宮武外骨

「相模」とは東海道の一国である、「仲條」とは氏族の称である、「七両二分」とは旧貨幣の数量、「猫」とは家畜の一種、とするのは普通知識である、然るにこれを古川柳作家は、淫奔下女を「相模」と云ひ、堕胎専門女医を「仲條」と称し、奸通を「七両二部」、売春婦を「猫」と呼んで居る、

熱血的「赤」雑誌生る!!過激か穏健か破壊か建設か、赤は改命の標章なりと云ふと雖も、官僚の機関警察の球燈検事の肩章は赤にあらずや、美人の腰巻もまた赤にあらずや、我「赤」は赤裸赤誠の赤と我国旗の中心色たる赤の標章なり。

tonchidanjyokokkei_2_2img_1_romeisin_rosukoburu_2

2 thoughts on “宮武外骨

  1. shinichi Post author

    変態知識
    by 宮武外骨
    「相模」とは東海道の一国である。。。

    雑誌「赤」の創刊広告
    by 宮武外骨
    熱血的「赤」雑誌生る。。。

    Reply
  2. shinichi Post author

    宮武外骨解剖
    外骨の代表的雑誌
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~dolly/list1.html

    (左上)
    頓智協会雑誌 明治20年4月~22年3月
    28号 30ページ 定価10銭
    最初の本格的雑誌。最高部数4千部。28号記事の挿画で不敬罪に問われ3年8ヶ月入獄する。以後の外骨の文筆活動の原点を形成した雑誌。

    (左下)
    「頓智研法発布式」(安達吟光画)。明治憲法の「第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」をもじり「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」とある。奥に立つ骸骨は明治天皇であるとして、この作品が不敬罪に問われた。

    (中上)            (中下)
    男女性学雑誌・迷信研究雑誌 大正7年1月
    創刊即廃刊 8ページ 10銭
    この雑誌は1枚の紙の両面に印刷して8折にしたもので袋入りの「袋雑誌」などとともに外骨の奇抜な新案雑誌。一方を廃刊したらそこに新雑誌を補い永久に新雑誌を続刊できる妙案だと自慢している。しかし、組み合わせをみれば、一方を発禁にしたとき他方をどうするのだという謎かけに見える。

    (右上)
    滑稽新聞 明治34年1月~41年10月
    173号 月2回発行 20ページ
    定価6~7銭
    最盛期には月8万部を発行した代表的雑誌。薬屋の誇大広告、役人、警察、裁判官、検事、政治家、僧侶などの不正を次々と告発し、数々の筆禍に見舞われる。表紙絵、挿画、タイポグラフィなどその後の雑誌表現に多大な影響を与えた。最盛期に自殺号を出して廃刊。

    (右下)
    スコブル 大正5年10月~8年2月 27号
    45ページ 10~20銭
    「滑稽新聞」とともに外骨を代表する雑誌。この雑誌に共感した堺利彦が原稿料なしの寄稿を友人知人に呼びかけたはがきが残されている。タイトルのスコブルが当時の流行語になり、東京の根津にスコブル堂というお菓子屋ができたという新聞記事がある。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *