ハビーバ中田香織

ムスリムになるのは大変簡単で、口で「アシュハドアッラーイラーハイッラッラー ワアシュハドアンナムハンマダンラスールッラー(アッラーのほかに神はなく、ムハンマドがアッラーの使徒であることを私は証言します)」と言えばそれだけで十分です。
ムスリムがアッラーの道において殉死したなら、私たちは彼を「シャヒード」と呼びます。「シャヒード」とは、命をもって自らの信仰を証言した者、つまり、究極の信仰告白をした者ということです。
ムスリムの信仰告白は、「信じます」ではなく、「証言します」というものです。「信仰」はアッラーに向けた心の行為ですが、「証言」は自分以外の者に向けた宣言です。
私たちの五感ではアッラーは捉えられません。知覚できないアッラーをどうやって目撃し、その目撃証言をすることができるのでしょうか。私たちは、太陽がさんさんと輝いている日には、窓から首を伸ばして太陽を目で確認しなくても、太陽が出ていることがわかります。外が明るく、お日様の光が家の中に差し込んでいれば、それだけで今日は晴天だとわかるのです。アッラーも同じです。私たちにはアッラーご自身の姿を捉えることはできませんが、アッラーの存在を証明する紛うかたない印は目の前に、そしてさらには自分自身の中に満ち満ちているからです。普通の日本人が「自然」と呼ぶもの、つまり自然に何者の手も借りずにできあがったと信じている自然界のすべてがその作者であるアッラーを言外に指し示しているのです。
証言者に求められる資質は、なによりも誠実さです。嘘つきの言葉はそれ自体が虚偽ですから、私たちムスリムは、シャハーダという真実の言葉を口にするこの口を虚偽で汚すことは決してあってはならないのです。

『やさしいイスラーム講座』、ムスリム新聞社、2007

『続・やさしいイスラーム講座』、ムスリム新聞社、2007

2 thoughts on “ハビーバ中田香織

  1. shinichi Post author

    イスラーム

    by ハサン中田考

    http://homepage3.nifty.com/hasankonakata/islam.html

    イスラームの根本教義

    イスラームの根本教義とは偶像崇拝の禁止に他ならない。

    この世界の中に存在するいかなる被造物をも神としないことが、イスラー
    ムの大前提であり、その前提の上に全世界の創造主たるアッラーへの絶対帰依、即ちイスラームの教えが帰結する。

     信仰告白

    イスラームは「ラーイラーハイッラーッラー(アッラーの他に神はなし)」「ムハンマドゥンラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒なり)」の2命題をもって信仰告白句とする。

    イスラームには特別な入信儀礼はなく、通説では、この2句を唱えた者は、それだけでムスリム(イスラーム教徒)とみなされる。

    他方、ハナフィー法学派の学説では、無神論者、多神教徒は「ラーイラーハイッラーッラー」と唱えることだけでムスリムとなる。

     宗派

    現在、世界のイスラーム人口は約12億人とも言われる。イスラーム教徒は全体の約9割を占める多数派のスンナ派と約1割の少数派のシーア派の二大宗派に大別される。

    スンナ派は、(1)アッラー(神)、(2)天使、(3)啓典、(4)使徒、(5)来世、(6)予定、の6項を信仰の6柱とする。

    シーア派は(1)アッラーの唯一性、(2)アッラーの正義、(3)預言、(4)教主(イマーム)職、(5)来世、の5項を信仰の5柱とする。そこで以下に、スンナ派とシーア派の共通の信仰の柱、アッラーフ、使徒(預言者)、来世について順に略述しよう。
     アッラー

    この世界にある存在者は、時空の中に存在する限り有限であり、有限な存在は全て被造物であるに過ぎない。宇宙は時空を超えた存在によって無から創造された。この時空を超えた宇宙の創造者がイスラームで言う「神」、アッラーである。

    アッラーは時空の創造者であって、時空によって拘束されることはない。時空を超越し姿形を有さないにもかかわらず、アッラーは人間とコミュニケーションを行う人格神である。空間の中に位置する身体ではなく、心が神と人間のコミュニケーションの場であり、言語がその媒体となる。「人格神である」とは、アッラーが人間に語りかける神であることを意味する。そして人間に語りかける人格神アッラーは、言葉をもって人間に善を命じ、悪を禁じ、法を定める立法者でもある。 創造主にして、立法者。アッラーは宇宙の存在の根源であると共に、人間の法/道徳規範の源泉でもある。

     使徒

    アッラーは人間に語りかける神であり、神と人間のコミュニケーションの可能性は常に開かれている。とはいえ、神と人間の直接的コミュニケーションは稀にしか生じず、個々人ではなく社会全般を対象としたメッセージが神から届くような場合は特にそうである。そのような社会的メッセージを人々に伝えるために、特に神によって選ばれた者が使徒と呼ばれる。使徒は神のメッセージを間違いなく人々に伝える使命を帯びているめ、人格と知性に秀れ信望を集める選良でなければならない。

    アッラーは全ての民族に使徒を遣わしたが、人類の文明が一定の水準に達した時点で、様々な民族を超えて人類全体に永遠に妥当する普遍的メッセージが伝えられることになった。その最終メッセージが『クルアーン』であり、その担い手として選ばれた使徒がアブラハムの裔、アラブ民族出身のムハンマドであった。
     来世

    アッラーは宇宙の創造者であるばかりでなく規範、価値の源泉であり、人間に使徒を遣わし、法を定め、善を命じ、悪を禁じ給うた。

    しかし現世の社会秩序においては人間に裁量の自由が与えられているため、正義は必ずしも貫徹されず、悪が栄え善が滅びることも稀ではない。

    神は、宇宙の歴史の終末の後に、全ての人間を甦らせ、生前の全ての行為の記録を読み上げ、審判を下す。いかなる善行も見落とされることはなく、故なく被った義人の苦しみは癒され、悲しみは慰められ、公正な裁きが下され、誰一人不当な扱いを受ける者はない。一方、どのような悪行も見逃されることはなく、懲罰を受けるが、神は僅かでも赦しの余地のある罪人には慈悲を垂れ、罪を減じ、罰を免じる。

    人間の生命は現世の生死を超えて永遠であり、神の正義と慈悲が顕現する場が来世における最後の審判なのである。

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