shinwa_2007

ご存じの通り、中国は「特色ある社会主義」国家である。「特色ある社会主義」の行き着いた先は、「形を変えた市場原理主義であり、新自由主義」国家である。その意味で中国に一番合わせ鏡となる国家がアメリカともいえる。
例えば中国ではサラリーマンの人は別として、国民皆保険制度ではない。だから、中国では薬屋が多いのは、自力で治そうとする人が多いからだ。また、保険に入ったとしても、この病院は保険の適用内しかし、別の大病院は、適用外とか複雑だ。農民保険というのもあるのだが、これも適用内と適用外の病院がある。
医は仁術という言葉もあるが、中国ではそんな言葉はありえない。唐の宰相である陸宜公の言葉だが、皮肉なことに中国で医は仁術という言葉を言えば笑われる。日本でも「医は算術」というのだが、桁が違う。下手に中国で病気になればいくら取られるか分からないほどなのだ。
中国の医療は前金制度である。何があってもカネがないと命も失われる。カネがないと医者は、治療はもちろん薬も処方しない。
この話どこかで見たことがあるぞと思うアナタは勘がいい。マイケル・ムーア氏が作成したアメリカ医療ドキュメンタリー映画「シッコ」である。

One thought on “shinwa_2007

  1. shinichi Post author

    人助けをするのが難しい理由~中国人が重傷の少女を見捨てるワケ

    (新)第三の隣人 中国朝鮮族
    shinwa2010.exblog.jp

    http://shinwa2010.exblog.jp/16471271/

     中国広東省で起こった中国の少女が倒れて、車に2回も轢かれているのに誰も助けようとせず、通りすがりの19人目の中国人が助けたことに衝撃が広まっている。中国では、この「事件」に対して、「人助けは中国文化の良さ」だったのにどうしたことなのかという声が強いからだ。しかし、もう一方で、この「事件」は中国ならどこでも起こりうる事態とも言う声も多い。その背景を探ってみると次のようなものだった。

     というのは中国では最近ではなく、昔から人助けをするとインネンをつけられて、「お前がぶつかってきて、俺は倒れたんだ」という変なコトがある。
    日本であれば昔には、よく車にあたって、示談金をせしめ取る「当たり屋」があった。車田正美氏の「リングにかけろ」という漫画ではじめて、「当たり屋」という商売があったことを知り、当時、小学校だった私は衝撃を受けた。中国のこの商売は、「当たり屋」の派生バージョンとも言えるのだろう。

     昔はネットもなかったのであまり、こうした商売が存在することは知られていなかったのだが、今やツイッターでもブログでも何でも書く。そうしたことで、この商売が一気に中国で拡大し、そして知られることになった。

     とりわけ、中国で2年くらい前に起きた「事件」は衝撃だった。老人が倒れていたのである青年が助けて救急車を呼んで医療費まで立て替えたのに、あろうことかこの老人は、この青年に突き飛ばされたと言って裁判になったのだ。無論、その青年は、アリバイもあるし、友人たちも裁判で、「そんなことはしていない」と言っていたのだが、結果的にこの老人の主張が通り、この青年は慰謝料まで支払う羽目になった。

     そしてだんだんと困っている人を中国では助けることがなくなった。北京では膝に持病を持って歩けなくても誰も助けてくれなかったし、福建省福州市では助けようとすると、「やめといたほうがいい」という声をかけられた事例もあった。

     今の中国ではとても人を助けるのは難しい。その意見では今の中国人の考えではかなり一致を見る。何しろ、ある時、老人を助けようとした若者に、その老人が礼を言ってこうも付け加えたとも言う。「安心してくれ。私は人を強請る人間じゃないから」と。

     ところで、こうした商売が生まれた背景をさらに調べて見ると、中国社会自身に問題があると分かった。ご存じの通り、中国は「特色ある社会主義」国家である。読者の中には、社会主義だから中国は福祉では充実しているのではと考える向きもあるかも知れない。本ブログでは、「特色ある社会主義」の行き着いた先は、「形を変えた市場原理主義であり、新自由主義」国家であるとかねてより指摘している。

     その意味で中国に一番合わせ鏡となる国家がアメリカともいえる。

     例えば中国ではサラリーマンの人は別として、国民皆保険制度ではない。だから、中国では薬屋が多いのは、自力で治そうとする人が多いからだ。また、保険に入ったとしても、この病院は保険の適用内しかし、別の大病院は、適用外とか複雑だ。

     そして、中国では誰もがサラリーマンになるはずもない。自営の人もかなり多い。農民保険というのもあるのだが、これも適用内と適用外の病院がある。

     医は仁術という言葉もあるが、中国ではそんな言葉はありえない。出典は唐の時代の宰相である「陸宜公」の言葉だが、皮肉なことに中国で医は仁術という言葉を言えば笑われる。日本でも「医は算術」というのだが、桁が違う。下手に中国で病気になればいくら取られるか分からないほどなのだ。

     中国の医療は前金制度である。何があってもカネがないと命も失われる。カネがないと医者は、治療はもちろん薬も処方しない。

     この話どこかで見たことがあるぞと思うアナタは勘がいい。マイケル・ムーア氏が作成したアメリカ医療ドキュメンタリー映画「シッコ」である。

     そしてうちの嫁さんが疑問に思うコトは、「中国では救急車が有料で、もし、行き倒れの人にお金がなかったら、その病院と救急車はその行き倒れの人をどうするのかな?」と私に問いかけてきた。だから、病院は、カネがないと分かったら病院から追い出すことも十分考えられるのだ。

     ちなみに、勉強するのもカネがかかる。日本では学校でカネがかかるのは大学生だが、中国では様々な形でカネを要求される。

     だから、この商売をはじめた背景には、助けた人を強請って治療費を捻出しようとしたのではと指摘する人もいる。それが意外と上手く行ったため、本格的な商売になり、ネットの普及に伴ってさらに拡大し、そしてその商売の裏側も知るようになったからこそ、中国で人助けをする人がいなくなったからではと私は考える。

     もちろん、こうした時代であっても人助けをする人もいる。しかし、それは、危険と背中合わせでの人助けということだ。

     だからこそ、中国人は日本人に対して忠告することとしては、「中国では、もちろん知り合いとかだったら助けなければならないのだが、知らない人であれば、十分に考えて助けなければならない」と言われたときはかなりショックだった。

     よいコトをしても結果次第でどうなるか、分からなくなったのが中国社会の影の部分である。以前、「積善藤家」や「タイガーマスク現象」について取り上げたことがあったのだが、こうした無私の奉仕の精神を取り戻すためには相当な時間がかかる。

     うちの嫁さんはことあるごとに、「今の中国は経済が発展したが人の心は失われた」ことを嘆き、家族みんなで過ごした80年代の方がよほど人間らしい生活だったという。カネや経済よりも助け合いや人との絆のある社会を取り戻すための政策をしなければ、中国は幸せにならないという。

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