星野智幸

 それは田畑の中に突然出現した、プール付きの高層マンションであった(十一階建てだから現代ではもう高層とは言えないけれど)。横浜市北部の古く寂れた宿場町で、里山が削られて開発が始まりつつあった。小学校の同級生の半分は地元住民の子どもたち、残りの半分はどこかから移り住んできた新興住民の子どもたちだ。話す言葉も外見も違っていた。地元民の友だちが蜂の子を食べることに驚き、かれらの家の庭を掘って古銭探しを楽しむ一方、マンションの友だちの間では着飾ってプレゼントを交換し合うスノッブなお誕生日パーティーが流行った。
 つまり、私自身が「ファンタジーでしかない街」に育った第一世代だというわけだ。その街の移り変わりを示すような痕跡はきれいに消去され、ただ現在の夢だけがたゆたっているかのような空間。そのような環境で現実感覚を育んだ私のような人間が増えれば、当然、社会の中で常識とされる現実感覚も変わってくるはずだ。
 高台の住宅街の住民たちは、ほとんどが私と同世代かそれより下である。「ファンタジーでしかない街」に育った親が、さらに濃いファンタジーを求めてやってくるのだ。その子どもたちは、ファンタジーしか知らない世代の二世ということになる。
 それはとても贅沢で恵まれていることだと思う。けれども、現実感覚はますます空想の中に閉じ込められてもいくだろう。その子どもたちのリアリティーが、インターネット空間のリアリティーととてもよく親和することは、想像がつく。
 おそらく、私が街中の藪に惹かれるのは、夢から覚めたい、とどこかで熱望しているからだろう。ファンタジーである現実の中で心地よく暮らしながら、窒息しかけてその外に出たいとも感じているのだ。

One thought on “星野智幸

  1. shinichi Post author

    ファンタジーの街

    by 星野智幸

    日経新聞2007年6月10日朝刊

     仕事がら、引きこもり座りっぱなしで運動不足になりやすい。締め切りの前一週間ぐらいは、ほとんど一歩も外に出ないなどということもあり、脱稿して外出すると、病み上がりのように足腰がふらついていて愕然とすることもしばしばである。なので、日ごろから散歩ぐらいは心がけるようにしている。
     しかし、一度歩き始めると、「散歩」程度ではすまなくなる。未知の路地や建物を見つけると、探検せずにはいられなくなるからだ。何時間も熱中するあまり、帰り道がわからなくなることも珍しくない。
     特に惹かれるのは藪。山の中に木が茂っていてもあたりまえだけど、住宅街の中で人の管理の及ばないまま繁茂している草木は、どこかまがまがしく感じるのだ。
     首都圏の郊外にある現在の住まいに移ってきた七年ほど前、そうやって藪のオーラに導かれていくうち、あやしげな廃墟に出くわしたことがあった。あたり一帯は崩落危険区域とされ、起伏が激しく、ところどころで高台を急峻な斜面が浸食し、そこに竹藪や雑木林が生い繁っている。二十年近く前、竹藪から二億円の入った鞄が発見されたのは、この近辺でのことだ。
     廃墟はその高台にあった。広大な敷地を囲む高い塀の隙間から覗くと、コンクリートの建物が取り壊されている最中だった。あとで調べてみると、とある企業の研究所だった。妄想を職業とする身ゆえ、ついついゴシック調のストーリーを考えてしまったりする。
     妙に気になって、私はときおり足を運んだ。
     取り壊しの終わった跡地には、まず大量のコスモスが植えられた。まさか花畑になるわけでもあるまいと思っていると、わが家のポストに大規模分譲住宅地の広告が入ってきた。小さな街と呼んでもいいほどの建て売り住宅街として、開発が始まったのだ。
     相当な人気の集める物件としてもてはやされたようだ。売り出し中の不動産について情報交換をするインターネット上のサイトでも、憧れを口にする人が引きを切らなかった。その情報によれば、コスモスを植えていたのは、土壌の入れ替えを行っていた時期のようだ。
     現在は、まだ一部に販売中の区画が残っているが、八割方の住宅に人が住み、街として落ち着きつつある。サイズは同じぐらいだがデザインはそれぞれ異なる、お洒落でかわいらしい戸建てが整然と並び、街路には子どもがあふれている。庭木や街路樹の手入れも行き届き、ディズニーランドに住んだらこんな感じかなと思わせる、ちょっとファンシーな空間だ。
     変な言い方だが、私はその街を歩くたび、強制的に眠らされて夢を見せられている気分になる。高台を脅かしていた急斜面の雑木林は伐採され、マンションと駐車場に変わって跡形もない。あの土地によくも悪くもオーラを与えていた陰影は消毒され、土地の歴史を感じさせるような異物も取り除かれ、舞台装置のような書き割りめいた明るさが支配している。夢のような住宅街とも言えるし、ファンタジーでしかない住宅街という言い方もできる。
     言うまでもなく、このような住宅街は都市近郊に限らず、今や日本中どこでも見られるだろう。私自身も、子ども時代をそのような住宅地で送った。一九七〇年代初めのことだ。
     それは田畑の中に突然出現した、プール付きの高層マンションであった(十一階建てだから現代ではもう高層とは言えないけれど)。横浜市北部の古く寂れた宿場町で、里山が削られて開発が始まりつつあった。小学校の同級生の半分は地元住民の子どもたち、残りの半分はどこかから移り住んできた新興住民の子どもたちだ。話す言葉も外見も違っていた。地元民の友だちが蜂の子を食べることに驚き、かれらの家の庭を掘って古銭探しを楽しむ一方、マンションの友だちの間では着飾ってプレゼントを交換し合うスノッブなお誕生日パーティーが流行った。
     つまり、私自身が「ファンタジーでしかない街」に育った第一世代だというわけだ。その街の移り変わりを示すような痕跡はきれいに消去され、ただ現在の夢だけがたゆたっているかのような空間。そのような環境で現実感覚を育んだ私のような人間が増えれば、当然、社会の中で常識とされる現実感覚も変わってくるはずだ。
     高台の住宅街の住民たちは、ほとんどが私と同世代かそれより下である。「ファンタジーでしかない街」に育った親が、さらに濃いファンタジーを求めてやってくるのだ。その子どもたちは、ファンタジーしか知らない世代の二世ということになる。
     それはとても贅沢で恵まれていることだと思う。けれども、現実感覚はますます空想の中に閉じ込められてもいくだろう。その子どもたちのリアリティーが、インターネット空間のリアリティーととてもよく親和することは、想像がつく。
     おそらく、私が街中の藪に惹かれるのは、夢から覚めたい、とどこかで熱望しているからだろう。ファンタジーである現実の中で心地よく暮らしながら、窒息しかけてその外に出たいとも感じているのだ。
     現実には藪は消えていく一方なので、仕方なく私は小説内でせっせと藪をはびこらせる。

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