Category Archives: story

唯川恵

(『逢魔』は唯川さんにとって初めての時代小説となるそうですが、どうして時代小説を選んだのでしょうか)
1つ大きな理由としてあるのが、現代の恋愛小説を書くことに息苦しさを感じていたところがあります。現代の女性を描くとしても、その人を取り巻く環境や状況がとても複雑になっていて、それを無視することができません。
例えば若い女性を主役に据えた場合、例えば就職難であったり、貧困であったりというのも1つ大きな要素として出てきます。どうしても恋愛に主軸を置きにくくなるというか、窮屈になってしまうんです。思いきり男女の恋愛を書くというのが難しい。 。。。 そんなことを編集者さんたちと話している中で、「時代物を書いてみたらいかがですか?」と言われて。

藤沢周平

 「新兵衛さん、待ってください」
 押し殺した声で言うと、おこうは新兵衛の手をおしのけて畳にすべり降りた。そしてあわただしく裾を合わせて坐ると、半ばとけて畳に流れている帯を手もとに引き寄せた。帯をつかんだまま、おこうはうなだれている。
 息を殺して、新兵衛はおこうを見まもった。すると、おこうの手がまた動いた。おこうは身体から帯をはずして畳んでいる。そしてきっぱりと立つと、夜具のそばに行った。
 おこうはそこで、さらに腰に巻きついている紐をはずし、着物を脱ぎ捨てると、長襦袢だけになった。その姿のまま、新兵衛に背をむけてひっそりと坐った。新兵衛は立って行くと、跪いて背後からそっとおこうの肩を抱いた。こわかったら、ここでやめてもいいのだよおこうさん、と新兵衛が思ったとき、おこうが振り向いた。おこうは奇妙なほどにひたむきな顔で、手をのばすと新兵衛の羽織の紐をといた。

山本周五郎

 お孝はときどき自分が恥ずかしくなる。鏡に向っているときなど特にそうだ。
「――まあいやだ、いやあねえ」
 独りでそんなことを呟いて、独りで赤くなって、鏡に写っている自分の顔を、一種の唆られるような気持で、こくめいに眺めまわす。全般的に見て、いやな言葉だけれども、膏がのってきている。皮膚が透けるようなぐあいで、なにかの花びらのように柔らかくしっとりと湿っていて、撫でると指へ吸いつくような感じである。
 或る気分としては眼をそらしたい。良人というものをもって半年あまりになるが、そのあいだに自分の躯にあらわれた変化は、これには自分としても衒れて、頬の熱くなることがしばしばあった。
 ――いやあねえ。
 こう思うのはそのままの実感である。胸乳のたっぷりした重さ、腰まわりのいっぱいな緊張感、痛いほど張った太腿。そのくせ胴は細く緊って、手足も先端にゆくほどすんなりと細い。その膏の乗って肥えた部分と、反対に細く緊った部分との対比が、娘時代とはあきらかに違ったもので、つい頬が熱くなり、眼をそらしたくなるが、じっさいは胸がどきどきし、唆られるようなふしぎな気持で、いつまでも眺め飽かないのであった。
「――ふしぎだわ、女の躯って、……どうしてかしら、ほんとにいやだわ」
 いやだと云いながら、しかも一方では、いくら眺めても眺め飽きないのである。

三崎律日

  • 魔女に与える鉄槌 ~10万人を焼き尽くした魔女狩り
  • 台湾誌 ~ 稀代のペテン師の妄想「嘘の国の歩き方」
  • ヴォイニッチ手稿 ~ 万能薬のレシピか? 植物図鑑か?
  • 野球と其害毒 ~ 明治の偉人たちの「最近の若者」
  • 穏健なる提案 ~ 妖精の国に突き付けられた国家再建案
  • 天体の回転について ~ 知のリレーが地球を動かした
  • 非現実の王国で ~ 大人になれない男の終わらない話
  • フラーレンによる52Kでの超伝導 ~ “神の手”
  • 軟膏を拭うスポンジ / それを絞り上げる ~ 奇妙な医療
  • 物の本質について ~ 快楽主義者のこの世の真理
  • サンゴルスキーの「ルバイヤート」 ~ 水難の書物
  • 椿井文書 ~ いまも地域に根差す江戸時代の偽歴史書
  • ビリティスの歌 ~ 古代ギリシャ女流詩人の愛の独白
  • 月世界旅行 ~ 1つの創作が科学へと導かれる

the能ドットコム

摂津国日下の里に住んでいた日下左衛門の妻は、家が没落したため、夫と別れて京都に上り、高貴な人の家に乳母として奉公するようになりました。三年が過ぎて生活も安定してきたことから、左衛門の妻は、夫の消息を知ろうと、従者を伴って里帰りします。従者は里人に左衛門の消息を尋ねますが、行方知れずになっていました。それでも妻は、しばらく日下の里に留まり、夫を探すことを決意します。
従者は、妻の気持ちを引き立てようと、里人に面白いことはないかと尋ね、当地の浜の市に芦を売りに来る、芦刈の男が面白いという話を聞き出します。浜の市で妻や従者が待っていると、芦刈の男が現れました。芦刈の男は、落魄した身の上を嘆きながらも、芦を刈る風雅さを語ります。その後、芦刈の男は、従者と語り、葦と芦の異名などを紹介した後、有名な和歌を織り込んだ面白い謡を謡いながら、舞を見せます。
妻は従者に、芦刈の男に芦を一本持ってきてもらうよう頼みます。芦売りの男は、妻のもとへ芦を持っていきますが、彼女を見て小屋に隠れてしまいます。実は、芦刈の男は左衛門その人であり、自分の妻だと気づいて、恥ずかしさのあまりに、隠れたのでした。妻は、「今は生活も安定したので迎えに来たのです、姿を見せて」と説得します。そして夫婦はお互いの心情を歌に託して交し合います。左衛門は「今は包み隠すことはない」と小屋を出ます。従者は夫婦再会を祝し、一緒に都へ行くように左衛門に勧めます。左衛門は烏帽子直垂をまとい、和歌の徳を讃えて、喜びの舞を舞い、夫婦は連れ立って春の都へと向かうのでした。

川端康成

 和服に外套の駅長は寒い立話をさっさと切り上げたいらしく、もう後姿を見せながら、
「それじゃまあ大事にいらっしゃい」
「駅長さん、弟は今出ておりませんの?」と、葉子は雪の上を目捜しして、
「駅長さん、弟をよく見てやって、お願いです」
 悲しいほど美しい声であった。高い響きのまま夜の雪から木魂して来そうだった。
 汽車が動き出しても、彼女は窓から胸を入れなかった。そうして線路の下を歩いている駅長に追いつくと、
「駅長さあん、今度の休みの日に家へお帰りって、弟に言ってやって下さあい」
「はあい」と、駅長が声を張りあげた。
 葉子は窓をしめて、赤らんだ頬に両手をあてた。

Samuel Beckett

…perhaps the words have carried me to the threshold of my story, before the door that opens on my story, that would surprise me, if it opens, it will be I, will be the silence, where I am, I don’t know, I’ll never know, in the silence you don’t know, you must go on, I can’t go on, I’ll go on.

キム・ヘジン


これがどん底だと思ってるでしょ。
違うよ。底なんてない。
底まで来たと思った瞬間、
さらに下へと転げ落ちるの――

Larry Brooks

The thing is, you can’t write your way out of the pit unless you know your story’s weaknesses and how to strengthen and repair them. Such a statement creates a paradox of sorts, because if you knew what was wrong and how to fix it before you started writing, you wouldn’t have written it with those weaknesses in the first place.
This is why revision is so critical.
For starters, we all do revision work, even before the book goes out to an agent or an editor. Even “polishing” is, in the truest sense, a form of revision, and as such we should subject it to the same rigorous standards that a criticized story must endure.
Revision assumes you now know what you didn’t know before. It assumes you understand whether your rejection was the outcome of unaligned taste or bad market timing (which may not require revision), or due to a story that is broken at its core, or has been poorly executed (which absolutely does require revision). When you don’t know the difference, your stories will continue to fail. And it won’t just be the story’s fault. It will be yours.

Stephen King

I took her hand. “I read something once—”
“I don’t think I’m quite ready for a literary discussion, Jake.”
She tried to turn away again, but I held onto her hand. “It was a Japanese proverb. ‘If there is love, smallpox scars are as pretty as dimples.’ I’ll love your face no matter what it looks like. Because it’s yours.”
She began to cry, and I held her until she quieted.

中勘助

 これは芙蓉の花の形をしてるという湖のそのひとつの花びらのなかにある住む人もない小島である。この山国の湖には夏がすぎてからはほとんど日として嵐の吹かぬことがない。そうしてすこしの遮るものもない島はそのうえに鬱蒼と生い繁った大木、それらの根に培うべく湖のなかに蟠まったこの島さえがよくも根こぎにされないと思うほど無惨に風にもまれる。ただ思うさま吹きつくした南風が北にかわる境めに崖を駈けおりて水を汲んでくるほどのあいだそれまでの騒しさにひきかえて落葉松のしんを噛む蠧の音もきこえるばかり静な無風の状態がつづく。
 この島守の無事であることを湖の彼方の人びとにつげるものはおりおり食物を運んでくれる「本陣」のほかには毎夜ともす燈明の光と風の誘ってゆく歌の声ばかりである。この人は昔村が街道筋にあたって繁昌した頃の御本陣のあととりだが、時勢の変遷や度かさなる村の災厄のため落魄して今はここでも小さいほうの数に入る一軒の家のあるじにすぎないけれど通り名だけはもとのまま「本陣」と呼ばれている。本陣は村じゅうでいちばん人がいいといわれるとおりおそらく国じゅうでも最も善良な人のひとりであろう。その善良朴直のゆえに私は心からこの人を愛する。性来、特に現在甚だ人間嫌いになった私にとってもこの人が島へくることは一尾の鱒が游いできたような喜びを与える。

高橋たか子

「なぜ死ぬかって? 私を死なせる張本人のあなたが、なぜ死ぬかって訊ねるの?」

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「二十、二十一」
 と、声が言った時、鳥居哲代は、何でも出来る――と自分に言い、織田薫を押した。
 その時、鳥居哲代の内部で盛りあがり押さえられ盛りあがりしていたあの不快な力が、思いもかけない量をなして噴きでてきて、一瞬、それは快と感じられた。押した相手は織田薫でもあり自分自身でもあり誰か他の人でもあった気がした。鳥居哲代は自分を見つめてばかりいたので、織田薫がどういう格好をしたかを見なかった。
 望んでいない。
 と、鳥居哲代は言った。
 望んでいる。
 と、言いかえてみた。
 望んでいないものを望んでいる、ということはあるのか。
 と、さらに言った。
 鳥居哲代はただ一人で戻りはじめた。歩行はのろく重たい。昏れてしまったとも昏れていないとも決めようのない曇天のなかを行く。
「火口の中はぱあっと明るい」
 と、さっき無理に言わされたことを、今度は自分から言ってみた。

小池真理子


「何か?」雛子は小首を傾げ、鳥飼に聞いた。
 警戒するような口ぶりではなかった。彼女は好意的で友好的な感じがした。安心できる人物に道を訊ねられた時、人が見せるような屈託のない笑みを浮かべて、雛子は鳥飼の前に立った。
「申し訳ありません。散歩をしていてつい、この木にみとれてしまいまして」
 ああ、と雛子は鳥飼の視線を辿りながら言った。「マルメロです。今年もこんなにいっぱい実が成って嬉しくって」
 想像していた通りの声だった。低くて、落ち着いていて、時として人を眠たくさせるような……。
「珍しいですね。鎌倉でマルメロとは」
「ええ。知識がなかったものだから、育てるのが難しくて、大変だったんです。香りが強いものですから虫がつきやすくって。移植してから最初の五、六年は実も成らなくて、もしかすると気候が合わないのかしら、って諦めてたくらい」
「移植と言いますと、どちらから?」
 軽井沢です、と雛子は言い、木もれ日の下で額に浮いた汗を拭った。「別荘に植えてあったものをこちらに」
「大切になさってた木なんですね」
 雛子は軽くうなずき、思い出が……と言いかけて口をとざした。口紅の跡のない唇に、平凡な主婦に似つかわしくない謎めいた微笑が浮かんだが、やがてそれもすぐに消えた。「よかったら、おひとついかがですか」

Adam Higginbotham

At 8:16 a.m. on August 6, 1945, a fission weapon containing sixty-four kilograms of uranium detonated 580 meters above the Japanese city of Hiroshima, and Einstein’s equation proved mercilessly accurate. The bomb itself was extremely inefficient: just one kilogram of the uranium underwent fission, and only seven hundred milligrams of mass—the weight of a butterfly—was converted into energy. But it was enough to obliterate an entire city in a fraction of a second. Some seventyeight thousand people died instantly, or immediately afterward—vaporized, crushed, or incinerated in the firestorm that followed the blast wave. But by the end of the year, another twenty-five thousand men, women, and children would also sicken and die from their exposure to the radiation liberated by the world’s first atom bomb attack.

Niall Williams

He smiled, quoting himself: ‘This is happiness.’ It was a condensed explanation, but I came to understand him to mean you could stop at, not all, but most of the moments of your life, stop for one heartbeat and, no matter what the state of your head or heart, say This is happiness, because of the simple truth that you were alive to say it. I think of that often. We can all pause right here, raise our heads, take a breath and accept that This is happiness,

Common Sense Science

Since the quantum electron has no physical structure, and no mechanism exists for exchanging energy or transmitting forces, then it is necessary to assume fundamental properties for the electron and proton: The quantum theory assumes that electrons and protons have intrinsic properties of spin, magnetic moment, stability, and inertial mass. The theory makes no attempt to derive them or relate them, but chooses such models that cannot relate its features: a point model is chosen for some occasions, and a wave model is chosen on others. The theory is unable to say if the essence of an electron is a particle or a wave; the theory can only say that an elementary particle is consistently inconsistent!

Joseph John Fernandez

In 1964 John Bell published a paper titled “On the Einstein Podolosky Rosen Paradox” , in which he examined the consequences of hidden variable theories, as they had become known. In essence, his work found that such a theory could not be constructed and still give predictions consistent with quantum mechanics. And quantum mechanics was doing very well under experimental scrutiny. In fact, he found out that hidden variable theories would even be in contradiction with special relativity. It can only be speculated what Einstein would have thought of this had he been alive at the time.
Since then, experiments have time and time again been in agreement with both the predictions of Bell’s work and those of quantum mechanics. Among those predictions is quantum entanglement, which has long since been validated as a true phenomenon and is the most important resource of the rising fields of quantum information and computing. In fact, entanglement is one of the reasons why quantum computers are expected to overpower classical computers in the future, threatening encryption and our digital lifestyles. If Einstein were with us, he would have no choice but to break his prejudice and accept entanglement for what it is: one of the weird aspects of the quantum world, supported by empirical proof.

NHKハートネット

逆淘汰論とは、19世紀に優生学を創始したフランシス・ゴルトンが唱えた説で、文明の発達した人間社会では、理性的な人々ほど生殖活動に熱心ではないために、社会的に望ましくないとされる不良な人々が、優良な人々を凌駕して、増殖する傾向にあるとしました。
日本でも戦前から、そのような逆淘汰論が社会理論として浸透していたために、「産めよ殖やせよ」という戦前の政策を転換し、産児制限を進めれば、優良な人々は、社会状況を理解し、家族計画により子どもの数を制限しようとするが、不良な人々は、欲望のままに子どもをつくり続けるために、逆淘汰現象が起きると考えられることになりました。

ウィキペディア

中古車市場では、売り手は車の品質をよく理解しているが、買い手は車を購入するまで車の品質を詳しく調査できない場合が多い。そのため情報優位者である売り手は情報劣位者である買い手の無知につけ込んで、良質な車は手元に置いておき、劣悪な車を売りつけようとする。したがって、中古車市場には劣悪な車ばかりが出回る結果になってしまう。
中古車市場における中古車の品質などの情報は、売り手のみが知りうる情報であり、買い手には知りえない情報であるため、「隠された情報」と呼ばれている。

芥川龍之介

 僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。しかしその中でも大事件だつたのは僕が二十九歳の時に秀夫人と罪を犯したことである。僕は罪を犯したことに良心の呵責は感じてゐない。唯相手を選ばなかつた為に(秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔してゐる。

室生犀星

私はすべて淪落の人を人生から贔屓にし、そして私はたくさんの名もない女から、若い頃のすくひを貰った。學間や慧智のある女は一人として私の味方でも友達でもなかった。碌に文字を書けないやうな智恵のない眼の女、何処でどう死に果てたか判らないやうな馬鹿みたいな女、さういふ人がこの「蜻蛉の日記」の執筆中に、机の向う側に坐つて笑ふ事も話をする事もなく、現はれては朦朧たる姿を消して去った。私を教へた者はこれらの人々の無飾の純粋であり、私の今日の仕事のたすけとなった人々もこれらの人達の呼吸のあたたかさであった。

芥川龍之介

それから何分かの後である。厠へ行くのにかこつけて、座をはずして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかって、寒梅の老木が、古庭の苔と石との間に、的れきたる花をつけたのを眺めていた。日の色はもううすれ切って、植込みの竹のかげからは、早くも黄昏がひろがろうとするらしい。が、障子の中では、不相変面白そうな話声がつづいている。彼はそれを聞いている中に、自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。――内蔵助は、青空に象嵌をしたような、堅く冷い花を仰ぎながら、いつまでもじっと彳んでいた。

芥川龍之介

 夜半、月の光が一川の蘆と柳とに溢れた時、川の水と微風とは静に囁き交しながら、橋の下の尾生の死骸を、やさしく海の方へ運んで行った。が、尾生の魂は、寂しい天心の月の光に、思い憧れたせいかも知れない。ひそかに死骸を抜け出すと、ほのかに明るんだ空の向うへ、まるで水の匂や藻の匂が音もなく川から立ち昇るように、うらうらと高く昇ってしまった。……
 それから幾千年かを隔てた後、この魂は無数の流転を閲して、また生を人間に託さなければならなくなった。それがこう云う私に宿っている魂なのである。だから私は現代に生れはしたが、何一つ意味のある仕事が出来ない。昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮したように。

Lorin Stein

I’m hooked on The Briefcase, by Hiromi Kawakami, a sentimental novel about the friendship, formed over late nights at a sake bar, between a Tokyo woman in her late thirties and her old high school teacher. It’s interesting enough to read about an aging woman drawn to an older man; when this attraction comes wrapped up in Japanese nostalgia for old fashioned inns, mushroom hunting, refined manners, and Basho, how can a person resist? I can only imagine what wizardry must have gone into Allison Markin Powell’s translation.

川上弘美

 遠いようなできごとだ。センセイと過ごした日々は、あわあわと、そして色濃く、流れた。センセイと再開してから、二年。センセイ言うところの、「正式なおつきあい」を始めてからは、三年。それだけの時間を、共に過ごした。
 あのころから、まだ少ししかたってないのに。

新海誠

知らない者同士が、お互いに知らない場所で生きていて、もしかしたら二人は出会うかもしれない存在。現実は会えない、でも、何らかのカタチで触れ合う。
単純だけれど、そんな物語を作りたいという事が今作の動機でした。良く考えてみると、それは、僕たちの日常そのものだと思います。今まさに地方の田舎町で生活している女の子も、将来、都会に住んでいるある男の子と出会うかもしれない。その未来の物語を小野小町の和歌『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』(訳:あの人のことを思いながら眠りについたから夢に出てきたのであろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかったものを)を引っ掛かりとして、アニメーションのフィールドの中で描く事が出来ると思いました。その後は、「夢の中で入れ替わる」ことを軸に「彗星」や「組紐」など様々なモチーフを交えながら作品としての構成を組み立てました。

Anna Burns

The day Somebody McSomebody put a gun to my breast and called me a cat and threatened to shoot me was the same day the milkman died. He had been shot by one of the state hit squads and I did not care about the shooting of this man. Others did care though, and some were those who, in the parlance, ‘knew me to see but not to speak to’ and I was being talked about because there was a rumour started by them, or more likely by first brother-in- law, that I had been having an affair with this milkman and that I was eighteen and he was forty-one. I knew his age, not because he got shot and it was given by the media, but because there had been talk before this, for months before the shooting, by these people of the rumour, that forty-one and eighteen was disgusting, that twenty-three years’ difference was disgusting, that he was married and not to be fooled by me for there were plenty of quiet, unnoticeable people who took a bit of watching. It had been my fault too, it seemed, this affair with the milkman. But I had not been having an affair with the milkman. I did not like the milkman and had been frightened and confused by his pursuing and attempting an affair with me. I did not like first brother-in-law either. In his compulsions he made things up about other people’s sexlives. About my sexlife.

Sally Rooney

Marianne had the sense that her real life was happening somewhere very far away, happening without her, and she didn’t know if she would ever find out where it was or become part of it.

東陽一

人の思うことを次々に言いあて、思うことがなくなると、とって喰う。その妖怪「サトリ」が孤独な水族館受付嬢の前に現れる…。

民間伝承に材をとり現代を描写した東陽一監督の意欲作。緑魔子がしなやかな感性で特異なヒロインを好演している。また、管理社会からはみだして生きる“ものぐさ太郎”には河原崎次郎、そして太古の昔より甦える妖怪“サトリ”には、特異なマスクと不思議な存在感を有する山谷初男が紛している。

物くさ太郎

信濃国筑摩郡あたらしの郷に、働かず寝てばかりの男がいた。村人からは「物くさ太郎」と呼ばれ、現地の地頭左衛門尉信頼も呆れるほどの怠けぶりであった。あるとき朝廷から、信濃守二条大納言有季への長夫のお召しが下ったが、村人たちは皆嫌がって、物くさ太郎をおだて上げてその役を務めさせることに成功した。
上洛した太郎はまるで人が変わったように働き者になったが、なかなか嫁が見つからない。そこで、人の勧めで清水寺の門前にて「辻取」を行う。たまたま通りかかった貴族の女房を見初め、妻に取ろうとするが女房は嫌がり太郎に謎かけをして逃げ去ってしまう。ところが太郎は謎かけを簡単に解いて、女房の奉公先である豊前守の邸へ押しかける。そこでは女房と恋歌の掛け合いをするが機知に富んだ太郎が女房を破り、ついに二人は結婚する。垢にまみれた物くさ太郎を風呂に入れてやると見まごうばかりの美丈夫に変貌する。噂を聞きつけた帝と面会すると太郎が深草帝の後裔であることが明らかになり、信濃の中将に任ぜられ故郷に下向した太郎は子孫繁栄し、120歳の長寿を全うした。
死後、太郎は「おたがの大明神」、女房は「あさいの権現」として祭られ人々に篤く崇敬された。

梶井基次郎

その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。

Giacomo Sartori

I am God. Have been forever, will be forever. Forever, mind you, with the razor-sharp glint of a diamond, and without any counterpart in the languages of men. When a man says, I’ll love you forever, everyone knows that forever is a frail and flimsy speck of straw in the wind. A vow that won’t be kept, or that in any case is very unlikely to be kept. A lie, in other words. But when I say forever, I really do mean forever. So let that be clear.
I am God, and I have no need to think. Up to now I’ve never thought, and I’ve never felt the need, not in the slightest. The reason human beings are in such a bad way is because they think; thought is by definition sketchy and imperfect—and misleading.

Karen Robards

Oh, the pleasure of it! The exquisite wonder of his hot wet mouth moving over the tip of her breast, drawing in the distended nipple, suckling it like a babe. She felt a shaft of excitement shoot down between her thighs, where his thigh had taken up residence once again. As he kissed and suckled and nibbled she arched her back, pressing her breasts against him with wanton abandon, clutching his head with both hands in his hair as she rubbed herself against that marvelous thigh. . . .
Then one of his hands was sliding down from its play with her breasts stroking her stomach, a finger burrowing playfully into her navel before moving lower, hovering just above the soft triangle of hair that ached for his touch.
When still he hesitated her hips lifted in instinctive supplication, inviting his touch in a wordless gesture that was as old as woman. Still his fingers continued to trace tantalizing circles just above and around the sides, tickling her thighs, darting playfully close and then retreating.

Rebecca Solnit

We treat desire as a problem to be solved, address what desire is for and focus on that something and how to acquire it rather than on the nature and the sensation of desire, though often it is the distance between us and the object of desire that fills the space in between with the blue of longing. I wonder sometimes whether with a slight adjustment of perspective it could be cherished as a sensation on its own terms, since it is as inherent to the human condition as blue is to distance? If you can look across the distance without wanting to close it up, if you can own your longing in the same way that you own the beauty of that blue that can never be possessed? For something of this longing will, like the blue of distance, only be relocated, not assuaged, by acquisition and arrival, just as the mountains cease to be blue when you arrive among them and the blue instead tints the next beyond. Somewhere in this is the mystery of why tragedies are more beautiful than comedies and why we take a huge pleasure in the sadness of certain songs and stories. Something is always far away.

Kris Gage

Truly good books are few and far between — and so they’re priceless
There are two camps of “good books” and both of them are rare.

  1. The first is good content. They deliver a message that stands on its own. The writing only needs to be good enough to allow you to follow.
  2. The second is good craft. It doesn’t matter as much what the content is because the writing is so goddamn beautiful it all but sings off the page.

(Writing that offers both, it should be said, is the incredibly rare and precious gem indeed.)

ライネル・マリア・リルケ

名前といふものは、我々人間にとつては一つの意義があるのですよ。薔薇だつて、そりあマリイ・ボオマンだとか、テストウ夫人だとか、カモンド伯爵夫人だとか、或はまたエモオションだとか呼ばれてはゐます、が、それは殆ど無用の長物です。薔薇は自分たちの名前を知つてゐませんからね。それ等の上に小さな木札をひつかける、と、もうそれを引つ込めません。それつきりなのです。しかし、人々は自分たちの名前を知つてゐます。彼等は自分たちのもつてゐる名前に關心を持ち、それを大事さうに暗記してゐて、それを彼等に訊ねる者があれば誰にでもそれを言つてやります。彼等は一生涯、云はばまあ、それを養つてゐるのですね、そしておしまひには、それとごつちやになる位、殆どそつくり、その名前に似てしまふものですよ。……

Paulo Coelho

The alchemist picked up a book that someone in the caravan had brought. Leafing through the pages, he found a story about Narcissus.
 The alchemist knew the legend of Narcissus, a youth who knelt daily beside a lake to contemplate his own beauty. He was so fascinated by himself that, one morning, he fell into the lake and drowned. At the spot where he fell, a flower was born, which was called the narcissus.
 But this was not how the author of the book ended the story.
 He said that when Narcissus died, the goddesses of the forest appeared and found the lake, which had been fresh water, transformed into a lake of salty tears.
 ”Why do you weep?” the goddesses asked.
 ”I weep for Narcissus,” the lake replied.
 ”Ah, it is no surprise that you weep for Narcissus,” they said, “for though we always pursued him in the forest, you alone could contemplate his beauty close at hand.”
 ”But… was Narcissus beautiful?” the lake asked.
 ”Who better than you to know that?” the goddesses asked in wonder. “After all, it was by your banks that he knelt each day to contemplate himself!”
 The lake was silent for some time. Finally, it said:
 ”I weep for Narcissus, but I never noticed that Narcissus was beautiful. I weep because, each time he knelt beside my banks, I could see, in the depths of his eyes, my own beauty reflected.”
 ”What a lovely story,” the alchemist thought.

村上春樹

さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。

もちろん何もかもがすべてとんとんと順調に進んだわけではない。「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」というのが僕の哲学(みたいなもの)である。

新美南吉

ある日、でんでんむしは「自分の殻の中には『悲しみ』しか詰まっていない」ことにうっかり気付き、「もう生きていけない」と嘆く。

そこで別のでんでん虫にその話をするが「私の殻も悲しみしか詰まっていない」と言い、また別のでんでん虫も同じ事を言った。

そして最初のでんでん虫は「悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で堪えていくしかない」と嘆くのをやめた。

井上靖

崑崙の玉

  • 桑と李という二人の若者が、于闐国が玉の産地であると聞き、その地に渡って良質の玉を手に入れて一攫千金を手にしようとした。二人は首尾よく于闐国に侵入し玉を手に入れたが、漢土の入り口である玉門関が閉ざされたことによって、遂に帰国できなくなってしまった。ロブ湖の水が伏流して黄河につながっているという説を信じる李は、ロブ湖に身を投じた。友を失い悲しむ桑とともに二人の消息は不明である。
  • 盧という玉の商人は30人の胡族の土民を雇い、三人の若者と共に黄河の源に神仙郷を求め旅に出た。旅の途中に発見した大湖の畔で玉を捜そうとする三人の若者たちを諫め、盧は黄河の上流へ上流へと旅を続けた。ついに一行は黄河の源流の最奥部に立った。しかし、ここが神仙郷でもなく、玉の産地でもないと知った一行は、都へ帰るしかなかった。季節は冬を迎えようとしていた。一行が北京に戻ったと言う記録は残っていない。
  • 世紀885年。ロシアの軍人の調査によって、ロブ湖の水が地下に伏流して黄河の水になるという、中国で二千年の間信じ続けられてきた説は否定された。

江國香織

言葉は記号のようだった。記号だからこそ、あんなに気安く口から滑りでたのだ。大切なことは何一つ言いだせないままに。

立花ハジメ

自分の一生の映っているビデオテープを手に入れた主人公。

誕生、少年時代に見入る興奮とスリル。 ふと60才の自分が見たくなり、 早送りしたものの画面に何も映っていないショック! 50才、40才と戻す。 まだ何も映らない。 次の瞬間にも自分もしくは世の中全体が なくなってしまうのではないかという不安にかられながら タイマーを現在に戻し 恐る恐る再生スイッチに手を伸ばす…。

こ、こ、これは…!!!

二葉亭四迷

さて、題だが……題は何としよう? 此奴には昔から附倦ぐんだものだッけ……と思案の末、礑と膝を拊って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極まる。

芥川龍之介

 何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。……
 三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。すると僕のまぶたの裏に銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはつきりと映つてゐるものだつた。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちやんと暗い中に映つてゐた。僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼のついてゐたことを思ひ出した。……
 そこへ誰か梯子段を慌しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやつと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

須賀敦子

「思いやり」という「ほどこし」や「おもらい」につながる封建時代的な人間関係を思わせる言葉に、私は、ふと、なじめぬものを感じてしまう。
「やさしい」ということが、自分の身がやせるまでに人のことを思う意味だと、ある辞書の註釈で読んだことがある。思いやりという言葉が、ほんとうに生きるためには、たぶん、わが身をやせさせても、やさしさに徹するところまで行かねばならないのだろう。
それにしても、なにかひとりよがりの匂いの抜けきれない「やさしさ」や「思いやり」よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする「想像力」のほうに、私はより魅力をおぼえるのだが。

宮本百合子

人間が極く原始な集団生活を営んでいた頃、そこにどんな恋愛と結婚のモラルがあり、家庭のしきたりという考えが存在していたろう。女も男も獣の皮か木の葉をかけて、極く短い綴りの言葉を合図にして穴居生活を営んでいる時代に、原始男女の世界は彼等の遠目のきく肉眼で見渡せる地平線が世界というものの限界であった。人類によって理解され征服されていなかった自然の中には、様々のおそろしい、美しい、そしてうち勝ち難い力が存在していて、嵐も雹も虹もそこに神として現れたし、彼等の体を温めたり獣の肉をあぶったりする火さえもその火が怒れば人間を焼き亡す力を持っている意味で、やはり神であった。神や魔力は水の中にさえもあった。あんなに静かに流れ、手ですくっておいしく飲めるその水が、天からどうどうと降りそそげば、彼等の穴ぐらは時々くずれたり狩に行けないために飢えなければならない時さえあった。

島本理生

いくら美意識が千差万別とはいえ、あんなふうに全肯定されたら、かえって不気味なのよ。私は自分のことを良い女だなんて思ったことは一度もないわけ。なのに私が世界一みたいな言い方されてごらんなさいよ。あまりに気持ち悪くて、眉毛を描く気にもなれないわよ。
**
無理です。ほかの女性なんて、考えられません。
当たり前でしょう。ほかの人なんて考えられないと思うのが恋愛なのよ。みんな、ほかの人なんて考えられない、と思いながら別れてほかの人と出会って好きになって、ほかの人と付き合うのよ。何度でも。

ジェイ・ルービン

よい文学とは、僕に言わせれば、日常生活に響くものです。ごく当たり前の日常生活―――買い物をしていても、車を運転していても、料理をしていても――何をしていても、ふと微妙な関係で瞬間的に頭をよぎるものです。すべての生活に関わりを持っている。
村上さんの作品は、僕のいう「よい文学」の条件をパーフェクトに満たしています。とはいっても、僕が村上さんから具体的に何か教訓のようなものを得たか、それはよくわかりません。
ただ、はっきり言えるのは、もし僕が村上春樹という作家を知らずにいたら、まったく違う人生を送っていただろうし、このインタビューを受けることもなかっただろうということです。
もっと言えば、村上さんを知らずにいたら、今とは異なる頭脳構造を持っていただろうとさえ言ってよいと思います。もちろん仕事もまったく違うものになっていたでしょう。
村上さんを翻訳したおかげで、新しい経験を持つことができました。

小澤俊夫

まず、昔話とはなんでしょうか。昔話は「口で語られて耳で聞かれた文芸」です。耳で聞き終わったら消えちゃう。それが、目で読む文学ともっとも違うところです。だから、昔話の語り口は「シンプル」で「クリア」でなければならない。
もうひとつ大事なことは、聞いているほうがはっきり聞き取れるよう、言葉を繰り返すときには同じ言葉で語る。そのような「かたち」があるんです。
では、昔話を語るうえでいちばん大切なことはなんだと思いますか? それは、大人が子どもの耳に「生の声」で聞かせることです。目で読む文学、たとえば絵本のようなものが登場したのは、ごくごく最近。絵巻物のようなものがあったかもしれませんが、それはお金持ちだけのもので、大多数の人たちは、子どもを膝に乗せて昔話を語った。うんと身近なところでしゃべるから、子どもたちは体温や呼吸を感じる。その距離で接しているから、自分が相手にされている、愛されているということがいつの間にか実感できる。
**
昔話が残酷だと言われはじめたのは、だいたい1980年代。高度成長の時代です。高度成長では、生活すべてがきれいになったでしょう、家も服装も全部。文明っていうのは、生活環境を自然から隔離することだよね。そのときに気がついてみたら、昔話が残酷だと言われはじめていたんです。
高度成長に生まれてきた人たちが貧困を知らない、それはいいことなんですよ。だから、昔話がそれを教えてくれている。元来、日本人の生活は、自然と密着した生活をしていたんだということを。それを大事にしないと、日本人は根無し草になってしまう。

Antonio Tabucchi

Philosophy appears to concern itself only with the truth,
            but perhaps expresses only fantasies,
  while
literature appears to concern itself only with fantasies,
            but perhaps it expresses the truth.

Antonio Tabucchi

I sogni di Dedalo, Ovidio, Apuleio, Cecco Angiolieri, Villon, Rabelais, Caravaggio, Goya, Coleridge, Leopardi, Collodi, Stevenson, Rimbaud, Cechov, Debussy, Toulouse-Lautrec, Pessoa, Majakovskij, García Lorca, Freud. Un libro che è un azzardo, una supposizione e un’ipotesi, e insieme un fervido omaggio a venti artisti amati da uno scrittore di oggi.

紫式部

いづれの御時にか、 女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めきたまふありけり。
はじめより我はと 思ひ上がりたまへる御方がた、 めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。 同じほど、それより下臈の更衣たちは、 ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、 恨みを負ふ積もり にやありけむ、いと 篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、 いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人の そしりをも え憚らせたまはず、世のためしにも なりぬべき御もてなしなり。

佐野洋子

 100万年も しなない ねこが いました。
 100万回も しんで,100万回も 生きたのです。
 りっぱな とらねこでした。
 100万人の 人が,そのねこを かわいがり,100万人の
人が,そのねこが しんだとき なきました。
 ねこは,1回も なきませんでした。

北川悦吏子

正人:うん。そういうの聞くとなあ ああ女の子だなあなんてキュンとするんだよね。
律 :そんなんだから何人にもなっちゃうんだよ彼女が。
正人:てかさあ 犬飼うとするじゃない?
律 :うん。
正人:で 新しい犬来ました。前の犬 捨てる?
律 :いや。
正人:なっ。俺、そこ、わかんないんだよ。増えてくじゃん、犬。なんで女の子は、増えちゃだめなの?

正人:今、この子を抱きしめたら、絶対好きになる。抱きしめてチューしたら、もう100%好きだよ。
律 :そいでいいじゃん。恋愛ってそういうもんじゃん。
正人:自分さ、律みたいなまじめな人には分からないかもしれないけど、遊んでいるっていう感覚なくて。あー、かわいいな、好きだなと思って付き合うと、どんどんどんどん…
律 :わかった、その先はわかった。どんどん増えていっちゃうんだよな、女の子が。
正人:うん。
律 :犬みたいに。
正人:うん。
律 :新しい犬飼って、次の犬が来たから、前の犬捨てる人いないっていう理屈は前に聞いた。

律 :人間と犬が一緒はまずいんじゃないの?
正人:そっか。でも両方に愛あるよ俺。

三島由紀夫

 拒みながら彼の腕のなかで目を閉ぢる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、こころもち持ち上つたのが、歔欷のためか微笑のためか、彼は夕明りの中にたしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んできらめく歯の奥にあるのだらうか?
 清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなによからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
 唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵してゐた。
 清顕は突然、聡子の頬が涙に濡れてゐるのを知った。彼の不幸な探求心が、それを幸福の涙か不幸の涙かと、いちはやく占ひはじめるが早いか、彼の胸から顔を離した聡子は、涙を拭はうとはせず、打ってかはった鋭い目つきで、些かのやさしさもなしに、たてつづけにかう言った。
「子供よ! 子供よ! 清様は、何一つおわかりにならない。何一つわからうとなさらない。私がもっと遠慮なしに、何もかも教へてあげてゐればよかったのだわ。ご自分を大層なものに思っていらしても、清様はまだただの赤ちゃんですよ。本当に私が、もっといたはつて、教へてあげてゐればよかった。でも、もう遅いわ。……」
 言ひおはると、聡子は身をひるがへして幕の彼方にのがれ、あとには心を傷つけられた若者がひとりで残された。
 何事が起ったのだろう。そこには彼をもっとも深く傷つける言葉ばかりが念入りに並び、もっとも彼の弱い部分を狙って射た矢、もっとも彼によく利く毒素が集約されてをり、いはば彼をいためつける言葉の精華であった。清顕はその毒の只ならぬ精錬度にまづ気づくべきであり、どうしてこんなに悪意の純粋な結晶が得られたかをまづ考へるべきだった。
 しかるに胸は動悸を早め、手はふるへ、口惜しさに半ば涙ぐみながら、怒りに激して立ちつくしてゐる彼は、その感情の外に立って何一つ考へることができなかった。彼にはこの上、客の前へ顔を出すことが、そして夜が更けて會が果てるまで平然とした顔つきでゐることが、世界一の難事業のやうに思はれた。

Fernando Pessoa

On s’habitue et c’est plus par routine qu’on aime que pour autre chose. Qu’est-ce que ça pourrait être d’autre ? Ensuite on s’attache, mais on s’attache autrement, et ce sont nos grands enfants qu’on épouse.
Certains pensent qu’on devrait les aimer pour ceci ou pour cela. Allons donc ! On ne sait pas pourquoi on aime. Quand on aime déjà on dit qu’on aime pour telle ou telle raison, mais seulement quand on aime déjà. Eux, ils pensent qu’on les aime parce qu’ils sont forts, ou parce qu’ils sont beaux, ou parce qu’ils ont les yeux bleus, ou quelque chose de ce genre. C’est un peu tout ça, monsieur le Président, et pas ça du tout.

石牟礼道子

海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。

水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが、「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。

澤田直

ペソア・ウィルスとでも呼ぶべきものが確かに存在する。冒されてしまうと、なかなか治らない。(…)ここには自分の話が書かれている、これは自分と同じだ、などと思ったことがあったらペソア・ウィルスに冒されたと疑ってみたほうがよい。

Fernando Pessoa

There’s no regret more painful than the regret of things that never were.
**
I always live in the present. I don’t know the future and no longer have the past. The former oppresses me as the possibility of everything, the latter as the reality of nothing. I have no hopes and no nostalgia. Knowing what my life has been up till now – so often and so completely the opposite of what I wanted –, what can I assume about my life tomorrow, except that it will be what I don’t assume, what I don’t want, what happens to me from the outside, reaching me even via my will? There’s nothing from my past that I recall with the futile wish to repeat it. I was never more than my own vestige or simulacrum. My past is everything I failed to be. I don’t even miss the feelings I had back then, because what is felt requires the present moment – once this has passed, there’s a turning of the page and the story continues, but with a different text.

Fernando Pessoa

The feelings that hurt most, the emotions that sting most, are those that are absurd – The longing for impossible things, precisely because they are impossible; nostalgia for what never was; the desire for what could have been; regret over not being someone else; dissatisfaction with the world’s existence. All these half-tones of the soul’s consciousness create in us a painful landscape, an eternal sunset of what we are.

George Steiner

The fragmentary, the incomplete is of the essence of Pessoa’s spirit. The very kaleidoscope of voices within him, the breadth of his culture, the catholicity of his ironic sympathies – wonderfully echoed in Saramago’s great novel about Ricardo Reis – inhibited the monumentalities, the self-satisfaction of completion. Hence the vast torso of Pessoa’s Faust on which he laboured much of his life. Hence the fragmentary condition of The Book of Disquiet which contains material that predates 1913 and which Pessoa left open-ended at his death. As Adorno famously said, the finished work is, in our times and climate of anguish, a lie.
It was to Bernardo Soares that Pessoa ascribed his Book of Disquiet, first made available in English in a briefer version by Richard Zenith in 1991. The translation is at once penetrating and delicately observant of Pessoa’s astute melancholy. What is this Livro do Desassossego? Neither ‘commonplace book’, nor ‘sketchbook’, nor ‘florilegium’ will do. Imagine a fusion of Coleridge‘s notebooks and marginalia, of Valery’s philosophic diary and of Robert Musil’s voluminous journal. Yet even such a hybrid does not correspond to the singularity of Pessoa’s chronicle. Nor do we know what parts thereof, if any, he ever intended for publication in some revised format.

Fernando Pessoa

I cultivate hatred of action like a greenhouse flower. I dissent from life and am proud of it.

No intelligent idea can gain general acceptance unless some stupidity is mixed in with it. Collective thought is stupid because it’s collective. Nothing passes into the realm of the collective without leaving at the border – like a toll – most of the intelligence it contained.

In youth we’re twofold. Our innate intelligence, which may be considerable, coexists with the stupidity of our inexperience, which forms a second, lesser intelligence. Only later on do the two unite. That’s why youth always blunders – not because of its inexperience, but because of its non-unity.

Today the only course left for the man of superior intelligence is abdication.

中島敦

日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。泉鏡花氏の芸術が即ちそれだ。と誰かが言って居たのを私は覚えている。併し、今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更鏡花でもあるまいと言うに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。

泉鏡花

不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人が並んでいました。
坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝立てたじだらくな姿もある。緋の長襦袢ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽になって、唯顔ばかり谷間に白百合の咲いたよう。
慄然として、遁げもならない処へ、またコンコンと拍子木が鳴る。
すると貴下、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人の姿が、音もなく歩行いて来て、やがてその舞台へ上ったでございますが、其処へ来ると、並の大きさの、しかも、すらりとした脊丈になって、しょんぼりした肩の処へ、こう、頤をつけて、熟と客人の方を見向いた、その美しさ!
正しく玉脇の御新姐で。

山本周五郎

家のために働きづめ、その挙句倒れて死んでしまった大切な父。その時母は浮気相手と不義密通を働いていた――。おしのが母をなじると、返ってきたのはおどろくべき言葉だった。「おしのちゃん、あなたの本当の父親はほかにいるのよ。」
母の不義を憎み、次々と母や、男たちに復讐を果たしながらも、不浄な血が流れている自身の存在に悩むおしの。最後の復讐相手、自分の本当の父親と直面したおしのがとった驚くべき行動とは――。

Janet Dailey

“Aren’t you going to turn off the light?” she whispered.
“No.” The hoarseness of his answer betrayed the hot flames of passion that seared him. “I’m not going to let darkness hide your body from my eyes. I’ve waited too long to see it.”
The mattress dipped under his weight, rolling her against his length and into his arms. The preliminaries of lovemaking were abandoned as the need to possess her body became greater than the desire to enjoy it.
Brig struggled to control the raging fires that flamed through him. They burned hotter and hotter until he could barely withstand them. The blaze was fueled by her writhing and twisting hips grinding against his and the stifled animal sounds of wild pleasure coming from her throat. There was no holding back the explosion of desire when it came. The violence of it left him shaken and ready to enjoy the pleasures he had ignored in the heat of urgency.

Remy Charlip

Fortunately,
  Ned was invited to a surprise party.
Unfortunately,
  the party was a thousand miles away.
Fortunately,
  a friend loaned Ned an airplane.
Unfortunately,
  the motor exploded.
Fortunately,
  there was a parachute in the airplane.
Unfortunately,
  there was a hole in the parachute.

What else could go wrong
  as Ned tries to get the party?

Paul Auster

All along, from the beginning of his conscious life, the persistent feeling that the forks and parallels of the roads taken and not taken were all being travelled by the same people at the same time, the visible people and the shadow people, and that the world as it was could never be more than a fraction of the world, for the real also consisted of what could have happened but didn’t, that one road was no better or worse than any other road, but the torment of being alive in a single body was that at any given moment you had to be on one road only, though you could have been on another, travelling towards an altogether different place.

Monica R. Gale

As it began, gods and men seem united in a common pleasure: hominum diuumque uoluptas, alma Venus (‘pleasure of gods and men, nurturing Venus’, 1.1—2). As it nears its close, gods and men are separated: Calliope can give the gods uoluptas (‘pleasure’), but men she can only afford requies (‘repose’).

国研出版

(1)最も好きな女君
  ① 紫の上(43%)
  ② 空蝉・桐壺の更衣・花散里(各9%)
  ③ 明石の御方・秋好中宮・浮舟・朧月夜・末摘花・玉鬘・藤壺(各4%)
(2)生涯の伴侶にしたい女君
  ① 紫の上(33%)
  ② 明石の御方(27%)
  ③ 花散里(16%)
  ④ 雲井の雁・玉鬘・宇治の中の君・六条御息所(各5%)
(3)恋人にしたい女君
  ① 朧月夜(33%)
  ② 夕顔(27%)
  ③ 紫の上(13%)
  ④ 雲井の雁・玉鬘・軒端の荻・花散里(各6%)
(4)友人にしたい女君
  ① 朝顔(44%)
  ② 明石の御方(33%)
  ③ 朧月夜(22%)

三島由紀夫

世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。

瀬戸内寂聴

石牟礼さんとは指で数えられるほどしか逢っていないのに、まるで毎週逢っていたように、その時々の表情や、よく似合うヘアスタイルが眼底に焼きついている。細々とした声音や、それに似ない強い烈しい言葉の内容も、年月に犯されず、瑞々しく心に焼きついている。いつ逢っても前日のつづきのような親しい口調で心をかたむけて話しかけてくれるので、自分が深く好かれているような温かい気分になってくる。それは石牟礼さんの心の温かさとやさしさのせいだろう。自分がこの偉大な作家に好かれているようなうるおった気分にさせられているのだ。石牟礼さんは嘘をつけない人だから、何かの縁で逢った目前の人物を、心の底から愛そうとされる。嫌な人物に逢うことを、自分が嫌っているからだ。

Yasunari Kawabata, Edward G. Seidensticker

The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.
A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura. The snowy cold poured in. Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.
The station master walked slowly over the snow, a lantern in his hand. His face was buried to the nose in a muffler, and the flaps of his cap were turned down over his ears.

新美南吉

 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

遠藤周作

「生きるって、こんなにむつかしいことかと、この一年で、たっぷり味わいました。一体、美しいこととか、善いことって一体、何なのでしょうか」
「美しいものと善いものに絶望しないでください。人間の歴史は……ある目的に向かって進んでいる筈ですよ。外目にはそれが永遠に足ぶみをしているように見えますが、ゆっくりと、大きな流れのなかで一つの目標に向かって進んでいる筈ですよ」「(この目標とは)人間がつくりだす善きことと、美しきことの結集です」

雪樹

「…君の見る空が千回晴れたら、きっとまた会える。だから、僕が君の傍にいたこと忘れないでいて…。ね、日向!」
僕にとって精一杯の約束だった。
「や…くそ…く…」
日向は見えなくなりつつある僕に小指を出した。
「…うん。約束だ…」
涙と笑顔と僕らの手は、最後の最後で重なった。
そして、僕は日向の世界から完全に姿を消した。

Alan Sternberg

“Never go to bed angry with each other!” one such truck proclaims, but people in Camaro City often do. They also go to bed confused – especially the men, who don’t understand why their lives don’t seem to fit anymore. Spirited and stubborn, these people refuse to see themselves as relics of the factory economy. Their more and less fortunate neighbors are also represented here – a girl from the inner city who must choose how to grow up; a young woman of relative privilege who discovers the joy and difficulty of her mother’s work.

Rune Froseth

“Hi, honey. So, what are we having?” asks Kelsey. I don’t think she knows him—or has even seen him before—but she “honeys” pretty much everybody.
“Eh, hmm, eh. Can I have an espresso, please?” For a second Kelsey is quiet—she is at a loss for words. Then she rolls her eyes around the room and bursts out laughing.
“Espresso? ESPRESSO? Do we have—tell me—do we look like we have espresso?” Now everybody is laughing. Including the manager in the corner. The guy in the suit blushes. In any other establishment, I guess this would have been regarded as an extremely rude response, and cause for dismissal, or at least a reprimand, but here it is the ignorant, pretentious customer who is at fault. “We have coooffee—if that’s good enough fo’ ya?” She drags out the o in coffee in expert New York fashion. “Yes, yes, a cup of coffee, please.” He looks down, not daring to meet the look of the vicious Kelsey. “No sugar.”

村上春樹

映画が終って場内が明るくなったところで僕も目覚めた。観客は申しあわせたように順番にあくびをした。僕は売店でアイスクリームをふたつ買ってきて彼女と食べた。去年の夏から売れ残っていたような固いアイスクリームだった。
「ずっと寝てたの?」
「うん」と僕は言った。「面白かった?」
「すごく面白かったわよ。最後に町が爆発しちゃうの」
「へえ」
映画館はいやにしんとしていた。というより僕のまわりだけがいやにしんとしていた。奇妙な気分だった。
「ねえ」と彼女が言った。「なんだか今ごろになって体が移動しているような気がしない?」
そう言われてみれば実にそのとおりだった。
彼女は僕の手を握った。「ずっとこうしていて。心配なのよ」
「うん」
「そうしないと、どこかべつのところに移動してしまいそうなの。どこかわけのわからないところに」

九鬼周造

まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる「上品」はこの二元性の欠乏を示している。そうしてこの二元的可能性は媚態の原本的存在規定であって、異性が完全なる合同を遂とげて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。永井荷風が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情無いものはない」といっているのは、異性の双方において活躍していた媚態の自己消滅によって齎もたらされた「倦怠、絶望、嫌悪」の情を意味しているに相違ない。それ故に、二元的関係を持続せしむること、すなわち可能性を可能性として擁護することは、媚態の本領であり、したがって「歓楽」の要諦である。しかしながら、媚態の強度は異性間の距離の接近するに従って減少するものではない。距離の接近はかえって媚態の強度を増す。菊池寛の『不壊の白珠』のうちで「媚態」という表題の下に次の描写がある。「片山氏は……玲子と間隔をあけるやうに、なるべく早足に歩かうとした。だが、玲子は、そのスラリと長い脚で……片山氏が、離れようとすればするほど寄り添つて、すれずれに歩いた」。媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。可能性としての媚態は、実に動的可能性として可能である。アキレウスは「そのスラリと長い脚で」無限に亀に近迫するがよい。しかし、ヅェノンの逆説を成立せしめることを忘れてはならない。けだし、媚態とは、その完全なる形においては、異性間の二元的、動的可能性が可能性のままに絶対化されたものでなければならない。「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者、「無窮に」追跡して仆たおれないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。

島尾敏雄

私はぐらぐらと赤土の崖からころげ落ちる頼りなさに襲われて来る。問題はそのような所にはないのだが、私はもう十箇月の間固着した同じような質問に答弁することを強いられ、それがもつれて行き、私の過去は白々とあばかれ、収拾がつかなくなることを繰返している。ああはじまって行く、はじまって行く。そう思うと頭はくらみ、妻の顔にも憑きものだけが跳梁し、私ののどもとには身勝手なむごい言葉が次々とつき上って来る。そしてそれをとどめることができずに口に出してしまう。

しまおまほ

 校庭の隅にある、学校名からつけられた「城山エベレスト」という小さな山の頂に立って、チャイムが鳴るまで思いを巡らせていた。すごくもやもやして気持ちが悪いけれど、友だちとも先生とも共有できない。永遠の不思議に支配されていた。
 家で父に尋ねてみると、
「生きているから生きているんだよ!」
 と身もふたもない答えが返ってきた。
 仕方なく、母に聞くと
「ジッタンに聞いてごらんなさい」
 と、言う。

 さっそく祖父に電話をかける。
「ジッタン、どうしてわたしは生きているの?」
 すると祖父の答えはこうだった。
「えらいよ、真帆。真帆がそう疑問をもっている事が生きている証拠なんだよ」
 ・・・・・・難しい答え。
 しかし、それからその事を考える事はなくなった。

小川未明

 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。
 北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。
 雲間から洩れた月の光がさびしく、波の上を照していました。どちらを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いているのであります。
 なんという淋しい景色だろうと人魚は思いました。