津野海太郎

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1 Response to 津野海太郎

  1. shinichi says:

    『したくないことはしない 植草甚一の青春』津野海太郎

    by 梅本洋一

    http://www.nobodymag.com/journal/archives/2009/1204_2137.php

     植草甚一が大ブレイクした70年代初期から晶文社の編集者として「ワンダーランド」をはじめ植草さんの様々な著書の編集に携わった津野さんの「植草伝」。「植草さんの前半生はかならずしも幸福なものではなかった。ところが、むかし引いたマイナス札が最晩年につぎつぎにプラスにひっくりかえり、とつぜん、ハデな大逆転をとげてしまう」。「あとがき」で津野さんはこう書いている。「ハデな大逆転」の時代に植草さんを読み始めたぼくらは、植草さんをずっと有名な人だと思っていたが、そうではなかった。津野さんは「ぼくが下町の商人の息子だということが、いろんな理由でコンプレックスになっている」という植草さんの文章から、この書物を始めている。「下町の商人の息子」なんてぜんぜんコンプレックスの理由ではないだろう。どんな理由があるのというのか。「いろんな理由」があると植草さんは書いているのだ。津野さんは、この本で、その「いろんな理由」を探ろうとして、植草さんの人生を詳細に調べている。その結果が、300ページ余りのこの本に結実している。関東大震災前後から大ブレイクまでの長い時間の植草さんの「有り様」が、まるで昭和史の全体のように書かれている。一高受験の失敗、早稲田の中退等々、植草さんの前半生は失敗の連続だったようだ。だが、植草さんはめげずに、否、すごくめげていたのだろうが、その「マイナス札」をエンジンに、外国の小説を読み、映画を見ていたのだ。津野さんの文章を読んでいると、飯島正や淀川長治などの姿と共に同時代の東京が見えてくる。
     何よりも津野さんの文章は感嘆するしかないくらいにうまい。さっきの「マイナス札が最晩年につぎつぎにプラスにひっくりかえる」みたいな比喩が至る所にあって、ぼくら読者を有無も言わせず納得させてしまうやり方は、もう「芸」の世界に入っている。「よォ、○○屋!」と声をかけたくなるくらいだ。ときどき顔を出す津野さん自身のことを語る件──そういうところだけ「ですます体」──は奇妙にお茶目だ。植草さんの晩年の大ブレイクを仕掛けた張本人が、晶文社の編集者である津野さんなのだから、彼自身がもっと顔を出してもよさそうなのだが、津野さんは、そこを我慢して、植草さんへの無限接近を試みている。津野さんはまず植草さんの生まれた日本橋小網町を訪ねる。山の手育ちの津野さんは、人形町に近いこの場所にはまったく土地勘がないというが、古地図を頼りにその場を訪ねることで、「いろんな理由」を探し始める。素敵だ。まるで、よれよれのトレンチコートを着て、聞き込みに励む老刑事のように、津野さんは、多くのことを調べ始める。すると昭和の時代の東京が次々にスライドの写真がカチッと入るように甦ってくる。
     さっき最晩年に植草さんがいっきにブレイクしたと書いたが、『おかしな時代』以降の津野さんも、大ブレイクだ。『ジェローム・ロビンスが死んだ』も含めて、2年で3冊の書物を出版し、どれもすごく面白い。津野さんは8年間和光大学に勤め、その大学の図書館長──適任だ──もやった。大学からの退職に照準を合わせたように、津野さんでないと他の誰も書けない書物を矢継ぎ早に出版している。津野さん、格好いいぜ! かつて黒テントで、「そこの黒めがねの学生!ちょっと右に詰めろよ!」と30年以上も前に注意されたことのあるぼくは、今、津野さんに羨望の眼差しを向けている。

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