田中宇, 日丸屋秀和

Hetalia独裁と混乱が続いたエジプトが、米国の傘下を離れ、ロシア外相が訪問したとたん、安定化に向けて動き出した。パレスチナ和平も、米国が何十年も仲介してうまくいかなかったが、フランスが仲介しにきたとたん、ネタニヤフがこれまで考えられなかった首脳の相互訪問を提案した。ロシアやフランスが、特に外交上手なわけではない。米国が下手糞すぎた。

2 thoughts on “田中宇, 日丸屋秀和

  1. shinichi Post author

    (sk)

    日丸屋秀和の「ヘタリア」も、田中宇の「国際ニュース解説」も、どちらも国に人格があるところが、とても良く似ている。

    田中宇の、

    「イランと米国の協約を妨害したフランスは、イスラエルが孤立して米欧を巻き込んでイランに自滅的な戦争を仕掛けるのを防ぎ、イスラエルとイランとの和解や、イスラエルの側に立ってパレスチナ和平を仲裁する役割をやろうとしている。これまでイスラエルの庇護者だった米国は、今回のイランと協約の流れの中で、イスラエルと対立するようになっている。米国から外されたイスラエルは、孤立して何をやり出すかわからない。ロシアや中国はイランの側に立っているので、イランを敵視するイスラエルの側に立てない。だからフランスがあえてイスラエルの側に立ち、なだめる役を始めたのだろう」

    などという文章を読んでいると、まるでヘタリアのように、イラン、フランス、イスラエル、アメリカ、ロシア、中国などという人がいるかのように思えてくる。

    ヘタリアの場合は、キャラクターは「国」の擬人化という体裁を取るが、国家そのものの戯画化というよりは、国民性のステレオタイプを人物キャラクターに仮託したものであり、エスニックジョークにおけるステレオタイプ化した「なになに人」という形に近い。国家・政府とは必ずしもイコールではない。

    田中宇の国際ニュース解説の場合は、逆に、国の名前はその時点での国家・政府そのものであって、国民とか役人とかではない。国の名前は極限まで抽象化され、そして単純化されている。「中国は」といった場合、十数億の中国人がどう思っているかということとは無関係だし、習近平主席がどう考えているかということとも無関係なのだ。

    日本人は「日本が」「韓国が」「北朝鮮が」「中国が」などと言うのがとても好きだが、では日本人が「日本が」といった時の日本とはいったいなんなのかと問われれば、多分だれもなにも答えられないだろう。新聞も、テレビも、そして週刊誌までもが「日本が」「韓国が」「北朝鮮が」「中国が」などと言う。

    正直に言えば、私は、日丸屋秀和の「ヘタリア」も、田中宇の「国際ニュース解説」も、とても好きだ。そしてふたりには、その擬人化の手法を変えてほしくないと思っている。でも、新聞やテレビや週刊誌がそれをやると、いまいましく思う。止めてほしいと心から思う。

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