい桑の木ですね」と感歎していると、「あっちにはもっと大きな桑が2本あるよ」と教えてくれました。郷里の桑畑の桑の木は、大人の手が届くぐらいの高さだったと記憶していますが、この桑の木は道を隔てた隣の大きな病院の4階以上に達する高さで、幹は根元近くで2つに分岐していました。当院開設期の写真を先日改めて見たところでしたので、この桑の木も当時からベトレヘムの園全体を広く眺めてきたのかと思うと、写っていた人の姿や当時の建造物が、途端に生気あふれて蘇ってきたように思いました。
桑の木は落葉樹ですが、温暖地では常緑樹のようにもなります。葉は切り葉と丸葉があり、カイコの飼料として養蚕に利用されるのが桑の最も重要な用途ですが、桑茶にも利用されています。栄西が『喫茶養生記』でお茶の効能、効用を書いているそうです。果実は多汁で甘く、マルベリージャムになる他、ブドウと同様に発酵させて桑実酒が作られます。
南ヨーロッパでは上手に桑を剪定して街路樹や並木にしたりしているようです。八王子には桑の並木があるそうですので、是非一度訪れてみたいと思っています。

an・an

anan13an・an アンアンエルジャポン
no.13 (1970年9月20日号)

 

 

神様さまの慈愛
 原作/フランシス・ジャム
 解説/澁澤龍彦
 イラストレーション/片山健

BFM.RU

Комплект оригинальных кукол к мультфильмам про Чебурашку будет выставлен на вечерние торги аукционного дома «Совком» 11 декабря в рамках аукциона «Русское и советское искусство ХХ века», сообщается в релизе организатора торгов.
Это последние сохранившиеся оригиналы кукол известных мультипликационных героев, созданные в 1970-е годы. По оценкам экспертов аукционного дома, стоимость кукол может составить 1,5–2 млн рублей.
Несмотря на то, что куклы создавались в нескольких экземплярах, поскольку ломались и изнашивались во время съемок, представленные на аукционе — единственные оригинальные образцы, сохранившиеся до настоящего времени.