田中正造

  • デンキ開ケテ世見暗夜となれり
  • 少しだも 人のいのちに害ありて 少しくらいハ よいと云うなよ
  • 民を殺すは国家を殺すなり 法を蔑にするは国家を蔑にするなり
  • 真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし
  • 世界人類の多くは、今や機械文明というものに噛み殺される
  • 国が在って民があるのではなく、民が在って国がある
  • 余は下野の百姓なり
  • 老朽ちし此の身は数に取らねども、無邪気の民の末いかにせん
  • 天の監督を仰がざれバ凡人堕落、 国民監督を怠れバ治者盗を為す
  • 水は自由に高きより低きに行かんのみ 水は法律理屈の下に屈服せぬ
  • 水を清めざれバ止ます 水を清めて毒に殺さるゝな
  • 戦ハ悪事なりけり 世をなべて むかしの夢とさとれ我人
  • にくまるゝほどハ沢山にくまれよ よくにくまるゝ人ぞ人のなる
  • 何事もあきれてものふ云わぬとも 云わねバならぬ今のありさま
  • 辛酸亦入佳境
  • 真人無為而多事
  • みんな上に昇って神様にばかりなってしまうが、僕は下の方にいて便所くみのようなことをやっている
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1 Response to 田中正造

  1. shinichi says:

    田中正造、百年の問い 足尾鉱毒と福島原発

    東京新聞 社説

    2013年9月2日

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013090202000123.html

     田中正造。足尾鉱毒と生涯をかけて闘った。四日はその没後百年。正造翁が挑んだものは、水俣病や福島原発の姿を借りて、今もそこにあるようです。

     渡良瀬遊水地の三つの調整池のうちただ一つ、普段から水をたたえた谷中湖は、巨大なハートのかたちをしています。

     そのちょうど、くびれの部分が、旧栃木県谷中村の名残です。前世紀の初め、遊水地を造るために廃村にされながら、そのあたりは水没を免れました。

     ヨシ原と夏草に埋もれたような遺跡の奥に分け入ると、延命院というお寺の跡に、古びた赤い郵便受けが立っていて、その中に一冊のノートが置かれています。

    ◆「連絡ノート」は記す

     谷中村の遺跡を守る会の「連絡ノート」。ご自由にあなたの思いを書き込んでくださいと一九九四年に置かれて以来、十七冊目になりました。前夜の雨に湿ったノートをめくってみます。

     <5月19日。福島の原発や避難区域に指定されている集落が第二の谷中村にならないことを、ただただ願うばかりです>。東京都品川区の人。

     <6月30日。日本近代の公害の原点、谷中の歴史を学び、水俣と谷中を結び、真の文明を未来へつないでいくことを約束します。水俣病事件の受難者に寄り添いながら>。熊本県水俣市の人。

     どちらも丁寧な筆跡でした。

     原点の公害。それが足尾鉱毒事件です。

     現在の栃木県日光市にあった足尾銅山は明治期、東アジア一の産出量を誇っていた。当時の銅は主要輸出品。増産は国策だった。

     ところが、精錬時の排煙、精製時の鉱毒ガスが渡良瀬川上流に酸性雨を降らし、煙害が山を荒らした。そのため下流で洪水が頻発し、排水に含まれる酸性物質や重金属類などの鉱毒があふれ出て、汚染水が田畑を荒らし、人々の暮らしと命を蝕(むしば)んだ。

     栃木県選出の衆議院議員として、それに立ち向かったのが、田中正造でした。

     正造は明治憲法に保障された人権を愚直なまでに信奉し、十一年に及ぶ議員活動の大半を鉱毒問題に費やした。

     議員を辞職したあとも、困窮する住民の救済を訴え、一命を賭して明治天皇に直訴した。活動に私財を投じ、死後残した財産は、河原の石ころと聖書、憲法の小冊子。清貧の義民は、小学校の教科書にも紹介されて名高い。

    ◆重なるふるさと喪失

     時の政府はどうでしょう。

     煙や排水を止めさせて、根本解決を図ろうとはせずに、夏になると田んぼを真っ白に覆ったという鉱毒を巨大な溜池(ためいけ)を造ってその底に沈殿させ、封じ込めようと考えました。それが谷中湖です。

     足尾閉山から今年でちょうど四十年。湖底に積もった毒が、取り除かれたわけではありません。東日本大震災の影響で、渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されたのも、偶然とは思えません。

     国策の犠牲、大企業や政府の不作為、ふるさとの喪失、そして汚染水…。渡良瀬、水俣、そして福島の風景は重なり合って、この国の実像を今に突きつけます。

     田中正造よ、よみがえれ、そう念じたくもなるでしょう。でも、私たちが求めるものは、それだけですか。

     去年正造の伝記小説「岸辺に生(お)う」を上梓(じょうし)した栃木県在住の作家水樹涼子さんは「万物の命を何よりも大切に思う人でした」と、その魅力を語ります。同感です。

     晩年の日記に残る鮮烈な一節。「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」

     それだけではありません。「少しだも/人のいのちに害ありて/すこしぐらいハ/よいと云(い)ふなよ」という狂歌などにもそれは明らかです。

    ◆私たち自身で出す答え

     お金より命が大事、戦いより平和が大事…。原点の公害を振り返り、今学び直すべきことは、何よりも命を大切にしたいと願う、人間の原点なのではないか。

     「みんな正造の病気に同情するだけで、正造の問題に同情しているのではない。おれは、うれしくも何ともない」

     長年封印されてきたという正造最期の言葉です。

     意外でも何でもありません。そもそも誰の問題か。百年の問いに答えを出すべきは、私たち自身なのだということです。

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