藤原智美

現代社会は、自己と他者を結ぶことばへの過剰な期待であふれている。だれかが吐いたことばに「勇気をもらい」、だれかの行為に「癒される」ことばかりを願う。
 そこでは閉じられた書物という世界で文字と対面する行為は、ひどく時代遅れで無意味なことのようにみられている。なぜなら本はだれともつながれないからだ。頁を開いても本は無言だ。そこに何かを読みとっていくのは、読者の想像力でしかない。しかし、ここに本の強みがあるといっていい。だれともつながれないという読書の時間は、貴重で必要不可欠なはずだ。
 本を読むことというのは、つきつめると自己との対話である。だれともつながらないただ一人の営為だ。作者とさえつながることはない。だからこそ本を読むという行為が必要なのだと私は思う。そこには自分で選び取った言葉があるからだ。その言葉によって自己を保ち支えることができる。
 人はしょせん孤独なのだという近代社会が生みだした個人意識は、いざというときに強い味方になる。ネットでつながるという幻想の何倍も強靭だ。メディアで喧伝される「絆」など陽炎のようなもので、一万回唱えたところで本当の絆など生まれない。たしかに本の未来は暗い。やがてすべては電子書籍という名で、ネットのつながる世界へと回収されていくのかも知れない。しかし私はいっこうにかまわない。本を手放さない世界最後のたった一人になろうとも、やはり頁をめくりつづけるであろう。

2 thoughts on “藤原智美

  1. shinichi Post author

    ツイッター、フェイスブック・・・・
    私はつながりたくない

    「ネットでつながる」幻想よりも、だれとも
    「つながらない」価値を大事にしたい――芥川賞作家の提言

    by 藤原智美

    「文藝春秋」2013年12月号

    Reply
  2. shinichi Post author

    FujiwaraTomomi
    ツイッター、フェイスブック……
    私はつながりたくない
    「ネットでつながる」幻想よりも、だれとも
    「つながらない」価値を大事にしたい――芥川賞作家の提言

    文 藤原 智美 (作家)

    http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/904

     三〇年ほど前、私はフリーランスのライターとしてある大手出版社に出入りしていた。そこで単行本を担当する新人編集者にいわれたひと言が、いまも耳からはなれないでいる。彼はこういったのだ。

    「出版社に入らなかったら、ぼくは本なんか読まないですよ」

     本の世界で生きていきたいと願っていた身にとって、その言葉は強烈に響いた。本を読まない者がつくる本を、いったいだれが読むというのか!

     私はただうすら笑いを浮かべてその言葉を聞き流していたが、それから何日かは落ちこんで仕事にならなかった。すでに当時から「若者の読書ばなれ」が問題視されていたが、まさか出版社のなかで、本の担当者からそんな言葉を聞こうとは思わなかったのだ。

     それから月日は流れ、その編集者は順調に出世し書籍部門の編集長にもなった。しかし若者の本ばなれは止ることはなく、当時の若者はいまではリタイアの時期を迎えている。現代では日常的に本に親しんでいるという人は、社会のなかで少数派となった。

     やがて「本はなくなるだろう」という話を耳にする。そうきいても私は驚かない。すでに三〇年前、十分驚きショックを受けた身なのだから。ただし「本がなくなる」というのは正確ではない。なくなるのは本ではなく、人々の読書への意欲のほうだ、と思う。

     本に終止符を打つのはインターネットだろう。このモンスター・メディアが登場してから、世界は恐ろしい勢いで変化しつつあり、本をめぐる状況も一変した。本の時代を生みだしたのはグーテンベルクの活版印刷技術だが、その誕生からすでに五〇〇年以上たつ。現代のネットという技術は、活版印刷技術に匹敵する強い力をもって世界の様相を塗り替えようとしている。私はそのただ中でとまどい、うろたえるばかりだ。

    ヴェネチアで考えたこと

     今年の春、私はイタリアのヴェネチアをたずねた。水の都として知られているこの都市が、じつは本の都でもあったということを知ったのは、現地に入ってからだった。そもそも訪問の動機は、映画『ベニスに死す』や『赤い影』の舞台となった街並みを実際に見てみたいというにすぎなかった。それに有名なハリーズ・バーでカクテルのベリーニを飲むことができればという、物見遊山そのものの旅だったのだが、実際にそこにいくと本にまつわる思わぬ発見があった。

     ヴェネチア観光の目玉の一つ、リアルト橋は一六世紀につくられた石造りのじつに堅牢な構造物で、橋の上はアーケード街になっている。いまも観光客相手の土産物屋が建ちならぶ。

     私は旅に携えていた『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ著・清水由貴子訳)を、ミラノからヴェネチアへむかう車中で読んでいた。それによると、一六世紀当時、リアルト橋の上と周辺には数十軒の書店が軒をならべていたという。ヴェネチアこそ、ヨーロッパにおける出版文化の中心地だったのだ。

     ホテルから歩いて橋にむかった。着いてみると、リアルト橋周辺はひどく落ち着きのない騒々しい場所だった。世界各地からやってきた人々の列が交錯し、各地の言葉が渦巻き、混沌とした空気をつくっている。橋の下の大運河を観光客を運ぶゴンドラが滑るように流れていく。私は古い時代を思わせるような格式のある書店を探した。しかしそんなものはどこにもなく、あたり一帯は金細工の土産物を売る店がやたらと目立つありきたりの観光スポットにすぎなかった。かつての知の集積地としての面影はみじんもない。

     考えてみれば当り前のことだ。ここが東西交易のセンターとしての役割を終えたのは数百年もまえのこと。同時に書店も北の都市へと移っていったのだろう。

     本はなかったが、かわりに目立ったのが人々が手にするモバイルフォンだった。手の平の上の小さな画面に見入る者や、それを耳にあてて宙に目を泳がせながら言葉を発する者、橋をスナップにおさめる者などがいたるところで目につく。彼らは見えない糸で世界中とつながり、ことばや画像をやりとりしていた。かつて最先端の知を生みだした場所は、観光客たちによって情報化されて、ネット上で消費されるのみだ。

     私にはそれが本の時代の終焉と、グローバルネット時代のはじまりを象徴する光景に思えた。しかしこのまま書物は、その使命を終えて消え去っていくのだろうか。それほど紙にしるされた「書きことば」は、やわな存在になってしまったのか。

     私は二〇世紀までの近代社会は、書物によって構築されていったと考えている。グーテンベルクの活版印刷技術によって、ヨーロッパには写筆本ではなしえなかった大量の本が出まわるようになった。そのなかにはルネッサンスを導いていった古代ギリシャの文献や、近代の社会思想を築いたジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーの著作、そして各国語で書かれ発展していった膨大な数の文芸書がある。紙にしるされた書きことばは、法律書や行政文書として国家と社会を形成するには欠かせないものとなった。

     そのなかで忘れてはならない本が「聖書」である。マルチン・ルターによって大きく前進した宗教改革の武器は聖書だった。それまで人々にとって神と出会う場所は、教会という空間に限定されたものだった。それがバチカンの支配を可能にした。しかし宗教改革では、大量に印刷しばらまかれた聖書が人々を教会からひきはなし、ローマカソリックの支配を打ち砕いていった。人々は家にいながら聖書を通して神とむきあうことになったのだ。

     ここまでは高校の世界史で教わる話なのだが、重要なのはバチカン体制が揺らぎ、プロテスタントが誕生したことだけではない。このプロテスタントの精神、たとえば質素に暮らし蓄財に励むといったスタイルが、資本主義を生んだという意味ではたしかに重要なのだろうが、もう一つ注目すべきなのは「個人意識」の確立である。

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