林寧彦

「伝統は戴くものではなくて、踏まえるもの」と先日書いて、そのあと反芻しています。「伝統って何?」
「踏まえる」ということから連想したのは1本の若木。若木が踏まえているのは、養分をふんだんに含んだ土。その養分は、以前その地に生えていた木々の葉や、幹が朽ちたもの。若木はそれを踏まえて、根から自分に必要な養分を吸い上げて育つ。なんだ、伝統って、先人が残してくれた「肥やし」のことじゃないか、と気がついた。
いくら大木でも、そのままでは肥やしにはならない。原型をとどめないくらい朽ちてくれないと、養分をもらえない。
釉薬を作るときには植物の灰を使う。灰は植物ごとに成分比が違う。松の灰には鉄分がたっぷりで、ワラや竹には珪酸分が多い。鉄分も珪酸分も、すべて地面から吸い上げたものだ。植物ごとに地面からもらうものに違いがあるのが面白い。たとえ鉄分が少ない土地でも、松はほかの木よりも多くの鉄分を吸い上げる。珪酸の少ない土地でも、竹は珪酸分を好んで吸収する。
足元にある肥えた土から、おそらく無意識のうちに何かをもらう。おなじ土地に生えても、松は松になるし竹は竹になる。なるほど、それが個性というものではないだろうか。
個性的な人は個性的な服なんか着ない。

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