本多時生

まず必要なことは、「死」という現実を受け入れることです。死をイヤがったり恐れたりしている間は、冷静な考えも幸せ志向の考えも難しいのです。
「人は誰でも死ぬ」ということは変えようのないことです。現実を受け入れることは、幸せに生きる基本です。現実を嘆いたり、人のせいにしているだけでは、自ら幸せになることはできません。
「受け入れる」ことは、現実にあることを「ある」と認めることです。事実や存在を認めるのです。受け入れることで少しは気分がラクになります。そしてその先が考えられるようになります。
「受け入れる」と「あきらめる」は違います。現実を認めて「私にはどうしようもない」と考えてしまえば「あきらめ」になります。そこから前向きに考える方向性を持てることが「受け入れる」ことです。

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3 Responses to 本多時生

  1. shinichi says:

    死についての幸せになる考え方

    by 本多時生

    http://www.din.or.jp/~honda/csls2.htm

     時には、「死」や「生きる価値」について考えるのは、いいことだと思います。ただし、不幸になるような考え方はしないほうがいいと思います。

     「死」について幸せになる考え方をするために、まず必要なことは「死」という現実を受け入れることです。死をイヤがったり恐れたりしている間は、冷静な考えも幸せ志向の考えも難しいのです。
    「人は誰でも死ぬ」ということは変えようのないことです。現実を受け入れることは、幸せに生きる基本です。現実を嘆いたり、人のせいにしているだけでは、自ら幸せになることはできません。現実を受け入れた上で、「では自分はどう幸せに・・・」と考えることから始まるのです。
     現実を受け入れることを身につけましょう。その簡単な方法が「ハオハオ」です。

     不安や恐れは注意信号。気づいたら将来のために今を考えるヒントとしよう。

     死を意識することで、生の充実をはかることができます。限りがあるから1日1日を大事にしよう、という考え方です。「一期一会」のように、人生の中の1つ1つの出会いを大事にすることを心がけます。

     「一日一生」と考える人がいます。朝目覚めたら、「きょうも生きていられてよかった。きょう1日を○○しよう」。夜寝るときには、「きょう1日無事に送れてよかった」。
     どんなに苦しいことも今日1日のことだ、と考える人もいます。「明日のことを思い患うな」という言葉もあります。
     朝、新聞の死亡欄を見るという人がいます。(今回読んだ本の中に4人も書いていた)死の意識を忘れずに、生の大事さを確認するためです。

     死を考えることで、自分の命の大切さ、人生の大切さを感じる人もいます。自分を大切にすることが第一だと思います。

     死を考えることで、人の大切さを知ることができます。人との出会い、人がいてくれることの幸せを確認できます。人は必ず別れる時がきます。だから、人との出会いを大切にし、大切な人に今やさしくできます。

     死を考えることで、積極的になれます。勇気を出すことができます。限られた生の中でやりたいことをやろうと考えられます。死を恐れなければ、死んだ気になってやれます。ましてや、死ぬわけではないことならなおさらです。

     死を考えることで、人間として成長することができます。まずは現実を受け入れること。自分の思い通りにならないことがあることを知ります。将来の不安におびえない方法を学べます。自分と人の大切さを知ります。

     死を考えることで、生きること・幸せについて考え直すきっかけになります。

     毎日死を意識する必要はないと思います。でも、たまには死を意識し、生の充実を考えてみてはどうでしょうか。お彼岸、お盆、法事、身近な人の死などは、そのチャンスかもしれません。
     「死」を恐れたり、目をそらせるだけでなく、自分の幸せにつながるいい材料にしよう。

  2. shinichi says:

    受け入れる

    by 本多時生

    http://www.din.or.jp/~honda/tokio12.htm#t5

     前回の「感謝する」は宗教的で、今回の「受け入れる」は心理学的で、どちらも一般化していない言葉かもしれません。

     現実にあることを「ない」と言いはるのがおかしいことは、誰にでもわかると思います。ところが不幸な出来事に遭遇した時に、そういう事(人)がある(いる)のは「間違っている」「信じられない」「許せない」というような考えをしてしまいます。このような考えは個人の判断や意見として別に悪いことではありません。誰でもがしていることです。ただし、そういう考え方によって、あまりに感情が高まってしまうと、「あってはいけない」「いてはいけない」のように、あるものを「ない」と言いはるのと同様になってしまうのです。そうするとその先が前向きに考えられなくなってしまいます。そこで役に立つのが「受け入れる」ということです。

     簡単に言えば、「受け入れる」ことは、現実にあることを「ある」と認めることです。ここで勘違いしないでほしいのが、事実や存在を認めるだけで、その価値や正当性を認めることではないということです。単に「そういうことは世の中にあることだ」や「こういう人も世の中にはいる」というように考えられればいいだけです。受け入れることで少しは気分がラクになります。そしてその先が考えられるようになります。
     もう1つ注意したいことは、「受け入れる」と「あきらめる」は違うということです。この違いは現実を認めた後の考え方によります。現実を認めて「私にはどうしようもない」と考えてしまえば「あきらめ」になります。そこから前向きに考える方向性を持てることが「受け入れる」ことです。例えば、「今はダメだけど、いつかは大丈夫になる」「今はわからないけど、きっといい方法はある」「これは失ったが、まだ他のことがある」のような考え方です。

     現実を受け入れることの後に大事なことが、「明日の幸せを信じる」ことと「幸せになる考え方をする」ことです。これが「幸せになる方法」の5番めの「不幸を幸せに変える」方法です。

     私は「現実を受け入れる」のに、よく「ハオハオ」という言葉を使います。

  3. Garfield says:

    「あきらめる」のではなく、「受け入れる」、心に沁みました。
    有難うございました。

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